極限報道#57 甘酸っぱい香りに幻惑 「はい、お世話になります」と大神は言った
舞台は近未来。世界で戦争、紛争が頻発し、東アジアも国家間の緊張が高まる中、日本国内では、著名人が相次いで殺されたり、不審な死を遂げたりしていた。社会部調査報道班のエース記者大神由希は、背後に政治的陰謀があり、謎の組織が暗躍しているとみて、真相究明に走り回る。
「お断りします」。大神はきっぱりと言った。
「この映像を観てはっきりしました。国民の不安を必要以上に掻き立てている。まさに洗脳映像です。『一人一殺』の思想も受け入れられない」
「なぜ、断る?」
「なぜ、殺す?」
「まだわからないのか。入会すれば情報統制大臣だ。断れば、どうなるのか、わかっているはずだ」
「狂ってる。狂気の集団だ」
スクリーンの映像が次々と変わり、ナレーションが流れた。
「戦争のない世界がやってくる。核兵器はすべて廃棄だ。あらゆる差別は根絶される。世界大統領の元で、世界共通言語で語り合おう。平和で楽しい社会を築いていくために」
突然、甘酸っぱい香りがどこからともなく漂い始めた。
大神は一瞬、眩暈がした。全身の力が抜けていく。同時に、体がゆっくりと溶けていくような感覚に襲われた。気持ちもリラックスしていく。不思議な香りのせいだろうか。居心地がとても良くなってきた。何て気分がいいんだろう。このまま眠ってしまいたい。
「参加しなければ今、ここで殺される」「大臣になるか、死を選ぶか」。頭の中が混乱してきた。そもそも生きていくのは辛く、しんどい。良かれと思って行動を起こしても、誰も認めてくれない。評価してくれない。
だが、ここでは違う。9人が仲間になろうと言ってくれている。
これほど期待され、頼りにされることなんてあるのだろうか。このまま、就任要請を受けてもいいのかもしれない。平和な世界を作り上げる。すごい偉業ではないか。人生を賭けてみる価値はある。煙がもうもうと沸き立ってきた。客席全体が白く染まった。大神の周囲だけにスポットがあてられ、赤く染まった。
幻想的な雰囲気の中、後藤田が静かに言った。
「どうだ、大神君。これが最後の誘いになる。力を貸してくれないか」
「はい」。か細い声だったが、大神の声だった。
「ほぉ」。壇上にいる人間から歓声が起きた。互いに顔を見合わせた。
後藤田は満足そうにうなずいた。映像がちょうど終わったところだった。拍手が起き始めた。しばらくして後藤田が手を上げると、拍手は止まり、劇場内は静まり返った。
「小さい声で聞こえづらかった。メンバーに加わる決断をしたんだな。返事をもう一度言ってくれ。大きな声で言ってくれ」。後藤田が自信満々に再度聞いた。
「は、は、は、はいっくしょん!」。大神は大きなくしゃみをして、手のひらで口の周りをぬぐった。
「失礼。なんだかくすぐったくて、くしゃみをしてしまった。はしたなくてごめんなさいね」
そう言って鼻をつまんだ後に言った。
「この香りとスモークはなに? 正気を失いそうになったじゃない。妙な演出だったね。暗黒舞踏劇ですか。こんな殺人と金集めが大好きな狂った組織に、私が加わるはずがない。狂気の集団は消えてなくなれ!」
今度は大神が舞台俳優になったかのように威勢よく啖呵を切った。
誰もが唖然とした表情を見せた。しばらくして後藤田がゆっくりとした口調で念を押すように言った。
「なるほど、わかった。残念だが伊藤、金子と同じ運命をたどることになる。惜しい人材だった」
「やはり伊藤さん、金子さんを殺したのはあなたたちなのね。岩城さんも計画的に殺害したんでしょ」
「ファ、ファ、ファ、岩城か。あいつは何でも反対だった。別にそれはそれでよかった。だが、『防衛戦略研』に関心を持ったのは間違いだった。ゼネコンの秋田支店長から情報を仕入れたんだが、そのやり方がえげつない。弱みを握って監禁して暴力で脅し上げた。我々もみなびっくりしたんだ。岩城は内実を知りすぎた。君との違いを教えようか。岩城は金に汚かった。労働者の権利と言いながら、不祥事やトラブルなど企業の弱みをつかんでは金を脅し取っていた。自分が遊ぶ金欲しさにね。アルコール中毒なんだ。なんと我々をも脅してきた。甘く見ていたとしか言いようがない」
「ウソだ。岩城さんはそんな人ではない。正義感から調査をしていたのです」
「庇うのは勝手だがね。君は人の表面しか見ていない。誰にでもダークサイドがあるんだよ。この組織に入れば、嫌というほど学ぶことができたのにな。残念だ」
「ゼネコンの秋田支店長も行方不明だ。連絡がとれない」
「いくら脅されたと言ってもペラペラと内情を話す奴はだめだ。生かしてはおけない。日本海の魚のエサになっているよ」
後藤田はそう言って両手を広げて困った顔してみせると、ほかの「シャドウ・エグゼクティブ」がつられるようにケタケタ笑った。
「梅田さんは。梅田彩香さんは?」
「もうこの辺でいいだろう。きりがない。無駄な時間を使ってしまった。君の殺害方法について教えよう。ひと思いで殺さない。郡山教授が担当だったがこの世にいないので、代わりにここにいる全員が順番に刺して殺す」
後藤田の目がぎらぎらと輝き出した。
突然、ステージの下から、大きな物体がせり出してきた。そこに真っ赤なスポットライトがあたった。巨大なパイナップルのような固形物にナイフが差し込まれていた。不気味な光を放っていた。
辛島が最初にナイフを抜いた。そして壇上から降りてゆっくりと大神に近づいてきた。
「狂ってる」。大神が叫んだ。辛島は大神の目の前に来て、ナイフを突き出した。右肩に深く突き刺さった。大神は膝をついた。肩から血が噴き出した。
「本当に死ぬんだ」。激痛が全身を貫いた。辛島はナイフを引き抜いて壇上までゆっくりと戻って行った。別の男が辛島からナイフを受け取った。そして壇上から降りて、ゆっくりと大神の方に向かってきた。
その瞬間だった。ゴゴゴという大きな爆音がした。ミサイルでも落ちたのかと思わせる振動が響いた。建物の外からだった。その後も大きな爆発音が鳴り続けた。銃撃戦が行われているような感じだった。バリバリバリという音がして、建物の一部が破壊された。
ステージ上の照明が落ち、客席が一斉に照らし出された。
大神は右肩の激しい痛みに耐えられず、うずくまったままだったが、異変が起きていることだけは察知できた。
一体、何が起きているのか。力を振り絞り、顔を上げた。ナイフを持った男がいた。顔に見覚えがある。競泳選手の遠藤駿だった。遠藤は表情を変えずに近づいてくる。まるでロボットのようだ。大神のすぐ前に来た時、ナイフを振りかざし、そして振り下ろした。
大神はわずかに体を動かしてかわそうとした。ナイフが腰のあたりをかすった。鈍い痛みが走った。その時、壊れたドアから人がなだれ込んできた。そのうちの1人が逃げ出そうとした遠藤にとびかかった。
大神は意識が朦朧としてきた。「死ぬのかな、私」。そう思った。
でも悔いはなかった。
「これですべてが終わるんだ。狂気の野望は潰えるんだ。よかった……」
「ユキ―」と呼ぶ声が遠くで聞こえたような気がした。
意識が遠のいていった。
(次回は、虚報、誤報のオンパレード)
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