神に君臨する物質
彼女が豹変してから、身体がおかしい。
不自然なくらいに力が入らないし、身体の節々に痛みが走る。
まるで人体実験時に受けた、刃物が身体を貫通する痛み……それが、全身に無数に突き刺さっているかのような、そんな感覚だった。
「……ハッ、フヒッ、フヒヒッ……全く状況が理解できないから、聞かせてくれよ。君が噂の無限物質だと言うのならば、一体何の目的でこんなところに現れた?」
膝を着き、荒い息を吐きながらも、目の前の少女を見据えるケウク。
少女の宙に浮遊する様子は、同じ人間とは思えない、どこか神々しい雰囲気を感じさせている。
だが、凶悪的に笑う顔を見ると、どうしても善意がある存在とは感じれなかった。
「ミヤゾノセリ……セリ?あぁ、そう言えば名前を変えたんだっけか?ならば、オレがこの名前を名乗ろう。セリじゃない、こいつとオレの名前は、リセ。三つの谷と書いて、三谷園理世だ。テメェも剥離者ならば、どこかで聞いたことがあるだろう?」
「フヒッ……これは驚いた。まさか、未だにあのディジット構成員、三谷園家の名前を語るものがいるとは……!なるほど、君は世理、いや理世と“一体化”した存在。つまり、君の言うオレとは、理世の意志である……そう考えればいいわけかな?」
なんという運命の悪戯か。
自身の、全ての覚醒者の運命を狂わせた原因の発端である人物の名前を、こんなところで聞くことになるとは。
笑いが込み上げてきて、思わず声を漏らした途端、理世の顔色が険しく変わった。
「面白がってんじゃねぇよ、殺すぞ」
元の世理の口から出たとは思えない、乱暴な言葉だ。
「フヒッ、ゴホッ、フヒヒッ……」
ディジットの研究員には三谷園という名前の人物がいて、彼らには理世と呼ばれる娘がいた。現在その娘は、自身の名前を宮園世理と変え、ウォッグの隊長として活動している。
ケウクの知っているのはその程度だ。
それがまさか、無限物質と密接的な関わり合いがあったとは……正直驚きを隠せない。
「ところで覚醒者、だっけか?お前らの身体が実際のところ、どうなっているのか……考えたことがあんのか?」
「……何のことかな?」
「ハッ!無知な奴らだ。まぁ、たかが人間の目じゃ理解できないのも無理はねぇよ。オレが存在するのは、テメェらとは違って更なる高次元の領域だ。オレの前では、お前らなんぞ造る最中の不出来な玩具も同然。創るのも、破壊するのも、造作もないことだ」
完全に、見下している。
だが、何故か敵を貶すような言葉には感じられなかった。
もっと、それ以上の……理解に及ばない領域の何か。
その為なのか、不思議と不快さも、憤りも感じることが出来ずにいた。
「どういう、ことかな?」
「お前達みたいな生物が生きるには、内蔵や血、細胞等の存在が不可欠なんだろ?まったく気持ち悪い身体だとは思うが、まぁそれは良い。そういった身体の保全の為に必要なものを、仮に『生命線の塊』とする」
「生命線の塊……ねぇ……?」
実際に見えるわけではなく、恐らく不可視の物質として存在する物なのだろう。
例えるなら、生命維持に不可欠な、血液、内蔵、細胞類等々……それらを総じて現した存在、と考えれば良い。
「その塊の中にごく一部、例えるなら地球に対する豆粒程度の量だけ、ルダと呼ばれる潜在物質がある。そこでオレは、お前達生物を構成する、生命線と潜在物質の量を反転させてやった。つまり、“生存概念の反転”さ。そうして生まれたのが、生命維持の為ではなく、異能的能力を発揮する為に生存する身体……それこそが、お前達覚醒者の身体ってわけだ」
人間の潜在能力を引き出したのでない。
あろうことか、人間の身体の根本を作り替えたのだ。
血液を全身に行き渡らせる為に心臓が動く。
ウイルスに感染したら抗体が出てきて熱が出る。
そんな風に、人間の身体の器官は『生命維持』のメカニズムで成り立っている。しかしそれを全て、『異能的能力』を発揮する為のメカニズムに変えてしまった。
それが具体的にどんな変化なのかは想像も出来ない。
しかし、唯一確実に言えることは、覚醒者として生きている生物は……最早、人間という概念を持ち合わせていないのである。
正確に言えば、人間の形をした別の何かだ。
「何故、そんなことをする必要が?」
「何故?何故疑問形で聞く?普通な自分達に飽きて、異能力に憧れて魔法や超能力を空想したのは、お前達だろう?だからオレはその空想を叶えてやっただけだ。むしろ感謝してほしいもんだが?」
ニヤリと笑う理世を見ると、再び笑いが込み上げてきた。
冗談じゃない。
怒りを通り越して、呆れるレベルだ。
「つまり……君はわたくし達の意志を叶えてくれた神様ってこと、かい……?フヒヒッ……」
理世はこちらを指さしながら続けた。
「ならば、現時点でお前達の身体に何が起きているか?これも簡単だ。オレが、覚醒者の莫大に膨れ上がったルダを、消滅させてやっているんだよ。その結果、どうなるか?異能的能力を発揮する身体が存在意義を失い、いずれ死滅する……分かるよなぁ?何も出来ずに、ただもがき苦しみながら、死んでいくんだよ」
段々、彼女の笑みが本気で嘲笑染みたものへと変わっている……そんな気がした。
「フヒッ、フヒヒッ……それはおかしいな。君の言っていることは支離滅裂じゃないか。君はわたくし達とは違って、高次元に存在するものなのだろう?ならば、わざわざ君の手を下す意味がないではないか」
理世は笑みを消す。
本気で呆れた様子で、首を横に傾けた。
「……意味?意味ってなんだ?」
「……なに?」
「人間は蟻を踏み潰すことに意味を求めるのか?あり得ないだろ?そこに居るから殺すんだろ?それに敢えて意味を見出すってんなら、決まってる────面白いからだろうが」
「……ッ!」
衝撃、続けて絶望。
相手が人間、もしくは覚醒者ならば、反抗する意志を見せられたかも知れない。しかし、彼女は呼吸をするのと同等に、有り得ない現象を起こすことが出来る。
そんな彼女が、面白いから、と言った。
これが恐怖を感じずにいられるだろうか。
「蟻が水に溺れたらどうなるか?蟻の巣に砂を流し込むとどうなるか?どれだけの力を加えれば引き裂かれるのか……クククッ、アハハッ……ヤッベェ、考えているだけでも超楽しくなってきたぜ。今回のも、ただその延長線でしかない。だから頼むよ。精々面白い反応を見せてくれよ、なぁ?」
最早神と同等の立場にいる、三谷園理世。
神が人間虐殺に夢中になった途端、人間は滅亡を覚悟する他ない。
「……参ったね。ゲスなわたくしでも、ウンザリする程のゲスっぷりだ。流石にこれは、どうすることも……」
もしかすると、最後の時は既に……目前へと迫っているのかも知れない。
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「十年前、ディジットは潜在物質解明の為の人柱として、世理ちゃん……いえ、理世ちゃんの身体に、無限物質を埋め込んだ。その選択が、潜在物質の謎の解明に繋がると信じて疑わなかったから。彼女の身体は木のようなモノに覆われ、《不可侵領域》と引き替えに化け物となったのぉ」
「あの写真は、その時のものだったのか……」
瑠羽よりも無限物質の影響が少ない四辻が、暗い表情で語り出した十年前の真実。
世理の自宅で見たあの写真は、彼女が無限物質を埋め込まれた結果、生まれた姿だったのだ。
「当時の理世ちゃんは人と接することが好きな、人懐っこい性格だったわぁ。だから時々研究所を抜け出して、近所の子供達と遊ぶことも多かった。だけど、無限物質を埋め込まれた後は、人々の彼女を見る目が変わってしまったの。一緒に遊ぶ子供達も、理世ちゃんを見る大人も、口を揃えてこう叫んだ……『化け物』とねぇ」
「…………」
確かに、あんな異形な姿を見せてしまえば、普通の人々が怖がるのは無理はないのかも知れない。
しかし、理世は納得するわけにはいかなかった。
何よりも、人の優しさや楽しさを信じていたから。そんな純粋な心が、かえって彼女の心を蝕むきっかけになってしまったのだろう。
「それから、彼女は人間を恨むようになり、口調も歪み始めてしまった。だけど、それでも色々な人達に会い続けていたのは、心の奥底で人々を信じる心があったからかも知れないわねぇ。だけど、そんな期待も空回りし、理世ちゃんを認める人は一人もいなかった。そうやって三谷園理世という少女が確定していった時、一人の少年が現れた……そう、芦那雅生、あなたのことよぉ」
「……俺が……?」
そろそろ影響が出て来たのか、四辻はダルそうに息を吐きながら、雅生を見る。
「彼女はあなたのことを、こう話していたわぁ。力とか能力じゃなくて、とても勇気がある、ヒーローみたいな人だったってねぇ。あなたと出会って、彼女の中に一つの改変が現れた。それは……《不可侵領域》による、人格の分離よぉ」
「人格の、分離……?」
そう言えば、アルバイト一日目の夜。
不良に絡まれた女の子の助けに入った時、彼女らしくない、乱暴な言葉を放っていたのを思い出した。あの時、彼女が口にした男口調は……理世が少しだけ顔を出していたのが原因だったのかもしれない。
「理世は無限物質と一体化して人間を恨む心だけを培い続けていた。だけど、そんな中で残っていた良心、というのかしらぁ?良心が、あなたに憧れて、人々の為に生きたいと願うようになったの」
「俺に……憧れ……?」
「だから彼女は、力を使って無限物質と一体化した理世を、自身の中に封じ込めた。それから、彼女はずっと人間を恨む理世を抱えながら戦い続けている。きっといつの日か、理世や、覚醒者達が、人間との共存を望むようになる……そんな日を目指して、ねぇ」
「……宮園、あいつは……十年間、ずっと自分の闇を抱えながらも、誰かの為に戦ってきたのか……」
どんな恐怖と苦痛を伴うのか、想像すら出来ない経験談だ。
それなのに、彼女はあくまでも誰かの為に戦い続けている。
「……こんなもの、簡単に出来るわけじゃねぇだろ……!」
すると、自分でも気付かぬ内に、目の前にある無線のマイクを手に取っていた。




