Spider Dance
花火を持ってくると言い、カルロスは教会の奥へ姿を消した。静寂が、再び蘇った。
カルロスを待つ間、イヌガミは壁の宗教画を眺めて時間を潰したが、そう長くはもたない。
頭がぼーっとしてくる。甘ったるいお香の香りと、少々蒸した気温が、イヌガミの思考を徐々に奪っていく。取り留めもない事柄が頭の中に浮かんでは、消えた。
「…………あれ……俺、花火セットどこやったっけ……?」
ふと、意識を取り戻したイヌガミが立ちあがる。自身の手首を持ち上げてまじまじ見つめた。
さっきまで持っていた花火セットがない。椅子の下を確認するも、やはり見つからなかった。
「何言ってんの。あんた今さっき自分で祭壇の上に持って行ったじゃない」
「…………は?」
明が呆れ顔で前の方へ顎をしゃくった。見ると祭壇の隅に花火セットが置いてあった。
「あれ、俺が持って行ったのか……?」
「あんた以外に誰がいんの」
イヌガミが祭壇に近づいて袋を取り上げる。ビニール袋の無機質な感覚が妙に手に馴染んで、この袋が自分の手放したモノなのだということがどうしようもなく理解できた。
狐につままれたような心持で、席に戻る。
しばらくして、思い出す。そうだ。自分は確かに、祭壇に袋を置いた。全く信じられないことだったが、考えれば考えるほどその時の自分の一挙手一投足が実感を伴って思い出された。
何故あんなことをしたのか。何故忘れてしまっていたのか。しばらく自身の行動の謎に眉を顰めていたが、そのうち、イヌガミはまた別の、取り留めもないことを考えるようになった。
「──な! 何やってんの!? あんた!」
次に意識を取り戻したのは、隣にいた明の悲鳴によってだった。
なんだよ。訊ねようとして、ふと、イヌガミが目線を自身の手元に向ける。
膝の上で組んだ手の中に、自分が何かを握っていることに気づいた。
ギザギザしていて、固い。乾燥麺のような手触りのそれは、手の中でわずかに動いていた。
イヌガミが徐に視線を落とす。何か切れ端が指の間からちょいと出ているのが目に止まった。
プチリ。その何かは少し力を込めると簡単に取れ、はらはらと床に落ちていった。
目を剥く。
ようやく思考が感覚に追いつき始めた。ガサガサと、手中の何かがイヌガミの掌をやわく押し返す。その度に、額に玉汗が浮き出て、血の気が引いていくのを感じた。
恐る恐る、イヌガミは組んでいた両指を開く。
「な……」
蜘 蛛。
体長一〇センチ。わずかに縞がかった体表を持つ、幼子の掌ほどの大きさのそれは、イヌガミに頭を押さえつけられ、ブルブルと細い足を震わし藻掻いていた。
「何だ……これは……」
教会に入った時、壁を這っていた蜘蛛だ。諸々の特徴が一致する。さっきと違うのは、この蜘蛛の右半分の足が全てもがれてしまっていること。
「誰が……こんなこと……」
言いかけて思い至る。自分がやったのだ。指からはみ出した蜘蛛の足を、ちぎって、捨てた。
下に目玉を動かす。薄暗い中でも確かに視認できた。イヌガミの足元に落ちている、
蜘蛛の足、四本。
「……違う」
イヌガミが立ち上がる。手に握っていた蜘蛛を落とす。床に叩きつけられた蜘蛛が苦しそうに、片側しかない足でその場をくるくる回っていた。
「俺じゃない……」
明の、信じられないと言わんばかりの視線を受け、イヌガミは首を振りながら後退りをする。
いくら何でもあり得ない。自分が、そこにいた蜘蛛を捕まえて、足を四本、プチプチと、もいでしまったなんて。そんな所業、無意識に出来て良いことじゃない。
「おかしい……何か……何か異常だ……さっきから……」
その時、背中に何かとぶつかった衝撃が走って、後ずさりが止まった。
振り返る。人だった。真っ白いコートに身を包んだ、女。
いつからここにいたのか。この礼拝堂に、誰か一人でも入って来れば必ず気づくはずなのに。
女は口を半開きにして、瞬き一つせずにこちらを見据えている。背筋がぞわりと粟立った。
ふいに、女が自分の髪を一本抜く。彼女はそれを口元に寄せ、ふうっと息を吹きかけた。
「……イヌガミ!」
背後から明に突き飛ばされる。イヌガミが前のめりの姿勢で倒れ込む。
同時、何か凄まじい質量を持った物体が背中を通り過ぎて行った。
そして響き渡る轟音。建物全体が歯ぎしりでもしているみたいに軋んだ。
「な……」
イヌガミが振り返る。真っ黒い槍が床に突き刺さっていた。
直径五センチ、長さ二メートルほど。つるつるした表面を持ち、ちょうど鉛筆の芯をそのまま巨大にしたようなデザインのそれが、木製の床をずたずたに引き裂いていた。
ぞわりと、背筋が粟立ち始める。死にかけた。混乱する頭で、それだけは理解した。
「あいつが髪の毛に息を吹きかけた一瞬、赤色の魔力を感じた」
顔面蒼白のイヌガミを引っぱり起こしながら、明が続けた。
「あいつは魔術師で、私たちを殺そうとしてる」
明が淡々として告げる。現実感のない物言いに、自分は何か取り返しのつかない過ちを犯したのではないかという疑念が、腹の底をぐるぐる這いずり始める。
やがて、ゆっくりと女が動いた。先ほどと同じように髪の毛をむしり、口元に当てる。
瞬間、髪が黒槍へ変わる。槍は壊れた方位磁針のように、不自然な挙動でその場をクルクル回った後、最終的に切っ先をイヌガミの方に定めた。
「来るわよ! 伏せて!!」




