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市橋は相手のヤンキーの腹に抉るようなジャブを入れた。
そこからワンツーへと繋げて相手に反撃の隙を与えないようにしている。
どうやら喧嘩の腕だけで言ったら市橋の方が上のようだ。
そして、ついにヤンキーの顔に右フックが入り、ダウンした。
「池田、大丈夫か!?」
相手の側についている味方のヤンキーが心配そうに駆け寄る。
「大丈夫だ・・・」
「てめえ、上等じゃねえか!!」
まだ名前を明かしていないヤンキーの片方が市橋に殴り掛かる。
だが、反撃したのは何故か智樹だった。
智樹のドロップキックで名無しのヤンキーは吹き飛ばされた。
「おい、タッチしてねーじゃねえか。ルール違反だ!!」
智樹の指摘に桐谷が冷静にツッコミを入れる。
「だから、何でプロレスのルールなんだよ」
「ルールも何もこれはプロレスだ!」
「だから、何で俺たちはプロレスしてんだ!」
「うるせー、文句が有るなら全員かかってこいや!!」
智樹の一言で相手のヤンキーは勿論、味方の桐谷と市橋ですら智樹へと向かっていった。
リングに倒れていたのは5人。
立っているのは1人。
「う・・・ウィナー」
智樹は片手を上げて勝利を示す。
だが、いくら智樹といえど、友人を本気で殴るのは気が引けたので、桐谷と市橋には手加減している。
他の3人には容赦なく殴り掛かったが。
「すごーい!!格好良かったよ・・・えーと」
「村田智樹ことジェイマスクだ」
そう言って、智樹はホッケーマスクを外した。
「智樹ってプロレスラーだったの!?」
「面倒だからそういうことにしといてくれ・・・」
それだけ言い終えると、智樹は仰向けに寝転がった。
空はもうすっかりオレンジ色に染まっている。
由乃はまだ興奮を抑えきれないのか智樹の傍へと寄ってきて話し出す。
「まさかパイルドライバーを決めるなんて思ってなかったよ!」
「ああ・・・意外と重かったから難しかったけどな」
「でも、案外肉弾戦多かったよね」
「それはただ単に投げんの疲れたから本来のやり方に戻しただけ・・・」
「ラフファイターだったんだ!」
「お前、本当に幾つだよ。詳しすぎだろ」
そう言って智樹は苦笑した。
「誰と話してんだ?」
智樹の肩がまるで陸に揚がった魚のように震える。
声の方向にはマスクを取った桐谷、アフロと角をライターで燃やしている市橋がいた。
2人とも呆れたような顔つきで智樹を見つめている。
智樹が何か言う前に桐谷が言葉を続けた。
「また、そんな変なもの拾ってきやがって」
智樹は驚き目を見開きながらも返した。
「見えてるのか?」
「ボンヤリとならな。市橋は?」
「全く・・・」
「・・・何時からだよ」
「最初から。俺らの演技力も中々のものだったろ?」
桐谷はそう言って智樹の背中を叩いた。
パシンと良い音が鳴り響いた。
市橋は遠い目をしながら語り始めた。
「あの子犬の時と一緒じゃねえか。えーと、マクレーンだったか?あの不細工な犬」
「いたいた。智樹が拾ってきた奴な」
「そう。4か月くらい飼ってたけど、脱走されてなー」
「餌が5日に1回だったからな。逃げたくもなっただろ」
桐谷と市橋は大声で笑った。
最初は黙って見ていた智樹もやがて笑い出し、由乃も訳が分からずも笑い出した。
そして、彼らの笑いは3人の僧によってかき消された。
智樹たちはその3人の内の1人に見覚えがあった。
「智樹くんに・・・桐谷くんと市橋くんじゃったかな?」
中央の老人が優しげな声でそう言う。
確認するかのようにもう一度、3人を見回して老人は続けた。
「もう心配ない。幸いそいつもまだ完全には智樹くんに憑りついてはおらんがな」
憑りつくという単語を聞き、桐谷は小声で尋ねた。
「何かヤバい話?」
「まあ、それなりには。どうでもいいけどあの爺さん誰だ?」
「武田んとこの爺ちゃんだろーが」
「本当にお前、人の顔覚えねーな」
市橋は呆れたようにそう言うと、蓮斗の祖父に向き直った。
桐谷と智樹もそれに倣う。
そして、智樹が口を開いた。
「で、どうすればいいんだよ?」
智樹の口のきき方に怒りを覚えたのか、横の2人の僧が前に出てくるが、それを蓮斗の祖父が制する。
「何、そんなに面倒なことはせん。その霊をこっちに引き渡してくれればそれで良しじゃ」
そこで一旦言葉を区切り、付け足すように続けた。
「そうそう。完全ではないとはいえ、そいつは智樹くんに憑りつきかけておる。じゃから、わしらの声は聞こえていない。君しかそいつと話せんのじゃ。だから、上手く言いくるめてくれ」
智樹はそっと由乃の方へと目をやった。
何も分かっていないというような顔をしている。
事実、彼女はこの状況を理解していない。
今から自分がこの世から除かれようとしているだなんてこれっぽっちも考えていない。
智樹はその由乃の顔を見て、ふと思った。
彼女が理解していないのはこの状況だけではない。
世の中に存在する様々なことをまだ知らないのである。
このまま消えていくのはどれだけ虚しいのだろうか。
少なくとも自分のような一般人には想像もつかない程なのだろう。
智樹の決意は固まった。
「由乃、面白いもの見せてやるからちょっと来い」
「え?う、うん」
半ば強引な物言いで智樹は由乃を蓮斗の祖父の元へと連れて行った。
「おお、よくやった智樹くん。お疲れざ!?」
穏やかに笑う蓮斗の祖父の鼻っ面に智樹の頭頂部が当たった。
頭突きである。
蓮斗の祖父は信じられないといった表情で鼻血を噴水の如く吹き出しながら倒れた。
「坊主の血達磨一丁上がり!!」
智樹はやり切ったような顔をして、脇目も振らずに走り出した。
それに訳も分からず由乃も着いて行った。
残された4名は唖然としていたが、その内の2人、蓮斗の祖父の部下らしき僧が智樹を追って走り出した。
彼らは思った以上に足が速く、あっという間に智樹に追いついた。
僧の片方が智樹の肩を掴み、思いっきり彼の頬を殴ろうと腕を後ろに引く。
だが、その拳は桐谷の手によって抑えられた。
「お坊さーん。もうちょい俺らと遊んでけよ」
桐谷はそう言って僧を押し倒して、マウントポジションを取る。
市橋も同じように僧に殴り掛かっている。
殴りながらも市橋は嬉しそうに声を張り上げて叫ぶ。
「智樹ー、そういえば明日は新譜の発売日だったなー。楽しみにしてるぞ!!」
「あっ、俺は新しい服な!!」
と、桐谷も便乗する。
自分たちは喧嘩を楽しむことが出来、こちらはCDに服を買わなければならない。
どう考えてもこちらの一方的な損な気がするが、今は気にせず智樹は手を振って彼らの要望を承諾する意を示した。