第壱話 夜桜の下、彼は失いそして得た。
少しだけ編集しました。
今後なにか見つけたら、編集を加えていくつもりです。
いつからかははっきりされていないが、刻城悠太の生まれる数十年前には呪鬼がいた。
今では世界中に溢れ、その被害は言うに及ばず、甚大な被害が出ている。
被害というのは、人類の急激な減少。それは呪鬼が人の魂を餌としているため。
人間が家畜の肉や魚、植物を食べるように、呪鬼は人の魂を喰らう。魂だけを。
せめての救いと言えば、呪鬼が基本夜しか活動しないこと。昼は普通に活動し、暗くなる前に家に籠る。それが今の人間の生活の形。
何故夜しか活動しないのか?それはただの人としての悠太には、分かりはしなかった。
「で、どういうことよ!?」
「話す時は主語をつけてくれ。何がどういうことなんだ?」
栞を挟み本を閉じた悠太は、自分に声をかけてきた目の前の少女を見上げる。
「どうもこうもないわよ!この写真はなによっ!?」
「……むしろ俺が聞きたい。その写真はなんだ?」
遙音が差し出した写真には、他ならぬ悠太が写っていた。
「なんであんたが生徒会長と一緒に写ってるのよ!?」
「俺としては、見覚えのない明らかに盗撮と思われる写真を突き出されたことに対して、一言言わせてもらいたいのだが」
(盗撮は犯罪だぞ?)
なんて、そんな常識を遙音に聞いたら余計騒がしくなり、面倒になると思い口には出さない。
おそらくだが、いやそうだと思いたいが、遙音が純粋な女性であるのならば、この生徒会長が男性だったらここまで過剰に反応しないだろう。問題は女性だから、だ。
「たまたま遭遇しただけ。それで少し会話をしただけ。それだけの話だ」
「じゃあなんでこんな親しいのよ!」
「写真だけで親密度を測ろうとするのも、いかがなものかと思うが、言っただろ?そこで遭遇しただけだと」
「そういう話じゃないの!!」
(いやそういう話だろ)
理不尽な物言いに納得は出来ないが、今更だと思い、同じく口には出さない。
「じゃあなにを話してたのよ!?」
「それをお前に話す理由を説明してほしい。お前には関係ないだろ」
「っ!……そうですかそうですね。関係ないわよね。ただの幼馴染みにはっ!!」
「おい…!」
急に教室を走り去っていく遙音。今の短いながらも密の濃い会話の内容に呆然としつつ、その後ろ姿を見ていた。
「夫婦喧嘩は犬も食わないってな。相変わらず仲いいなぁお前ら」
「今のを仲がいいと言えるのなら、俺は世界中の人々と親しい」
飄々と声をかけてきたのは、新宮 蓮。悲しいことに、中学からの付き合いだ。中一から高二、現在五年連続で同じクラスで勉強することになってしまっている。
「けど、喧嘩するほど仲がいいとも言うよね?」
「一方的に売られただけだと思うが」
蓮の後ろからひょっこり顔を出したのは、瀬奈 朱里。気弱くあまり自己主張をしないようなタイプだが、なぜか蓮とよく連んでいる。そのため他の生徒に比べ、喋る機会は多い。
「だからってあの言い方は無いだろ?お前には関係ない、って。結構深い仲だろお前ら?」
「え…深いって……」
「昔からの付き合いという意味だからな、朱里。勘違いするな。それに紛らわしい言い方するな蓮」
なんか顔を赤らめてる朱里の誤解を解き、蓮に注意する。本当、なんで朱里は蓮と一緒にいるんだろう。
「あながち違わねぇだろ?少なくとも友達以上だろうが」
「そこは否定しない」
「即答されても困るけど……、まあそういうこった。学校中で有名なお前と抜きん出て仲いい天河、目立つよなぁ〜」
「うんうん。遙音ちゃんも人気者だし」
「あいつが人気者ってのは理解出来るが、俺に関しては全く同意出来ない」
確かに性格としてはいい方だと悠太は思う。人付き合いもよく、明るくフレンドリー。男女関わらず人気があるとよく耳にする。
「お前案外モテるんだぜ?理由はよう分からんけど」
「趣味が悪いとしか言いようがないな」
何故こんな自分を好むのか?
こんな自分のどこに惹かれる点があるのだろうか?まるで分からない。
コミュニケーションという点で言えば、まるで女子とは会話しない。
成績だって良くて中の上。スポーツだってそこそこ出来る程度。
悠太にはまるで分からなかった。
「そ、そんなことないよ!刻城くんは、か、かっこいいし……」
「…照れるなら言わなきゃいいだろ」
「そういう冷たいこと言うなや。どんな奴であれ、お前のことを好きになる奴を勝手に馬鹿にしてやるな」
自分のことを好きでいる人を、自分が見下すな。それこそが最大の裏切りと、蓮は言う。
「なにはともあれ、まずは追ってやれ。いくらお前が人気だからって、天河泣かせたらさすがにお前でもヤバいだろ?」
「……想像、したくないな」
思わず苦笑が溢れる。
確かに、あいつの機嫌を損ねたままってのは、今後の学生生活に影響が出るだろう。別にそこまで重要視していないけど。居心地はいい方がいい。
「放課後だし、時間はあるだろ?」
「そうだな。少し、迷子の子犬を探してくる」
「おう、行ってら」
「行ってらっしゃい」
なにを怒っているのか、悠太には分からなかった。けど、解決した方がいいということは、その鈍い頭でも分かった。
二つある校舎の間の中庭には、大きな噴水があり、様々な花などが飾られて多くの生徒が交流の場としている。
「あ、刻城くん」
「……雪野先輩」
遙音を探している最中に遭遇したのは、前から走ってくる生徒会長こと、雪野 薫。手を振りながら駆けてくる様に、悠太は苦笑いを浮かべる。
「何してるの?」
「迷子の迷子の子犬を探して」
「…?」
「……ちょっと喧嘩してしまったので、謝りに行こうかと」
最初の比喩に溢れた発言に薫が首を傾げるのも無理はない。選択を誤ったと、若干後悔しつつ訂正する悠太。
事実を言うと、自分の問題点が分からない悠太は、謝ろうにも謝れない。ので、まずはその理由を聞こうとしているのだが。
「へぇ〜あなたも喧嘩するのね」
「その発言には、些か疑問に思うところがあるのですが…」
(そこまで感情が無いように思われているのだろうか?)
などと考えてみるが、良くも悪くも素直なのだろう。そこに悪意は感じられなかった。
「それで?なんで喧嘩したの?」
「……言ってしまえば、先輩にも多少原因があるのですが」
「わたし?わたしの知り合いか誰かかしら?」
「いえ、おそらく向こうが一方的に知ってるだけかと。…いや、名前なら知ってるかもしれません。天河 遙音って奴なんですけど」
「天河さん?確かに名前だけは知ってるわね。彼女、学校の有名人だし」
改めて、天河 遙音の知名度を実感するのであった。
「なら、よりどうして?わたし、彼女に何かしてしまったかしら?」
「いえ、先輩が直接どうこうしたってわけじゃないです。ただ……」
悠太と薫が一緒にいるとこを盗撮したと思われる写真を、遙音が見て勘違いした。それを簡単に説明した。
「あら、それってわたしと刻城くんがそういう関係に見えたってこと?いやぁね〜」
「なんで若干嬉しそうなんですか?今拗れてると分かって、なんでそんな反応するんですか?」
「だって、学校の女子の憧れ、刻城 悠太くんの彼女だなんて、この上なく誇り高いことじゃない?」
「本人に同意を求めないでください」
「けど、女の子たちからのやっかみとか嫉妬とか凄そうね」
「安心してください。俺と先輩がそういう関係になることはまずないですから」
「……分かっているけど、そこまではっきり言われると複雑ね」
知り合って間もない、そういう関係の男女がする交際は、あまり良くないものだと悠太は思っていた。
そもそもやっかみという点では、俺の方が酷い、そう悠太は考える。遙音ほどではなくとも、この会長も生徒間では絶大な人気を集めている。男子連中からの憎悪が凄まじいだろう。
「話を戻します。遙音をどこかで見ませんでしたか?」
「そうねぇ〜〜……覚えは、ないわね」
「そうですか。時間を取らせてすみませんでした」
本当はこっちが浪費したと思ったが、そこまで礼儀知らずのつもりはない。
「いえいえ、邪魔したのはわたしだし」
「……俺の心の中の上部だけの敬意を僅か数秒で無駄にしないでください」
「その発言で全部台無しよ」
少し、言い過ぎた。
「……いきなり怒られちゃ、悠太も困るよね」
ただこっちが、勝手に抑えきれなくなっただけ。彼になにも落ち度などない。
彼が言っていることも、本当だろう。それは彼と長い時間共にしている、自分だからこそよく分かる。生徒会長と一緒にいたところなど、記憶の中で一つも思い浮かばない。
「人気者だもんね……」
学校の多くの女子が気になっている悠太。生徒会長だって女子。それは同じだろう。
「……謝らないと、ね」
ただ悔しかった。
「お前は関係ないだろ」
その一言が辛かった。
ずっと一緒にいた。いろんなことを知ってる。何が好きで何が嫌いか。自分以外にはまるで興味がないことも。というか自分にだって興味がないことも。他者との関わりを持ちたがらないことも。いつも無愛想で表情を崩さないことも。そのくせちゃんとツッコむところも。なんだかんだ言って優しいところも。
誰より知ってる。その自信がある。
「……今さら、だよね」
幼い頃からの想いが報われないことも。
彼は言っていた。
「人を好きになるってどういうことなんだろうな?」
分からないと言っていた。人への好意というのが。
「確かに、お前とか玲が死んでしまったりしたら、悲しいと思う。けど、その光景が浮かばない。自信がないんだよ、悲しいって思える自信が」
自分は本当に誰かに好意を持っているのか?偽りじゃないのか?自分で信じられない、と。
「分からない。でも、一つだけ分かることがある」
「…なに?」
「遙音や玲は、失っちゃいけないって。たとえ他の誰を殺そうと、お前二人だけは失いたくないって」
お父さんは?お母さんは?学校の友達は?
そんな浮かんだ疑問を気にしたくなかった。だから出てきた言葉は……、
「ありがと、悠太」
素直な感謝の言葉だった。
「……よしっ」
懐かしい思い出に浸り、悠太に会って謝らなければと衝動に駆られる。
変に関係が拗れるのは避けたい。彼とはまだ、いやこれからも長い時を一緒に過ごしたいのだから。
「……あなたが、天河 遙音?」
「えっ……っ!!?」
そんなことを考えていたからだろう。背後から近づく存在に気づかなかった。
だいぶ日が落ちてきた。つまりそれは、帰宅までの制限時間が近づいているということ。
もし呪鬼が存在しない世界ならば、夜という時間はさぞかし賑やかなのだろう。
仕事帰りの会社員が、酒を飲み交わし、蛍光色のネオンは大人な雰囲気を漂わせる。
「……どこ、行った?」
携帯が繋がらない。遙音の家に尋ねても、出たおばさんはまだ帰ってきていないと言う。
「おかしい……」
不自然だ。あいつが携帯の電源を切っているなんてそうそうない。
いつも一緒にいた悠太だからこそ分かること。電源が切れているとしたら、バッテリー切れだろう。だが、あの用意周到な遙音がそんなことになるとは思えなかった。
「……くそっ」
焦っていた。悠太の顔には余裕が見られなかった。
もう、夜はそこまで来ている。
「あなたが天河 遙音?」
「……誰?」
目が覚めた。一度ブラックアウトした視界が徐々に光に慣れ、遙音は周りを少しずつ把握し始める。
目の前に見えたのは屋根の上に座っている女性。なんとも言えない、ただ恐怖を感じる。身体の中で警報が鳴り響くような、そういった危険の類。
「まずはこっちの質問に答えてくれる?これで持ってきた奴が違った、とかになると割と本気で私、危ないのよ」
こっちの発言にはまるで興味を持たない。そういう振る舞いに、自分の立場を理解する。気づくと自分は紐で縛られている。
「というか、そもそもなんで私なのよ。私、捕縛系の呪術なんて使えないのに。そこはダングールあたりに任せればいいじゃない……」
何を言ってるのか、理解できなかった。ただそれでも、推測であるが分かったことがあった。
「……呪鬼なの?」
「ん?なに?今まで分からなかったの?」
推測は確定に変わる。
「そっか。ただの人間は、呪鬼のことをほとんど知らないって本当なのね。情報規制が厳しいのか分からないけど、なんか可哀想ね〜。知らぬが仏ってやつ?」
明らかに見下した態度。馬鹿にされていると嫌でもわかるが、実際自分は呪鬼に関してまるでなにも知らないことは事実で、反論などなにもできなかった。
「それで?あなたは天河 遙音なの?」
「……答える理由がない」
「思ったより度胸あるのね。けど、今そういうのいらないから」
数メートル離れていた遙音と呪鬼との距離は一瞬で無くなり、呪鬼の手は遙音の首を掴んでいた。
「ぐっ…!」
宙に浮いている。その握力になす術はなく、足をばたつかせたところでなにも意味を成さない。
「…がっ…はっ……!」
空気が入ってこない。目眩がし始める。
「言っておくけど、私そんな馬鹿力じゃないからね?まだか弱い方よ」
「がはっ!」
急に手が離され崩れ落ちる身体。突然流れてくる空気の奔流に思わずむせる。
「……やっぱり天河 遙音じゃない。最初からそうだって言ってくれればいいのに〜。別に手荒な真似がしたかったわけじゃないんだからさ?」
その真面目さが仇になったとでも言うのか、常時携帯している生徒手帳が他ならぬ証明となった。
「あなたを殺したって、こっちにはなんの得もないもの」
「信じ、られるか……」
「…ホント、大したものね。普通はそんな喧嘩売れないと思うのだけれど。いや、私もこんなことしたことないから知らないけど」
それはそうだ。呪鬼が人を誘拐するとか拷問するとか、聞いたことがない。自分の知識で分かっていることなんて微小なものだが。
「安心して?今は殺さないから」
「…今は?」
不可解だ。
なぜ自分は生きている?喰うためならば、わざわざ生かして縛るなんてまねはしないだろう。
遙音は考える。だとしたら、なんらかの目的があるはず。こういうシチュエーションで一番ベタなのは……、
「……人質?」
だとしたら、誰をおびき出すため?自分の身の周りに、呪鬼が求めるような者はいるか?まるで覚えがない。
「あなたはいったい……?」
「おっと、そこまでよ。お客さんが来たみたい」
「えっ…?」
その女が見た先には、遙音にも見覚えのある少年がいた。
「はぁはぁはぁ………いた」
「悠太!」
他ならぬ幼馴染み、刻城 悠太だった。
「えっ?まだ帰ってない……?」
遙音の家から電話がかかって来た。遙音のお母さんがひどく慌てて話している。
「……おばさんは家にいてください」
荒々しく電話を切り、思わず舌打ちが出る。
「何やってるんだよ…!」
深いことなんて考えられなかった。気づけば、既に家を出ていた。
月明かりに照らされた夜。街の街灯が幾つか悠太を照らすが、その弱々しい光がより一層不安にさせる。
夜。この世界においてそれは、地獄、墓場と言ったものと対して変わりはしない。呪鬼に溢れた世界の中、外へ赴くのは自殺行為に等しい。
「どこだ……!?」
悠太は夜の街を駆ける。
彼に呪鬼に立ち向かえる力など持ち合わせているはずがない。
じゃあなぜ?そこに理屈的な理由など存在しない。見つけなければ。救わなければ。連れ戻さなければ。もう一度、会わなければ。
ただ、それだけの話。
「ーーーーー!!」
途端に感じたのは異様な気配。ただ言えるのは気味が悪い。
「……呪鬼」
言葉で表現できない。ただ言えるのは化け物。暗闇で姿ははっきり認識できないが、一目でそれは人に属するものではないと分かる。
仮面のようなものを付けていて、顔はわからない。いや、そもそも顔などあるのだろうか?
「-----」
「……っ!」
声を発さぬまま襲いかかってくる。その動きはただの人が成せるものではない。
死。それをすぐそこに感じた、その時だった。
「加速」
ふと現れた人影。
「-----」
「なっ……!?」
その影は呪鬼を突き刺し、呪鬼は光の粒子となって昇華する。
呪鬼は確かにただの銃弾や、剣で傷つけることはできる。だが、それは有効ではない。ただの武器のダメージはすぐに修復される。そもそも、たかが人間が呪鬼の身体能力に敵うことがまずない。
とどのつまり、一撃で呪鬼を滅することができるものなど限られている。
「お…前……」
だが悠太には、それ以上に衝撃に唖然することが目の前にあった。
「まさか……」
見間違えるわけがない。聞き間違えるわけがない。その姿、その声。馴染み深いものであった。
「…玲」
「……悠太、あなた馬鹿なの?」
五十嵐 玲。遙音と同じく、悠太が守りたい人だった。
「…何が馬鹿だ?」
驚きを隠せないままそう漏らした彼の顔は唖然としているように見える。
突然いろいろと舞い込んだ出来事に、頭が冷静に回っていないのだろう。落ち着いていたら、そこに突っ込まないだろう。
「じゃあ聞くけどあなた、1人で夜に外ぶらついて自分の身を守れる保証でもあったの?」
「逆に聞くが、俺にあるとでも?」
「そこは開き直るところじゃないでしょう…」
相変わらず表情を変えぬままそう言い返す。
「お前は罪人だもんな」
その発言に、悲しみだとか裏切られたとか、そういった感情は見られない。ただ、淡々と事実を確認するように。
「……確かに、玲の言う通りだ。俺は、自分の身を守る術なんて持ち合わせていないさ」
「じゃあなんで?」
なんて、そんな質問聞くだけ野暮だとは思うけど。
「遙音が関わってるからだ。理屈じゃない。俺がどうこう出来なんかしなくたって、しなきゃならない。死に急ぐだけだとしても、なにもしないなんて、それこそ死にたくなる」
「………」
予想通り。いや、それ以上に強かった。無謀だと、限りなく不可能だと。分かっているが些細なことだと。その真剣な目は、そう語っていた。
「それに、今お前がいて俺は助かった」
「そんなの結果論に過ぎないじゃない」
私が罪人だったから。じゃなかったら死んでた。
「結果論の話をしているんだ。今過程がどうこうなんて話してるだけ無駄だ」
確かにそれはそうだろう。それだけで済む話でもないけど。
「後でいくらでも怒られてやる。だから今は行くぞ」
「行くぞって?どこに?あなた遙音の場所分かるの?」
「あぁ」
一切の間を置かず、そう言い切る。ただの人間がそのようなことが出来るか?いいや、そのようなことがあるわけがない。
「分かってるっていうより、知ってるって感じに近いか。なんでか分からないが、そこに遙音はいるって知ってる」
「…信じるための根拠としてこんなに相応しくないものはないわよ」
側から聞いてみれば、唯の勘。当てずっぽうって言ってるようにしか聞こえない。
「けど、いいわ。信じてあげる」
「なんでそんな上からなのかは分かってるから言わないが、そうしてくれ」
そう言い駆け出す悠太。そのあとを私は周囲を警戒しながら追いかける。
「……悠太」
「なんだ?」
「いくらでも怒られてやるってあれ、忘れないでよ?」
「……お手柔らかに」
小さい頃よく遊んだ丘の上の公園。悠太が駆け出した先にはそこがある。
小さい頃、俺と遙音と玲でよく行った思い出の場所。大きく長い滑り台を見て、懐かしくなっていながら、その姿を見つけた。
「はぁはぁはぁ………いた」
「悠太!」
人の走る速度を軽く超えている玲を横目に全力で走った。
縄に縛られて、いかにも連れ去られましたと言っているようにそこに鎮座している。
「やっと来たのね。待ちくたびれたわよぉ」
近くの屋根から降りた謎の女性。聞かずとも分かる。危険だと。
「あなたが刻城 悠太?……呼んでないお客さんも来たようね。良ければ、邪魔だから帰ってくれない?」
「その言い方はどうかと思うのだけれど。呼ばれたつもりもないけど、せっかく来たんだからちゃんと歓迎してくれないかしら?」
そう言いながら玲は構える。まるでそこに剣が収められた鞘があるかのように。
「来てしまったついでに聞かせてもらえるかしら?なんのためにその子を攫ったの?呪鬼が人攫いの真似をするなんて話聞いたことない」
「10年そこらの分しか積まれていないあなたの経験で、何もかも知った気でいるのかしら?自分が知らないことがたくさんあるってことくらい分かるでしょ?優等生って感じのあなたなら」
「さぁ?けど……」
玲の手に刀が握られる。どこからともなくそれは現れた。これが罪人の力…。
「確かに私が知らないことなんてたくさんあるけどね、一つだけ分かってることがある」
力が溢れ出す。その瞬間に玲は俺の知らない玲になる。
「あなたはここで死ぬべきだって……!」
力の奔流。それは禍々しくも儚くて、押し潰されそうな重圧。人間の域を超えているのだと、直感的に感じる。
「“加速”!“強化”!」
なにか言葉を唱え駆け出した。それは神速。風を切るかのように音が鳴り、そして金属音が鳴り響く。慌てて目を向けると、玲の刀と呪鬼の洋刀が交差している。
「乱暴ねぇ。女ならもっとお淑やかにするべきでしょう?」
「あなたに女を語られたくないわっ!」
激しく斬り合う猛者が二人。既に目で追いかけることは出来ない。音速に達しているのではないかと、ただの凡人である自分にはそう感じる。
「……あ、遙音!」
そこで戦っているであろう二人に巻き込まれないように、慌てて遙音に駆けつける。
「勝手に動かないでくれる?」
「っ!!」
呪鬼の剣がこちらに向かって飛んでくる。
「それはこっちのセリフよ」
その剣を横から弾く玲の刀。
「あなた、なにかの目的があって悠太を誘い出したのでしょう?なのに殺そうとして、本末転倒じゃないのかしら」
「分かったような口を利くわね。あながち間違いじゃないけど、私自身よく分からないし」
「分からない……?」
「そう。ただ、ここに呼べって言われただけだから。けど、その後何すればいいかは、いくつか教えてもらってるわ」
玲が食い止めてくれている間に遙音に向かって駆ける。
「大丈夫か遙音!」
「悠…太……!」
その目には涙が浮かび、そして溢れる。嗚咽と共に恐怖の感情が溢れ出す。ただ、強く抱きしめる。
「ラブラブしてるところ悪いんだけどね〜?こっちの都合ってのもあるのよぉ」
「ごめんなさいね。うちの王子様が姫様助けてる最中なの。もう少し見守っててあげてくれない?」
「ガキのイチャコラなんて興味ないの、よっ」
「ふっ!」
再び始まる剣戟。援護など馬鹿なことは考えない。
「今のうちにさっさと逃げなさい!」
「言われなくたって…!」
と行ってもどこに?この夜の中、どこに逃げればって…。なにも戦力と成り得るものなどない俺が、どうやってこいつを助けろって?
「立てるか?」
「う、うん…!」
なんとか遙音を縛っていた縄をなんとか解き、とりあえず離れるように促す。
「くそっ、どうすれば……」
なにも出来ない。無力。この二文字からも逃げ出すように、遙音の手を掴んで駆け出した。
「安心しなさい」
「---っ!」
いつの間に?なんて考える時間も無かった。玲と戦っていたはずの呪鬼が目の前にいた。その向こうには、立ち上がりながらこっちに向かおうとしている玲の姿が見えた。
「どうせ死んじゃうんだから」
こっちに向かって空を走る剣。まるでスローモーションになったかのような不思議な時の感覚を味わう。
これが死。これが恐怖。これが絶望。終わりを感じ、左手から伝わる温度を感じながらも躰は動かなかった。
「…………え?」
グシャっと、なにかが突き刺さった音。
けど、俺から血が溢れてなどいない。紅く染まっていない。
じゃあなにが?なんで目の前に紅がある?いったいなにに刺さった?
「……遙………音………?」
「………悠…太…」
その躰は倒れ、紅が流れ出す。
「あっ…あっ…あっあっあっ……!!」
認めてたまるか。夢だ。幻想だ。現実なわけがない。こんな展開があってたまるか。
「あああああああああっ!!!」
ただ、泣く。哭く。啼く。
口から溢れて止まらない号哭。現実から目を逸らそうと、それは叫ばれ続ける。
遙音のその姿に、俺はただ吼えていた。
幼い頃の記憶。
人間誰しも古いものは忘れていくものだが、それにしても俺にはそれが特に欠落しているように思う。
幼い頃の記憶。
思い出そうとして、こうも何も思い出せないのは不自然に感じる。まるで意図して消えてしまったような。そういう違和感を感じる。
頭の中に霧がかかるとはよく言ったものだ。白くぼやけた記憶の海に、先は見えない。どれだけ進んでも何も変わらない。
昔の俺は、いったいどうしていたのか?どんな奴だったのか?そもそも、なぜこんなに覚えていないのか?
「遙音!遙音!おい遙音!」
血が流れ、横たわる遙音に声を荒げ名前を呼ぶ。
「やっぱ、人間って脆いのねぇ〜。こんだけでこんなに血塗れになっちゃって」
「……こんだけ?」
こんだけってなんだ?剣で刺して血を吹き出させるのがこんだけ?
「…………ふざけるな」
「ん?」
「ふざけるなって、言ってんだよ……!」
「別にふざけてなんていないわよ?私はただ思ったことを言っただけ」
「そんな理由で納得出来るかよっ!」
人のこと脆いとかほざいていてふざけてない?……所詮、そういうことか。
「じゃあ聞くけど」
呪鬼が俺に声をかける。
「あなたは肉や魚や野菜を食べたりする時、いちいち食物のことを考えながら食べるの?」
「っ……!」
そう、そういうことだ。呪鬼にとって人間とはただの食料に過ぎない。人間にとっての肉や魚や野菜のように。
食べられるだけとなった存在に深く感情を現したりしない。食べる目的のものに無駄に情けをかけたりしない。
そう、種が違う故に決して合間見れない価値観。呪鬼と人間は喰うものが違うのだから。
「だからって……」
けど、そんな理屈じゃない。そんな風に割り切れるほど人間は出来ていない。
「許せるわけないでしょ!」
「っ!?」
それは玲にとってもきっと例外ではなく、今までよりも格段に速く駆けて来てるその様子がそれを物語っている。
「……悠太は下がってて」
「けど!」
「今のあなたに何が出来るの!」
「っ……!」
事実。言い返すことなんて何も出来ない。俺はただの足手まといに過ぎない。
「まだ、死んでない。けど、もう間に合わない」
鍔迫り合いをしつつ、冷静にそう告げる。
「だから、悠太が側にいてあげて」
「……お前」
泣いているのか?
その言葉は出なかった。言ってはならないと思ったから。玲が涙を堪えて今戦ってるのに、そんな野暮なこと言う重要性がない。
「その間に私」
そして空気は凍てつく。
「この呪鬼を殺しておくから」
そして瞬間、呪鬼が吹き飛んだ。玲が力強く刀を振るい、呪鬼の身体は弾丸の如く飛んでいった。
「………いたたたた…ちょっとぉ、いきなりどうなのよ?」
「ごめんなさい。少しでも早くあなたを殺しておきたかったから」
そして刀の鋒を呪鬼に向ける。
「ねぇ、あなたの名前は?」
「私?エミシュって言うけど、聞いてどうするの?」
「覚えておくのよ。一生許すことが出来はしない、あなたの名前を」
「そう。じゃああなたの名前も教えてよ。不公平じゃない」
「……五十嵐 玲」
そして双方駆け出す。
「あなたに最後をくれてやるっ!」
「……ゆうた」
「喋るな!おとなしくしてろ」
傷口が開く。分かってはいる。既に間に合わないと。だからって認めるわけにいかない。
「……ごめんね」
「なんで…謝んだよ…」
「だって…」
俺の頬に手を伸ばして触れる。
「こんなに…悲しい顔をさせちゃってる……」
「お前が謝ることじゃないだろ……!」
その手を握ってその温もりを欲する。
「俺が何も出来ないから、俺が、弱いから……」
「それこそ…悠太は悪くないよ……」
儚い笑顔を浮かべる。今にも消えてしまいそうな。
「……ねぇ、悠太?」
「なに……?」
「なんで……来てくれたの?」
その質問の意味。
それはあれか?俺が好きになるってことがよくわからないって、よく言ってるからか?力を持っていないのに、どうしてそんな真似したかってことか?……決まってるだろ。
「……お前を、失いたくないからだ」
「………そっ、か」
そしてにこやかに微笑む。
「ありがと」
「はぁぁぁぁぁぁっ!!」
五十嵐 玲は刀を振るっていた。
「はっ!!」
「もうちょっと、くっ!落ち着きなさい、よっ!」
エミシュの洋剣も刀を去なし斬りかかる。
一進一退の激しい攻防。人の目で追える速度などとうに超えて、斬撃と金属音がずれて聞こえる。つまりそれは、少なからずとも音速に達しているということだろう。
「……ねぇ」
「なに?あなたと話したくはないのだけれど」
「なんでそんな必死なの?」
「…は?」
玲には意味が分からなかった。なぜ急に気合を入れてその刀を振るうのか?その根源にあるものはなにか?それが分からないと言う。
「……わざわざ聞かなきゃいけないこと、それは?」
「私には分からないからことですもの」
欧米人のように肩を動かしてリアクションをとる。
「あなたたち人間みたいに…あなたはもう人間じゃないか。けど、元人間含めあなたたちみたいに友達意識ってのは、正直呪鬼にはあまりないのよねぇ。
なんていうか、結局は互いの利益を考えたお付き合い。自分にとって都合いいなら、よろこんで手を貸す。それでいつか手を貸してもらう。そういうので成り立ってるの、呪鬼は。冷めてる関係だと思うかもしれないけど」
互いの利害を考えた上で結ばれる。得するなら手を貸し、しないなら無視する。手を貸したらいずれ手を貸してもらう。それは一種の契約。等価交換。
「だからよく分からない。こんな私でも、あなたがあの子が殺されたことに怒って今に至ってる、それくらいは分かるわよ」
「……分からないから、なんだと言うの?」
正直、今の玲にとってどうでも良かった。あなたたちの付き合いとかそう言った事情など知ったこっちゃない。
きっと何かの役には立つ。現に玲はそんな情報を得てはいなかった。今後何かに使えるかもしれない。
だが、どうでもいい。くだらない。今は強くそう思っている。あるのは一つの事実。
「くだらない」
「っ!!」
反射的に強く振るわれた刀。
「誰かのためにとか、もし頼まれもせずにしているんなら、所詮ただの自己満足に過ぎないじゃない。あなたが勝手にムカついて、あなたが勝手に敵討ちして、あなたが勝手に報われたいだけでしょ?ホント、くだらない」
「うっるさいっ!!」
違う
その二言は、口に出されることなく飲み込まれた。言い切れない。断言出来ない。疑ってしまった、自分を。
「……腕が鈍ってるのが、いい証拠じゃない……っ!!」
「-----っ!!」
吹き飛ぶ五体。体制を整えなきゃいけない、そのはずなのに動かない。
「………がはっ!!」
頭に浮かぶのは一つだけ。
(私は、なんのために……)
「玲ーーーーっ!!!」
吹き飛んでそのまま起き上がらない玲。
「さて、と。どうするのかしら?あの子は伸びちゃってるから、しばらくは起きないと思うけど?」
「……こっの、クソが………!」
激しく憤る。自分たちを守ろうと戦っていた、数少ない友が蹴散らされることに。
「そう思うならさ、なんかやってみせてよ、ね?せっかく歯向かってくれてるのに、こっちも一方的にイジメるの面白くないもの」
「好き勝手、言いやがって……っ!」
このままでいたくない。
そんなことはとっくの前から思っている。こいつに一泡吹かせられるというのなら、是非ともそうしたいもの。だが、そうする手段が無い。呪鬼と人間。その差は容易く埋められるものなどではなく、現に、
「ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
「馬鹿ね…」
近づいてきた奴に拳を有りったけの力でぶつけたところで、負傷したのは自分の右手だけ。瞬間的に骨が大壊したのが分かる。
「カッた、すぎるだろ……」
「それはそうでしょ。それくらいで傷ついてたら、私たちがこんなに怖がられることなんてないでしょ?」
「そりゃあ…そうだ……」
まるで力が入らない。もう使いものにならない。頭で理解している。
「……ったく、今日はついてない」
親友と(側から見れば)喧嘩をし、あげく夜に外に連れ出され、化け物と戦わされる。人生で此れ程憂鬱な日など、過去にも未来にもないだろう。
確かに退屈だった。毎日はつまらない。美しき日常も、目線を変えれば延々と続くループのようで、地獄にも感じる。
いつか言った。飽きてはいるが、苦しみや悲しみを伴うような刺激的な日常は求めていない、と。だったらどれだけ退屈でも、どれだけつまらなくても、あいつらといる極めて普通な日々の方が何倍もマシだと。
だったら。だからこそ。
「……お前、さ」
「?なに?」
既にこの世界に溢れた呪鬼を、異端だとか非日常などと最早言うことはできない。それはただの現実逃避。
分かっている。切り離そうとしたところで切り離せるものではないと。事実、玲は他ならぬ関係者だった。
それでも、関わりたくなかった。自分には関係ないことだと、遠い話なのだと、そんな戯言をいつまでもほざいていたかった。ただ馬鹿みたいに笑って、ふざけて、時にはくだらないことで喧嘩して。そんな高校生活を過ごしていたかった。
それを狂わせた。その張本人をどうやって許せると?言わずもがな、
「邪魔だ」
精一杯の見栄。何も出来なくとも、負けを許すのは許せなかった。
「ふふ、ふふふ、ふふふふふはははははははははっ!!」
鬼が笑う。少年のその一言に堪え切れないとでも言うかのように、笑い声を上げる。
「ふふふふ、ふふ、ほんっと最高ね、あなた。自分がどういう状況であるか分かっているのに、そんなこと言えるなんて。ふふ、素晴らしいと思うわ、ええ。ふふふ……」
素直に褒めているなどと、とてもそうは思えない言葉の色。むしろ馬鹿にしていると、それが世論だろう。
「たくさん笑わせてくれたお礼に、ちょっと小話してあげる。…あぁ、その子は大丈夫。確かに死んじゃうけど、すぐには死なないから。そういう力だし、私」
「ふざけているのか……!」
「ふざけてはいないわよ?これも私の仕事の一つだし。どっかで話さなきゃって思ってたからちょうど良かった」
真面目ではないだろうが、自分のやるべきことはやらねばならない。そういった義務感。
確かに面白い。口元を緩めそう一度思うが、けど、面倒くさい。今すぐにでも帰りたいと、内心では悪態を吐く。逆らうことが出来ぬ以上、命令には従う。
だが、理解は出来ない。仮にその話が本当でも、そこまで執着する意味が分からない。
何かあるのか?自分には分からない何かが。
「おとなしく聞いてなさい。何回も話すのは嫌だし」
そして鬼は口を開く。
「罪人といっても、細かく言えば幾つか種類がある。主に、罪人となったタイミングで。私も聞いた話だけどね。
もちろん知ってるだろうけど、罪人は元々はただの人間。詳しいことは知らないけど、特殊な方法でなんとかかんとか。改造されて生み出された、対呪鬼の生物兵器。呪鬼と同じように、それなりに強いやつはただの兵器なんて効きはしない。倒すには魔力を用いなければいけない。確かに、「鬼に最も近い人」とは良く言ったものだわ。
大半の罪人はそうやって生まれる。けれど、他にも作り方はある。罪人と罪人との間、もしくは片一方が罪人である時、生まれてくる子供も罪人となる場合も多いとか」
「…………」
少年は知る由もなかったその事実に、唖然としつつ、一つ思う。それは、
(呪鬼はそんなに知ってるのか…)
人間の敵である呪鬼たちは、同じく敵である罪人のことに関してここまで知っている。そう、罪人の元の種である人間よりも、ずっと詳しく。
「生まれ持っての罪人か。生まれてから罪人となったか。大きく分ければ、この二つ。
どちらの方がいいかなんて、私が分かるわけないけど、ただ疑問があるとすれば、後から罪人になった人間って馬鹿なの?普通、自ら地獄に行かないでしょ?」
何故、自分に聞く?
そう少年が思ったのを見透かしたかのように言葉を続ける。
「そんなことをなんで俺に聞くんだ、って言いたそうね。正直、無関係ってわけじゃないんだけど……。というか、別になった理由なんてどうでもいいか。何かしら訳ありなんだろうし。
…問題はそこじゃないのよね。
一度罪人になった人間は、二度と人間には戻らない。それはルール。けれど、ごく稀に例外がある」
「例外……?」
「そう、例外。稀と言っても一人しか知らないけどね……」
悠太は、あまり人の話を信じない。どちらかと言えば慎重、まずは疑ってかかるタイプだ。ましてや呪鬼の話。信じる理由など微塵もありはしない。
なのに、不思議と、この話は確かなものだと確信に似た認識をしていた。
信じると言うと些か語弊がある。悠太にはその話が既知であるように思えた。現実味があるとか、呪鬼の話し方が真に迫っているとかではなく、ただ自分が知ってるから信じられるだけだ。初めて聞いた話なはずなのに。
それも奇妙な感覚だが、それを確信付ける別の違和感。
「-----っ」
一瞬、一瞬だけモノクロに変わる世界。例えるなら、昔の記憶をふと思い出した時のような、頭の中のアルバムから引っ張り出してるような。
「自分が罪人であることを忘れてしまった者、そんなやつがいるのよ」
「忘れて……いる…………っ!!」
そして激しい頭痛。嫌な吐き気がする。気持ち悪い。無理矢理なにかをこじ開けられるかのような、鈍い痛みに嗚咽が溢れる。
なんだなんなんだ。なにかの扉を無理矢理開けようとしている。なぜ?なぜこんなに身体が反応する?まるで、自分がそれに深く関わっているみたいな……。
「……俺と?関係している?」
言葉にして理解する。そして、少しずつ戻ってくる。霧が晴れていく。だが、その見えた景色は決して絶景ではなかった。
「そうよ」
俺は
「あなたよ」
罪人。
「忘れているやつは」
まだ小さい頃。物心がついて、自分の立場が分かるようになった頃。既に彼は罪人だった。
幼くとも彼は戦士だった。周りには大人もいる中、数少ない子供が悠太だった。
よく思い出してみると、すぐ横には玲がいる。つまりそれは、彼ら二人は幼い頃から夜に舞う戦奴であったということ。
一体何処だろうか?なにかの施設、たくさんの子供がいる。人間にはない夥しい雰囲気を放っていることから皆が罪人なのだろう。とするとここは、幼い戦士を育てる場所なのだろうか。
時たまに大人たちに混じって、少年たちは夜の街に繰り出す。その瞬間に狩る者であり、同時に狩られる者でもある。それは至極簡単なこと。力が及ばなければ、鬼を狩るべくして生み出された子らも、鬼に喰われる餌に過ぎない。
少年は無我夢中に両の手に持った剣を振るう。それは、同年代と比較するのも馬鹿ばかしく、一部の大人たちとも肩を並べるほどだった。要するに天才であった。早い段階で見出されたその力は、時を重ね、鬼の魂を斬り伏せる度により高みへと進んでいった。
だが、どれだけの才を有していても、それを誇るとは限らない。少年は、戦うことに自らの生きる意味を見出し、そこに快楽を求めるように狂ってはいない。ましてや、鬼を絶やすことに優越感を覚え、人の為なのだと使命感を燃やし戦うような英雄でも聖人でもない。
理由は1つ。その年に見合った簡単な感情。
怖いのだ。
本来ならば、こんなに早く死を身近に感じることはないだろう。誰かが死ぬといった第三者的なものではなく、自分が死ぬという当事者的なもの。
常に死を隣に住まわせ、いずれこの場所を死に奪われるのではと、狂い果てた子供も少なくない。そんな子供たちも恐怖の象徴であった。
あんなふうになりたくない。
決して前向きなものではなく、ただ自分が死ぬのは嫌だから、ただその二刀を振るった。
なぜ逃げないのか?子供たちはただ、毎日を生きるのが精一杯だった。何もしていない時は、ひたすらに身体を休めた。逃げるという選択肢は生まれない。
それに、子供のほとんどが身寄りをなくした者。元より他に行く当てもない。選択肢など最初からない。
じゃあなぜ、彼は罪人になったのか?
その理由までは、その瞳に映らなかった。
「……そうか」
全てではない。全てではないが、必要最低限のことは理解した。
肝心な部分は欠けたまま。何故覚えていないのか?何故罪人になったのか?ぼやけたままのその記憶の景色。当然、満足できるものではない。
だが、
「つまりは……そういうことだろ?」
自分は無関係でいたいだとか、赤の他人でいたいだとか、所詮絵空事だったと。既に関係者だったというのに、まるで道化だ。
ただ、都合いい展開に甘えていただけで、結局のところ逃れることは出来なかったという、実に厳しい現実。
知らなかった。忘れていた。それは単なる言い訳の域を超えず、罪人であるということは、鬼を殺してきたと言うのと同様に、少なからず人を殺してきたということ。
自分の罪を忘れることが、何よりも一番の罪。鬼を狩るために人を殺すなど、例え仕方なくとも許されるものではない。
「俺は……」
誰を殺したのか?どれだけ殺したのか?
忘れてしまった。忘れてしまったから、もう忘れてはいけない。これ以上、命を冒涜してはいけない。
どの命にも価値がある。重みがある。物語がある。何とも違う輝きがある。
それを狩ってまで戦場で狩人と成ると決めたのだ。なら、今、今こそこの力、使わないでいつ使うと?
「罪人だ……」
振るえ。俺が本来手にしていた力を。
思い出せ。あの感触を。
溢れさせろ。目の前に仇はいる。
「出来ることはよく分かった。要は、お前を…」
「ん?」
記憶の中で見た二刀流の自分。それを頭の中で描き、そして具現する。
「殺せるってことだ」
「ーーーっ!?」
刹那ーー
「はぁぁぁぁぁっ!!」
双刀構えた戦士は、役目を思い出し、久方ぶりに駆けた。
奴の記憶を起こさせろ。
エミシュに与えられた指令の一つにそのようなものがあった。
呪鬼に仲間意識はないと、先程彼女自身が言ったばかりだが、それとは別に主従関係というものはある。
呪鬼のなかにも階級は存在し、当然の如く上の階級の者には、下の階級の者が付き従う。
全員がそういう関係を持ってるというわけではない。だが、上の者との関係に少なからず差があることは皆が理解している。
エミシュが今回、呪鬼たちが住まう異界からこの世界にやってくるにあたり、目標である刻城 悠太の話は聞いていた。
罪を背負いし者ながら、その罪を忘れている者がいると。
要は罪人だと忘れてる奴に接触して、記憶を呼び戻せということなのだと、いちいち回りくどい言い回しをする主に、心の中で悪態をつきながらもすぐさま理解する。
そのための方法も丁寧に教えてもらった。ただ、なぜ人質なんて真似をするのに自分を送り出したのか。それについては未だに解せなかった。
だがエミシュは従順に、命令に従って動いた。
「くぅっ…!!」
その結果がこれだ。
思い出せば、それは必然としてまともに戦える器になるとは、予想出来ていた。ただ、それが予想以上であったということ。
「はぁぁぁぁぁぁっ!!」
「っく……はっ!」
今まで自分が戦う者であったことを忘れていたというのに、刻城 悠太はエミシュを上回っていた。
実際の実力で言えば、エミシュの方が上だろう。いくら悠太に才があろうと、経験値の差が明らかに物を言っている。
これは不意をつけたから。途端に開始された攻防に、気持ちのスイッチを入れ替えることができないまま受け手に回っているから。
「急に…意気がるんじゃないわよっ!!」
ここでこのまま押されてばかりなら、それこそ戦士として三流。握りなおした剣を縦横無尽に振るう。
「こん…っのぉぉぉっ!!」
その差は拮抗。だが一つと二つ。手数にはどうしても違いが生まれる。
強いて言えば、勢いの差だろうか。明らかに攻めと守り、その役は変わらずに戦闘が続く。
「くっ……!お前はぁっ……!」
エミシュは、呪鬼の階級を三つに分けるとすれば、中位階級に属する。その中位階級の中でも、十分手練れと呼べる位置にいる。
呪鬼の実力を見た目で判断するのはあまりに愚かだ。鬼の寿命はそれこそ人の数十倍になる。見た目は同じく十代の容姿だとしても、その生が積み重ねてきた時は、一回りも二回りも上である。
「ここでぇ……!」
それに近いことを悠太は感じ取っていた。文字通り経験値の差を感じ、それによって生じる戦闘力の差。
やがて拮抗は崩れるだろう。このままでは、まず間違いなくこちらが倒れる。それを分かっているからこそ、引くことをしない。
「すぐにぶっ殺す!!」
「くっ!!」
死ねるわけがない。こいつを殺す前に死ねるわけがない。
なんのための力だと言う?なにを思ってこの力を得たのか、そんな理由など記憶の欠片と成り果て既に捨ててきた。
だがどうでもいい。少なくとも、こいつら鬼を斬るために求めたのには変わりないのだから。
だったら、ここで全力を振り絞ることになにを躊躇う?なんの間違いがあると言う?いや、そんなくだらないことたちがあるわけがない。
「こっのぉぉぉぉぉぉ!!」
先のことなど知ったことではない。何よりも、この命の未来の軌跡を投げ打ってでも、こいつを斬らなければならないのだ。
「なっ!?くっ……はぁぁ!」
悠太の剣は速度を増し、月の光に反射し銀の閃と化し暗闇に踊る。
短長異なる双剣は、片や敵に斬りかかり、片や敵の斬撃を払う。攻防一体のその独特な戦闘の様式はクセこそあるものの、逆にそれは相手にも厄介であるということ。
「……いい加減にしなさい」
だが、厄介であるだけとも言える。
「ぐっ!?」
手を抜いていなかったにしろ、本気ではなかったのだろう。たった一振りで身体は仰け反り、先ほどより速く洋剣がこちらへ駆ける。
「っ……はぁぁっ!!」
強引に身体を捻り直撃を免れる。いくつか骨が折れたような音が聞こえたが、今はかすり傷で済んだだけ良しと考える。
「……残念、ね」
「なに……?」
左腕の出血に目をやり、その呟きに鬼に目をやる。
「血を喰らえ 我が剣」
そしてまた呟きが紡がれる。
「その身に流れ滴るは」
その刀身には紅。悠太の血。
「汝が欲す 聖なる美味な酒なり」
その朱は刀身に溶け吸い込まれる。そして血の如く朱く染まる剣。
「血塗られし夜に踊れ」
瞬間理解する。
「さぁ……」
本気になったのだと。
「もう、直ぐに死なせたりなんかしないから」
「…ぐっ!あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
その剣は悠太の右腕を貫く。風穴のように空洞と化し、やがて赤く染めていく。
「はぁっはぁっはぁっ……なんだ、これ……?」
だが奇妙なことが一つ。確かに剣が突き抜けた。それは疑いようのない事実。現状、傷口は血によって赤くなっている。だと言うのに、決して軽傷とは言えないほどのものなのに、一滴も血が吹き出ない。
「言ったでしょ?」
この状況に唖然とし動揺しているであろう悠太に向かって、剣尖を向けつつ口にした。
「簡単には死なせないって…ねぇっ!」
「っ!?でぁぁぁっ!!」
再び始まる剣が奏でる無機質な輪舞曲。だが、音の強さには先ほどと変わって、差が生じている。
「ほらほらっ!ほらほらほらほらぁっ!!せっかくやる気になったんだから、ちゃんと私と踊ってちょうだいよ!ねぇ!」
「ぐっ!こん……のぉっ!!」
腕の片一本を今までに経験したことがない傷を負い、その中で先ほどのように振る舞うというのは、例え熟練の戦士と言えど、容易いことではない。
ましてやこの間、いや、ほんの数時間前までただの少年だった彼にとっては、このような状況でも十分に苦痛である。腕の痛みに涙も流すことだろう。
「誰が……っ!」
それでも彼は堪える。明確な理由はあれど、そこに明確な根拠はない。言葉にするは難し。今は泣くときなどではない。
「てめぇなんかと踊るかよ!」
誰から見ても虚勢であるが、自分の信念やらそういったものがまだ確かにあるのだと、そう確認するには十分だ。
「一人寂しく、空気相手に踊ってろよババアがぁっ!!」
「……そう」
激しい語気に返すはひどく落ち着いたもの。それを受け止め、ただ理解しただけ。
もとより、彼が何を言おうとも、何をしようとも、することに変わりはない。
「だったら『より強く』、かつ『より速く』に。楽になんてさせてあげないから」
「んなもん……始めっから願い下げだってんだよ!!」
覚悟はしている。もう自分から目を逸らすなど、愚かでしかない。
再び悠太は剣を振るう。
「はぁぁぁぁぁぁっ!!」
その光景は予想出来ていたものでありながらも、実現して欲しくはないものであった。して欲しくないというよりかは、しないに越したことはない、と。
「…………悠太」
一瞬の動揺が命取りになることくらい、幼い頃から何度も言い聞かされ身に染みて覚えていた。
「あなたが勝手にムカついて、あなたが勝手に敵討ちして、あなたが勝手に報われたいだけでしょ?」
「くっ…」
そんなことはない。そう、言い切れなかった。疑ってしまった、何よりも自分を。
彼女のために力を振るうことが、格好いい自分を演出するためだけなのだと、心の何処か、そう思ってしまった。
「こんなざま……」
思わず笑ってしまう。殺しておく?よくもまあ、そんなことが言えたものだ。あまりの羞恥に顔を埋めようとも思わない。
決めたと思い込んでいた。
記憶は曖昧だが、幼い頃のことであった。
目的も理由も分からず、ただそういう使命でありそういう義務なのだと。深く考えずにただ己の力を磨いていた。
大半のここに住まう子供たちの理由は一緒で、親やそれに次ぐ身内を鬼によって失った、というもの。
それは玲にとっても例外ではなく、もっと言えば悠太にも当てはまる。
親を失い身寄りをなくした時、救いの手を差し伸べたのは、当時から仲の良い遙音の両親だった。
彼女らが小さいながらも、遙音の両親がアパートを経営していたために、それぞれ一室ずつ借りて、実質独り暮らしのようであった。
そんな二人と同様にアパート内にも自分の部屋を作ったのは、いつも三人でいようとした遥音らしい一面だと言える。大いに大家権限を振りかざしたのだった。
だから本当の意味で幼馴染み。そこらの数年間家が近いがために一緒にいたような連中とは違う。文字通り、一緒にいた時間の厚さも、それが織りなす時の密度もまるで違う。
学習能力もほとんど一緒だから、一緒の高校に行こう。なんてこじつけをつけ、三人とも星ヶ関学園に入学させたのが誰かなのかなど、わざわざ言うまでもない。
だがそんな三人にも秘密はある。正確には一人と二人の秘密、が。
言うまでもなく、人をやめたことだ。
遙音の親は知っていた。知っていた上で、自分たちを受け入れてくれたことは、簡単に決めれるものではなかっただろう。それでも、少なくとも自分たちの前では、いつも笑顔で実の子と変わらないように扱ってくれた。それが何よりもありがたかった。
だからこそ、遙音を騙しているという事実が、常に罪悪感となって纏わり付いていた。
実際子供の頃鍛錬を積んでいたわけだが、どれだけ人間の枠から外れた化け物だとしても、物心もついていない幼子。大人の罪人たちに比べ、基礎的な身体的な問題がある。そのために大した時間鍛錬していたわけではない。その分内容は濃いものではあるが。
だから遙音は、比較的独りで遊ぶことも多かった。理由を聞いてもはぐらかされるが、必ず毎日遊ぶことは出来ていたのだから、そこまでの不満はなかった。
そんな幼少期を過ごしていた頃の話だった。
それは突然やってきて、辺り一帯(自分が視認できる範囲)を謎の光が包んだ。
後にニュースでこれが、全世界で起こったことだとわかったが、その原因はまるで分からなかった。
だが、玲にとっては大きい変化が起きていた。それは玲自身ではなく、彼女を取り巻く環境が。
悠太の記憶の喪失。
彼が今まで何をして、何をやり遂げたかったのか。それら全てを忘れてしまった。
つまりそれは罪人としての自分も喪ったということ。
大人たちは放置することに決めた。それは彼を罪人として扱うのではなく、ただの人間として見るということ。
その真意は未だに分からない。だが、それを受け止めるほか、玲には出来なかった。何かをしようにもあまりにも無力。だから、言われるようにした。
「常に刻城悠太を守れるように」
それが玲に与えられた最初の任務であった。
「こんな…ところで…」
何度も呟いて、この身に改めて刻み込む。自分の役目はなんだ?任務はなんだ?使命はなんだ?……守りたいのは誰だ?
「……このまま退場じゃ、あまりにもカッコ悪いわね……」
自分を嘲笑うように、そして再び刀を握り、敵と彼がいる場所へと駆けた。
重い。
身体が、だんだんと重くなっていく。
重量だとか重力だとかそういう話ではない。どちらかというと疲労感だろうか。
身体に力が入らない。思うように動かない。
反撃することなど既に出来ず、ただ一撃一撃を凌ぐのに精一杯だ。しかもそれも、次第に不十分になっていく。自分の身体に傷が入るのも増えてきた。
「くっ、そ……なんなんだってんだよ……!」
悪態をついたところで仕方ないが、自分の身に起きている現象に苛立ちを隠せない。
「そろそろ限界みたいね……ふんっ!」
「がっ!!?」
剣戟の間に放たれた蹴りで回避する間もなく吹き飛ばされる。
「……罪人の力の源ってね?同じなのよ」
「……はっ?」
突如、そんなことを言う。
「私たちと一緒ってこと」
「なに、を……言って……」
なんとなく、なにを言おうとしているかは分かる。けど、分かりたくはない。
「罪人もね、人の魂が必要なのよ」
「……!?」
なんだそれは?なにを言っているこいつは?
「人の魂を燃料にして鬼を狩る力を手にする……矛盾もいいところよね!人を救うために定期的に人殺しになれって言うんだもの!きっと今あなたが感じる虚脱感もそれが原因。今まで忘れてたんだから、魂採集なんてしてるはずないわよね〜。だから魂が枯渇して身体が欲してる。枯渇してるから身体も蝕まれる」
「……なんだよ、それ」
本当に。言ってる意味がわからない。というより、分かりたくもない。
仮にそうだとしたら?……俺はしていたというのか?人殺しを。
「ここでやられたくないって言うならね?ちょうどそこにイイ燃料があるじゃない?」
「な……」
エミシュが指差したのは、他ならぬ俺が守りたいと強く想った俺の宝。
失ってはいけない、失いたくない。そのために俺は力を欲したんだ。
なのに、なのにこいつは……。
「その子…殺しちゃえば?」
「……なんて言いやがった?」
「聞こえなかった?その子を殺せばいい、って言ったの」
あぁ、聞き間違えなんかじゃない。こいつは今まさに、馬鹿げたことを口にした。俺の宝を壊せとほざきやがった。
「っざ…けるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
思わず声を荒らげる。
「俺に遙音を殺せって!?ふざけんなっ!!思いっきり矛盾だろうが!!」
俺は遙音を守るために来た。力を得た。鬼を倒そうとした。だってのに……、
「そんなことしてお前を殺せたからって、なんの意味もねぇんだよ!!誰も得しねぇだろ!!」
「そうかしら?少なくとも、あなたは生き残るかもしれないわよ?生かすつもりもないけれど」
「……お前には分からねぇだろうよ」
俺がどれだけあいつに救われてきたか。俺がどれだけあいつに笑わされてきたか。俺がどれだけあいつに励まされてきたか。
「……俺にとってどれだけあいつが大切か。あんたに分かるわけねぇよなぁ!鬼がぁぁっ!!」
剣戟が鳴らす金属音に、ただ自分のことを忘れようとする。収まらない動揺を振り払おうとするかのように。
「けど、あなたにそこまで自由に選択できるわけでもないのよ?あくまで、私が生き長らえさせてるだけなんだから」
確かにそのようなことを言っていた。
「今は死へと針を進める時計を、一時的に止めているだけ。つまり、いつだって進ませられるのよ?その子。死は確定事項だし」
素直に全てを信じるわけにもいかないが、おそらくそうだろう。あの負傷で未だに命尽きていないというのも、不謹慎だがありえないだろう。
「だから結果は同じよ?過程が違うだけで。私が殺すか、あなたが殺すか。二つに一つよ」
「だからって……素直にはいって言えるかよ!」
分かってても分かりたくはない。
別に他人の死をどうこう思ったりしない。けど、こいつに関してはそんな簡単に割り切ったり出来ない。こいつだけは失ってたまるか。失って……
「……失ってたまるかってんだよ!!」
「……そう」
瞬間手から弾ける双刀。
「じゃあ、死になさい」
「っ!!」
首元に向かって放たれた一閃。だが、それは届かない。
「……あなた、何回それやるつもり?いい加減しつこいんだけど?」
「しつこくて、結構よ……」
その剣を防いだのは、刀を持った玲。
「カッコつけでなにが悪いのよ……」
玲は呟きながら、エミシュに殺気込めた視線を放つ。
「自分のためでも、遙音のためでも……どちらにしても!」
その顔は振り切ったような顔で、覚悟した顔だ。
「あなたを殺す理由として充分なのよっ!」
「だからぁ……!」
それに応えるように、エミシュも剣に力を込める。
「身の丈に合わない無茶なこと言うなって言ってるのよっ!」
金属音と共に弾ける鮮烈な一閃。そこに生じる火花。
なんとなく感じとった。玲は本当に殺す気なんだって。
今の俺たちはこいつを倒せない。そんなこと重々承知で、見方によっては愚かだろう。
もちろん今更、投げ出すことなんていう選択肢は存在せず、それは玲も同じということ。
「悠太!早く逃げて!」
「はっ!?」
なのにこいつはそんなこと吐かす。
「そんなこと出来るわけないだろ!?」
「…勘違いしないで!」
「っ!?」
俺の否定を即座に遮る。
「あなたの目的はなに!?遙音を助けることでしょ!?履き違えないで!」
「だからってお前を置いていけって言うのか!?ふざけんな!お前こそ履き違えてんじゃねぇ!」
第一、もう遅い。致命傷なのはとっくに分かってる。おそらくあいつの言ってることは事実で、せめてもの救いなんて敵討ちぐらいしか思い浮かばない。
つまりお前は、せめて最後は2人一緒に、なんてドラマチックな演出を期待しているわけだ。
「…なんだその勝手な言い草は。ここは私に任せて先に行けってか?なにヒーローぶってんだよ全然カッコよくねぇんだよ馬鹿が!!そんな展開誰が望んでるって言うんだ堂々と死亡フラグ建ててんじゃねぇよ!!」
「じゃあどうするの!?2人がかりでだって倒せない、もちろん私だって時間稼ぎなんて美化し過ぎたものだって分かってる!」
「なんでお前犠牲に時間稼ぎなんてすることになってんだ!勝手に話進めんな無視すんな真っ先に自分捨てようとするな!!」
立ち上がり再び双刀を手にし鬼に斬りかかる。2人がかりでだって倒せない、それを痛感する。
「他に方法がないもの仕方ないでしょ!じゃあこいつの言う通りあなた遙音を殺すって言うの!」
「なんでその答えに行き着いてんだ!思いっきり矛盾だって言ってるだろ!!」
「だからここは私に任せろって言ってるの!えぇカッコつけよ!最後くらいカッコつけさせなさいよ!」
「なに縁起でもないこと言ってやがる!」
勘違いするなって言ってるだろう。
「遙音を救えた代償にお前を失うなんて結果はなぁ!俺にとってなんの価値もないんだよ!!勝手に天秤で測ってんじゃねぇぞ!お前と遙音じゃ傾かねぇんだよ!」
「……そう」
「玲……っぐ!?」
一瞬笑みを浮かべたかのように見えたその顔は、次には俺を蹴飛ばした。
「がっ…玲…お前……」
「それだけ聞けて良かった」
剣戟を演出しながら、そう呟く。
おい、こっちを見ろよ。そんな余裕ないの分かってるけど、だったらそんなことするなよ。
「……もういいかしら?」
「ごめんなさいね。変な茶番に付き合わせて」
「なんか私を殺すとか言ってたけど、本気?」
「さぁ?どうでしょうね」
「……勝てるとでも思ってるの?」
「それもさぁ?けど、相打ちくらい出来るかもね」
「……勝手にしなさい、っ!!」
「はぁぁぁぁっ!!」
「くっそ……なに死に急いでやがる……!」
蹴られた腹を抑え悪態を吐きながら、立ち上がる。
「……待って」
「!?…遙音」
立ち上がる俺の手を掴んだのは、隣で横たわる遙音。
「お願いが……あるの……」
それは絞り出している声。真剣な眼差しに捉えられ俺はただ、その続きを促すことしか出来ない。
「あたしを……殺して……」
「……は?」
「……は?」
何を言ってるんだ、彼はそんな顔をしている。
「話は聞こえてたよ……」
玲も否定しなかったってことは、そういうことで。
「あたしを殺せば、あの呪鬼を倒せるんでしょ……?だったら……」
「おい待てよ」
「だったらあたしを殺して、あいつを倒してよ…」
「待てって」
「あたしは別に……」
「待てって言ってんだろ!!」
言葉を遮って悠太が叫ぶ。
「なにを言ってんだ馬鹿言ってるなよ…。そんなこと…そんなこと…」
「……死んじゃうんでしょ?」
その言葉に大きく目を見開いて、目を逸らすように俯く。
「だったら、あたし、あなたの力になりたい」
「……なんで」
何を思ってるのか。きっと優しい悠太のことだから、いろいろなことが中で渦巻いてるのだろう。
「なんでお前まで、もう諦めて決めつけてんだよ!それ以上ないって急かすんじゃねぇよ!」
「だってもう…間に合わなくなる」
今しかない。彼女があたしを留めている間に。
「だからって、だからってそんなこと……」
「……死なないで」
その言葉に悠太の動きは止まる。
「お願いだから、死なないで…?」
「遙音……」
「もう助からないあたしのために、その命を投げ打つことしないで。……そんなのあたし、嬉しくない」
「けどっ……っ!?」
抱き抱えられている分無くなった距離は、彼の口を塞ぐには十分で、あたしは彼の唇を奪った。
「……好きだよ?」
「…え?」
場違いなこと、突然のことに悠太は、あまりにも抜けた声を漏らす。
「悠太のこと……好きだよ」
こんなシチュエーション、思い描いた展開とはかけ離れていて、けどもう次は無いと思ったから。
こんなことを考えている時点で、不謹慎というか間違ってるんだろうけど。
玲が真剣に戦ってるのに。けど許して。今しかないから。
声も出なくなっていく。いろいろ伝えたいことがあるのに、言葉が出ない。
「…………俺さ、出会えて良かったよ」
……やっとわかってくれた?
「お前や玲や……他にもたくさん。どれもお前たちのおかげで知り合えた」
悠太…自分からは関わろうとしないから。
「けど、今のところ2人だけだ。俺が知り合った中で、命捨ててでも失いたくないって思ったのは」
………。
「だから正直嫌だ。俺の日常は、お前たちがくだらないことで盛り上がって、些細なことで笑い合って、特に面白くない日々を幸せだって思える日常だ」
そんなこと思ってたんだ…。
「けど、俺は無力だから。出来ることなんて限られてるから……だから、決めたよ」
右手に握った剣が小刻みに震えている。
悠太の声もだんだんと掠れていく。
「……お前を殺して、俺たちは生きる」
ふと悠太の顔を見ると、塞いでいたものが決壊したみたいで涙溢れている。
「お前が望んでくれるから、俺たちは……戦うよ」
……うん。
「ごめ、んな……」
謝らないでよ…。悠太が悪いんじゃないんだから……。
「お前のこと守ってやれなかった…失ってたまるかって、口だけだった」
でも、嬉しかった。
「この先、どうやって生きていけばいいかわからないけど……頑張るよ、俺」
うん。ちゃんとした食事にしてよ?自分でも作れるようにならないと。あと人付き合いもね。
「……だから、ゆっくり休んでくれ」
うん、ちょっと疲れたかなぁ……。
悠太が刀を振り上げる。
「……俺、お前のこと好きだよ」
……それは友情か愛情か。どっちかはわからないけど、
「……あたしも、好きだったよ」
ありがとう。大好き。
「……っ!?」
「これは……」
途端に膨れ上がる魔力。この場に突如として現れた、巨大な存在感。
「……殺してやりたい」
その正体は、少しずつ近づいてくる。
「何よりも、無力で愚かで情けないこの俺を」
嫌でも身体中に走る威圧感は、2人の動きを止めた。
「……だからって、全部俺が悪いって割り切れるほど、俺は人間出来てねぇよ」
動悸が早くなる。冷や汗が止まらない。寒気が襲う。
「八つ当たりだって思いたかったら、それでいい。ただ、身をもって味わっておけ」
……こいつは一体なんなんだ、と。なぜそこまで変わるのか、と。
「俺がお前に、罪を教えてやる」
刻城悠太は、静かに怒りに満ちていた。
ーーー思い出して
ふと、そんな声が聞こえた。
なんの前触れもなく、誰かの声が聞こえた。
聞き覚えのない、まるで心当たりがない、少女のような声。少女なのか?耳から伝わってくる情報はひどく曖昧で、はっきりしない。
ーーー忘れないで
いったい何を?
返ってこない一方通行な声に、疑問を覚えたって仕方ないようだ。
ただ、とても、心に響いた。
「くっ…つ…ぐっ…!!」
「………」
なぜだろう?
殺してやりたくて仕方ないって、そう思っているのにひどく落ち着いてる。
力がみなぎるなんて、大変ありきたりな表現であるが、それ以上の表現が見つからない。
魂を力にするという魔呪、燃料が人の魂と言うのなら、それはきっと精神的・心理的に影響があるんだろう。
「…なによ、急に……!」
「……そうだな」
焦りが見られるその顔に改めて冷静になる。相手が落ち着いて対処してきたら、こちらの分が悪い。
「……はぁっ!!」
双刀を同時に振るい後方へと飛ばす。
「……我が疾走に障害はなく」
言葉が紡がれる。
聞き覚えのない、見覚えのない、けど確かに自分のものだと確信しかない。
「故に誰も、妨げることはできず」
その詠唱がなにを齎すか、知りはしないが理解できる。不思議なことに、親しみめいた感覚が湧き上がった。
「ーーー逃れられなくとも彼は駆ける!!」
そして瞬間、瞬間が永遠になった。
「…なっ!?」
この身が走り出したその瞬間に、鬼との距離は零となり、そのまま唖然とする鬼に刃を突き刺した。
「…Good By , And Have A Nice Dream」
終わらせる。痛ぶる趣味はないから、すぐに片付けてやる。
「はぁぁぁぁあっ!!」
そして、斬り捨てた。
叫喚し鬼は光となり消えた。
「…はぁ…はぁ…っ……終わった」
終わりを得た代償はあまりにも大きかった。
「……悠太」
遙音の亡骸の側に項垂れる悠太に玲は声をかける。
「本当に……罪人になっちまった」
ポツリ、そう呟いた。
「選べなかった…選べるほど、強くなかった……」
「………」
悠太の眼から雫が落ちる。剣を振るっていた時よりも、大きく、多く、落ちる。
「………戦う」
だがその眼は悲哀で満ちてはいなかった。確かにその先を見据えていた。
「報われなくていい、救われなくていい。ずっと償い続ける……あまりにも犯した罪は大きいから」
「……うん」
「そのために生きる。それが俺に出来る唯一の贖罪だ」
生きねばならない。大事な人を殺してまで生きる道を選んだのだから。
「……けど」
でも、高校二年になったばかりの所詮子供。あまりにも今日という日は、彼にとって強烈過ぎた。
「今、は……泣いても…いい、よな……?」
「…うん」
そんな悠太を優しく玲は抱きしめた。
「……夜の桜って、こんなに綺麗なんだな」
月明かりに照らされた桜の下、少年の声が響いた。
第壱話
夜桜の下、彼は失いそして得た。
Fin
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