覚醒者
世理に連れられて来たのは、カットエッジの近場にある喫茶店だった。カントリー風の内装で、木材で出来た机や椅子から木の香りが漂い、不思議と心を落ち着かせてくれる。
時間があると、よくここにコーヒーを飲みに来るとのことで、カウンターでコップを拭く高齢の店員さんとも顔見知りであるらしい。
彼に一言挨拶を交わしてから、窓際の最も奥の席に向き合う形で座ると、世理が早速話題を切り出した。
「まずは芦那さん、アルバイト初日お疲れ様でした。今日一日勤務してみて、いかがでしたか?」
世理の笑顔は純粋そのものだ。
そんな彼女の期待を裏切ることになるかも知れないのは、心許ない。
だが今は、何よりも確認しなくてはならないことがあった。
「まぁ、思ったよりも大変ってことは分かったよ。それより、教えてくれるんだよな?お前達が、一体何者かをさ。いくらアルバイトとは言っても、このまま何も知らないまま続けるのは、正直心苦しいよ」
「えぇ、承知しています。宣言通りに、お話ししましょう……私達の秘密について」
その時、先程はカウンターに立っていた白髪の店員が、無言でコーヒーカップを二つ持ってくると、優しげに微笑みかけてくる。
世理が、いつもすみません、と微笑み返すと、店員は丁重に頭を下げてカウンターへと戻っていった。
「さて、まずは何から話しましょうか……そうですね、無難に私達を含めて、能力者について説明します。一般的に知られていないのですが、世の中には多数の能力を持った物、『覚醒者』が隠れるように暮らしているんです。大きく分けて、二つ……才なる力を持つ者、才力者と、狂った汚染者、狂染者に分けられます」
才能と力を持つ者、狂った汚染者。
同じ覚醒者である筈なのに、言葉の使い方でイメージの違いが明確化している。前者は間違いなく優等的なイメージだが、後者はまるで汚れた存在であるかのようなイメージだ。
「超能力者にも、違いがあるものなんだな……」
「えぇ、ですがそれは望んで分けられた形ではありません。知っていますか?人間は元々、超能力を扱える才能を誰もが持っているんですよ?そのきっかけとなるのが、潜在物質『ルダ』と呼ばれる存在です。多くの場合、ルダ自体が目覚めずに寿命が尽きるの場合が殆どで、ルダが力を発揮することが珍しい事象なんですけどね」
その理屈ならば、雅生自身も超能力に目覚める可能性はある、ということだ。当然そんな予兆は感じたこともないし、周りで聞いたことすらもなかった。
「へぇ……ということは、その過程で才力者と狂染者に違いが出てくる、って訳だよな?どうせなるなら、才力者ってやつの方が、イメージ的にも良いかも知れないなぁ」
「恐らく、誰もがそう思っていたことでしょう。なにせ、才力者とは超能力を自由自在に扱うことが出来ますが、狂染者はその真逆……超能力自体に体を支配され、異形なる存在へと変わり果ててしまう、と言われています。現在確認済みの超能力者全体における狂染者の割合は、九十九パーセント。ルダが覚醒したほぼ全ての超能力者が、望まぬ力に悩み続けているのが現実なのです」
アニメや映画等でも、現実世界における超能力者は、普通とは違うという理由で、虐げられている場面をよく目にする。普通の人間にとって化け物でしかない存在は、自らの力にすらも支配される事実を併せ持っていた。
内面からも外面からも、支配され、虐げられる現実が、彼らにとってどれだけの苦痛なのか。とてもではないが、普通の人間である雅生にとって、容易に想像できるようなものではなかった。
気付けば乾ききっていた喉を潤す為にコーヒーを口に含むが、思ったよりも苦かったので噴き出しそうになる。
「ケホッ……!それじゃあ、あの《鎌鼬》ってやつも狂染者の中の一人で、自分の意思に関係なく、無差別に人を襲っているのか?」
「違います。彼らは現実を受け止め、既に普通の人間と決別した連中です。自らを現実世界から『剥離』された存在だと納得して、自らを剥離者と名乗り始めました。聞くところによると、剥離者達を統括する団体も存在するようですが……《鎌鼬》はあくまでも剥離者の模倣犯として、個人的にカットエッジに襲撃に来ている、と見て間違いないでしょう。集団で来られていたら、今頃カットエッジ周辺は焼け野原になっているでしょうからね」
想像したくはないが、超能力達はそれほどの力を秘めている、ということなのだろう。
目の前で目撃したからこそ、よく分かる。
あんなもの……人間の力で対処が出来る程、簡単なものではない。腕力的にも、能力的にも、既に普通の常識を超越していた。
「だから、そいつらの脅威に対処する為に派遣されたのが、お前達みたいな超能力者で構成された団体、ウォッグって訳か……そういえば、お前も含めて、ウォッグの四人組は全員どんな力を持ってるんだ?」
世理は一度コーヒーを口にして、堪能するように顔を綻ばせた。このコーヒー、どうやらブラックの様だが……彼女は見た目に反して、舌は大人であるらしい。
「ふぁ~……そうですね、それも説明しておかなくてはでした。まず、姫々島狼奈さん。彼女のルダは、狼の様に俊敏な動きを得意とし、人間離れした腕力を発揮する身体能力大幅向上能力、といったところでしょうか。肉弾戦において、彼女の上を行く存在はありません。ですから、気を付けてくださいね?怒りを買って殴られたりでもしたら、一撃で昇天してしまいますから」
「……肝に銘じておきます」
今日一日の間で、一度でもそういった恐れがあったことを思い出すと……不覚にも全身が震え上がった。
「瑠羽さんは……あぁ、そう言えば、自分のことを話されるのは嫌っていましたから……そうですね、一先ず機械類ならば何でも出来る力、という認識で良いと思います。四辻さんは、簡単に言えば分身が出来る能力でして、こういった夜の見回りの時は、沢山の四辻さんが店内をウロウロしています。その代わりに体力が皆無に等しいので、昼は受付業務ぐらいしか出来ないのが玉に瑕なんですけどね」
聞いていると、警備業務に対してとても適した力を持っていることが分かる。世界には超能力者が隠れて生きているということだったが、ここまで都合良く人材が集まるのも逆に不思議な話だ。
さて、残すはこの世理の能力だけだが……何故か彼女はテーブルの上を見回しつつ、色々なところを触ってから、店員さんに声を掛ける。
「このお三方は、狂染者です。特徴としては、自らの身体を変化させることに共通しています」
「……ん?でもそれって……」
狂染者は、異形なる姿に変貌する。
それの通りならば、彼女達も既に異形な姿になっていると考えるべきだ。
しかし、どう見ても普通な人間にしか映らないが、どういうことなのだろうか。
「逆に才力者は、空間自体を変化させることを特徴としていまして……マスター!ナイフかフォークはありますか?なければ、包丁でも良いんですけど、貸してくれませんか?」
「あのオッサン、マスターだったのか……」
道理で落ち着いた物腰だと思ったが……それより彼女、今何と言った?
包丁を貸してくれ、と言ったように聞こえたのは気のせいだろうか。
しばらくすると、マスターがナプキンに包まれた何かを持ってきた。無言でテーブルの上におくと、微笑んでから包みを開いていく。
中に入っていたのは……包丁だった。
「ありがとうございます。さて、芦那さん。それを逆手に持って下さい」
「……はい?」
意味が分からないが、取りあえず彼女の言う通り包丁の柄部分を、逆手に握る。
すると、世理は自分の手をテーブルの上に置いてから、衝撃的な提案を口にした。
「さぁ────ぶっ刺してやってください」
「はぁッ!?お前、また冗談のつもりか!?」
「冗談ではありませんよー。指先でも、手首でも、中心でも良いですから、遠慮なく、力一杯、それこそ人を殺す勢いで、やっちゃって下さい。さぁ、さぁ、さぁ、さぁ!」
「人を殺す勢いって……人を殺したことも殺そうとしたこともないから分からねぇよッ!何ですか!?お前は俺に加害者のレッテルを貼り付けるつもりですか!?」
こんな場面、見たことがあるだろうか。
とても鋭利な包丁を手渡した挙げ句、自分の手を差し出し、とても楽しそうに刺ーせ!刺ーせ!とコールをする異様な光景だ。
信じられないくらい意気揚々としている顔を見ると、逆に恐怖を覚える。
だが、後に引けない雰囲気を察した雅生は、包丁を握る手に力を込めた。脂汗が滲み出てくる手に不快感を感じながら、世理の手の甲を睨む。
「お前のそのムカつく笑顔を信用してやってやるが……本当に大丈夫なんだな……?」
「えぇ、えぇ、私は嘘を付きませんから。思いっ切りやってくださいよ?そうしなくては、リアリティーがありませんから」
「嘘吐きまくりだし、リアリティーの追及なんて要らないだろーがよぉ……あぁ、もう分かったよ……行くぞォォッ!!」
覚悟を決める。
心臓の音が高鳴り、胸が締め付けられるような動揺を押さえつける。
彼女の望み通りに、彼女の手の甲へ向かって、渾身の力を振り絞り────包丁を振り下ろした。
その刃先が、世理の手に当たったかどうかのところで……。
「キャアァァァァァッ!!」
「────ッ!!────ッ!!」
店内に甲高い悲鳴が響き渡った。
やっちまった。
声すらも挙げられずに、最悪な事態を想像すると、恐る恐る、包丁の刃先へと視線を向ける。
包丁の刃先は、世理の手の甲に突き刺さって…………。
「なーんて、冗談です」
いない。
ほんの一ミリ寸前で止まっていた。
惚けた声が聞こえ、呆気にとられる。
雅生は唖然とした顔で世理を見ていると、彼女は微笑みながら包丁の側面を逆の手の指で弾いた。
「不祥にも、私は才力者に分類される超能力者です。ここに光る点があるのが見えますか?私は、『指定球』と呼んでいるのですが」
確かに、テーブルに四つ、彼女の目線上辺りに四つ……合計八つ、微かに光る点があった。更によく見てみると、まるで立方体を形成するように並んでいることが分かる。
「この指定球の範囲内ならば、私はどんな形ででも侵入不可能な領域を生み出すことが出来ます。今朝のように、指定した範囲を不可侵領域に飛ばすことも可能です。防御、ではありませんよ?侵入不可領域です。打撃、魔法、自然現象、ありとあらゆる事象の侵入を防ぐ力。それが私のルダ、《不可侵領域》と呼ばれる力…………あぅっ!」
世理の額に鋭いチョップが直撃し、説明の口が止まる。
続けて、雅生の怒号が喫茶店に大きく響き渡った。
「ふざっけんなテメェェッ!!今ので寿命が五十年は縮んだわコラァァァァァァッ!!」
「顔が恐いですッ!!」
机に脚を乗り上げ、掴み掛かろうとするのを慌てて止めに入るマスター。
その時の雅生は大層ご立腹だったとのことだ。
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営業時間外のカットエッジは、防災センター以外の照明は全て消している。確か、費用削減の為にやむを得ない処置だと責任者は口にしていた。だが、こんな真っ暗な空間を、懐中電灯一つで見回らなくてはならない、こちらの身にもなってもらいたいものだ。
響くのは自分の足音だけ。
それ以外は完全に静寂で、真っ暗闇だけが支配する空間を、四辻津々代は懐中電灯を手に巡回をしていた。
「昼間はとても賑やかなのに、夜になるとまるで別空間ねぇ。瑠羽ちゃんもそう思わない?」
無線機に呼び掛けると、少しウンザリした口調で、直ぐに返事が返ってきた。
『返答です。真面目にやって下さい、四辻津々代』
「分かってるわよぉ。いつ《鎌鼬》のやつが仕掛けてくるかなんて分からないものねぇ。だとしても、こんな夜中に何か起こるのだけは勘弁願いたいものだわぁ。正直、面倒くさいしねぇ」
『肯定です、四辻津々代の分身は便利ですが、戦闘面では頼りになりませんからね。言っていることは理解出来ます』
《多影》。
津々代が持つ、身体を分身させる力だ。
これは身体だけでなく、体力、筋力等々、潜在能力までも分裂させてしまう。その為単純に考えて、分裂すればするほど、同時に弱くなってしまうデメリットまで背負っている。
だが逆に、潜在能力は全員で共有しているので、一人の津々代が休息を取れば、他の津々代の体力も回復する。性能よりも、利便性を重視した能力と言えるだろう。
当然、感覚も共有出来るので、別の階を回っている津々代が何を見ているのかも分かる。
「もう~、相変わらず瑠羽ちゃんは一言キツいんだからぁ。そういうところが好きなんだけれどねぇ」
『否定です、好かれたい気持ちは皆無ですが……』
そんな彼女の言葉を耳にしながら、今朝方、狼奈とフード男が戦闘を起こした中央広場に差し掛かった。
一階から二階に、二階から三階へエスカレーターが繋がっており、一階から三階までが筒抜けとなっている場所だ。三階からはさぞ良い景色が見えるだろうが、落下したら一巻の終わりだろう。
「そんなこと考えるのは良くないわよねぇ」
『質問です、何か言いましたか?』
「別に何もないわぁ。さてさて、夜の見回りを再開しましょうかねぇ」
そもそも、人が居なくなる夜中に何かが起こることは、殆ど無いも同然だ。辛うじてあるとすれば、火災探知機の誤作動程度だろう。
二階から三階の津々代が異常を察知した様子はない。
このまま今夜も何も無く終わるのだろうか……と思った時だ。
「んん?あれは……」
柱の陰から、小さな何かが飛び出ていることに気づいた。
近づいて懐中電灯を向けて見てみると、そこには……。
「あらぁ、可愛いクマのお人形さんじゃない。夜中の巡回の功労として貰っておきま……」
『注意勧告です、駄目に決まっています。落とし物は防災センターに持って帰ってきて下さい』
「ですよねぇ……」
少しガッカリしながらぬいぐるみを抱えると、改めて一階の異常の有無を確認してから、防災センターへと戻っていった。