波乱
九月二十一日。
アルバイト生活三日目。
防災センターに到着した雅生は、既に出勤していた生真面目な世理に声を掛けた。
「宮園、おはよう。あ、あのさ……」
「……!あ、えっと、おはようございます、芦那さん!今日は巡回業務ではなく、監視と受付の方をやって貰いますので、瑠羽さんと四辻さんの指示に従って下さいね?で、では私は狼奈さんと巡回を変わらなくてはならないので、後ほど!」
そうやって、機敏にかつどこかぎこちなく指示をしてから、逃げるように防災センターから出て行ってしまった。
そこへ入れ替わる様にして、狼奈が不思議そうな顔をして戻ってくる。
「……ねぇ、隊長が明らかに動揺した様子で、逃げるように巡回行っちゃったんだけど、どうしてか知ってる人いる?」
「…………」
返答しづらい。
あの狼奈が、あえて聞いてやった風に、チラチラこちらを見てくるので、尚更だ。
しかし、何ともありがた迷惑なことに、モニターの前に座る瑠羽と、いつの間にか姿を現していた四辻が、同時に声を挙げる。
「返答です、そこで青くなってる人では?」
「まぁ、十中八九まーちゃんの仕業よねぇ?」
「うぐっ!?」
強気で反抗したいが、声が詰まる。
何故なら、事実だから。
二人の返答と雅生の反応を見た狼奈は、彼の前に立ってニッコリと笑うと、両手を雅生の両肩に乗せた。
「じゃあさぁ……芦那雅生ィィ?」
「は、はいぐぐぉぉぉ!?」
すると、両手には肩を剥ぐつもりなのではないかという程に馬鹿力が加わる。
笑顔を浮かべた顔は徐々に険しいものへと変わっていった。
「昨夜、あの後一体何があったのか……全部説明して貰おうかぁ?事と返答の内容によっちゃぁあんたの内蔵引きずり出して、ズタズタに刻んでから綺麗なアートを作ってやるからなぁ!?安心して証言しなさいよコラァァッ!」
「安心な要素が皆無なんですけどォォッ!?」
世理と話すどころではない。
下手したらこちらの命が危ない、と判断。
結局、昨夜のことを洗いざらい話すことになった。
その間、約三名の冷たく鋭い視線に囲まれていた為、それ相応の緊張感に襲われていたのは語るまでもないだろう。
そして、全てを語り終えた後、彼女達が出した結論は……。
「面倒くさっ!あんたら面倒くさっ!」
「あらあらぁ、青春ねぇ。青臭いったらありゃしないわぁ」
「結論です、どっちもどっちですね。二人揃って滝に打たれて雑念を洗い流してきては?」
「信じられねぇくらいにディスられてるゥゥッ!?」
思ったよりもフォローされなかった。
だが、当然と言えば当然だろう。
感情を堪えることすら出来ず、思うがままに批判的な言葉を口にしてしまった。それは全て自分自身の甘さが原因なのだから。
そんな心境の雅生を見て、真っ先に口を開いたのは四辻だった。
「そうねぇ、それじゃあここは年長者であるお姉さんが一肌脱いで……」
ここで最近面倒見たがりな性格を見せ始めた四辻が咳払いしながら前に出るも、即座に狼奈が止めに入る。
「あぁ、あんたはさっさと受付戻りなさい。ていうか私の眼中に入らないでくれるかしら?眼が腐る」
「あらぁ、これは相当酷い言われようだわぁ。そういう素直じゃないところも好きだけどねぇ。狼奈ちゃん、溜まっちゃったらいつでもお姉さんを頼って良いのよぉ?」
「ウッサいわッ!この馬鹿の前にまずはあんたを細切れにして内臓引きずり回してやろうかァァァッ!?」
「俺に至っては内蔵引きずり回しの刑確定してんの!?」
狼奈が言うと本当に実行しかねない。
それを感じているか否か四辻は楽しそうに、ハイハイ、と適当に返事しながら受付室へと消えていった。
何やら異様な空気だったが、何かあったのだろうか。受付室を睨む狼奈の視線を盗んで、雅生は瑠羽に耳打ちする。
「あの二人、どうしたんだ?」
「返答です、放っておいた方が賢明だと助言しておきます。それよりも、あちらが後回しになるならば、まずは監視の研修から始めると判断しますが、宜しいですか?」
「あ、あぁ、宜しくっす」
瑠羽はどこまでも平常運転だった。
どんな状況になってもモニターから目を離さず、必要なことだけ返答する。返答するということは、少なからず周りの状況に興味は持ってはいるのだろうか。
一方、狼奈は一旦呼吸を整え、モニタールーム端に置かれた木製のハンガーラックから、コートを取りながら言った。
「それじゃ、私は簡単な朝食を一階のスーパーで買ってくるわ。無線は付けているから、何かあったら連絡してちょうだい」
「了承です」
すると、狼奈は一度雅生を睨んでから、防災センターから出て行った。まるで、戻ってきたら覚悟しろ、と言われているようだ。
どうやら、執行猶予を与えられたらしい。
世理と話し合おうとした時間は、ただ第三者から散々と言われるだけの時間となってしまった。
だが、このまま現状維持は良くないので、今後の行動をどうするのかをよく考えておくとしよう。
もう一度、彼女と向かい合う為にも。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
警備員の業務は、基本同じ内容の繰り返しだ。
その中で異常を探し出し、臨機応変に対応をしていく。世理はまだ幼いとはいえ、三年の間ずっと警備業務を続けてきた身だ。今となっては、落ち着いて様々な事案に対応することが出来るようになった。
だが、何故だろう。
今日の巡回は変に緊張してしまう。
普段通りにやれば問題ない筈なのに、どんなに自分に言い聞かせても、心が自分を認めてくれない。
「おかしい、です……私は、一体何を恐がっているのでしょうか……」
巡回中の身でも、手が小刻みに震えていた。
デパート内の警備員は居るだけでも存在感を放つ為、変なことをしていては客に不快感を与えてしまう。そうなれば、契約先から職務怠慢を訴えられる可能性も出てくる。
隊長として、何よりウォッグの看板を背負っている身として、それは極力避けなければならない。
分かっているのに、心の動揺が表面に浮き出てきた。
心臓が動悸を始め、呼吸が乱れる。
まるで、意識が別の意思を持ち、体の中から這い出てくるような感覚だ。
「ダ、メ……今ここで『あの人』に、変わる、わけには…………」
この嫌な感覚、よく覚えている。
才力型に目覚めた当初から、いつもの様に感じては死ぬ気で押し殺してきた、『あの人』の予兆だ。
これが来てしまうと決まって『あの人』が……。
『防災センターから巡回中の宮園世理へ。二階のレディースショップ店で妙な動きをしている人物がいます。万引きの可能性がありますので、至急監視の方をお願いします』
無線。
聞き馴染みのある指示を耳にして、ハッと正気に返る。
「…………」
そうだ、今は巡回中だった。
周りの客に悟られないように呼吸を整え、前を見据える。
こんなところで負けているようでは、ウォッグの隊長を務めている意味がない。もっと気をしっかり持って、業務に励まなくてはならないのだ。
今この瞬間では、何よりそれが強く求められる。
だが、それでも、こう思わずにはいられなかった。
「────助かった」
『宮園世理?どうかしましたか?』
「……いえ、何も。こちら宮園世理。分かりました、直ぐに向かいます」
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
チャンスだと思っていた。
伊須乃瑠羽という名前を持つ、純度百パーセントの不思議ちゃん。
彼女が何を見て、何を感じているのか。共に監視作業をすれば、その片鱗が掴めるのではないか……そう期待していたのだ。
だが、作業開始から約十分。
その期待はいとも簡単に裏切られることとなる。
「…………」
「……えっと、瑠羽、さん?」
「はい?」
「これ、退屈じゃないっすか?」
「疑問です、飽きっぽい性格ですか?」
壁に掛けられた十近くのモニターを、ただ監視するだけ。
思った以上に、退屈である。
事案が発生した場合には、逃走者の特定や決定的瞬間の確認等、やることは多々増えることだろう。
だが、それ以外の時は、基本何も無い。
むしろ、無いことの方が殆どである為、延々とお客様の流れだけを見るという、無限地獄を味わわなくてはならなくなる。
果たして、それを無表情で淡々とこなす瑠羽の気持ちを、読み取ることが出来るのか?
否、出来る訳がない。
「お前、よくこんなことを一日中休む間もなくやっていられるなぁ?俺のこと飽きっぽいって言うけど、お前の方こそ飽きたりしないのか?」
瑠羽の座る椅子の背もたれに腕を掛けて、体重を乗せる。軋む音がして椅子が小さく揺れるが、彼女自身は微動だにしなかった。
「否定です、飽きることはありません。何故なら、これが瑠羽の業務だと認識しているからです」
「業務だから、かぁ……」
「追加です、それに一瞬でも目を離しては見逃す瞬間は多いものです。例えば、あの真ん中の右から二番目のモニター……分かりますか?」
「ん?あれが、どうかしたのか?」
瑠羽が指差す位置のモニターを見ると、そこにはレディース店内の映像が映し出されていた。女性物の服が陳列された店内を、色々なお客様が行き来している。
一見何も変哲も無い映像だ。
「解答です、先程から一人の女性客が同じ場所を行ったり来たりしているのです。更に詳しく観察してみれば、何やら周りの様子を窺っているようにも見える……これは典型的な万引き犯の特徴です」
「そ、そうなのか?」
「憶測の域ではありますが、警戒はしておくべきでしょう。こういった場合には、現在巡回している者に無線を送ります」
そう言うと、モニター席に設置されたマイクを手に取り、巡回中の世理へと無線を飛ばした。
「防災センターから巡回中の宮園世理へ……」
すると、マイクが接続されているスピーカーから、世理の了解の声が返ってきた。何やらたどたどしい口調だったが、やはり昨夜のことをまだ引きずっているのかも知れない。
早く話をしたいところだが、今は目の前の疑問を解消するとしよう。
「それにしても、よく分かったよな?一体この数のモニターをどうやって見分けているんだ?」
「訂正です、見分けている、とは少し違いますね。正確に言えば、全てのモニターをいっぺんに見ているのです」
「へぇ…………へぁッ!?」
人間が二つの事項を同時に理解することは、一般的に不可能とされている。
二つの映像が用意された時には、おぼろげに両方の内容を見ることは出来るかもしれないが、理解の領域となると限りなく難しい。むしろ不可能だ。分かりやすく言えば、聖徳太子の目バージョン、といったところだろう。
それを瑠羽は、可能としている。
しかも、二つや三つだけでなく、十に渡るモニターを同時に見て、全ての内容を理解しているというのだ。
「だからモニターが映し出す映像は一秒たりとも見逃しませんし、どんな小さな事でも確認することが出来ます。瑠羽をこの業務に置いた宮園世理の采配は正しかったと言えるでしょう。あ、認識です、一番下の一番左のモニターに映ったお客様がハンカチらしき物を落とし、真ん中の右から三番目のモニターに映ったお客様が休憩用ソファに財布を忘れています。これは朝食の調達に向かった姫々島狼奈に拾わせましょう。出来る限り迅速に」
そして、再びマイクを取ると、買い物中と思われる狼奈に無線を飛ばす。
「すげぇ、つーか最早人間業じゃねぇ……というより、お前って結構お喋りなんだな。どちらかというと、そっちの方が驚いたかも」
すると、瑠羽は呆れたように溜め息を吐いてから、雅生を睨んできた。
「返答です、あなたに分かるように説明して差し上げているのです。本当は余分なことは口にしたくないのですよ。ただ疲れるだけですから。説明しなくても出来る様にもっとやる気を出してやって下さい」
「……全力で肝に銘じておきます」
やはり、分かりにくい少女だ。
狼奈は元々狼と言っていたが、感情表現は豊かで分かりやすい性格をしていると言っても良い。
それに対して、瑠羽は対極的だ。
感情も、行動も、無常を否定するかのように変化を見せず、人間らしくなく、機械を相手にしている気分になってくる。彼女の感情を、ほんの一つだけでも読み取るのは、不可能なのだろうか。
「戻ったわよ、無線で言っていたハンカチと財布も回収完了。後で受付のあいつに渡しておくわ」
そんなことを考えていると、狼奈がビニール袋をぶら下げながら帰ってきた。
「了解です、お願いします」
「あぁ、それと、ちょっとした小休憩の一環として、一口サイズのチョコ買って来たんだけど、あんた達食べる?」
粋な計らいだ。
チョコを口にすると、副交感神経が活性化されるという効能があるらしい。それにより、リラックスが出来て、仕事効率力が上がる利点があると聞いたことがある。但し、食べ過ぎは良くはないので注意が必要だ。
「“食べたい”です」
「……ん?」
今、何か違和感があったような……。
したい、という願望の言葉を初めて口にしなかっただろうか。
狼奈から、それぞれフィルムに包まれたチョコを手渡されると、瑠羽が早速フィルムから取り出して口に放り込む。
「甘い……美味しい……(ぽわぁ~)」
ほんの僅かだが、顔が緩んだ。
普段から無表情であるからこそ、その微妙な変化が突出して強く感じられる。
「至福の時ってあぁいう顔のことを言うのよね、多分」
「俺は至高のギャップ萌えってやつを味わった気分。どうも、ご馳走様です!」
「……?」
意外にもあっさりとギャップが露見された。
どうやら、瑠羽のステータスの一つに『甘い物好き』、と記述しなければならないようだ。




