ベース
結局あれから眠れなかったこともあり、雨の中、カズは午前中のうちに自宅へ戻ってきた。
昨夜村上とさんざん飲んだおかげで、もう昼過ぎだというのにまだ頭が痛い。
調子にのって飲みすぎたようだ。
楽しい酒は二日酔いしないと聞いたことがあるが、それは嘘だ。
カズは少し後悔した。
カズの部屋は、三十過ぎの独身男にしては物は少なく、わりと片付いている方だ。
二階建ての建物自体は多少古くはなってきているが、一人で住むには十分な広さの2Kで、部屋にはテレビ、パソコン、オーディオ機器が几帳面にレイアウトされ、大きな本棚とCDラックが整然と並んでいる。
好きなCDジャケットは壁にディスプレイされていて、ちょっとお洒落なCDショップのようだ。カズのお気に入りのコーナーでもある。
就職したころは実家から電車で一時間近くかけて通勤していたが、残業や飲み会で帰りが遅くなることも多くなり、十年ほど前にこのアパートを借りて住んでいる。
会社の仲間との付き合いが増え、地元の友達とはもう何年も会っていない。それどころかほとんど連絡先さえ知らない。
それこそ村上の結婚式で数年ぶりに顔を会わせた程度だ。
一緒にバンドをやっていた連中は、今頃何をしているのだろう―
カズが音楽に興味を持ったのは、中学の音楽の授業で、数回クラシックギターを習ったのがきっかけだ。
それで貯金をはたいて安いギターを買い、その魅力にどんどんのめり込んでいった。毎日練習し、ギターを手にしない日はなかったほどだ。
初めて自分のギターを手にしたときの興奮は、今でもはっきりと覚えている。
そして高校に入り、村上と出逢った。
同じように音楽に興味を持っていた村上とバンドを組むのは自然な流れだった。
バンドのメンバーの構成上、ベースを任されることになったのだが、かえって音楽に対する幅が広がり、どちらかといえば地味に思われるベースの奥の深さに、カズはしだいにはまっていった。
カズは部屋の隅に立てかけてあるベースに目をやった。高校時代に使っていたものだ。
久しぶりに弾いてみるか。
カズはベースを手に取った。
わずかにかぶった埃を丁寧に拭き取り、チューニングを合わせる。弦は少し錆びているが、大丈夫だろう。
アンプに繋いでみる。
高校時代に演っていた曲をゆっくり弾いてみた。心地よい重低音が、自分だけの空間に響く。
久しぶりに押さえる弦に、左手の指先が少し痛い。
そういえば、この曲は一度だけ美和がスタジオに遊びに来たときに弾いた曲だ。そして美和が無理やり歌わせろと言って、男みたいな低い声で、ノリノリで歌っていたのを思い出した。
「懐かしいな」
思わずそうつぶやいた。
トン―
足音のようなかすかな振動とともに、背後に人の気配を感じた。
はっとして振り返る。
誰もいない。
気のせいか―
向き直って続きを弾く。
「上手いやん」
美和の声が聞こえた気がした。
思わず手を止め、息をひそめる。
静まり返った部屋を、アンプのノイズと雨音だけが包んでいた。




