近衛不動産超常現象検証機関面接採用
約束の時間5分前にマンションのインターフォンを押して近衛不動産超常現象検証機関を訪ねた。
エントランスのカギが開錠される音がして、5階にある部屋まで来てほしいといわれる。
オフィス・ビルではなく、明らかに居住を目的としたマンションだが、今一つ住人のイメージが掴めない。
子供が住んでいる気配がない。子供がいる建物には適度な汚れが見つかるものだが、企業の借り上げ独身寮のような無機質で生活臭がしない。
どうもこの手の建物は苦手だ。俺には庶民の裏野ハイツの方が似合っているような気がする。
ドアの前でもう一度インターフォンを押すと、中からかなりの美人が現れて驚いた。まだ20代中頃だろう。
怜悧な顔立ちをしているが、うっすらと10代の脂肪が残る頬と首の肌の滑らかさは隠せない。
何処か日本人離れした部分もあるのだが、ハーフであると断言できるほどの決め手がない。純粋な日本人だと本人に主張されたら信じるしかあるまい。
背は俺よりちょっと低いぐらい、170cmといったところか。ほっそりとした顎と首筋が隠れるくらいの黒髪のボブカット。
胸はCカップ位だが柔らかく引き締まった感じ。全体的にスリムな野生を感じるプロポーションだが、涼しげな眼もとに知性を感じる。
白いブラウスと濃紺のスーツがかなり背伸びした大人の雰囲気を出している。
「森田様、お待ちしておりました。こちらにどうぞ」
床は全て絨毯が敷かれており、土足のまま入れるようだ。俺は、失礼しますと言って中に入った。
入ると右手に社長用のデスクらしいものがあり、複数の大型ディスプレイが設置されている。
金融業でも一部のディーラーでない限りはそんなに複数の画面を見る必要はないはずだが、不動産業でも何か特殊なことをやっているのだろうか。
左側は事務用のデスクが二つあり、入口に近い方が彼女の席らしい。こちらは通常のデスクトップPCが一台ある。
奥のデスクにもPCが置かれているが人が座っている気配はない。
社長席の前が簡易応接スペースになっていた。横にやや薄汚れたホワイト・ボードがあるが、最近使われた様子はない。
社長席から同年輩の男が立ち上がった。髪は茶色。だが、俺と同い年なら白髪染めも兼ねているのだろう。
サーファーのように真ん中で分けて無造作に後ろに流した感じにしているが、これはこれで美容院に行かなければならないタイプの髪形だ。
日に焼けた跡は屋外で何か日に当たるスポーツをやっているように見える。細身なんだが腕が太い。太腿も発達している。
そして、一見ボロボロのTシャツとジーンズを穿いているが、どちらも安物ではない。
部屋の調度品を見回してみても、結構金がかかりそうなものが多い。こいつは、・・・金持ちであることを隠すタイプだ。
恐らく何処かにポルシェぐらいは持っているのだろう。ただ、ビジネスでは平気で軽四輪の商業仕様を使う。そんな風に見える。
面白いものだ。貧乏人が金持ちの振りをするのに騙されることは多いが、金持ちが貧乏人の振りをするのに騙されることはない。
金持ちは総じて金を隠すのが下手な人が多い。とりあえず俺は下手に出て様子をみることにした。
「本日は面談の機会を戴きありがとうございました。森田健介と申します」
「近衛不動産超常現象検証機関の所長をやっております近衛洋介です。こちらは研究員の安西玲子です」
安西玲子は既に分厚い書類を持っていて、今にも見せたくてうずうずしている様子だ。若者は問題点までストレートに切り込むことを好む。
あまりヤキモキさせるのは可哀想に思うが、近衛所長はちょっとからかいたいのだろう。のんびりとしたスタンスを崩さない。
助け舟を出してやるか。俺はやんわりとポイントに切り出す。
「よろしくお願いします。もうレジュメをお送りしてあると思いますのが、どのように面談を進めますか。
私のレジュメをレビューするところから始めるか、御社のことを教えていただくことから始めるか、それとも仕事の内容が私の経験とマッチしているかご確認のテストから始めますか?」
玲子がもう我慢できないとばかりに分厚い書類をテーブルに広げる。押し止めようとする近衛の手をものともせず、この一点だけでもと質問してくる。
「あ、あのっ、ここに書いてある主成分分析と回帰分析の説明を簡単にしてください」
「専門家向けに説明するのですか?素人向けにイメージをお伝えするのがよろしいですか?」
「素人向けお願いします」
「言葉だけよりも絵をかきながら説明した方がよろしそうですね。このホワイト・ボードに書きながらでいいですか?」
どちらも金融工学で定番の分析手法だ。新入行員に講義したこともある。単純なグラフをかきながら直観的なイメージを中心に説明する。
玲子は熱心に話を聞いたが、説明がうまくいけばいくほど近衛が心配そうな顔をする。恐らく給与水準のことを気にしているのだろう。
そんな近衛の顔の変化に気づかないまま玲子は質問を続けた。熱心な若者に知識を与えるのは楽しい。
そもそも俺が通った大学自体が教師を生み出すために作られた大学だった。若者に質問されると思わず全身から教育汁が溢れ出てきてしまう。
最後に玲子は一冊の本を俺に見せながら恥ずかしそうに上目遣いで質問した。表紙に『多変量解析入門』と書かれた洋書の和訳本だった。
「あのぅ、これって一般教養で読めないとおかしい内容なんでしょうか?高校時代は理系コースだったから数学もある程度わかると思ってたんですが・・・?」
なるほど、教養が無いと言われただけじゃなく、追い打ちをかけるように入門書まで渡されたのか。逃げ道すら奪うとは陰湿な話だ。
「行列によるベクトル表現と固有値問題、統計学の基礎があることを前提に書かれてますね。
普通の工学系の大学生が一年生の時に学ぶことが前提になってます。
理系の教養課程の内容ではありますが、一般的に理解されていることを期待する人がいたら常識を疑いますね」
憑き物が落ちたように玲子の顔が穏やかになった。ついでだから近衛の顔も穏やかにしてやるか。
「さて、一番の悩みはもう解決したようですね。これだけで終わりなら料金はいりません。採用も無理する必要はないんです」
ふたりの表情が驚きに変わる。
「もしも私を採用されるのなら、せめて最初の1ヶ月は期間雇用にして御社にとって意味ある成果が得られるか確認した方がいいでしょう
契約いただけるなら御社としての1ヶ月分の給与水準をお伝えください。お電話いただくというので結構です。
それが私として当面生活できる水準で、その時まだ仕事が決まってなかったら契約するというので如何ですか?」
にっこり笑って席を立とうとすると、玲子が慌てて叫ぶように言った。
「月50万までなら払えるんです。いえ、月55万まで大丈夫です」
近衛が慌てる。
「玲子ちゃん、だめだよぅ」
「所長、私の分から5万削っていいから。お願い、・・・そうだ、それで足りなかったら、このマンションの3階に私の部屋があります。
2段ベッド買えば二人で住めますから、家賃タダで一緒に住むってことじゃダメですか?」
「玲子ちゃん!!」
近衛が泣きそうな顔になる。流石に可哀想になってきた。俺は玲子に諭すように言った。
「その位で勘弁してあげなさい。所長が脳溢血で倒れたりしたら困るでしょう?」
玲子はシュンとして俯いた。俺は玲子が机の上に置いた書類を拾い上げ目を通す。
『瑕疵物件事象発生状況データベース分析結果』
表紙にはそう書かれており、どこまで真面目に分析したのか怪しい分析結果が報告書としてまとまっており、AppendixにDVD上の元データのフォーマットや定義が記載されている。
「元データはあるのか?この会社のPC環境は?」
玲子が小さな声で答える。
「元データは数字の羅列されたファイルがあるだけです。Excelで読もうとしたら、ファイルが大きすぎて読めないっていうんです。
PCはそこの机の上のものを使いました。もう一つ向こう側にも空きPCがあります。
書類作成用のエントリーモデルだとゲームが動かないとかで、社長がある程度高級なPCを買っています。
一番高性能なのは、所長の新しいゲーム用のPCでフライト・シミュレーターが自由に動くそうです」
「君の月給はいくらだ?」
「30万円・・・、でも社宅に入れてもらって部屋代はただなんです。だから、5万円は我慢すれば払えます」
「最初の1ヶ月は30万円でいい。但し、勤務時間は基本1日7時間。スタートから4週間で1ヶ月とみなす。
土日休み。最初の1週間で分析環境の整備、中2週間で報告書の内容を解説可能にする。最後の1週間は今後のビジネスの可能性の有無を相談する期間。
分析の結果、御社にとって有意なモデルが完成された場合、10万円の報奨金を支払うこと。PCはその空きデスクのものを使えたら使うし、スペックが足りなかったら社長のゲーム用PCを使わせてもらう。
DBソフトや統計分析ソフトは無料ソフトをインターネットからダウンロードして使わせてもらう。社宅は不要。服装はカジュアル。こんなもんでどうだ?
良く二人で話し合って、この条件でいいなら電話してくれ。別に無理する必要はない。もう報告書の中の意味不明の言葉に関しては解決したろ?」
一気に話してお暇させてもらおうと席を立ちあがったところで、近衛がいきなり俺の腰に抱き着いてきた。
「森田君っ、採用!」
「ちょっ、ちょっとやめて下さいよ・・・」
「玲子、お前も引き留めるんだ」
「ラジャー」
玲子まで反対側から腰に抱き着いてくる。おおっ、やめてくれ。胸がおしりに当たってぷにゅっとした。ぷにゅっとした。
所長が反対側から顔をこすりつけながら甘く囁く。
「採用だよぉぉ、今日は歓迎会に行くからね。いいよね。報奨金込みで40万円、必ず払うよぉぉ。
玲子、マスターに電話して今夜大丈夫か聞いてくれ。歓迎会にするから」
「はい」
◇
歓迎会は先程の喫茶店、『アルトカィール』で行うこととなった。マスターがニヤリと笑って迎えてくれる。近衛所長が俺を紹介する。
「週明けからうちで働いてもらうことになった森田健介君だ。森田君、マスターの倉林信也さん。
仕事も手伝ってもらうことがあるから、この喫茶店はうちの会議室としても使わせてもらうことが多い」
横から玲子さんが口を挟む。
「今日は随分準備早かったですね。何か来るの知ってたみたい・・・、まさか・・・」
ふたりとも思い当たることがあったのだろう。気不味い沈黙の時が流れ、最初に耐えられなくなったのはマスターだった。
「いや、・・・感じのいい奴だったから多分採用だろうと思って・・・、まぁ取り敢えず乾杯!」
強引にマスターが乾杯の発声をして有耶無耶にしたまま呑んでしまう。その後はかなり無茶苦茶な呑み会に突入した。
どのくらい無茶苦茶かというと銀行の新入行員歓迎会のような無茶苦茶さであった。誤解がないように指摘しておこう。豪快な男は銀行員にならない。
小学校の同級生で銀行員になった男を思い出してみればよい。学業の成績は良くても天才ではない。
要領よく勉強して可もなく不可もない人生を歩み、要領よく就職するタイプの男。即ち、およそ漢としての魅力のない男が銀行員になっているはずだ。
そんな男が突然先輩後輩の関係が絶対の組織に入ったらどうなるか。矮小な男ほど豪快さに憧れるものだ。
碌な人生経験のない大人たちが学生卒業したばかりの奴らに無茶な一気飲みを強要し、粗暴さと豪快さを取り違えた乱行の限りを尽くし始める。それが銀行員たちの飲み方だ。
呑んではトイレで吐き、吐いては呑む繰り返し。およそ40を過ぎた大人の飲み方ではなかった。
玲子さんが奥のソファーで呑み潰れてようやく三人の親父たちは平静心を取り戻した。
マスターが冷えたウーロン茶のボトルを配る。2Lのボトルをひとり一本ずつ抱え、3人の中年は各々の好みの椅子に散らばり青い顔をしながら相手の出方を待っている。
「・・・で、もうそろそろ裏の話を聞かせてくれませんか。何が目的なんですか?」
「森田ちゃん、何を聞いても就職は決まってんだからね」
「倫理に反した犯罪行為じゃない限り、少なくとも最初の一ヶ月は契約させていただきます。
ただ、その先は所長が幾らの金を払うかではなく、幾らの金を受け取る価値があるのかをお互いが納得する必要があります。
所長が結構金持ちじゃないかとは思ってますが、だからと言って無意味に浪費するのに集っていたら長続きしません」
「なぜ、この所長が金持ちだと思う?」
「銀行員ってのはねぇ、ファッションのセンスがないクセに、相手のスーツの値段だけは一発でわかるような人種なんですよ」
「上手く小汚ねぇオヤジに化けていると思うがなぁ」
「着古した安物のTシャツはもっとよれてます。ジーンズだって古いんじゃなくて古く見せてる高級品。サンダルは年季の入った革ですね。今時珍しい。
事務所のマンションは人気が無いのに廊下がきれいすぎる。清掃が入ってるんですか?
それに玲子さんが3階に住んでいる。素直でいい子だが、それだけってわけじゃない理由がありそうです。
あのマンションは所長のものなんじゃないですか?調度品もどこか雰囲気がありすぎるんです。どこかにポルシェぐらいは隠してありそうに見えますよ」
「近衛、無駄だったようだな。別に隠さなきゃならないことも無さそうだ。お前の方が話が上手い。全部話してくれ」
見込んだ通り近衛所長は結構な資産家の末息子であり、事務所が入っているマンション自体が個人資産であるらしい。
マンション経営者ならまだわかるが、誰も入居者を入れてないマンションを個人のおもちゃとして維持するなんて、自分で推理しといて言うのもなんだが、世の中結構な金持ちはいるもんだと感心させられる。
倉林と近衛は有名私大付属の小学校からの幼馴染で、倉林は神社の神主の一族に生まれた次男坊だが、一族の誰より霊能力が高かったとか。
アルトカイールというのは大学時代に知り合った中東からの留学生の名前だという。彼らは意気投合してしばしば一緒に旅行などをして親睦を深めた。
親しくなって色々聞いてみると、アルトカイールの国は戦乱の絶えない中東の小国だが比較的豊かな王国らしい。
実は彼は王族であるという。もっとも、王位継承権は第29位とかで王になる可能性は皆無と言っていいと笑っていたそうだ。
イスラムの文化はあまり知られていない。アルトカイールはイスラム教を相手に強要する気はないが、もっと理解してほしいと思うと口癖のようにいっていた。
悪習として紹介されることの多い一夫多妻制にしても、そもそもは戦乱の絶えない中東で、戦友が死んだ時にその妻子を自分の妻子とともに守り抜くために生まれてきた制度だという。
働き盛りの夫が死んでしまったら、女は実家が裕福でもない限り売春婦にでもなるしかない時代があったそうだ。
男達は戦場で命を落とすことになった時のために、万一の場合には愛する妻子を戦友が同じように愛し守り続けてくれることを願ったという。
ハーレムは男が性を楽しむためのものではなく、生き残った者が定めとして一命に変えても守り抜くものだという。
それを聞いたとき倉林と近衛は勇敢なイスラムの戦士たちに心から敬意を感じた。
やがてアルトカイールは安西洋子という女学生と恋に落ち、洋子は玲子を身籠った。
アルトカイールの喜びよう表現しようもないほどで、直ぐに本国から資産を移して洋子と玲子が自分に万一のことが起こっても生きていけるようにと奔走した。
流石にアルトカイールが万一の時は洋子と玲子を自分の妻子にすることを誓ってほしいと倉林に言った時には慌てたが、アルトカイールの真剣な目を見ると倉林は断れなかった。
日本の法もあるので制度上は完全な妻にはできないかもしれないが、イスラムの精神とアルトカイールとの友情を尊重して自分にできる最大限の愛情を注ぐと誓った。
ある心霊事件に巻き込まれた時にこの幸せな時間は終わりを告げた。アルトカイールは勇敢に戦って命を落とした。
親友の死に打ちひしがれる倉林達をアルトカイールの兄が訪れて、弟との約束を守ってやってほしいと倉林に頼んだ。
結婚はしなくて良いので、最後まで面倒は見てほしいと言われたそうだ。倉林は生涯洋子と玲子を守り続けることを誓った。
倉林達はアルトカイールの無念を晴らすため心霊事件に正面から立ち向かう組織を作ろうと起業することを考えた。
しかし、碌に仕事をしたことがない二人がどういきり立ったところで、真面なビジネスが立ち上がらない。
ビジネスとの接点を研究する必要があると思い、取り敢えずいわく付き物件を取り扱う不動産業界に就職した。
いろいろ研究する内に心霊現象の有無を検証する機関を作ってはとのアイディアを思い付いたのが10年ほど前。
本当はアルトカイールに敬意を表して彼の名前を関した組織を作るつもりだったが、イスラム教は幽霊を認めていないとも聞いていたので、トラブルを避けるために近衛の名前を関した近衛不動産超常現象検証機関を設立した。
しかし気持ちは常にアルトカイールと伴にあり、喫茶アルトカイールこそが彼らの中心拠点。勇敢なアルトカイールとの友情を守るための組織だという。
因みにアルトカイールの残した資産と倉林達の資産を合わせれば玲子をセレブとして優雅に過ごさせることもできる。
しかし、アルトカイールは自由に生きる日本の女性のようになってほしいと願っていた。
玲子は真面目に大学でも学んでいたのだが、就職氷河期に突入して良い就職先が見つからなかった。
悲しみに暮れる玲子を近衛が採用して社会人としての一歩を踏み出させたところだという。
精神は崇高だが其処此処に甘さが残る。しかし、アルトカイールという男に対する友情と、玲子に対する愛情には嘘はなさそうだ。
だが、それでビジネスになるのだろうか。俺は率直に聞いてみた。
「設立の経緯と目的は理解できたけど、それで収益は得られてるんですか?」
「まだだ。でも、目途はついた。不動産瑕疵情報に関するあらゆる情報がまとまったデータベースが手に入ったんだ。
これを分析すれば不動産業界が喉から手が出るほど欲しい瑕疵物件の因果律を示すモデルが開発できるはずだ。
僕は数学苦手だからよくわからないけど、きっと森田君なら開発できるはずだ。
心配いらない。僕はビジネスを見極めるセンスには自信があるんだ。まだ自分のビジネスで金を稼いだことはないけどね。
不動産業界では5年ほど修行したし、絶対大丈夫だ。なんたって俺たちはこう見えてK大卒なんだぜ」
全てがわかったような気がした。K大は大学入試で外部から入ってくる学生と幼稚舎からの学生の差が異常に大きいことで有名だ。
トップの学生は一流企業で大活躍だが、ボトムの学生は金持ちの子弟であるだけで大学卒とは信じられないほどレベルが低い。
ただ、幼稚舎の学生は親が中小企業グループの経営者などが多く、成績が悪くても卒業すれば就職先には困らない。
最終的にはその中小企業が金融業等に就職したトップエリートの餌食となるのだが、多くの場合は骨をしゃぶられる段になっても当人たちは気が付かない。
最後まで良い大学に行ったと全員が思うのだから、大学側の戦略は正しいのだろう。
羊の群れの中に少数の狼を解き放ち、自給自足の食物連鎖のサイクルを運営する。狼たちは頭が良いから、全部を食い殺すことはない。
倉林と近衛は好人物ではあるようだが、偶々生き残った羊さんたちであり、彼らに全てを任せるのは危険ということだ。状況把握のための質問を始める。
「そのデータベースって幾らぐらいで、他には誰がかっているかわかりますか?」
「1億円だ。不動産業界で出し合ったデータを集計して作った業界プロジェクトだったが、それに数学者が分析を加えた物が1億円で出回っている。
その意味を理解できる数学力のある人材が不足しているから、結局はそのデータから金を生んでる人はまだいない。
だが、中小の不動産業者がかなり購入している。7月15日の金曜日に購入者が数学者と今後の目標を話し合うフォーラムが企画されている。森田君にも出席してもらいたい」
「・・・仮にですよ、所長。仮にそのデータベースが使い物にならなかったら、近衛不動産超常現象検証機関の資産にはどんな影響が出てきます?
まさか、玲子さんの資産から出ているんですか?」
「玲子の資産とは別物だ。しかし、近衛不動産超常現象検証機関の設立にあたっては僕の姉さんの会社から5億円の資本注入をしてもらっている。
この金が尽きたら心霊研究は止めて実家の家業を手伝う約束になっている。
失敗したら姉さんに一生こき使われることになるから、正に背水の陣というわけだ」
背水の陣がいつからそんなに居心地の良いものになったのかわからん。しかし、近衛は人生を掛けているという程の意気込みだった。
「現在の収入源は?玲子さんの給料や私の給料は何処から出るんですか?」
「不動産屋の持ってくる瑕疵案件の問題を解決すると一件当たり50万円もらえる。年間3件位だから150万円位だ。他の収入は無い。
玲子の給料は月30万円だが、これは喫茶店アルカイーダからコンサルティング料として支払われている。僕の給料が・・・」
近衛が俺の顔を心配そうに覗う。
「別に最初の月30万の話を無しにしろとか言わないから正直に教えて。月100万ぐらいなんじゃないの?」
「いや、・・・もっと少ないよ。月80万円」
「マンションは持ち家で家賃はタダ?固定資産税の支払いとかは?」
「このマンションは僕がパパからもらったものだから・・・、自由に使っていいって言われてるし、固定資産税なんかは姉さんがまとめて処理してくれてるし・・・」
なんか近衛が幼児退行しはじめた。
「わかった。多分実質100万円以上なんだろう。家賃分と税金分もあるからね。
まあ、会社からみれば月80万円ではあるな。年間960万円。大雑把に1000万円だ。
玲子ちゃんは20代後半だろ?卒業してから5~6年ってところだ。つまり、その間の近衛さんの給料で6000万円は無くなったはずだよね。
とするとデータベースと合わせて1億6000万は使ったことになる。収入がわずかにあっても、経費も全くなかったとは思えない。
この喫茶店の支払いとかは?会議費とかで落としている分があるんじゃないの?光熱料もあるよね。
喫茶店に月5万、光熱費に月5万ぐらいじゃないのかな。それだけでも年間120万円。残高は3億ないんじゃないの?」
「だ、大体3億はある。2億9000万ぐらいだったか。データベース以外にはほとんど使ってないぞ。」
「仮に3億とすると経費とか一切使わなくても近衛さんの給料だけで5年しか持たない。
俺が入るともっと短くなる。収入を増やすか、それとも将来性をきちんと示してお姉様の支援を依頼するか、あまり時間を使っても仕方ない。
約束通り最初の1ヶ月は30万円。最後の1週間は主にビジネスの可能性を一緒に考える。
俺の給料が月200万、近衛さんの給料が月300万、玲子ちゃんの給料が月100万に数年で到達しそうなら継続。
ダメなら俺を継続して雇う意味がない。多分、2,3年で会社は潰れることになるだろう。
俺は1ヶ月はベストを尽くしてデータベースの分析とビジネス・モデルを考える。それでいいですか?」
「300万円・・・、わかったよ。それで行こうよ、・・・うっ」
近衛がトイレにドタドタと走っていく。
「うっ、げげぇっ、げぇぇっ・・・」
酔いとストレスで嘔吐か・・・、お坊ちゃまだが責任を感じてるのだろう。俺がどこまでサポートできるだろうか。倉林がこちらに目を向ける。
「と、言うわけで面倒だがアイツのことよろしく頼む。7月15日に不動産情報センターに行く前にアイツの姉さんにも紹介する。
同じレイコで紛らわしいんだが、難しい方の漢字で麗子っていうんだ。
洋介を溺愛している母親に頼まれて面倒見てる感じなんだがなぁ。
洋介の兄貴は洋介のこと勘当した方が良いとか言ってるが、姉さんの方は厳しく言いながらも洋介のことが可愛いらしい。
結構怖くて俺も悪友のように見られてるから、森田さんからも話してもらえるとありがたい。
働いてくれてる間はうちでの食事代も賄い料として近衛不動産超常現象検証機関に請求しておくから」
なんか重要なミッションをさりげなく追加されたようだ。要は資金援助をこれからも頼むと言いに行けということだろう。
資金拠出できたということは、社内でそれなりに発言力があるということだ。それほど簡単な女とは思えない。
近衛がふらふらしながらも戻ってきた。この辺りでお開きだな。最後に月曜日の打ち合わせをしておこう。
「月曜日は9時出社でいいのか?仕事を進めるためのPC環境設定を直ぐに始めようと思う。それからお姉様の会社や実家の企業グループについて聞きたい。
何か接点が考えられれば、場合によっては先行投資として多少は提案できるかもしれない。資料が手に入れば用意してもらえると助かる」
「9時で大丈夫。玲子ちゃんは早めにオフィスに来ると思う。これがオフィスの入室用カードだよ。
実家は色々手を出してる。ラーメン屋のチェーンと焼肉屋のチェーンが主力だけど、小さな食品輸入会社も経営している。
それと墓石とか仏具も一部扱ってるし、車のディーラーもやってる。不動産屋の葛西さんも実は親戚なんだ」
「葛西さんはデータベース買ったのか?」
「・・・当初買う予定だったけど、代わりにうちが買って分析することになったんだ。
価値のある分析結果が出れば1億5000万円で買ってもらえるって話だったから。姉さんには脇が甘いって怒られたけど」
まだ、幼児退行モードから抜けきっていないようだ。しかし、それは面白い話だ。
口約束とはいえ葛西が金を出しても良いと言っている。何かあるのかもしれない。
姉が怒った理由は分析しても意味がなかった場合のリスクを近衛不動産超常現象検証機関が全て負うスキームの甘さなのだろう。
「そりゃ、葛西さんにも話を聞いてみたいねえ。どのあたりをあの人が興味持ったのか。もしかしたら、来週にでも話を伺ってみることにするかな」
俺が歓迎会の礼を述べてお開きになった。玲子ちゃんは目を覚ましたが眠そうに目をこすっている。
まぁ、明日は土曜日だ。家は直ぐ隣だから心配もあるまい。
別れ際に何故か意味深に倉林が近づいてきて耳打ちする。
「幽霊を上手く扱えるかどうかは個人のセンスってものもある。何年やっても向かないって人もいる。
ただ、ポイントは相手に引き摺られないようにすることだ。往々にして幽霊はとり憑いた相手を自分の世界に引き摺り込もうとする。
どんなことをしても良いから、相手が引き摺り込もうとしたくなくなるようにするんだ」




