裏切り者
ある程度の予測は着いていた。
しかし、まさかこうも大胆に行動を起こしてくるとは……流石に予想外だった。
「まさか、我々のことをここまで嗅ぎつけていたとは……正直驚いたぞ。まったく、油断のならないこの怪物共が」
六角喜介。
カットエッジの取締役の男。
事変の裏に潜んでいた者として、余裕綽々な様子で目の前に立っている。
「……酷い、言い草だわぁ……ふぅ……」
対する四辻津々代は、頭の後ろで両腕を縛られ椅子に全身を拘束されている。頬には殴られたような痣が出来ており、痛みと体勢の悪さのせいで、腕が小刻みに痙攣を始めていた。
《多影》の力を使えば、六角を制する程度のことは出来るかも知れない。
しかし、それは出来なかった。
何故なら、こちらへと銃口を向ける者が、想像を遙かに越えた人物だったからだ。
「まさか、あなたがそこに立っているだなんて……今でも、信じられないわぁ……夢じゃ、ないわよねぇ?」
彼女は答える。
相変わらずの、無表情な顔のままで。
「返答です、四辻津々代……夢ではなく、悪夢の間違いではありませんか?」
彼女の頼もしさは、感情が無いに等しいことだった。
異常事態が起こった時にも冷静に物事を分析し、的確な指示を出してくれる。どんな場面に瀕しても頼りになる、非常に優秀な人物だ。しかし、それが敵に回るとなると、凶悪的な恐ろしさとなり、冷酷な強者となる。
「……本当に、あなたが……?」
「信じられませんか?私が、ウォッグの裏切り者、だと」
伊須乃瑠羽。
ウォッグの頭脳であり、最も敵に回したくはない存在が、最悪の裏切り者として頭角を現したのだ。
「この娘はよく働いてくれた。なにせ、剥離者側に寝返ったふりをして、ずっとこちらに情報を流していてくれたのだから。奴らは情勢を掌握したつもりでいたのだろうが、残念なことだ。泳がされていたのは自分達の方だということも知らずに、なぁ?」
「ウォッグだけじゃなくて、剥離者のスパイまで……!?」
六角の言い分に驚愕を受けるが、直ぐに納得して不敵な笑みを瑠羽に返した。
「なる、ほど……こうなることも、全て読んだ上で動かしていたってわけねぇ?仮面の人物が襲撃してくることも、狼奈ちゃんが怪我を負うことも、そして……」
チラリと目だけで、モニターを睨む。
そこには仮面の人物に翻弄される世理の姿が映し出されていた。
「世理ちゃんが孤立することも……!ウォッグ、剥離者、両方の動きを知らなくては、出来ない芸当だわぁ。まっ、たく……大したものねぇ、相変わらず……」
「…………」
瑠羽は答えない。
拳銃を向けたまま、ただ無表情で四辻を見下ろすだけだ。
「ついでに、マヌケなお姉さんに教えてくれない?取締役様ぁ?一体、なんの為にこんなことを?ディジットの研究成果を横領して、新たに覚醒者関連の実験をおこなっているのは……あなたなのでしょぉ?」
カットエッジの従業員が神隠しに遭っている。
その話を聞いた時から、四辻の疑いは六角に向いていた。一番疑わしいのは、カットエッジの最大責任者である六角しかいない。
もし彼が人体実験等を被験者の意志を無視しておこなっているのならば、何らかの罪に問うことが出来るかも知れない。
ただ、証拠がなかった。
その為に一条の元へと出向いて、疑わしい人物がいないかどうかを調べて貰っていたのだが……結果を待つまでもなかったらしい。
「……ふっ、ならば貴様はディジットとしての先輩という立場、になるのか?」
「後輩は、先輩を敬うもの……ぶぐっ!?」
挑発的な態度で笑っていたが、突然六角の拳に頬を殴りつけられる。
激痛が顔全体を襲い、口の中に血の味が広がった。
「口を慎め化け物。私は貴様らにも為し得なかった、世界改変を起こし、新世界の王となる者だぞ」
「……っ……新世界の、王、ですって……?フ、フフフッ、頭、沸いているのかしらぁ?おめでたい、脳みそだことぉ……」
「おい、黙らせろ」
「…………はい」
直後、防災センターで響いた一発の銃声。
無慈悲な銃弾は、四辻の太股を貫通。
辺りに真っ赤な鮮血がぶちまけられると、四辻は足を震わせながらも歯を食い縛り、顔を大きく歪ませた。
「……ッ!……ッ!ひッ……ぎぃィッ……!」
撃たれた。
痛い……だが、この不可解な痛みは、何だ?
悔しい、痛い……悔しい、痛い、悔しい痛い、悔しい痛い悔しい痛い悔しい痛い悔しい痛い悔しい痛い痛い痛いいたいいたいいたいいたいいたいイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ。
尋常ではない激痛に、意識が吹き飛んでしまいそうだった。
身体を固定され、身動きが取れない上に、仲間の仕業で死にそうになるなんて……こんなに酷い仕打ちがあるのか。
「グッ、ヒッ……!ひッ……!」
激しい痛みと、屈辱の涙を懸命に堪える四辻の意志も知らず、六角は自身の偉業を語り始めた。
「覚醒者誕生の鍵となった無限物質。その名前の通り、無限の可能性を秘めた、意志を持つ物質、と言われていたらしいな?十年前のディジットが加担していた研究の最中で発見し、突如姿を消した、と……だが、果たして本当にそうなのか?」
「はッ……!はッ、ァ……!なにを、言いたい、のか……まったく、わからない、わねぇ?」
すると、六角は四辻の鼻先に自身の顔を近づけ、右の目蓋を指先で上げると、眼球を見せつけてきた。
それは、人間のものじゃない。
瞳孔が、黒みの掛かった赤に染まった、異常な色をしていたのである。
「貴様達が残した無限物質の成分サンプルは大いに役に立ったよ。お蔭様で、人間を覚醒させることも、こうして覚醒者の見る景色を見ることも出来るようになったのだからな」
「ま、さか……覚醒者の眼球を、自分に移植させたというの……!?」
狂気の沙汰だ。
人体実験だけに飽き足らず、自分の身体まで改造するなんて……普通の感覚では考えられない。
「覚醒者は無限物質より生まれた者。つまり、無限物質には覚醒者との密接な関わりがあると考えた。どうやら、その推測は間違ってはいなかったようだ。私は、貴様達覚醒者の中で、一人だけ……他とは違う気配を見せた人物が居ることに気付いたのだよ。そして、同時に確信した。無限物質は消えたのではない。その人物の中に、未だに潜んでいるということを」
「……ッ!」
「私が見えるということは、貴様達も知っていたのだろう?私の目的は、『あの女』から無限物質を回収し、異能の力を完全制御すること。それさえ出来れば、富も栄生も、人間ならば誰もが夢を見る、完全支配、世界征服……全てが私の思うがままになるのだよ!ハハハッ!実に愉快な話ではないか!!」
高らかに笑う六角だったが、最早四辻に余裕は無くなっていた。
この男、思った以上にぶっ飛んだ妄想をしている。
どの様に情報を横領したのかは分からないが、無限物質に対する認識は素人同然だ。あれはこの男が考えている程、単純な代物ではない。もっと危険で、もっと底知れない力を秘めた物だ。
こんな奴を野放しにしていては、必ず良くないことが起こる。
だからこそ、許せない。
拘束されるよりも、足を銃で貫かれるよりも……今、この自己中男に見下されることが、なにより許せなかったのだ。
何も考えずに、自身を重んじる理念が、罪も無い人々や仲間達を陥れているのだから。
「ふざけた、話よぉ……!何が、完全制御……?何が、世界征服……?あなたみたいなクソな外道畜生にッ!私達をッ!人間をッ!自分の玩具のように扱う資格はないッ!」
すると、六角は四辻の頬を鷲掴みにして睨み付けてきた。
「貴様がそれを言うのかァ?散々、人間達を使い続け、不幸のどん底に突き落としてきた貴様達ディジットが……私のことをクソな外道畜生などと罵る資格があると言うのかァ?アァッ!?」
「……それ、は……」
反論出来ない。
相手の間違いと対峙したところで、自分の過去を精算することは出来ないのだから。
「クハハッ、心配するな。ウォッグの小娘共は化け物とはいえ、女としての価値はある。私が無限物質を手にした暁には殺さずに、私の愛玩動物として可愛がってやろう」
「こ、の、クズ野郎ォ……!」
「何とでも言え。私がディジットを引き継いだ以上、貴様の頭脳は無用だ。せめてお仲間の手で、屈辱の渦に飲まれて死んでいくがいい。おい、この愚か者を……殺せ」
六角の命令に、瑠羽は返事もせずに前に進み出ると、銃口を四辻の額に突き付けた。
戸惑いも、迷いも感じられない、冷徹で無表情な顔が四辻を見る。
何を考えているのか分からないのが、こんなにも恐ろしく見えるなんて、思いもしなかった。
「瑠、羽……ちゃん……」




