【痴漢編】警官vs変態
俺は宏と女子高生二人組には気付かれない様、十メートルほど後ろから尾行していた。
てっきり駅構内にある交番に向かっているのかと思ったが、どうやら違うらしい、改札口を出てすぐ右側にあるトイレの前で何やら話している。
ここでは全く聞き取れない、だが不用意に近付く訳にもいかない。俺は少し離れた柱の影から見ているしかできないでいた。
「お主あの痴漢と知り合いのようじゃの」
「まあ、俺の上司じゃけんな」
「ほう、親子程も年が離れておるのにか」
「ほっとけ、それよりか、今でも宏が痴漢したなんか信じれんわ。アイツはエリートじゃし、顔ええけん会社でも女子社員にモテとるはずじゃけど」
「ロリコンなのじゃ」
「そうか? でもたしか受付の鈴木さんと付き合っとるって聞いたで」
「じゃあ、鬼畜なのじゃ」
「鬼畜? アイツ上司なのに腰ひきくてから、ええ奴で」
「えらいかばうのう、でも男は人に言えない裏の顔を持っておるものじゃ、お主だってそうじゃ」
「え、俺が? …って今の事か!ふざけ」
「おっ誰かこっちに来ておるようじゃ」
周囲を見渡すと、働き蟻の様に改札口に向かう人、改札口から出る人で作られた太い一本線のルートが出来ている。その流れに乗らず、立ち止まっている宏や女子高生二人そして俺(飴玉ンも)は珍しい、ましてやそれが柱の影から覗いている覆面白タイツ男ならば、絶滅危惧種級の珍しさだったのだろう。
そんな俺を捕獲しに来た奴が現れた。
「君、そこで何しているの。あれっ、その手光ってるけど何を持ってる? これはちょっと、悪いけど交番まで来てもらおうか」
と言ったハンターは警察官の格好をしていた。どっしりとした体で目が細く垂れていて、大きな鼻に大きな口、まさしくと言えるエビス顔をした彼に、警官の格好はちっとも似合っていなかった。その顔のせいもあってか口調も優しく感じる。
年は俺とそう変わらんのじゃねんか?
ともかくこんな所で捕まってなるものか。
「えっ、いや私、けっして怪しい者じゃないですよ」
「十分過ぎるほど怪しいって、だからほら、来てもらうよ」
どうやら俺は怪しさも絶滅危惧種級らしい。仕方なくエビス警官に事情を話した。
「あそこに見える女子高生二人組の一人にその隣にいる彼が痴漢したらしくて、気になって付いてきたんです」
「え〜〜どこぉ?」
まるで信じていない様子のエビス警官は俺の指差した方向を渋々向いた。するとそのまま動きが一瞬止まり、見えなかった瞳が少し姿を現した。
「だから、言ったじゃないですか」
得意気になりながら俺も同じ方向を見ると、今、まさに宏が女子高生を殴っている瞬間だった。
「こらぁ」
殴ったとほぼ同じタイミングでエビス警官は宏に向かって猪突猛進した。
一秒遅れで俺も飛び出す。
宏が向かってくる俺達に気づいた時にはもう、コンマ数秒の猶予しか無く、受身も取れないままコンクリの地面に叩き付けられていた。イノシシそのものと言ってもいいくらい見事なタックルを決めたエビス警官に若者であるはずの宏は、不意打ちとはいえ全く為す術が無かった。
後ろで一部始終を見た俺は感動すら覚えていた。
かっこええ、さすが警官。おそらく彼はラグビーかアメフトかレスリングをやっていたに違いない。
俺は三択が好きだった。
エビス警官は宏をおぶって女子高生達と楽しげに話ながら交番に向かっていった。
俺はその姿を眺めながら、上がった息を整えていた。
「お主、全く役に立っておらんのお」
久しぶりに開いた口は俺の心にタックルを決めた。
「アンタだってなんもしてねえじゃねえか、人の事言えんわ。それに結果良ければ全て良しじゃねんか!」
「言いおるな、だが飴玉のワシが出来るわけが無かろうが」
「どぉ〜〜だか」
飴玉ンの神経を逆撫でするため、わざとため息混じりに返事した。その効果は抜群だった。
「んああぁ! 言わせておけば、ワシはなぁお主の手の中で、何も見えず身動きも取れず、それでも我慢して・・・」
「俺なんかそもそも、こんなめんどくせえ事やらされとんぞ」
「ワシだって同じじゃ! しかも、挙句にこんな姿に変えら、い、いや何でもない、申し訳ない、ついカッとなってしもうたわい」
飴玉ンは途中でいきなり大人しくなった。
沸騰していた飴玉ンの感情に彼の理性が液体窒素をかけた感じだ。
「えっ、今なんて」
「うるさいわ、早く交番に行くのじゃ!」
そう言い残すと、飴玉ンは俺から逃げるように窓から飛び出し、そのまま姿を消した。
…元は人間だったんじゃろうか。
また後で問い詰めてみるか。
改札口の真上にある大きな時計を見た。針は八時五十五分と示していて、そこで俺と宏の遅刻が決定した。
「ふぅー、なんで俺が」
トイレでベタついた左手を洗い、急いで交番に向かった。
いつの間にか周囲の視線など気にならなくなっていた。
改札口と反対方向に二、三分歩くと、すぐ横に売店がありその奥に小さな交番が見えた。売店では新聞や漫画等を置いている本棚が店からはみ出ていて、少々道に侵入して来ている。その中には、当然イヤラシイ本もあったが、果たして四、五メートル先に警官がいる状況で買おうとする人はいるのか。悪い事では無いが背徳感を感じてしまう男心(俺だけ?)をこの売店のオバサンは分かっているのか、きっと万引きの事しか頭になかったのでは無いか。等とオバサンの心配をしている内に交番はもう目の前まで迫って来ていた。
交番に着くと、そこに居たのはなぜかエビス警官と宏の二人だけで、二人は取調べ机(だと思う)に向き合って話していた。
交番の外にいた俺を見るなり宏はみるみるうちに顔が強張っていく。
どうやらエビス警官と一緒に突っ込んでいたから(走っていただけだが)エビス警官同様、恐いオッサンのレッテルを貼られたんだろう。格好がおかしい分、俺の方が恐いのかもしれない。
確かに警官と覆面白タイツ男に同時に襲われたらそうなっても無理ないのかもな。
などと昨日気絶した娘の美華を思い出し、宏に同情した。
「あの子も許してくれたんだから、もう痴漢なんてするんじゃないよ」
エビス警官はいたずらっ子をたしなめるような言い方をする。
「……はい」
宏の顔は曇りきっていて、今にも涙が降りそうなほどだった。
「大丈夫、会社や家族には言わないでおいてあげるよ、ほらもう行っていいよ」
まるで本当のエビス様が喋っている様だ。
宏はエビス警官に軽く会釈をして席を立ち、次に交番の前で立っていた俺にも会釈をして交番から出て行った。
宏を見送っていたエビス警官はようやく俺の存在に気が付いたようだ。
「協力ありがとうね、それとごめんね。でもそんな格好している君も君だけどね」
「はい、すみません」
エビス警官を前にするとどうしても敬語になってしまう、それは彼が警官だからという事だけではなくなっていた。
「あの女の子二人はどこ行ったんです?」
「二人共この奥にいるよ、彼女達にはまだ聞くことがあるんだ。特に被害にあった子にはね」
エビス警官の指さした所にはドアがあった。
「そうなんですか」
だが正直、俺にはどっちが被害者の子なのか未だに区別が付けられないで居た。二人とも化粧が濃く、茶髪で肩まで行かない短めの髪だったからだ。よく見ると違うのは胸の大きさが少しだけ、知らないが多分被害者の子は胸が大きい子の方だと思う。
「もう気に病む事なんてないでしょ。君も早く行って、それとも逮捕されたいとか」
「いやでは、失礼しました」
と言って交番から離れ、一刻も早く会社に行こうと改札口を目指し、急ぎ足で二、三歩進んだ時だった。
視界の端にキラリと小さな光がちらつく、それがたまらなく鬱陶しい。
だが先を急いでいるので気にしない様に四歩、五歩、六歩と進んでいたが、次第に大きくなる光についには耐え切れなくなり、仕方なく焦点を合わせた。
「まだ昼前なのに、なんで懐中電灯点ける必要があるん。一体誰でぇ?」
しかし光の周りに人らしきシルエットは無い。そもそも背景を隠すシルエット自体が無く、よく見るとその光は宙に浮いていて物凄いスピードでこっちにやってきていた。
この光はまさか、
「飴だばん!!」
また俺の額にクリーンヒットした。
「まだ、終わってなどおらぬ」
飴玉ンは言った。
「さっきからおんなじ事ばっかしつけーで! もう全て解決して、宏ももうここにおらんわ」
俺は眩しさのあまり目を背けながら言った。
「解決などしておらぬ。結論から言うと宏という者は犯人では無い。真犯人は別におるのじゃ」
飴玉ンの衝撃的な告白に、背けていた目を見開いて直視してしまった。
「えっ? ウァギョアアァ、……じゃあ誰が痴漢をしたんで」
太陽拳の威力は凄まじく、辺りが急に薄暗くそしてぼやけて見えてしまう。仕方ないので暫く目をつぶっている事にした。
「ふっ誰もしておらぬ」
飴玉ンめ、鼻で笑いやがった
「は? 意味分からん、さっき真犯人は別におる言うたが」
「確かに言うた、が痴漢がおるとは一言も言うておらぬじゃろ」
「いや全然分からんって、どういうこと?」
「そもそも痴漢などされておらんかったのじゃ、全て彼女達二人によるヤラセだったのじゃ」
「えっそれじゃあ、むしろ被害者は宏の方だったって事?」
「そうなってしまうのぅ」
「でもなんでそんな事が分かったん?」
「お主と別れてからちょっと気になる事があっての、それで交番に先回りして、彼女達のおる奥の仮眠室にお邪魔しておいたのじゃ」
「スケベじじいが」
太陽拳をかまされたお返しとばかりに言い返した。
「ち、違うわ!調査じゃ馬鹿者、話をそらすでない。彼女達は元々お主を標的にしておったのじゃぞ、だがお主がトイレに行ってしもうたために急遽、宏に変更したのじゃ」
「あんのクソ女どもが、ガキのくせに大人をなめやがって! それで、二人の内どっちが実行犯じゃったん?」
「遥ちゃんじゃ、ほら胸の大きい」
「ちゃん付け!? やっぱスケベじじいじゃねえか」
「違うんじゃ、信じてくれぃ」
「うっさい、よし、これからあのクソガキ共を懲らしめに行こうで、特に遥って奴を」
「本当に違うんじゃ、あの警官がうおぅ」
俺は再び飴玉ンを左手で掴み交番へと戻った。
交番には人が一人も居なかった。仮眠室にいると思い、扉に耳を当てると案の定、中からクソ女子高生二人とエビス警官の声がした。だが入ろうとしても扉には鍵がかかっている。
「何言っとるか聞き取れん」
俺はノックをしようと右手を振り上げて、拳を中国拳法でありそうな形に変えた。だが振り下ろす前に飴玉ンの
「止めるのじゃ」という言葉で、俺の右手は静止した。
「裏にまわったらワシが入った窓があるんじゃ、さっきまで開いていたから、多分まだ開いているはずじゃ!行くぞ」
「なんで? わざわざ」
「いいから早く」
裏にまわると確かに窓が三センチ程開いていて仮眠室の中が見える。声もちゃんと聞こえてくる。でも何かオカシイ、これじゃあ本物の変態だ。訳の分からない俺は不満を爆発させた。
「一体なんでえ、これは」
「いいから見ておれば分かるはずじゃ」
はずってなんだよ。
と思いながらもおとなしく眺める(覗く)事にした。バレるとまずいので輝いている飴玉ンは左手から開放せずに地面を見てもらう事にした。
仮眠室の中は前面畳張りでよ隅には小さなキッチンとこれまた小さな冷蔵庫があるだけ。
「刑事さ〜ん、なんで私らまだ帰らしてくれないの、痴漢のお兄さんはもう帰ったんでしょ」
「ホント、マジあり得なくない」
「それに、ここ暑過ぎじゃない?マジ最悪なんだけど」
「しかもそんな所で人を待たせておいて飲み物の一つも無しってあり得なくね?」
女子高生の遥とその友達は不満ばかりを言っている。
それを聞いていた俺は『全く近頃の若い奴等ときたら』とどうやら口に出ていたらしく
『お主が言うでない』と飴玉ンに小声で返された。
「ごめんね、早めに終わらせるから」
エビス警官は相変わらず人が良さそうに満面の笑みで答えた。
『そういえば名前、遥ともう一人何?』
『静かにせんか、聞かれたらどうする気じゃ! ちなみにその子は胸の小さい方で香夏子ちゃんと』
『変態エロじじい』
『お、お主という奴はぁ』
俺の欠点はこういう場面で緊張感を保てない所だと千恵子に怒られた事もあった。良く言えば少年のまま童心を忘れてない訳だが。
「うわっ刑事さん、アンタ何やってんの」
「まじキモイんですけど〜」
と言う遥と香夏子の声で覗きを再開すると、エビス警官はもう制服の上着を脱いでいて、次にベルトに手をかけた時だった。急に仮眠室に不穏な空気が漂いだした。
「君、本当は痴漢なんてやられて無いでしょ」
脈絡もなく突然、核心を突いて来るエビス警官、ズボンも脱いでしまい下はトランクスなのに帽子を被っている姿は変態っぽい、まあ俺程ではないが。そのせいで人が良さそうと思っていた笑顔が不気味に見えてくる。
「そんな訳ないじゃない」
遥が言った。その声は震えている気がする。エビス警官は気にせず喋り&脱ぎ続ける。
「しかも今回だけでなく何回も、それも二人交互に痴漢に遭ってる、警察も馬鹿じゃないからね、流石に君達の事怪しいと思ってたんだ。それ知ってた?」
「変な言いがかりつけないでよ、キモイくせして」
今度は香夏子が返事をした、交互にするのがよほど好きらしい、あとキモイと言うのも。
「証拠ならあるよ、あの時僕、電車にいて君達の事隠しカメラで撮ってたんだ」
そう言いながら帽子を脱ぎ、警察紋章の裏から真っ黒の消しゴムにレンズが付いている物を取り出した。おそらくあれが隠しカメラだ。
「分かったわよ、さっきのお兄さんに貰ったお金は返すわ」
「それでいいの? 家と学校に連絡させてもらうけど、僕も鬼じゃないから条件によっては黙っててあげなくも無いよ」
と言い終わった頃、エビス警官はシャツとトランクス一丁になっていた。
そしてその姿のままなぜかこっちにやってきた。
『やべぇ見つかったか』
俺は咄嗟に窓の下にしゃがみこんだ。
心臓の音が聞こえてくる。だが、エビス警官は窓を閉めて鍵をし、カーテンをした。
どうやら俺達に気付いた訳では無かった。
「良かったー」
ホッとした俺は顔が綻んでいた。
「やはりそうであったか」
飴玉ンの顔は未だ険しいままだ。
「エビス警官の事?」
「そうじゃ、トイレの前で奴がお主に近付いて来た時、ワシの体の光が強まったので疑っておったのじゃ」
「じゃあ電車で光ったんも、宏に反応したんじゃねかったんじゃ」
「おそらくはな、近くに奴がいたのじゃろう」
「前もって言ってくれりゃあええのにから」
「お主が聞こうとしなかっただけではないか、人の事をスケベじじい呼ばわりしおって」
まだ根に持っているみたいだ。俺はその言葉を聞いていないかの様にスルーした。
「で、これからどうするん?」
俺の言った事は完全に予想外(スルーも含め)だったのだろう。飴玉ンは声を荒げた。
「何を言っておるのじゃ、彼女達を助けに行くに決まっておるじゃろう!それ以外何があるのじゃ」
「でも、あれって自業自得じゃろ」
「彼女達はまだ子供なのじゃ、故に間違いも起こす。もっと寛大な心で見てやるのじゃ」
「ホンマ、エロじじいじゃなあ」
「こんな時にまだ言うか!いい加減」
「アンタは女に甘すぎるって言っとんじゃ」
「当たり前じゃ、ヒーローたるもの女、子供に優しくなければな」
「ふーんそれはすげぇな、まあ頑張って」
「何を言っておるのじゃ、お主も今はヒーローであろうが、もう一回正面から入って扉を蹴破るのじゃ」
「嫌」
「付きまとうぞ」
(タッタッタッタッタッタ)
また扉の前に戻ってきて扉を蹴っているのだが、なかなか破るまでには至らないでいた。
〈ボンッ〉
「いってー、堅いわ」
「まだ蹴破れないのか」
「これホンマ堅過ぎ、エビス警官がおってくれたらタックルでいけそうなんじゃけど」
そこまで言って俺は重大な見落しに気が付いた。
「これから二人を助けに行くんよな」
「? そうじゃ」
「助け出す前に悪を倒さんといけんよな」
「そうじゃ、エビス警官をな」
「でもどうやって? 明らかにアイツの方が強いで」
「ああその事か、それなら大丈夫じゃ」
飴玉ンは世界チャンピオンの様な余裕を見せつけるが、結局戦うのは俺、セコンドがいくら強かろうと、どうせ飴玉ンは口しか出せないから気休めにもならない。
「絶対勝てるっていう根拠は」
「さてはワシを信じておらんのじゃな、言ったはずじゃ、お主は特殊攻撃ができると、黄色のマスクは『チョコバナナ』と叫ぶと使えるからやってみるといいじゃろ」
「は?」
俺は呆れるしかなかった。それを飴玉ンは気にも留めてないようだ。
「そうじゃ!今まで言い忘れておったが、ヒーローとしてのお主の名は『チュッパマン』というからの」
「は?」
またも呆れるしかない。しかし今度は気に留めてくれたようだ。
「だから、チュッパチャッ○スっていう飴があるじゃろ。飴玉に白い棒を突き刺してある奴。お主は今チュッパチャッ○スになっておるのじゃ、ほら気を付けをしてみい、派手なマスクは飴で、白タイツの体は白い棒!まんまじゃ!つまりチュッパチャッ○ス男、略してチュッパマン。どうじゃ、良い名じゃろ」
楽しそうに話す飴玉ンの顔を見て、気に留めてくれたと思ったのは間違いで、自分が説明したかっただけと分かった。
さっきまでの緊迫した雰囲気を取り戻そうと思い、扉に耳を当てると女子高生二人の甲高い叫び声がかすかに聞こえる。
「急がんとやべぇ」
「特殊攻撃を使って扉を壊すのじゃ」
「しょうがねえ…チョコバナナ」
と言いながら右手を扉に向かって突き出した。
……あれ?
右手には何も変化は起きない。飴玉ンに文句を言おうとしたその時。
(ミシッ、ミシシッ、ミシッ)
下から変な音がする。音源は物凄く近い。飴玉ンかと思い左手の拳を見てみる。だが違う。
「分かった、ここじゃ」
俺は自分の股間の辺りを見ていた。
(ボゴオオオオオオオオオオオオオオオォ)
突如、けたたましい爆音が鳴り響き、棒状の物体が俺の視界を遮った。その物体は如意棒の様に留まる事無くどんどん伸びていき、扉を突き破っても勢いはそのままで仮眠室の端のコンクリ(ート)の壁にぶち当たってようやく止まってくれた。コンクリの壁はひび割れ今にも崩れそうになっていた。
一瞬の出来事でその場に居た全員呆気にとられてしまい、時が止まった様に静かになっていた。そこでは蝉の声だけが風流に鳴り響いていた。
「キャアアアアアアアアアアァ!」
しばらくすると遥と夏奈子は蝉に対抗してか、二人一斉に鳴きだした。その声を合図に俺の時間も動き出した。
「ウギャアアアアアアアアアァ!」
別に遥と夏奈子に対抗している訳では無く、変わり果てた姿になっている自分の下半身の如意棒、もしくは息子を見たからだった。
今まで弱々しかった俺の息子は逞しくなり過ぎ、タイツを突き破り、丸太みたいに太く、蛇みたいに長くなっていた。もはや立派な息子を通り越して怪物と言ったほうがしっくりくる。
そんな怪物を、飴玉ンは不思議と褒めちぎっている。
「チョコバナナは本当に凄い威力じゃ、エビス警官までもうやっつけてしまいおったわい」
エビス警官は俺の息子の下で真っ裸で寝そべっていた。
この時、俺は何故『チョコバナナ』なのかを理解した。これ以後、俺はチョコバナナを見るたび、吐き気をもよおす事になるのだった。
「どうやったら元に戻るんで?」
「『チョコバナナ食べた』と叫ぶのじゃ」
「なんじゃそら、まあなんでもええわ。『チョコバナナ食べた!』」
すると、みるみるうちに元の弱々しい息子に戻っていく。早速俺は裸の息子のために、エビス警官が脱ぎ捨てた制服のズボンをタイツの上から履いた。
その間、遥と夏奈子は二人抱き合って肩を震わせていた。泣きじゃくった二人の顔は、積み上げた化粧が雪崩の様に崩れ落ち、服も乱れていたためお化け屋敷に出て来てもおかしくない仕上がりだった。全く、怖がっているのか、怖がらせたいのかハッキリして欲しいと思った。
最後まで気持ち悪がられながらも彼女達に説教をして二度と悪さをしない事を誓わせ帰らせた。
その後、隠しカメラを壊し、エビス警官の着替えを隠して、俺達も交番から出て行った。もちろん、裸のまま気絶しているエビス警官は置き去りにして。時間はもう十二時を回っていた。遅刻して会社に行くと、何故か先に交番を出たはずの宏はいなかった。人の事気にしている場合ではない、遅れを取り戻そうと大急ぎで仕事に取り掛かった。
なんか忘れとる気が、ま、ええか。
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「あ奴め、後で覚えておれ」
今はもう一時半過ぎなのにワシはまだに電車内にいた。その訳は交番から出た後、英雄がトイレで着替えを済ませた、その時に履いていたエビス警官のズボンを、そのポケットにいたワシごと置き去りにして行ったからだった。
それからなんとか電車に乗れたが、どこで降りればいいやら……いわゆる迷子になってしもうた。窓のサッシに飛び乗り、周りを見ると朝とは比べ様が無いほど人が減っていた。
途方に暮れたワシは窓から景色を眺めるしかなかった。繁華街が凄い速さで流れていく。その流れの中にいたチーマーの群れに一人、スーツの男が混じっているのが気になった。
あれは宏に似ておるな、んな馬鹿な別人に決まっておる。
それにしてもきっとカツアゲされておるのだろうな、可哀相にのう。
眺めて十数分が経った頃。どこからか聞き覚えのある声がした気がして、再び周りを見るとそこには英雄の娘である美華がいた。隣にいる友人らしき若い女性と話している。気付かれない様、美華の持っているハンドバッグに潜り込んだ。
ふぅーこれで助かった。
「今日、ウチの学校の子が痴漢に遭ったらしいよ、しかもその痴漢って全身白タイツに覆面被ってるんだって」
「私それ昨日会った、まだ捕まってないの」
「やばくない、それ」
「でしょ」
「それよりあの子トイレ長くない? もう十五分は待ってるよね」
「そう、早くして欲しい、このバック重いのに」




