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極限報道#71  異常性の顕在化はいつからか 午後8時に人格が変わる

舞台は近未来。世界で戦争、紛争が頻発し、東アジアも国家間の緊張が高まる中、日本国内では、著名人が相次いで殺されたり、不審な死を遂げたりしていた。社会部調査報道班のエース記者大神由希は、背後に政治的陰謀があり、謎の組織が暗躍しているとみて、真相究明に走り回る。

 大神は自宅に戻るとすぐに、マイカーを運転して中野区の住宅街に向かった。目的のマンションに着いたのは午後11時過ぎ。思い切ってインターフォンを鳴らした。


 「はい」。女性の声がした。


 「夜分に申し訳ありません。朝夕デジタル新聞の大神由希と申します。鏑木係長はお帰りでしょうか」

 「まだですが」。そっけない返事だったが、嘘をついている様子ではなかった。

 「わかりました。申し訳ありませんでした」と謝った。


 大神はマンション入り口から30メートルほど離れた、薄暗い路上にマイカーを駐めた。運転席から入り口が見える。


 「今日はここが死に場所だ」。夜回りの最後に、目的の人が帰ってくるまでひたすら待ち続けることを、「死に場所で待つ」と先輩たちが言っていた。一日の最後の仕事という意味合いがある。


 早朝に桜木の遺体を発見してから、警察による長時間の取り調べが続いた。昨夜もなかなか寝付けなかった。運転席で鏑木の帰宅を待っている間、ついうとうとしそうになった。ブラックの缶コーヒーを飲んでしのいだ。


 そもそも鏑木は帰ってくるのだろうか。桜木の殺人事件の捜査に追われているに違いない。沢木の逮捕も近いはずだ。警察に泊まり込んで帰って来ない可能性は高いが、それは仕方のないことだ。


 静かな通りで、酔ったサラリーマンが車の中を覗きこんできた。運転席に人がいることに気付いて、ぎょっとして立ち去った。大神は車から出て歩いたりもしたが、深夜では怪しまれるだけなので、車内に戻ってひたすら待った。


 入社して横浜で勤務した時は、夜回りが日課だった。「刑事が帰ってくるまで待て」とデスクに言われ、明け方まで粘ったことも何度もあった。東京社会部に来てからは、夜回りは社有車を使うようになった。だが、今は事実上、「謹慎」の身だ。マイカーを使っての夜回りとなった。

 

 午前1時45分。1台のタクシーがマンション前に停まった。後部座席の男が金を払って降りてくる。鏑木だった。大神は近づいて行った。鏑木は予期していたようだった。


 「まあ、上がれ。話はそれからだ」

 鏑木のマンションに入ると、妻が起きて待っていた。


 「こんな時間まで待ってたのね。記者さんも大変ね」と妻がねぎらってくれた。リビングのテーブルに座った。妻はコップにビールを注いで、鏑木の前に置いた。ビール瓶とソラマメなどのつまみがいくつか置いてあった。大神の前にはウーロン茶とお菓子が置かれた。


 「今日は署に泊まり込むつもりだった。家に電話すると、女房が『大神さんが来た』と言うじゃないか。『放っとけ』と言ったら、女房にひどく叱られてな。『記者さんが夜遅くに来るのは、よっぽどのことでしょ。会うぐらいはしてあげないと』と言われたんだ」


 大神はキッチンにいた妻に礼を言った。妻は「私は先に休みますよ。あなたはちゃんとお話ししてあげてね」と言って寝室に入っていった。


 「桜木さんが亡くなっているのを見た時は心臓が止まりそうでした。私がホテルでもっと大騒ぎしていれば、ひょっとすると助かったかもしれないと思うと、後悔ばかりです」


 「いや、鑑識の話では、すでに殺されていた可能性が高い。ところで、君は昨日の午後に私と会っていたということは警察の調べに対して言わなかったらしいな」

 「ええ。情報源の秘匿ということで通しました」

 「それは感心だな。だが、俺は言ったぞ。大神記者と話をしたってな」

 

 「それは構いません」。山の手ホテルの名前が書かれた紙袋を残していったことまで鏑木が言ったのかどうかはわからなかったし、聞かなかった。

 

 「事件は口封じですか?」

 「それ以外にないだろう」

 「『防衛戦略研』の仕業ですね」

 

 「そうだろうな。警察内部の協力者からホテルを聞き出したとしか考えられん。なんでも聞け。今日は話してやる。女房からも念を押されたからな」。はにかんだように言った。


 昼間は鬼のように怖い刑事でも、夜、家に帰ると妻には頭があがらない人が多い。不規則な勤務で家族に負担をかけていることで負い目を感じているからだ。

 

 鏑木の話では、桜木は後藤田に誘われて、「防衛戦略研」のリーダーに就任した。三友不動産の給料とは別に、月々20万円を受け取った。病気の親の介護費用として使っていたらしい。三友不動産では広報室長だが、「防衛戦略研」では、後藤田の秘書としての役割を担っていた。


 梅田彩香が殺される現場を目撃していたことは間違いない。郊外の屋敷が舞台で、ナイフが使われたことや黒ずくめの男たちが実行行為者だったことなど沢木の話と一致した。


 桜木は「あまりにも残酷な殺し方だったが、なにより怖かったのは、社長が殺害の様子を見ながら笑っていたことです。目が見開かれ、瞬きもしない。この世のものとは思えない不気味な存在として隣に立っていた。何度もあの日のことが思い出されて悩まされました」と話したという。


 警察に通報しなかったことについては、「自分も同じ目に遭わされると思うと、怖くて何も言えなかった」と言い、後藤田の人間性については、「経営者としては最高の人でした。中堅幹部の時からリーダーシップを発揮し、バブル後の厳しい時代にあっても三友不動産を発展させた。追い詰められた状況でも判断に間違いがなかった。ただ、夜になるとまるで人が変わった。興奮するクスリでもやっているのではないかと思うほどハイテンションになり、言葉遣いも行動も乱暴になった。眠らなくても平気らしい、とみなが言っていた。部下は午後8時以降は社長に近寄らないようにしていました」と話したという。


 鏑木はビールがなくなると、棚からウイスキーのボトルを持ち出して、そのままストレートで飲み始めた。

 「沢木はどうなりましたか?」

 「部下が東京まで連行して取り調べて、逮捕した。すべて隠さずに話している。沢木は、後藤田を逮捕し、裁判でも死刑にする際の有力な証人になる」

 

 「後藤田の異常性は、カルト宗教の影響があったのですかね」と大神が聞いた。

 「後藤田をよく知る人物によると、少年時代からうぬぼれが強く、他人に冷淡で、何をやっても罪悪感を感じることがなかったようだ。恐怖心も欠如していた。一方で、人を説得する話術、人心掌握術にたけて、人の弱みをつかみとる天才だったらしい。サイコパシーの傾向がみられていた。頭脳明晰で学生時代も社会人になっても常にトップを走っていたが、なにかがきっかけとなって、異常性が顕在化した。さらに丹澤と出会い、『防衛戦略研』の非合法活動の一環として当たり前のように殺人を重ね、快感を覚えるようになったのだろう。特異な宗教との出会いは、組織内で殺人を正当化する理屈づけに役に立ったわけだ」


 大神は、午後8時に発生した父の交通死亡事故のことを思った。19年前のことだ。後藤田の異常性が顕在化したきっかけは、あの事故だったのだろうか。


 「ひどい頭痛に襲われるようになった」と後藤田は言っていた。だが、本当のところはわからない。


 ただ、おぞましい感覚だけが込み上げてきた。


(次回は、■時速100行で書き上げる)


お読みいただきありがとうございました。

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