バイトスタート
翌日、コモンドレートから合格の通知が届き、シルバーウィークの五日間だけアルバイトとして働くこととなった。
その一日目となる、九月十九日の朝。
雅生は会社から指定された契約先へと足を運ぶ。
この町ではそれなりに名前は通った、『カットエッジ』という三階建ての大型デパートだ。形態は、エンクローズドモール形式の、コミュニティー型ショッピングセンターとも。屋内でモール(通路)を中心にして、数多くの専門店やサービス店等が展開している。三万平方メートル程度の店舗面積を誇り、近隣に同等の店舗は存在しない為、集客には殆ど苦労はしていないだろう。
老若男女、どの年齢層においても買い物が楽しめる施設なので、雅生も時々誰かと共に訪れることもある。
そんな大型デパートの裏に位置する従業員用入り口で、雅生は硬直していた。
「……マジですか」
一条社長から日時と場所を聞いた後、勤務内容に関しては、現地の責任者に一任するとのことだったので、疑いもせずに来た。
だがまさか、再び『彼女』に会うことになるとは、予想だにしていなかったのである。
「マジですか、とは随分なご挨拶ですね?五日間だけのアルバイトとはいえ、今から私はあなたの上司に当たるんですよ?少しは敬意を払うべきだと思うのですが……どうでしょうか?」
宮園さんである。
四日前に人を不審者扱いにした恐怖の警備員が、雅生を待ち受けていたのだ。
黒い制服の上にジャケットを羽織った彼女は、相変わらずの、見透かしたような笑みを浮かべながら首を傾げる。だが、彼女とマトモに取り合うこと自体が、雅生にとって最早恐怖そのものへとなっていた。
放っておけば、良からぬ想像をするに決まっている。例え相手が上司とはいえ、これ以上彼女の世界に呑み込まれる訳にはいない。
「どうでしょうかって……人を散々不審者扱いしたくせして、敬意も何もないでしょうが。言っておくが、俺はもうあんたのペースには嵌まらないからな!えぇっと……」
「あぁ、そう言えば自己紹介をしていませんでしたね。私は、コモンドレート勤務の警備兼監察官、宮園世理と申します。今回、芦那雅生さんのご主人様に任命されました。どうぞ、五日間よろしくお願い致します」
丁寧に頭を下げてきた。
彼女に倣って挨拶をしたところで、ようやく衝撃的な発言をしていることに気付いた。
「はぁ、こちらこそよろしく……ってちょっと待って!?今さり気なくとんでもない主従関係を口にしやがったよ!なんだご主人様って!?」
「私が主人で、芦那さんは奴隷です」
「頭沸いてるのかよ!そんな横暴が認められるか!」
「えぇ、冗談です。面白かったですか?」
「今一瞬安心しちゃった自分自身が納得いかねェェェェェェッ!」
これは、恐怖どころじゃない。
聞けば誰もがドン引きするような台詞を吐いた挙げ句、悪気もない笑顔で冗談と言える器量。普通の人間の精神ならば出来ることではない。
もしかして思いの外、とんでもない思想の持ち主を相手にしているのではないだろうか。
「それはそうと、先程は敬意を云々と言いましたが、あれはナシの方向でお願いします。改めて言い換えるならば、冗談です」
「冗談って……でも、さっきあんたが言った通りに、上司と部下の立場になる訳だし。一応、その辺の区切りはした方が良いんじゃないか?」
「いえ、不要ですよ。だって、私と芦那さんは同い年なんですから」
「……はい?」
これで一体、何度目の驚愕となるのか。
世理の口にした意外な事実に、雅生は面食らった顔で硬直してしまっていた。
どうやら世理は、中学卒業でコモンドレートに就職し、齢十八才という最年少で監察官の地位に登り詰めたらしい。それだけでも驚きなのに、今やコモンドレートが構成する、とある警備隊の隊長を任される立場だと言うのだ。相当の強い信頼性と、統率力を有していることが、言われなくても分かってしまう。
現段階で将来の道も、夢さえも持つことが出来ない雅生とは、まさに雲泥の差がある。
「ところで、芦那さんは、何故コモンドレートでアルバイトをすることにしたのですか?」
デパートの裏方にある従業員専用通路を前後に並んで歩きながら、世理が肩越しに興味深げに尋ねてきた。
「何故、っていうとちょっと上手く答えられない。だけど、強いて言うなら学校の担任教師にアルバイトを進められたから、だな」
営業準備中なのか、従業員達が忙しなく動き回っている。
やはり大型デパートともなると、従業員も相当の数が必要になってくるのだろう。比較的薄暗い通路でも、見渡せば必ず何処かしらに人の姿がある。まるで蟻の様だ。
「学校の先生からアルバイトを進められたんですか?高校時代は経験していないものでイマイチよく分かりませんが、そういうことって珍しくありません?最近の高校では基本アルバイトは禁止、という噂を良く耳にするくらいですし」
雅生は遠目で従業員達を眺めながら、淡々とした答えを返した。
「この時期になると高校三年生は、大抵進路を考えるんじゃなくて、決定させていくもんなんだよ。就職活動をする奴もいるし、大学受験の勉強を本格化させる奴もいる。そんな中、俺はやりたいことが何も無くて、未だに進路を決められてなかった。だから、先生がアルバイトを提案してきたんだ。シルバーウィークで、少しぐらい社会をその目で見てきたらどうだ?ってさ」
「そう言えば、面接時の質問に対しても同じ様なことを言っていた様ですね。将来の夢はありますか?という質問に、『なりたいものも、やりたいこともない』、と……本当に何もないんですか?」
「あったら、今頃こんなことはしてないだろ」
ウンザリした様子で言うと、世理は少しばかり視線を落としながら、納得した様に頷いた。
「確かに、ですね。それなら、今回の期間を通して、少しでも将来への道筋が開けることを、微力ながら祈っています。さてと、着きましたよ。ここがカットエッジにおける、私達警備員の拠点、防災センターです」
従業員専用通路の一角にある扉を開けて、中に招かれる。
初めに目に飛び込んできたのは、壁一面に掛けられた数十以上もあるモニターだ。恐らくデパート内の監視カメラの映す景色を表示しているのだろうが、絶えず別の場所へと切り替わり続けている。
見ているだけで頭が痛くなる光景だが、その前で椅子に座り、無言でモニターを睨む少女の姿があった。
「瑠羽さん、一旦監視を中止してください。皆さーん!手が空いていたらで結構ですので、一度こちらに集合をお願いしまーす!」
世理が声を挙げると、真っ先に左側の扉を隔てた向こう側から、「今手が離せませーん!」と元気な声が返ってきた。
更に右側にある扉が開き、ヨレヨレになった制服を着た少女が出てくる。
「……準備中なんだけど」
「ブフゥッ!?」
同時に、驚愕。
まるで我が家に居る時と同じ様な感覚なのか、胸元がだらしなくはだけていたのだ。赤みが掛かった茶色のショートヘアの所々がはねており、ぼんやりとした表情でも鋭い眼光を見せる、強面な少女。彼女の白の下着が露見され、それなりに豊かな胸の膨らみが隠し切れていない光景を前にして、雅生は慌てて後ずさりしてしまう。
すると、その少女は雅生の存在に気付いてから、徐々に顔を歪めさせていき、最終的に険悪的な表情で睨み始めた。
「ねぇ……なに、これ?」
「えぇっと……狼奈さん、こちら今日からアルバイトに入っていただくことになった、芦那雅生さんです。今日は狼奈さんと共に巡回業務に入って頂くので、そのつもりでお願いします。それから芦那さん、こちらは巡回担当の姫々島狼奈さんです」
普通に紹介をしてくれたのは良い。
だが、まずはこの状況にフォローを入れるべきではないだろうか。
このままでは、女子更衣室へ堂々と入っていった挙げ句、女子の着替えを目の当たりにして眼福、とか言いそうな変態になってしまう。
着替え中の少女、狼奈は露骨に敵視するような視線を向けながら……。
「私、既にあんた嫌いだから、どうぞよろしく」
こう言い放ち、右側の扉の向こうへと消えていった。
「さて、次は瑠羽さんに紹介しましょうか」
「待て待て待て待て待て待て待て待てェェッ!!あんたちゃんとここの人達に俺が来るってこと言ったのか!?あの姫々島って人、まるで『聞いてねぇよ、クソが』って言いたげに、恐ろしい顔で俺を睨んでいたぞ!?第一印象のせいで、俺の身に危険信号が走りましたよォォー!?」
「まぁ、彼女は元々ああいう性格ですから。そのうち慣れますよ。それにしても、今のは冗談です、では済まない状況でしたからね……いやぁ、初っ端からやらかしましたね、芦那さん」
「まるで他人事ォォッ!?」
しかも、初めは彼女に付いて仕事をしなくてはならないとか、どんな悪い冗談なのだろうか。
いきなり幸先が思いやられる展開に肩を落とすと、監視モニターの前に座る少女が、半開きの目でこちらを見ながら口を開いた。
「宮園世理、命令を願います」
「あぁ、ごめんなさい。今の会話を聞いて頂きましたよね?こちらは芦那雅生さん、以下略です。芦那さん、こちらのおっとりした少女は、伊須乃 瑠羽さん。設備、監視関連ならば彼女に聞いて下さい。四六時中ここに居るので、探すには苦労しないと思います」
銀色の髪をシュシュでサイドにまとめており、先程の狼奈とは違って、黒い制服を綺麗に着こなし、とても真面目な印象を受ける。半開きの目から察するに、おっとり系というより性格的に無表情な雰囲気の少女だ。
まるで機械そのものであるかのように、余計なことを口にせず、淡々と言葉を紡ぐ。
「承りました。では、業務を続行します」
瑠羽と呼ばれた少女は雅生を一瞥すると、一言だけ発して直ぐにモニターに向かい合ってしまった。
「……なぁ宮園。もしかして、俺って歓迎されてない?」
悲しくなってきてしまったので、少しばかりの泣き言を口にする。
だが、世理は取り繕う様子となく、部屋の隅にある段ボールからビニールに包まれた黒い制服を取り出してきた。
「まぁまぁ、それよりも先ずは着替えましょう。もう少しで開店時間ですからね。時間とほぼ同時に巡回が始まりますので、準備をお願いします。入口から向かって左側の部屋は受付なんですけど、その先に倉庫がありますので、そちらの方で……不遇な扱いみたいで申し訳ないのですが」
「何故だ……何故時間が進む度にこう不安ばかりが積み重なってきやがるんだ……?」
社会とは侮れなさ過ぎる。
簡単にこなせると思っていた訳ではないが、ここまで不安要素を抱えたままやることになるとは、流石に予想外だった。
何故なら、もう既に殺されそうになっているのだから。
「芦那さんなら大丈夫ですよ、芦那さんなら、必ずね」
だが、何故か世理は最後まで不安そうな顔を見せることはなかった。
そんな彼女の笑みに後押しされる形で、雅生は制服を手に、倉庫へと向かった。
倉庫に入ると、早速着替えを始める。
「へぇ、思ったよりもちゃんとしてるんだなぁ」
まるで事前に身体測定をしたかの様に、黒い制服は驚くほど自分の体にフィットした。上下黒い上着とズボンを身につけ、服の上に作業ベルトを巻く。作業ベルトにはキーホルダーと無線機が付けられ、それだけでも備品の重みが伝わってくる。
一先ず指定された格好に着替え、外へとモニタールームへと戻った。
「……!チッ」
舌打ちが聞こえました。
先程は哀れな姿をみせた狼奈が制服姿に着替え、雅生を迎える。
しっかりと、敵対感が満々な顔だけは崩していなかったが……取り敢えず頭を下げて謝っておいた。
「えっと、さっきはすみませんでした!」
「心配しなくていいわ。あんなことがなくても、私はあんたのことが嫌いだから。さっさと巡回に行くわよ」
「俺はすこずる帰りたいよ……」
ヤバイ……言ってることが訳分からない。
だが、向けられる嫌悪感から、嫌われていることだけは、しっかりと伝わってくる。
「では、初仕事張り切って行ってきて下さいね!あ、そうそう、一つだけ備品を渡すのを忘れていました。これ、持っていって下さい。あくまでも、万が一の時の為なので、普段は中身を出さない様にお願いしますね?」
世理が手渡してきたのは、十五センチ程度の小さな黒いケースだ。中身は分からないが、無線機よりも重量感がありそうな代物のようである。
何やら物々しい感じがしたので、中身を聞こうとしたところ、狼奈から急ぐように催促される。
「どうせ使うこともないだろうから、気にすることもないでしょ。ほら、急いで」
「はぁ、分かりましたよ。お願いします、っと」
結局不安は解消されないまま、溜め息混じりに返事をして、狼奈に付いていくのだった。
「どうぞ、よろしくお願いしますね……芦那さん……」
二人が出て行った扉を見ながら、小さく呟く世理。
その顔には、初めて不安の色が浮かんでいた。
すると、突然彼女の背後から親しげに、肩に腕を回す人物の姿があった。
「彼が、例のアルバイトさんかぁ。さてさてどうなることやら、お姉さん何だか楽しみだなぁ。ねぇ、世理ちゃん?」
「四辻さん、受付は大丈夫なんですか?」
世理に引っ付いてきた、大人染みた雰囲気を漂わせる女性は、四辻津々代。ウェーブが掛かった紫髪をポニーテールにして、上品にも片耳にはパールの形をしたピアスがはめられている。狼奈以上に豊かな胸の膨らみが色気を振りまき、警戒心のないその表情は、大人の余裕を感じさせる様だ。
彼女は世理の頬を突きながら、ニッコリと笑った。
「えぇ、今は“私がやっている”から問題ないわぁ。それより、勤務開始報告を管制塔に入れなくて大丈夫なのかしら?」
「あ……そういえばそうでした。急いで報告しなくてはですね」
警備員には例外なく、本社の管制センターに勤務開始報告と終了報告を入れることが義務付けられている。それをしなくてはタイムカードに名前が入力されない為、早い話給料が報告しなかった分だけ減ることになってしまうのだ。
世理が会社用の携帯を取り出して、リダイヤルを表示したところで、監視モニターと睨み合っていた瑠羽が口を開いた。
「────報告です、例の《鎌鼬》が来店。巡回中の姫々島狼奈と芦那雅生に連絡を入れますか?」
硬直。
場に緊張が走る。
通話ボタンを押す寸前で指が止まり、瑠羽の指すモニターを見ると、そこにはフードを深く被った人物が居た。
「…………これはマズイですね」
「あららぁ、やっぱり運が悪い少年なのかもしれないわねぇ。勤務初日に、《剥離者》と出くわすだなんて……下手したら死ぬんじゃないのぉ?」
「冗談は辞めるように。瑠羽さん、今すぐに狼奈さんに連絡を入れてください。くれぐれも早まらない様に、と。それと四辻さん、管制塔への開始報告と、万が一の時に救急の手配を任せてもよろしいですか?私も今から、現場の方へ向かいます」
「はいはぁい、いってらっしゃーい」
ヒラヒラと手を振る津々代を傍目に、ジャケットを脱ぎ捨てる。
監察官とはいえ、ここに居る以上は警備員であることに変わりがない。彼女達専用の制服である黒い警備服姿になると、残った二人に指示を出しながら、防災センターから早足で現場へと向かった。