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極限報道#38 母は悲しみ、娘は復讐に燃える  経営の厳しさ増すメディア業界

舞台は近未来。世界で戦争、紛争が頻発し、東アジアも国家間の緊張が高まる中、日本国内では、著名人が相次いで殺されたり、不審な死を遂げたりしていた。社会部調査報道班のエース記者大神由希は、背後に政治的陰謀があり、謎の組織が暗躍しているとみて、真相究明に走り回る。

 休みが2週間目に入った。8月初旬、蒸し暑い日が続いた。熱中症でイベント会場の来場者やスタッフがバタバタと倒れたというニュースが流れている。死者の数も過去最多にのぼった。とにかく尋常な暑さではなかった。外気に触れた瞬間に、なにか特別な熱い膜に体全体が包まれたような感覚になる。


 大神は1人で旅に出ることにした。この1週間、特になにも起きなかったことで社のOKがでた。行き先については遊軍キャップに連絡しておくことが条件だった。警察には何かあれば必ず真っ先に連絡するように念を押された。


 旅先は少しでも涼しい北海道にするか、東京よりもさらに暑そうな京都にするか迷ったが、結局、京都に決めた。

 大学の卒業旅行で同じゼミの親友と2人でまわった大原三千院を起点にしたコースがとても気に入り、また訪れたいと考えていた。ほかにまわる所は、京都に行ってから考えればいい。仕事で行くのではないのだ。のんびりしよう。


 旅立つ前の日、殺害された伊藤青磁社長の妻、亜紀夫人を訪ねた。借りていたUSBメモリーと2つの仮面を返すためだ。事前に電話して自宅に行くと、執事が待っていて、すぐに広いリビングに通された。


 亜紀夫人がソファーに座っていた。物音で振り返った亜紀夫人と目を合わせた大神は一瞬、挨拶が遅れた。顔から生気が失われているように見えたからだ。伊藤社長が亡くなった直後に出会った時から相当年齢を重ねた印象だった。

 「あら、大神さんだっけ。どうしているの?」。亜紀夫人の方から言葉を発した。落ち着いた様子だが、声に張りはなかった。

 「取材を続けていますがなかなかうまくいかなくて。空回りばかりしています」

 「なにかわかった?」

 「いろいろとわかってきたことはありますが、犯人の特定まではいっていません」。亜紀夫人はこの後、次々に質問してくるだろう。大抵のことは正直に話そうと思っていた。


 「防衛戦略研」の正体に少しでも近づくことができたのは、亜紀夫人との出会いと資料提供があったからだ。だが、亜紀夫人は「そうなの」と言ったきりだった。目も虚ろだった。事件への関心を失っているかのようだった。USBメモリーと仮面を手渡しで返した。


 「『防衛戦略研』の仮面舞踏会に出席しました。奥様からお借りした仮面を被ったのですが、それが目立ってしまって。出席者が私のことを奥様だと思い込んでしまって、挨拶までさせられそうになって大変でした。でも取材にはとても役に立ちました」

 「あっ、そう」。やはり返事に力がなかった。


 玄関の方で音がした。長女の伊藤楓が帰ってきた。大神が挨拶すると、「あっ、大神さんですか。とてもお会いしたかったんです」

 明るく元気な声だった。そして母親の方を見た後、少し場所を移動して小声で話しかけてきた。


 「母は気持ちが不安定で、不眠が続いているんです。昼間もぼーっとしていることが多くなってしまって。記憶が飛んで、突然小学校時代のことを話し始めたりするんです」

 「そうだったんだ。少し元気がないなと思っていた。心配だね」

 「父が亡くなった直後は、犯人を自分の手で捕まえるんだと言って張り切っていました。気持ちを高揚させることで、悲しみを押し隠していたんだと思います。でもそれは無理なことです。今はもう、虚脱感で何もやる気が起きないようです。食事も喉を通らないようで、5キロもやせてしまった。抜け殻みたいになっちゃって……」


 「大変ね。『犯罪被害者の会』の会合には出ていないの?」

 「今も会の案内は来ているけど行っていません。外出する気力もなくなってしまったようです」。楓は心配そうに話した。


 「ところで大神さん。報道の世界ってどんな感じですか」。楓が急に話題を変えてきた。「私、記者になりたいんです。だから今、メディア関係の講義を意識して受講しているんです。いろいろと教えてください」

 「いいわよ、相当きついよ。でもなんで記者になりたいと思ったの?」


 「前からメディアの世界には興味があったのですが、父が殺された事件で決心がつきました。なんで父がこんなひどい目に遭わなくてはいけないのか。しかも犯人も捕まっていない。ひどすぎませんか。記者になって、悪と戦うんです」


 大神は学生時代の自分を見るような気持ちになっていた。大神の父は交通事故で亡くなった。楓の父は惨殺され、しかも犯人は逮捕されていない。

 「マスコミ業界はどこも経営が厳しいんですか? 講義で教授が言っていました」

 「うん、新聞は部数が激減しているし、広告も集まらない。いつつぶれる社がでてもおかしくない状況でね。テレビも頼みの綱のスポット広告が伸びていかないし、キー局を中心にローカル局が再編されている。M&Aに邁進しているテレビ局もあるけど、成功した例は少ない。ネットの世界でもニュース社の経営はなかなか厳しい。どこの社も生き残りをかけてあの手この手で経営の安定に必死よ。でも、媒体の様相がいかに変化していっても、報道記者という職業は決してなくならない」


 「世界で今何が起きているかを知りたい人はいっぱいいるし、それを取材して正確に伝える人はどんな時代になっても必要ですよね。それと、大神さんみたいに悪とか不正と闘っていかなければならない」

 

 「そうそう、その気持ちが大事だね。私は目標になるような実績は挙げていないけどね。表面的なことだけではなくて、隠された真実を見極めようと取材している人は世界中にいっぱいいる。そういうジャーナリストになれればいいね。でも体力も必要だよ」

 「体力には自信があります。今、同好会だけどバレーボールのキャプテンしているんです。それと、仕事はきつい方がいいんです。余計なことを考えずに済むし。とにかく、卒業後は仕事に邁進したいんです」


 「わかった。見込みありそうだね。なんでも聞いて」

 楓は記者を志望しているというだけあって、世界情勢も含めて質問は鋭い内容が多かった。できるだけ丁寧に答えていった。溢れかえる情報の中からニュースを嗅ぎ分け、取材し、報道していくことの意味を伝えた。

 

 同時に危険と隣り合わせの仕事であることもわかってほしい。時の権力と対峙することもあり、世界中でジャーナリストが年間50人以上暗殺され、数百人が拘束されている現実についても詳しく説明した。楓は目を輝かせて聞いていた。厳しい労働環境の記者職を、若者が避ける傾向が顕著になっている。そんな中でも、楓のように記者を目指す学生がいることはうれしかった。

 

 その間も、亜紀夫人はぼーっとテレビを見ているだけだった。マンションを出るとき、楓が言った。

 「またいろいろと教えてくださいね。それと、父を殺した犯人を見つけ出してください。犯人がわかれば、母は元気になると思うんです」

 

 マンションを出て公道に出た途端、大神の目から涙があふれた。亜紀夫人は最愛の人を殺されたショックで、あんなにも落ち込み、覇気がなくなってしまった。お金は十分すぎるほど遺産として残されているはずだ。でもお金ではない。仕事はできるが遊び好きだった夫にやきもきしながらもずっと愛していたのだ。心の支えだったのだ。


 大神の涙は止まらなかった。


 (次回は、■「防衛戦略研」の実態を知る男)

お読みいただきありがとうございました。

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