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【ストーカー編】援助交際

 ここ一週間、飴玉ンを見ていない。

痴漢騒ぎがあった日から忽然と姿を消したのだ。飴玉ンが来てからというもの、俺に晴れの日が訪れる事は無く、雨ならまだしも嵐の日が続いていた。だからこの一週間、嵐の後の静けさを心から噛み締め、そしてもう二度と嵐が来ないことを神に祈っていた。だが俺はすっかり忘れていた、とうの昔に神(髪)から見放されていた事を。



 平和ってええなぁ。

最近は心からそう思う、少し前まで当り前過ぎて、ニュースで流れる悲惨な事件もどこかここではなく、テレビの奥にあるここそっくりの別世界で起こっているかの様に感じてしまっていたからだ。そんな俺に刺激を与え、幸せを実感させてくれたのは飴玉ンだった。それは間違い無い。飴玉ンのおかげでこれから幸せに生きていけそうだ。

気が緩んだ俺は警戒するのも忘れ、嵐が過ぎ去った後にできた虹に見とれてしまっていた。嵐は俺を見つけ再び戻ってきてしまったのかもしれない。

また見たいって思うんじゃなかった。感謝するなんてもってのほかだ。

少し前に飴玉ンはぬるま湯に浸かっていた俺の浴槽に飛び込んできたのだ。

「なんしに来たん?」

と俺が聞いたら

「お主に刺激をと思っての」

飴玉ンは顔が無いにもかかわらず嫌味な笑みを浮かべながら言った、俺の予想はいつの間にか確信に変わっていて、はずではなく完全に笑っているのだ。飴玉に顔が見える、間違いない。そしてその表情は『俺の嫌いなものランキング』を野口健張りの不屈の精神で頂上を目指し登ってきている。そのうち一位になる日が来るかもしれない。と考えながら今俺は飴玉ンの言葉をスルーしている。

狭い浴槽なので足は伸ばしきれず体操座りがかっている。まあ俺の収入ではこんなもんだ。

「格好つけおって何がこんなもんじゃ、三十八年ローンのくせに」

「なにをぉ! もう後三十年じゃってあれ、さっき俺喋ってねえのになんで分かった…ていうかアンタ何しとん?」

浴槽の中の飴玉ンは何故か全身で泡を狼煙の様に吹いていた。

「横を見るのじゃ、そうすれば分かるわ」

右側はすぐ壁なので左側を見てみると、そこにはいつの間に置いたのか分からない箱が置いてあった。

「んん、なんこれ?」

手に取り見てみると、その箱には『固形入浴剤パプ』とでかでか書いてある。

「で、これがどしたん?」

首を傾げていた俺に呆れながら、飴玉ンは言った。

「相変わらず鈍いのう、ワシは飴をやめて、固形入浴剤になったんじゃよ」

「ああ、それで泡ふきょんか、すげえな」

普通はもっと驚く所なのだろうが、彼に関して有り得ない事は無いとまで思っていた俺には想定内の出来事だった。気に止めず、さらに箱を見る。

効能は身体の痙攣促進。

さっきから足が痺れてきたから丁度ええか…ってあれ促進?普通抑制とか書いとんじゃね。

身体から神経が抜かれたのではと錯覚してしまう程、段々自分の身体が痺れ動かなくなっていく。

これ最悪、早く出んと。

脳が指令を出しても体が反応しない、ついに完全に固まった身体は浴槽の中に沈み始めた。

「どうじゃ、ワシは刺激的じゃろ」

「ふざけンバァ、ガバガァゴボゴブゥ」

このままじゃ死ぬ。

口の中に流れ込んでくる水。

不鮮明になってなっていく景色。

鮮明に聞こえる飴玉、いや泡玉ンの笑い声

薄れていく意識。

死ぬのか? 俺。

いやまだ死ねない。死んでたまるか!


「ブバァフゥワァアアー」


俺の思いは金縛りの様な固形入浴剤の呪縛をといた。

危うく泡玉ンに殺されるとこじゃった。

「俺を殺す気か!」

返事はなく俺の声だけがむなしく響く。

「おい、泡ばっか吹かずになんか言えや!」

「あれ? 夢か」


 飛び起きた俺は『身体の痙攣抑制』と書いてある箱を見て気付いた。気付くと右手はガッツポーズを決めている。浴槽にはパプが己の存在を誇示すべくまだ水中で泡狼煙をあげていた。

飴玉ンとチュッパマンなんてやっていたら不幸になる。死ななくてもそのうち捕まる。

俺にはただの夢とは思えなかった。


「あなた、またお風呂で寝てたのね、そのうち死ぬわよ!!」


ふいに奥のキッチンから妻の千恵子の怒声が飛んできた。千恵子が怒ると俺や泡玉、いや飴玉ンなんてめじゃない、現代版般若だ。だが、それだけ怒るって事は反面、それだけ俺を愛してくれていた訳で、そう思うと悪いことをしてしまった気がする。


「すまない」


珍しく真面目に言うと千恵子は、


「謝るならもっと気を付けなさいよね! あなたが死んだら家のローンが払えないじゃないの」


と再び怒声が返って来た。なるほど俺ではなくお金か。気落ちした分、体重も多めに落ちてくれたらいいと前向きに考えながら風呂から出た。



 まだ昼間だ。しかも今日は日曜日。

普段の俺ならする事も無くテレビを見ながら家でゴロゴロしている時間なのだが今日は違った。

朝から話題のケリーズブートキャンプに入隊して汗をかき、その後風呂に入ったのだ。

なぜブートキャンプを始めたかというと、もともとお腹を気にしていたのもあるが一番は娘の美華に好かれるためだ。

なにしろ年頃の娘は難しく、扱いずらい事この上ない。

昔はパパのお嫁さんになるとか言っていたのに、今では無視されてしまう始末。

それは叱るべきか、叱らぬべきか、親の威厳を取るべきか、それとも娘の機嫌を取るべきか。日本の父親が必ずと言っていいほどの選択を迫られ、どちらにしても辛く厳しい道を歩む時が来る。そして言うまでも無く俺が選んだのは後者で、ケリーズブートキャンプに入隊するのも娘の印象を少しでも良くしようと言う微笑ましい思いからだった。





 思わぬ人から電話が掛かってきたのは、家族三人揃って昼飯を食べている時だった。


(ギリギリでい〜つも生きていたいから〜ア〜ア〜♪ ここを〜今飛〜び出っし〜て〜行こ〜うぜぇ〜♪)


突然カツーンのリアルフェイスと言う曲が俺の携帯電話から流れ、千恵子と美華はレモンを食べた様な顔をしている。

ちなみにこの曲を着信音にしたのは美華が好きな曲だからと言うのは言うまでも無い。

今日の酢豚、そんなに酸っぺえんかな?

不思議に思いながら自分の携帯電話を見ると、画面には知らない番号が表示されていた。かまわず電話に出ると、電話からは若い女の声が聞こえてきた。


「私の事分かるー?」

「いや、分からんけど、誰?」


でも、何故か聞き覚えのある声だ。若い女で知り合いなんていないはずなのに。


「ひっどーい、もう私の事忘れたの、超最悪なんですけどー」


超?ギャルか、そういえば最近ギャルに会った気が‥‥‥‥あっ。


「その声はもしかして遥?」


思わず呼び捨てになってしまう。


「当たりー、でもなんで私の名前知ってるの?」


しまった、チュッパマンとして一方的に助けただけじゃけんな、でも飴玉から聞いたとは言えんしな。ん?ちょっと待てよ。


「そっちこそなんで俺の電話番号知っとん?」

「ヒ・ミ・ツ、それよりこれから会わない」


胸騒ぎがする。


「それよりじゃねえって、早く教えてや」

「しょうがないなー、じゃあ会って話そ」


俺の半分も生きてない奴に振り回されてどうする、年頃の娘に苦労するのは美華だけで充分。大人をなめるな!


「いや、今話せ!!」

「怖いー、でもいいのー正体ばらしちゃうよ」


‥‥‥‥完全ばれてる。


「わ、分かった。会おう」

「じゃあ○○駅で待ってるから、今すぐ来てね♪」

「今すぐって無茶」

「バラすよ♪」

「う、嘘嘘」

「じゃあ待ってるねー‥‥プーー、プーー」


飴玉ンといい遥といい俺って脅され過ぎ?というかあいつは馴れ馴れし過ぎだろ。

電話を切るとそこで初めて嫌悪感丸出しの視線に晒されていたと気が付いた。前にもこんな経験あった様な気が。

デジャブ?


「お父さん!さっきの電話誰から? 若い女の人みたいだけど」

「あなた、これから出かけるのね? その女の人と」


一難去ってまた一難だ。


「いや、違うんだ」

「「何が?」」


二人の般若が確かに目の前にいた。

そうだ!これも全て飴玉ンのせいだ、本当にアイツが来てからろくな事が無い。

「お父さん、やましい事は何一つしてねえけんな」

とだけ言い残し、俺は家から逃げるようにではなく逃げた。

どうやら俺は最も辛く厳しい道を歩む事になってしまった。


「ギリギリでい〜つも生きていたいから〜ア〜ア〜♪ ここを〜今飛〜び出っし〜て〜行こ〜うぜぇ〜♪」





 この坂を上ると駅に着く。

駅に近づいて行くと、駅前は人でごった返していた。俺は車を運転しながら制服を着た若い女を探し始めた。

だが中々見つからない。

駅前の客待ちタクシーの列に紛れ車を停めた、がまだ遥は見つかっていなかった。仕方なく携帯電話の着信履歴から遥の番号を探すが、これまた手間取っていた。間違えて電話帳やリダイヤルが出てきてしまうのはもっぱら、受信専用だからできなくて当然と言えば言い訳になるか。そしてやっと見つけたと思ったら、その時はもうかける必要がなくなっていた。


「遅いー、もうどんだけー、待たされる身になれって感じ」


相変わらず失礼な声を聞いた俺はガッカリして携帯電話を閉じた。


「何その顔ー、もっと嬉しそうな顔してよー」


顔を上げた俺の目の前には清楚がピッタリ似合う可愛らしい美少女が立っていた。


なんで?


俺の記憶が正しければ茶髪のショートで厚化粧をした馬鹿っぽいギャルだったはず。

だが、ここにいるのは胸の辺りまである黒のストレートヘアでフリフリのワンピースを着ている。遥のイメージとは似ても似つかない。一緒なのは声だけ。

これではいくら探しても見つからないはずだ。


「今日は前と全然格好が違うんじゃな」


急速に胸の鼓動が早くなり、彼女への負の感情など途端に消え去っていく。


「うわっ!ひょっとしてオジサン制服フェチ? でも残念でしたー。今日は学校休みだから私服です」

「ち、違うわ、大人をからかうんじゃない」

そこには娘ぐらいの年の子にときめいている俺がいた。

「照れてるー、やだーキモかわいい」

「そんなことよりはよう教えてくれ」

「何ー?」

「忘れたん、なんで俺の正体知っとんか?」

「っていうかオジサン、いつまで立ち話させるつもり?マジあり得ないんだけど」


………


少しでもときめいた自分が虚しくなってきた。





《喫茶店にて》

 「センス古っ! 今時喫茶店」

「じゃあ喰うな」

「あれっ、オジサン怒ってる?」

「うっさい、もうええじゃろ早く教えてくれ」

「ごめんねー私、お腹が減ってると何も出来なくなっちゃうの♪」


子猫のように甘えた声でそう言うと遥はスパゲッティーを頬張っていく。俺は電話越しの時と違いその姿を苛立つでもなく見入っていた。


「あに、見へんのよ!」


性格以外は完璧じゃなー。


「あ、いや前見た時と変わりすぎってぐれえ違うなと思って」

「ああ、あれは遊び衣装みたいな感じだから」

「衣装というより変装って言ったほうが合っとるけどな」

「そうねー、だって学校にばれちゃまずいからね、だからこの前着てた制服も違う学校のだし」

「ホンマにそりゃあすげえ、あ、そういやこの前一緒におった子、今日は一緒じゃねんじゃ」

「香夏子? 最近見ないから知らなーい」


香夏子の話題になるとあまり関心がないのか、はしゃいでいた高い声が急に下がり地声に変わった、俺としてはギャル(十代の女子)独特のテンションとかノリに戸惑っていたのでちょうど良かった。


「知らんってそれは薄情過ぎじゃろ」

「でもあの子とは学校も違うしー、ただ毎朝同じ電車に乗ってるから、電車の中で話すぐらいでそこまで仲良くないし」

「えっ? でも二人で仲良く痴漢騒ぎ起こしとったが」

「それ、言いだしっぺは香夏子よ、暇潰しになるし、お金も貰えるからって。もちろんもうやってないけど」

「ふーん、香夏子って子とは痴漢騒ぎ以来もう電車で一緒になってねん?」

「そうねーってオジサン聞きすぎ、キモイッ特に頭!」

「うっさい黙れ」


気が気でない俺は頭を触ると汗で濡れて髪が頭皮に張り付いていた。

ヤバイ、これじゃあハゲが目立っとるわ。


「クーラーきいてるのになんでそんなに汗かく訳ーうけるんですけど」


無残な俺を見て遥はケタケタ笑っている。そういう遥も、口の周りがケチャップまみれで口紅失敗した時の様になっていた。


「黙れ、オバQ」

「何それ? 訳分かんない、私とのデートでそんなにも緊張してるんだ♪」


俺の精一杯の反撃を世代の壁に隠れて防ぎそこからさらなる攻撃を繰り出してくる。


「ななあ、デ、デート!? 馬鹿な事」


俺は湧き上がってくる奇妙な感情を抑えようとコーヒーの一気飲みを始めた。


「そうじゃ、デートというより援助交際じゃからの」

「!!!?」


いきなり遥とは違う渋い声がどこからか聞こえ、そのせいでさっきとは別の奇妙な感情が途切れる事無く湧き上がってくる。そしてついには行き場を失った感情は暴発し、それに伴い俺の口内も同じく暴発してしまった(むせた)。


「グオッ!」


とっさにコーヒーカップを傾けるのを止め、口を閉じてとりあえず、コーヒーの逆流を食い止めたが、暴発はまだ続いている。

腹の底からさらに湧き上げてくる勢いは、弱まるどころか次第に強まっていき口門に次々と襲い掛かる。


「ガオッ! ゴボゴッ!! ギョグゴ!!」


必死で耐えている堅い口も決壊寸前だ。

もう無理だ!


「ブバァーーーー!!!」


ついにこじ開けられてしまった。抑えきれず、口にたっぷり含んでいたコーヒーは暴発の勢いそのまま遥めがけて発射した。遥はコーヒーのシャワーを浴び、白の無地だったワンピースが茶色い斑点模様になってしまった。


「キャーーー、何よ、もう最悪ー!」

「ホンマにごめん」

「ごめんで済むなら警察はいらぬわ」


またもや渋い声。俺は声の主を探し、頭が観覧車の様に回っていた。


「あっ、飴玉ン、なんでそんなとこにおるんな!」


やっと渋い声の主を見つけた。


「そりゃあこの手さげかばんがワシの家みたいなものじゃからの」

「違うでしょ私の、それに手さげ鞄じゃなくてハンドバック」

「細かいのーいいではないか、横文字は好かぬのじゃ」

「ダーーメ」

「ちぇ」


遥と飴玉ンは恋人同士の様に親しげだ。

いつのまに、ってええんか正体ばれとるが。なんか無性に腹立ってきた。


「エロジジイが」

「なんじゃとーー」

「オジサン、人の悪口言う前に私の服なんとかしてよー。体中ベタベター超最悪ー、あっ!ちょうどいいところにホテルがあるじゃない。お風呂と着替え、あそこでするわ。もちろんオジサンの奢りね。ついでにさっき食べたナポリタンも」


遥はすぐに喫茶店を出て目の前に見えている『ホテル・オアシス』に向かっていった。


「!? あれってラブホテルじゃろ」

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