悠久の都
2050年1月1日(正月)
午前7時 東京 —————
~♪
カーテンの隙間からかすかに光が差し込む薄暗い部屋に、ピアノのアラーム音が流れている。
「なんだ…もう朝か。」
体を起こすと薄明りのライトが点灯し、目の前の鏡には寝ぐせが爆発しているだらしない青年の姿が写っていた。
青年の名は多村 雪(ユキ)17歳。
何の変哲もない、普通の高校生である。
「ユキー?朝よ~早く起きなさーい」
女性の名は多村 色波(イロハ)。
ユキの母親である。
起き上がると照明が完全に起動し、姿を現した扉を開いてユキは応えた。
「はーい、もう起きてるよ~。」
すると、下の階へと続く階段の手前から母がひょこっと現れた。
「あら、そうなの?」
「うん。アラームかけてるから。」
一瞬ハッとした表情から、すぐさまニヤリとした笑みに切り替え、母は階段を上ってきた。
「はは~ん。”来年こそは…だらしない自分を変えてやる!”って意気込んでたもんね~? 感心、感心。 」
「んなッ!」
「ふふっ。…ま、がんばりたまえ青年。母はいつでもかわいい我が子を応援しているぞ。」
まるで成長したわが子に、自らの育児の成果を重ねて讃えるかのように、目をつむってうなずき、肩をポンポンと叩いた。
「そんなこと言ってない!」
「え~?鼻息荒くして言ってたよ~?」
「言ってないッ!」
つい取り乱してしまったユキの右側から、
ホラー映画さながらのスピードで扉が開く。
ギィィィ……
まるで妖怪と遭遇してしまったかのような表情をしているユキの目の前に、どうやら眠そうな様子の少女が目をこすりながら現れる。
「ねぇもう、うるさ~い。新年早々うるさい男の声で起こされるわ、初夢は元カレ出てくるわで最悪の年明けだわ。」
少女の名は多村 星(アカリ)16歳。
ユキの1つ年下の妹である。
「あはは、ごめんごめん。でも早起きは三文の徳って言うじゃない。今年はきっと、良い年になるわよ~?」
「そんな単純な子どもに見えますか?私。」
アカリは言葉を遮るように口を開き、細めた目でイロハを射抜くように見据える。
鋭い視線を避けるように、ササッとイロハは階段へと向かった。
「………そういや母さん、今年もみんなで初詣いくんだっけ?」
ユキはアカリにかまわず、先に階段を下りていく母に尋ねる。
「う~んそれが、そうしたかったんだけどね…。忙しくてまだ帰れないみたいなのよ。」
イロハは、不在の父が好んで座る特等席へと目をやった。
「…そっか。まぁそれなら仕方ないね。実はやる事があったからちょうどよかったよ。」
「あら、そう?それならよかった。」
「私は正月は家出たくない人間なのでありがたい限りですーぅ。…って、思えば正月も出勤ってどんだけブラックなのよ。」
「こら、そんなこと言わないの。お父さんも働いてくれているからあんたたちはこんな時間まで寝られているのよ。」
「それは〜…まぁ。…そうなんですけどねぇ~。って、こんな時間ってまだ7時過ぎじゃないっ。」
不貞腐れた表情でアカリが呟いた。
「さ、それじゃあ新年最初の朝ごはんにしましょ!」
テーブルにはイロハが昨日から作っていた、色鮮やかなおせち料理の数々が並べられている。
「おっほぉぉ~!さっすがイロハさん!美味しそう~!映ばえに映ばえちゃってます!」
お調子者のアカリは、両手で作ったカメラのフレームにおせちを収め、大げさにシャッターを切る真似をして一人はしゃいでいる。
「でしょでしょ~!イロハさん、昨日の夜から頑張ってみました!」
母は力こぶを出す仕草でそれに応える。
「フゥ…。」
ため息をつき、盛り上がっている2人を横目にユキは座敷へ腰を下ろした。
「天音、悪いけどテレビつけてくれる?」
「了解!ランダムな番組でもいい?」
天井から、若い女性の声が降りかかる。
多村家のスマートホームを統括するAI ――― ”天音”(アマネ)の声だった。
「ちょうど今から始まる番組があるみたい。ユキがよければ、それにしようかなって!」
「うん、ありがとう。」
「は〜い!」
ヴゥン…!
ディスプレイ素材の壁一面に、ちょうど始まったばかりの特番が映し出された。
『新年、明けましておめでとうございます!』
落ち着いた雰囲気のベテランアナウンサーとフレッシュな新人アナウンサーの、
新年を明るい気持ちで迎えさせてくれるような声が響き渡った。
『今年で2050年になりました!藤森さん、今年はどんな1年にしたいですか? 』
女性の新人アナウンサーが、年明けの高揚感と希望に満ちた表情で藤森アナウンサーに尋ねた。
『そうですね~!”どんな1年にしたい”、か~…。そうだ!金田さん。実は私、先月友人から誘われた、”大人気のオンラインゲーム”にハマってしまいまして… 』
『 えぇ!藤森さん、ゲームとかされる方なんですね!』
藤森アナウンサーの話を遮るかのように、金田アナウンサーが驚きの声を被せた。
「フッ、別にいいだろそれは…」
ボソッと呟くユキを見て、母と妹は不思議そうに顔を見合わせている。
(でも、大人気のオンラインゲームって何だ…?まさか、”アルカディア”? ——— って、さすがにそれはないか…。)
「なぁにー?青年。楽しそうに見てるけど。」
ニヤニヤしながらイロハが尋ねてきた。
「いや、なんでもないよ。」
「いいじゃん別に〜。かわいい息子が楽しそうにしていたら親は気になっちゃうのよ。」
「なんだよ、それ…。」
「ムダムダ〜お母さん。その男は無口インキャ選手権世界代表なんだから。」
「フゥ…。そうかよ、悪かったな。……っていうか、なんだよそれ。冷静に考えたら全然意味分かんないだろ。」
「こら、アカリ。あんたまだ全然わかってないわね~。寡黙な男ほど、よく考えてモノを言う、頼り甲斐があってモテる男なのよ!」
「いや、母さん…俺はそういうのどうでも…」
「ふふん。まぁまぁイロハさん。そんなド陰キャ社不くんは放っといてさ。」
アカリは目の前の重箱に目をやり、まだかまだかという表情で母を見つめる。
「…あのな。俺には別に何とでも言えばいいけど、外でそんな発言したら、女として以前に人としてどうかと思われるぞ。」
「そうよ〜?アカリ。あんたはお母さんの子だから、イイ男を見る目ちゃんと育ててると思ってたのに。」
「んまっ、この人は男のようで男じゃないからね〜。私のお眼鏡には…」
「良い加減にしろ。新年から不快にさせるな。」
「はーい!ストップストップ!せっかくお母さんの腕を振るった宝石箱があるんだから、早く食べましょ!」
兄と妹はお互いに不貞腐れた顔で気まずい空気が立ち込める中、母は重箱を次々に開けていった。
先ほどまで苦り切った表情を見せていた妹だったが、
重箱が開かれるとケロッと態度を変え、
手の込んだおせち料理をダボハゼのように食べ始めた。
(やれやれ…。)
ユキは深くため息をつきたかったが、気づかれるとまたくだらぬ言い争いに発展することは目に見えていたため、グッと抑えた。
すると、流れていたテレビ番組のBGMが急に止まった。
『えー速報です。ただいま速報が入りました。
総理大臣より急遽、”緊急記者会見”が行われる模様です。
速報です。速報が入りました。
これより総理大臣による”緊急記者会見”が行われる模様です。』
先ほどの和やかな雰囲気が一変し、ベテラン男性アナウンサーが表情を引き締めた。
「あら!何かしら。まさか新年早々暗いニュースじゃないでしょうね…。」
画面を見つめる3人の顔には、微かすかに不安の色が走った。
『ただいま映像が記者会見場に繋がったようです。これより映像が切り替わります…』
切り替わった映像には、堅苦しい雰囲気の会見場ではなく、豪華なホテルの宴会場のような華やかな会見場と、壇上に上がるアンドロイド総理大臣の微笑む姿が映し出され、”ネガティブな会見ではない”とすぐさま3人は直感した。
『国民の皆さま、新年あけましておめでとうございます。
泰然 陽一朗です。
平素より多大なるご支援とご声援を賜り、心より御礼申し上げます。
本日の会見は急なお知らせとなり、
ご心配をおかけした方もおられるかと存じます。
しかし、これからお伝えする内容は非常に明るいものです。
どうぞご安心いただき、気持ちを楽にしてお聞きください。』
会見場に張りつめていた緊張の空気が一気に緩み、
記者席から笑い声が漏れた。
『皆様には、新年のおめでたい時期にお知らせしようと考えておりました。
かねてより温めてきた構想である、”革新的なエンタメ国家構想”に向け、
記念すべき第一歩を踏み出すことができましたことをお伝えいたします。』
壇上に巨大なホログラム映像が浮かび上がり、
ざわついた会場の様子が画面越しに伝わってくる。
『こちらにご覧いただきますのは、本邦初……いや、世界初公開となる
超知能搭載型ゲームスタジオマシン ”悠都”(ユウト) です!』
『おおーー!』
先ほどまでの会場のざわつきがどよめきに変わり、
出席した記者陣のフラッシュが集中したせいで、
映し出されている映像が一瞬、真っ白になった。
『この名前には、理想郷を意味する”ユートピア”と、世界中の人々を喜びや感動に包み続ける”悠久の都”を創るという二つの想いが込められています。悠都の強みは、企画・開発・グラフィック・音楽・サーバー・レンダリング・デバック・VR空間生成システムなど、ゲーム創作に必要なすべてのツールや機能を網羅している点です。さらに、全自動で制作・テスト・修正・配信・改善・メンテナンスまですべて単独でこなします。特に革新的なゲーム世界の構築能力は、世界でも類を見ません。』
「ユートピアとゆうと…ただのダジャレかよ。…いや、アンドロイドギャグなのか?」
アカリが冷ややかな視線とともに言い放った。
『人類史上初の試みであり、私の悲願でもあった、”超知能マシンによる単独でのオンラインゲーム開発”という前代未聞のプロジェクトは、早くも大詰を迎えております。』
「なぁんだー…!ゲームの話なのね。まったく…。そもそもアンドロイド総理大臣が新年早々、緊急記者会見でゲーム発表ってどんな時代よ。心配して損しちゃったわ!……いや、この憂国を案ずる感覚はきっと間違ってないはず!」
普段であれば、一人でブツブツ言っている母を冷めた表情で見つめているであろうユキが、今回の公表には驚きを隠せず、ただ茫然と画面を眺めていた。
『…実は完成間近というこのタイミングで、ゲームのさらなるブラッシュアップを図るため、”ベータテスト”を行いたいと、悠都から打診がありました。』
「ベータ…テスト…?」
疑問符で覆われている母を尻目に、ユキはいぶかしげな表情で静かに聞き入っていた。
『つきましては、ベータテストのテスター……つまり、”初期体験者”として悠都の独断により50名の方を選出いたします。選出された方には、何らかの手段で悠都からアプローチがあるかと存じます。国民の皆さまにおかれましては、もし悠都からアプローチがあった場合、前向きにご検討いただければ幸いです。―――
私からお伝えすることは以上となります。
これからの日本の発展に、どうぞご期待ください。
皆さまにとって素敵な1年となりますよう、ご祈念申し上げます。
以上をもちまして、会見を終了させていただきます。
本日はお忙しい中ご足労いただき、誠にありがとうございました。』
総理大臣が深々と頭を下げると、記者陣のカメラのフラッシュが一斉にさく裂した。
アンドロイドSPに囲まれながら、総理はそそくさと会場を後にする。
総理の退出と同時に画面が切り替わり、唖然とした表情のアナウンサー2人の顔が映し出された。
『はい。以上、総理大臣による記者会見でした。驚きましたね~!そして、ついにですよ藤森さん!
『はい!ついにですね!いや~新年早々驚きました!』
『ほんとですね~!』
『オンラインゲームにすでにハマっている私からすると、初期体験者に選ばれたいという思いが沸々と湧いてきますが…悠都の独断で決めるとのことでしたね。』
『はい!悠都からどのようなアプローチが来るのかも気になります!』
『視聴者の方の中には、悠都から連絡が届く方がいるかもしれませんからね。』
『考えるだけでワクワクしますね!…っと、途中緊急会見が入りましたので、どうやらお時間が来てしまったようです。でも、おかげで新年早々、明るいニュースをお届けできてよかったですね!』
『ええ!このプロジェクトは世界からも注目されていましたからね。しかし、会見で具体的な見通しが立ったことで、これからさらに過熱するでしょう!』
『それでは皆さま、素敵な1年をお過ごしください~!』
~♪
「…なんだかすごい時代になったわね~。こんなややこしい時代に若者じゃなくて少しホッとしてる自分がいるわ。」
「なにそれ~!嫌味ですか?ま、私は選ばれたところでラッキーとも思わないけどね。」
ユキは母と妹の会話が聞こえない全く別の世界にいるようだった。
(人工知能が単独で作ったゲームの世界…か。たしかに面白そうだな。だが、ベータテストはどうして”募集”じゃなくて”選出”なんだ? )
いつの間にか宝石箱のようなおせち料理は空の重箱へと変わっていた。




