外から来たるもの
始業ベルが鳴り、わたしは理科の授業に取り掛かった。
今日は天文、地球と月との距離。
地球の外には様々な星々がある、でもそんなの分かりきっている。
本を読めばそんな事はすぐに知る事ができるから、だからあんまり驚きはない。
問題は、わたしの師が教えてくれた事。
「世界の外」からくる「敵」について。
みんなは知らない、知っているのは私とあの人だけ。
そのことを考えると、とても不思議な気分になった。
わたしには「敵」がいる。
わたしを教室で侮辱した人たちなんかどうでも良くなるほどの脅威だ。
でも、わたしは恐怖を感じなかった。
わたしには恵理子さんがいる、師に守られている。
その事が、わたしを恐怖から遠ざけていた。
守られている、とすれ感じさせた。
あの人の言葉に従えば、わたしは大丈夫、と言う安心感。
でも、恵理子さんに頼ってばかりもいられないかも。
わたしはまだ力の使い方がわかっていない。
もっと力の使い方を覚えなければ、あの人の必要とする弟子にならなければ。
そう思いながらも、わたしは教師の発言を淡々と板書してゆく。
教師の声を聞き流しながらも、言葉の節の一つ一つまで克明に書き出してゆく。
頭は使わない、文字列がわたしに従ってくれる。
これはわたしの能力を応用した速記術だ、でももっと違う何かが必要だ。
これでは足りない、と私は思いながらペンを走らせる。
ガラリ、と教室のドアが開いた。
青池だった。
わたしはあいつの事が今でも嫌いだ。
顔を見るだけで嫌な奴だった。
この不快感はどこからくるのか、きっとわたしとあいつが感染したウィルスのせい。
それが、わたしとあいつを同じ立場にしてしまった。
吐き気がする。
いや、この匂いは……教室内に酸っぱい臭気が漂っている。
わたしは青池から視線を外すと、板書に戻った。
「おい、ゲロくせえぞ」
男子の一人が呟いた、クラスメートの視線が青池に集中する。
「入ってくんじゃねえよ!」
「出てけ!」
男子が口口に言い始める。
「なにこの匂い」
「先生、青池くんが臭いです」
女子も口を揃えて言い始める、でも青池は黙って自分の席に歩こうとしていた。
バンバン、と音がした。
男子が、青池の背を拳で叩く音だろう。
ガシャン、と音がした。
多分、男子の誰かが青池の足を引っ掛けたのだろう。
視線をやると、青池は転んでいた。
「静かにしなさい!」
教師の叱責の声が飛ぶ。
これは単なる牽制でしかない、みんなわかっている、
「青池、始業ベルが鳴ったら席についていなさい!君はやる気があるのか?」
クラスの空気が、フッと穏やかになった。
誰もがわかっている、これはイジメだと。
でも、教師はそれを見て見ぬふりをする
淡々と授業を続けるだけ、だからみんなそのことを再確認して安心したのだ。
わたしは恐ろしかった。
一歩間違えれば、わたしも青池と同じ目にあっていたかもしれない。
あんな奴と同じ立場になるのは願い下げだった。
今、青池はわたしたちの「外側」にいる。
あいつもまた、「わたしたち」にとっては「敵」だった。
憎まれ、忌まれ、疎外される「敵」だ。
なぜあいつが「わたしたち」にとっての「敵」なのか。
のろまだから、バカだから、弱いから。
ただそれだけの簡単な理由。
国と国との戦争みたいな的じゃない。
手軽に攻撃できて、反撃すら受けない、安全な「敵」だ。
「わたしたち」には、それが必要なのだ。
問題は、「わたし」が「わたしたち」の側に居られるかどうかだ。
わたしがまたクラスで注視を受ければ、わたしも「敵」になる。
わたしが「わたしたち」から転がり落ちて、いじめを受けていた頃はそうだった。
上履きを隠されたり、机に落書きをされたりした。
例のウィルスに感染する前は、わたしもクラスのみんなと仲良くしていた。
でも、ウィルスのおかげでそれも台無しになった。
運が良かったのは、学期が変わってからクラス替えが行われた事だった。
曰く、元ウィルス感染者に対する臨時的な措置どうこう。
おかげでわたしはひとりぼっちのまま新学期を迎えた。
最初は怖くて、二週間登校拒否の状態だった。
でも、恵理子さんが支えてくれた。
ずっと見守っていてくれた。
だからわたしは、どうにか学校に通っている。
クラスメートの女子たちとは深く関わらず、ただ淡々と授業を受け続けた。
でも計算外だったのは、青池も同じクラスに編入されていた事だった。
あいつは、いつも変わらず「わたしたち」の「敵」であり続けてくれた。
のろまで、弱く、惨めな存在として。
いじめは青池に集中した、だからわたしは無事でいる。
「わたしたち」の側であり続けられている。
だからわたしは、なにも言わず。
教科書に視線を落とした。
そこでわたしは思い出した。
師の言葉を。
「できるだけ目立たずいなさい。大丈夫、あなたにはわたしがいる」
その言葉を思い出すだけで、酸っぱい臭気もイジメへの恐怖も掻き消えた。
わたしは大丈夫、あんな風にはならない。
心からそう思えた。