カズ
いつからだろう。特に霊感があるわけでもないが、カズは度々襲われる金縛りに悩まされていた。ホラーやオカルトといった類は嫌いではない。しかし、自分が遭遇するとなると話は別だ。これほど恐怖を感じる瞬間はない。眠るという日常のなかで突然やってくる非日常的な恐怖。
「キーン」
来た―
部屋中が異様な空気に包まれる。
体が動かない。
顔の周りをパタパタと何かが飛んでいる。
目が開かない。
どこからか視線を感じる。
誰かに見られているのか。
体の周りを誰かが歩いているような、軽い振動を感じる。
頬に生暖かい吐息がかかる。
誰だ。
やめろ!
声が出ない。
「キーン」
不快な音が耳をつんざく。
何者かが両腕を押さえつける。
やめろ!
恐怖が増大する。
首に冷たい手がかかる。
「うぉーっ!」
自分でも信じられないような大声を発し、「それ」から解放された。
激しく打つ心臓。
両腕に残っている感覚。
背中に悪寒が走る。
無意識に携帯の時間を見た。
午前二時十四分。
いつもの時間だ。
部屋の灯りをつけて冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。カラカラに乾いた喉に一気に流し込む。気持ちを落ち着かせるために、好きなロックバンドのCDを聴きながら煙草に火をつける。
そして、そのまま朝をむかえた。
眠い。
あれから一睡もしていない。
いつものようにシャワーを浴び、簡単な朝食をすませた。
このところ、いつも同じ時間に金縛りに襲われる。
あれはやはり夢なのだろうか。
もし、夢じゃないとすれば…
わけのわからない出来事をいろいろ考えてみても仕方がない。
もう仕事に行く時間だ。
また今日も、代り映えのしない一日が始まる。
カズは九州の田舎の、とある出版社に勤めている。出版社といっても発行しているのは地味なローカル誌で、地元企業の広告を掲載して得られるスポンサー料が頼りの、小さな会社だ。
高校を卒業して、実家とは隣街のこの会社に就職した。
あれからもう十五年になるが、別に望んでこの会社を選んだわけではなかった。
高校時代はロックバンドをやっていた。楽器店が主催するイベントやライブハウスにも何度も出演し、地元ではそこそこ名前も知られていた。最初はコピーバンドだったが、徐々にオリジナル曲も増えていった。このままプロになってメジャーデビューするのを信じて疑わなかった。
こんなはずじゃなかった。
しかし、これが現実だ。
プロを目指して音楽をやっているヤツなんていくらでもいるし、夢をかなえてメジャーデビューするバンドなんてほんの一握りだ。
毎日同じバスに乗り、同じ時間にタイムカードを押す。そして毎日同じように伝票を数え、時代遅れの古いパソコンと向き合う。
「俺はここで何をしているんだろう」
カズは機械のように同じ作業を繰り返し、時間だけが意味もなく流れているような、そんな毎日に嫌気がさしていた。