エネミー
私は、車の中でSlaveの情報を受け取った。
車の近くに、青池の通う中学校がある。
ひとまず、奴が私の命令に従うかどうかの様子見ではあったのだが、思わぬ収穫があった。
私の追うべき敵は、この街の中にいる。
それは分かっていたが、学校にいるとは。
私は青池に仕込んだ「オートマトン」から発信された情報を確認する。
私の視界の内に、スキャンされた校舎の立体透視図が浮かび上がる。透視図の中に、赤く輝く点が2つ明滅している。敵は校舎内の2年B組のクラスに2体。
私は視界内の透視図に意識を集中する。
この二体の詳細、氏名、年齢、性別、身体的特徴、社会的な立ち位置などを瞬時にスキャンした。
社会的な相関関係から、彼らは3体のグループで構成されていることが分かった。ならば、後の一人はおそらく、昨晩私が腕を切り落とした奴だろう。
対象の特定を完了。
後は獲物を追い詰めるだけだ。
まず二体を始末し、しかるのちに負傷している最後の一匹を始末する。
そのためには撒き餌が必要だ、それももちろん用意してある。奴を、青池を使えばいいのだ。
私は事務所へ戻るべく、車のアクセルを踏んだ。
今夜の狩りの準備をせねばならない。
敵は、この街にいる。
狩り尽くさねば————
わたしは、まるで生まれ変わったような気分で授業を受けていた。昨日の夜が忘れられない。
わたしは救い主を得た、その救い主はわたしの師でもあったのだ。師は、わたしに力を与えてくれた。
わたしの力とは、文字列を操る力だ。
文字列であるならば、数字だろうと言語だろうと、即座に理解し、羅列し、操作する事ができる。
だから、苦手だった数学や英語の授業だってすぐに理解できるようになった。黒板の文字を見ながら、ノートに視線を送らずに文字を記述し、回答を書き綴ってゆく。まるでパソコンのキーボードをブラインドタッチするかのように、すらすらと。
師は言った、わたしにはわたしだけの力があると。
その力を目立たぬように用いて伸ばすようにと。
そうする事で、わたしは生きていけるのだと。
だから、わたしはそうする事にした。
この一日で、わたしは勉強の遅れを取り戻した。
この力のおかげだ。
わたしは、昨夜の事を思い出す。
宮野恵理子と夕食を取った。
ビーフシチューとパン、それからチーズの添え物。
デザートはフルーツだった。質朴だけれど、とても美味しかった。
そのあと、わたしは宮野恵理子に誘われ、書斎へと向かった。これからの事を話したい、彼女はそう言っていた。
広い書斎に絨毯が敷かれていた。
絨毯には、複雑な図形や魔法陣が敷き詰められていた。まるでお伽話に出てくる魔法使いの家のようだった。四方の壁は本棚で埋め尽くされていた。
その部屋の中心に、マホガニーの机があった。
机には、座り心地のよさそうな椅子が一脚。
机の上にはパソコンが一台設置されている。
「大島さん、そこの席に座ってちょうだい」
「はい」
わたしは彼女に言われるまま、椅子に座った。
静かな音がして、モニターが点灯する。
「いい?モニターの画面に意識を集中なさい」
「はい」
モニターに、複雑な魔法陣が表示された。
私は魔法陣の図形の中心に、意識を集中する。
その瞬間、私の目前からモニターが消えた。
机が、椅子が、マンションの壁が、床が消失した。
わたしの身体は、宙を浮いていた。
様々な言語の列が空間を走り回っている。
壁にはテレビのニュース、監視カメラのものと思しき映像、誰かの主観視点、空や海や山、どこかの国で行われている紛争の映像、株式のチャート図、そして、様々な人種の顔写真、様々な映像が映し出されている。
膨大な情報が、私の視界を覆っていた。
「大丈夫?」
わたしの目の前に、恵理子さんがいた。
「え、ええ……でも、これは……」
「びっくりしたでしょう、ここは情報量が多いから」
「一体なんなんです、ここは————」
「簡単に言えば、貴女の脳の中」
「わたしの……」
「そして、わたしの脳の中でもあるわ」
ついてきて、と彼女は言った。
わたしは彼女についてゆこうとしたが、身体がうまく動かせない。
彼女が床を蹴って、こちらに飛んできた。
「歩こうと思えば歩けるし、飛ぼうと思えば飛べるわ。ここはそういう場所なのよ」
彼女はわたしの手をそっと優しく握ると、部屋の中央までわたしの手を引いて連れて行ってくれた。
「ここ、まるで夢の中みたい」
「そうね、ある意味ではその通りよ」
「恵理子さんと、わたしの夢?」
「それだけじゃないわ、全人類が見ている夢と言ってもいい。私たちはいまそれにアクセスしているの」
「全人類の、夢」
様々な国の言葉が、魚のように空中を泳ぎ回る場所。
「じゃあ、壁の映像は、誰かの記憶?」
「その通り、ただしリアルタイムなものね。私たちは、ここで世界を見張るの。私たちの仲間を救うために、敵を遠ざけるためにね」
「敵……本屋にいた、アレのこと?」
「今は、あれの事を思い出さない方がいいわ。貴女にとっては辛い記憶でしょうから……」
「どうして、わたしのことが分かったの?」
「私たちは、全人類の夢を通じて世界を見張ると言ったわね。だから貴女の事はすぐに分かった。貴女と、こうして出会う前から、ね」
恵理子さんが壁の一点を指差すと、様々な人種の顔写真が現れた。顔で作られた幾万、幾億もの顔、顔、顔、その一点がズームアップされた。
そこに、わたしが居た。
わたしの生徒手帳に貼り付けられている顔。
美人でもなければ、ブスでもない、わたしの顔。
「人間の意識はね、本当はひとつの大きな海に流れ込むんでいるのよ。その流れの中には、私たちの仲間がいるの。つまり、それが貴女よ」
「わたしが、恵理子さんの仲間」
彼女の言葉を聞いたとき、わたしは心のなかにとても暖かいものが広がるのを感じた。
わたしが彼女の仲間である事が、疑いようもない真実として、心の中に刻み込まれた。
荒れ果てた砂漠に、草原と花がどこまでも広がっていくような心持ちだった。
「だから、貴女の事は知っていたわ。ずっと心配していたのよ……属する社会から、貴女は切り離されようとしていた」
彼女は知っていた、わたしがあの病気に感染してから、いじめを受けていたことも。
「プロフ」には書けなかった。
どうしてかって、プロフは同級生たちがすぐに確認してくるし、イジメがあったと書けば即座に同級生たちに知られる。アカウントに鍵をかければ、鍵をかけた事自体が変に思われる。学校側だって、生徒のアカウントは監視しているって聞いた。だから、辛いだなんて誰にも言えなかった。
親はと言えば、わたしの事は心配したけれど、イジメについては何の相談にも乗ってくれなかった。親には親同士のつながりがあって、そこから切られれば面倒だと思っているのだ。
だから、親にも言えなかった。
それを、彼女はずっと前から知っていた。
わたしにはそれだけで充分だった。
「恵理子さん、あなたは一体、どういう人なの」
「私はマギウス。世に隠れ潜み、奇跡を行う」
「じゃあ、わたしも、なれるの?マギウスに」
「もちろんよ。でもまず、貴女は自らの力の使い方を知らねばならない、コントロールしなければならない」
「どうしたら、それができるの」
私の力、本屋で発したあの言葉。
わたしはマギウス。
わたしは、その力が欲しいと思った。
力を得て、彼女と同じになりたいと思った。
「私は貴女に教えるわ。でも本当にいいの?私がこれから貴女に伝える知識は、貴女の世界を粉々に砕いてしまうでしょう。それでもいいのかしら」
わたしは————
「わたしは恵理子さんと同じになりたい……今のわたしの知っている世界なんて、粉々に砕けてしまえばいい!わたしはなりたいの!マギウスに!」
「それならば、共に行きましょう」
こうして、わたしは師を得たのだった。彼女はわたしに、簡単な力の使い方を教えた。
願うだけで、ありとあらゆる文字列を自由にできるその力は絶大だった。
彼女は言った。
「まずは、あなたの力を知ることから始めなさい。恐怖によって力の使い方を誤らぬよう努め、力を伸ばしなさい」
だからわたしはそうしたのだった。
でも、1つだけ気にかかる事があった。
「敵に気をつけなさい、彼らは私たちマギウスを根絶やしにしようとしているわ」
「敵って、一体何なの?」
「今は多くを教える事はできないわ、でも1つだけ言えるなら……彼らは世界の外から来た、気をつけなさい」
わたしはパソコンの前で目覚めた、時間は数分しか経っていなかった。そして、わたしは恵理子さんのマンションを後にしたのだった。
思い出に耽る合間にも、授業は進んでいた。
でもわたしは、教師の声を聴きながら、昨日の思い出に浸る事ができた。身体が自動的に動いていて、なんだか不思議な気分だ。
授業が終わったら、また恵理子さんの部屋に行こう。
わたしは優秀な弟子になれるだろうか?