リメナ島
「朝ごはんも済んだことだし、もう少し先へと進んでみるか。」
森を進むと、ふと耳に小さな音が届いた。
カサカサッ…!
ユキはとっさに身を低くし、木の陰に身を潜める。
視線の先、少し離れた草むらの中に人影が見えた。
「…!」
粗末な服をまとった女が、腰に小さな籠を下げ、しゃがみ込んで野草を摘んでいる。
表情は疲れていたが、動作には慣れがあり、何度もここで同じ作業を繰り返していることが分かる。
(この島に、他にも人がいたのか…?)
女は、どこか怯えた様子で周囲を気にしている。
何かに追われている者のような、そんな雰囲気だった。
しばし観察したのち、ユキは意を決して草むらから出た。
「…あの」
女がびくりと肩を震わせ、振り返る。籠を抱きしめ、怯えた目でユキを睨みつける。
「△✕〇◆…〇?」
女が何かを言っているようだったが、全く聞き取れない。
「そうか、このゲームの世界の言葉か…!コア、頼む。」
ピピッ!
コアが作動し、女の声が少しずつはっきりと聞こえてくる。
「あなたは……誰?」
「…!俺はユキと言います。…気づいたらこの島の砂浜にいて、記憶も実はあまりなくて。」
女は言葉を発することなく、ただじっとユキを見つめる。
(俺の言葉は通じていないのか…?)
ユキは困惑しながらも、話しかける。
「…怪しむ気持ちもわかります。でも、これだけは言わせてください…私はあなたの敵じゃない。」
正直に告げると、女の目にわずかな警戒が残りつつも、この男は嘘を言っていないと信じてくれたのか、小さく息を吐いた。
「…ここで会ったことは、誰にも言わないで。お願い」
「…分かりました。」
女は立ち上がり、近くの大岩の陰にユキを連れていった。
周囲を入念に見渡したのち、声を潜めて語り始める。
「…私はメル。そして、ここは"リメナ島"。この島全体を、海賊たちが支配しているの」
「……海賊?」
ユキの胸に重たい言葉が落ちる。
「そう。海賊団には船長と三人の幹部がいて、それぞれが三つの集落を管理している。島の奥、小山の上に古い城があるんだけど、そこが船長の根城よ。」
メルは腕をそっと捲り上げた。痛々しい傷跡が残る腕には擦り切れた布が巻かれている。
「この布をつけている者は、皆、海賊の奴隷。わたしも、その一人なの。」
メルの声は淡々としていたが、滲む諦めは隠しきれなかった。
「奴隷って……」
「彼らの命令に逆らえば、暴力か、飢えか、あるいは……。」
言葉を濁し、メルは口をつぐむ。
「…だから……まだ海賊にバレていないうちにあなたは早くこの島から逃げ —— 」
その時、森の奥から荒々しい声が響いた。
「おい!何をしている!」
ユキはすぐさま姿をくらます。
背丈のある大男で、手に大きな剣を持っている。
見た目は海賊そのものだった。
メルは一瞬目を見開き、すぐに俯いた。
「……すみません。少し、用を足しに」
「…ふん、次勝手な真似をしたら、わかってんだろうな?」
海賊は剣の刃先でメルの顎を無理やり上げ、彼女を侮辱する言葉を浴びせた。
メルは震えながらも、ユキを庇ってくれたのだった。
その背を見送ったユキは、拳を握りしめる。
怒りが胸を焼くと同時に、己の無力さも痛感する。
(今の俺に力はない…。だが…だからこそ、違うやり方で変えてみせる。)
メルは気づかれないようユキに静止の合図を送り、男に連れられその場を去っていった。
ひとり残されたユキだったが、バレないように尾行することに決めた。
「集落の様子を見ておく必要があるな…。」
メルと海賊が何やら立ち止まり、咄嗟にユキは木の陰に身を隠す。
すると、メルたちから少し離れた場所に、粗末な小屋が立ち並ぶ光景が見えた。
どうやらそこは奴隷の集落らしかった。
焚火の煙が細く立ちのぼり、痩せこけた人々が働かされている。
中には、人懐っこそうな小さな魔物の姿もあった。
茶色い毛並みの獣で、首に人間と同じ布を巻いている。
奴隷は人間だけではなく、魔物までも従えられていた。
「……人と魔物が、同じように……」
視線を凝らした瞬間、視界に淡い光が走った。
「………っ!!」
"叡智の瞳"が反応し、情報が脳裏に流れ込んでくる。
建物の配置、土壁の脆さ、見張りの死角。
村の全体像が図のように浮かぶ。
【条件達成。スキル "鷹の目"を習得しました。】
「………なんだ…これは!」
『"鷹の目"。これまでより広範囲に、精密に観察できます。』
「偵察に特化した能力…か。」
ユキが息を整えたそのとき、少し離れた場所から小さな鳴き声が耳に届いた。
先ほどの小型の魔物がユキに気づき、周囲の者たちが気づけないほどの猛スピードで駆けてきた。
「しまっ……!」
鳴き声が森に響く。集落にいた監視役の海賊が振り返り、歩いてくる。
ユキはとっさに近くの石を拾い上げ、海賊の近くに投げ込んだ。
カンッ!
「なんだ…?」
海賊は音の鳴った方向へ向かい、なんとか敵の監視の目をくぐることに成功した。
直後、体の奥から熱のようなものが広がった。
【条件達成。スキル "攪乱" を習得しました。】
『 "攪乱"。音や光を生み出し、敵の注意を逸らすことができます。』
「まさに今の行動そのものが形になったわけか…!」
魔物は首をかしげながらも、足元にまとわりつく。
ユキを気に入ったらしく離れようとしない。
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「ったく…。」
仕方なく抱き上げると、安堵したように目を細めた。
「今のはラッキーだったが、もう次はないな…。」
ユキがそうつぶやき、森を離れようとした時だった。
先ほど立ち止まった場所でメルが海賊に押さえつけられている場面に遭遇する。
怒号と共に、メルの悲鳴が木立に響いた。
ユキは咄嗟に身を隠し、思考を巡らせる。
(攻撃スキルはない…。だが —— !)
ユキは錬成画面を開くとすぐさまボタンを選択し、声を発する。
「"素材錬成"…!」
手元に木の弓矢が現れ、ユキは構えに入る。
『ユキ。海賊をもし殺してしまうと、気付かれてからは全員に狙われることになります。残念ですが…今は目立たないほうが得策です。』
「…くっ。…だが、目の前で見捨てることはできない。"素材錬成"…!」
今度は笛が現れ、ユキが笛を吹くと海賊のいる場所で笛の音が鳴った。
「…!なんだ?」
驚いた様子で海賊が振り返る。
ユキの足に纏わりついていた小さな体は素早く茂みを駆け抜け、笛のなる音へと跳んで行った。
「キュー!!」
「なんだお前!?」
海賊が驚いた顔で魔物を見ると同時に、ユキはスキルを繰り出し、まぶしい光を放つ。
「"攪乱"…!」
「うわっ!?」
海賊が目を覆った隙に、メルは身体を捩って逃れ、森の陰へと走り込む。
光が消える頃にはもう姿はなかった。
海賊は悪態をつきながら辺りを探したが、何も見つけられずに去っていった。
メルは木陰で震えながらユキを見つけ、駆け寄りながら涙をこぼす。
「勝手なことをしてすみません。…体が先に動いてしまって —— 」
「…ありがとう。あなたが本当に、あの海賊たちを倒せるというのなら…私、必ず力になるから…!」
女は泣きながらユキに感謝を伝える。
「助けられてよかったです。でも…もう海賊のもとには戻れなくさせてしまいました…。」
「大丈夫。私は見つからないように…必ず逃げ切ってみせる。」
ユキは少し考え込んだ様子だったが、考えを思いつく。
「…メルさん。少し離れてください。」
「え…?」
ユキは高くそびえ立つ木々の一つに目をつけ、画面を開いて何かを選択した。
「"素材錬成"」
ズズッ…!
人の目が届かない高さに次々と木の足場、壁、屋根、木のベッドなどが構築されていく ——
気づけば梯子のかかった簡単なログハウスが出来上がっていた。
「すごい…!」
メルは呆然としている。
「メルさん。しばらくはここに隠れていてください。それとこれを —— 」
ユキはインベントリからありったけの食料と水、そして先ほど作った弓矢と新しく作った笛をメルに渡した。
「…これだけあれば、しばらくは大丈夫でしょう。もし弓矢がなくなり危険な状況になった場合はこの笛を強く吹いてください。」
「こんな何から何まで…!なんて言ったらいいのか…」
「いえ、私がメルさんを窮地に招いてしまった。だからせめてもの償いです。」
「違うわ!…私はあなたに助けられた!本当に、本当にありがとう…。」
メルは涙を浮かべながら深々とユキにお辞儀をし、梯子を上っていく。
部屋に到着すると笑顔でユキに手を振り、梯子を少しずつ引き上げていった。
『攻撃せずに敵を制す。素晴らしい戦いでした、ユキ。』
「ありがとう。でも、コアがあんなことを言うなんて正直驚いたよ。」
『申し訳ありません。ですが、私にとってはユキを最優先で考えなければなりませんので。』
「ああ、分かってる。守ろうとしてくれたんだよな…ありがとう。」
ユキは少し離れた場所へと移動し、簡易的な小屋を建てた。
「そうだ、メルの場所を忘れないうちにマップに記録しておいてほしい。」
『承知しました。』
夜になり、森の奥でユキは腰を下ろし、深く息を吐いた。
今日だけで多くのことを知った。
—— この島は海賊に支配されていること。
—— 奴隷には人も魔物も含まれること。
—— 集落が3つあり、それぞれを幹部が管理していること。
—— この島を支配する船長が小山の城にいること。
膝の上で眠る小さな魔物を見下ろし、ユキは静かに呟いた。
「なかなか闇が深い。—— 早く助けないと、厄介なことになりそうだな…。」
遠く、波の音が響く。
リメナ島を覆う支配の鎖を断つための最初の一歩を、ユキは踏み出していた。




