フラッシュ
「助け」は私の予想していなかったものだった。
光とともに現れ、幽霊のように姿を消す。
私は、友人が言っていた幽霊の噂を思い出していた。
この町には幽霊が住んでいる。
その幽霊は人間の姿と変わりがなく人間のなかに紛れ込んでいる。
だがその幽霊は時に光を発して姿を消すのだという噂を。
「どうした?私はさっきからここにいるぞ?」
闇の底から響いてくるような声。
とても恐ろしかった。
ばしゃん、と音がした。
血の飛沫が飛んで、私の髪と顔に降りかかった。
私は目を見開く。
私のすぐそばの地溜まりに、腕が落ちていた。
切断面が何故か焦げていて、ジュウッという音を上げて煙が上がる。
雨の上がりの日、水溜りの上に捨てられたタバコの吸殻のよう。
血と肉が焦げる臭い。
吐き気。
私の精神はそこで限界を迎えようとしていた。
切り落とされた腕が、目の前にある。
嫌だ、はやくここから逃げ出したい。
心拍数が上がっている。
両足が立ち上がろうとするが力が入らない。
両目は切り落とされた腕を凝視し続ける。
耳元からドクドクと血の流れる音が聞こえ、目の前が一瞬暗くなった。
「しっかりして!だいじょうぶよ、もうすぐ済むわ…安心して」
携帯から、またあの人の声が聞こえてきた。
私はどうにか正気を取り戻せた。
信じられなかった。
疑う余地などなかった。
「大丈夫です」
できるだけ気丈に聞こえるよう言葉を発した。
ガシャン!
大きな音がして、衝撃が足元に伝わる。
書店のウィンドウガラスが砕け散り、金属のひしゃげるガリガリという音が聞こえた。
その音に驚いた私は、雑誌置きから転げ落ちた。
そのまま血の海の上へ。
飛沫が上がる。
血が制服に染み込んでくるのを感じる。
冷たくなった血液が、直接肌に触れるのを感じた。
全身を走る不快感と、鼻腔を満たすむせかえるような血の臭い。
だが私は耐えた。
携帯電話の向こうにいる“あの”人ので、無様な真似はしたくなかった。
立とうとするが、うまく体に力が入らない。
どうにか床を両手で掻いて、血の床の上を這う。
だが、体の震えは止まらなかった。
私は、雑誌の棚の陰ついてあたりで上半身を起こすことができた。
体中から血が滴る。
真っ暗だった店内に光が差していた。
光の差し込んでくる方向を見る。
シャッターに大穴が開いていた。
ウィンドウガラスは大きな亀裂が走っている。
私は物陰で震えている。
恐ろしく寒かった、全身の血の気が引いている。
すると、あの幽霊が私の目の前に立っていた。
店内に差し込んだ町の光のせいで、今度は顔が良く見えた。
大柄な身長に、引き締まった体躯。
オールバックの髪型の、中年の男性だった。
だが、通学途中で見る疲れた中年のサラリーマンとは違う。
目には人を威圧するような鋭い光が宿っていた。
幽霊はこう言い放った。
「動けるか?すぐに移動するぞ」
私は動かなくなった足に力を入れ、立ち上がる。
すぐには立ち上がれないと思われたが、呼吸を整えながら少しづつ立ち上がる。
「こっ、来ないでください!」
私はこの幽霊の手を借りるつもりはなかった。
このひとは、人殺しだ。
何をどうやったのか分からないが、この人は黒い人影の腕を平然と切り落とした。
助けに来たのはこの人だが、信用ができない。
とにかく警察に駆け込もう、いや、すぐに警察に電話を。
幽霊は私を睨みつけながら、ふう、と息を吐いた。
「信用できないのは当然だろうな…だが、
私は君の“保護者”からの依頼で助けに来たのだが?」
保護者?あの人の事?
私は携帯電話を耳に当てる。
「もしもし?今私の目の前に…幽霊みたいな、変な、人、が」
「落ち着いて、彼は味方よ。貴方を助けに来たの。
今は彼の言うことに従いなさい…いいわね?」
あの人が言うなら、たぶん間違いはない。
私は頷く。
「わかりました…」
釈然としない思いだったが仕方ない。
私は幽霊男に向き直る。
「取り乱してしまってごめんなさい、分かりました。
あなたを信用する事にします」
「そうかそれは良かった、万事めでたしだな。
では行こうか…」
幽霊男の体に、光が走る。
ストロボの光。
誰かがいる?
私は振り返ろうとしたのとほぼ同じタイミングで、再び閃光が走る。
目が眩み、耳がキーンとなる。
後ろに振り返ろうとした時、カメラを持った人影を見た。
さらに、私の後ろから何かが迫ってくる。
全身を光のコートで覆った人影。
幽霊。
私は幽霊に小脇に抱きかかえられたと思うと、一瞬この町の上空を飛んでいる幻を見た。
いや、あれは幻ではなかったのかもしれない。
吹き付ける激しい風圧が、まだ私の体に残っていた。
私は気がつくと、見たこともない場所に立っていた。
マンションのテラス。
私は何が起きたのか分からなかったが、辺りを見回す。
高級マンションの構想階のようだ。
この前建てられたばかりのはず。
確か新聞に広告が出ていた。
でも、まだ入居者を募集している段階で、人は住んでいないはずの場所だ。
幽霊は、もういなかった。