極限報道#37 恋人は土下座して謝った 2週間の休みに入る
舞台は近未来。世界で戦争、紛争が頻発し、東アジアも国家間の緊張が高まる中、日本国内では、著名人が相次いで殺されたり、不審な死を遂げたりしていた。社会部調査報道班のエース記者大神由希は、背後に政治的陰謀があり、謎の組織が暗躍しているとみて、真相究明に走り回る。
大神は休みに入り、最初の1週間は自宅マンションで過ごすことにした。警察の定期的な巡回が始まった。警察からの呼び出しがある時は、警察車両に乗って警察署に移動し事情聴取を受けた。
夜、1人でいる時、マンションの1階正面玄関のインターホンが鳴った。 「まさか、暗殺者?」
休みにはいって以降、母親や他の来訪者はいたが事前に電話かメールで連絡があり、約束した時間通りの訪問ばかりだった。緊張して体がこわばった。玄関を映し出すモニター画面のボタンを押した。
河野だった。「スピード・アップ社」近くで若い女性と会っているのを目撃して以来、大神の方からは全く連絡を取っていない。もう3週間になる。河野からメールが来ても、電話がかかってきてもすべて無視していた。
「なんの用? 忙しいんだけど」と、大神がインターホン越しにつっけんどんに言った。
「忙しいって、長期休暇だって聞いたよ。どうしたんだよ、事件に巻き込まれて大変な時こそ傍にいて力になりたいんだよ」
リビングで、2人は向き合った。
「拉致事件、大変だったね。もう大丈夫なのか」
「大丈夫なはずないじゃない」
「なにを怒っているんだ。ずっと心配していたんだぞ。電話してもメールしても返事がない。無視されることほど辛いことはなかった」
緊張した取材が続いていた大神にとって河野と一緒にいると心が安らいだ。報道に携わる者同士の会話は、いつも弾んだ。ネット業界のど真ん中で苦労しながらも新しい道を切り開こうともがいている姿も好感がもてたしできるかぎりの応援もした。結婚するのであれば現実的な選択として河野しかいないと思っていた。
それだけに、7月11日夜の河野の行動にはショックを受けた。「もう二度と会わない」と決め、夜中、1人で泣いた。ひとしきり泣き明かした後は気持ちを切り替えて、「防衛戦略研」本社への取材に向かった。
「返事がなくて辛かったというけど本当なの?」
「本当に決まっているじゃないか。もちろん一番大変だったのは由希だと思うけど、俺も随分と心配したんだ。一体どうしちゃんだ。俺のこと嫌いになったのか。なんか気に障ること言ったか」
「7月11日の夜は何をしてたの? 私が夕食に誘った日だけど」
「あ、ああ、あの日ね。言ったろ、スポンサーとの大事な会食だったんだ。由希の方から誘いがあるなんて珍しくてうれしかったけど残念だった。今思うと、スポンサーの方は断って由希と一緒にいればよかった」
「銀座で食事だったの?」
「ああ、ああ。どうしたんだ。デートを断ったことを怒っているのか」
「あなたが仕事しているのに怒ったりするはずないじゃない。それにしてもスポンサーって、若い人なのね。しかも女性だったのね」
「えっ」。河野は鳩が豆鉄砲を食らったような表情になった。急におどおどし、目が宙を泳いだ。
「なんで知っているの。まさか、興信所かなんかで調べていたのか? 探偵を雇ったとか」
「まさか」
「じゃあ、なんで……」
「知っているのかって? ねえ、私たちの関係って一体なんだったの。すれ違うことだっていっぱいあったと思うよ。私も仕事で追い詰められた時とか、随分冷たくあたったこともあった。でも嘘はつかなかったよ。嘘をついてごまかし続けるというのはどうなの。そんなことでお互いが信じ合えると思う?」
河野は黙っていた。
「あの日はとても会いたくなった。取材中にいろいろとあってあなたに傍にいて欲しかった。愚痴を聞いてほしかった。それで『スピード・アップ社』の近くまで行ってから電話をしたの。でも夕食の誘いを断られたからすぐに帰ろうと思った。私も急な誘いの時はよく断っていたものね、『仕事で忙しい』って。でも、断られたその直後にあなたが会社から出てきた。通りの反対側からしばらく目で追っていた。そうしたら女の人と会って腕を組んで歩いていく。私には見せたこともないような笑顔でとっても楽しそうだった。嫉妬したわ。私は2人の20メートルほど後ろを付けていた。そしたらフレンチレストランに入っていった。わたしにとっても思い出のお店。私はまた、テレグラムした。そして家に帰った。それがすべてよ」
河野はじっと聞いていた。目を伏して床を見つめていた。
「何か言ってよ。言うことがないなら帰って」
「ごめん、嘘をついていた。本当のことを言う。あの女性はうちの会社の大スポンサーの銀行頭取の娘さんなんだ。大学3年生。マスコミ志望で、ネット業界でニュースを専門に扱う会社の現状を知りたいと言ってきたんだ。父親からの直々の頼みだから断れなかった。1回目はうちの会社の会議室でレクチャーしたんだ。そしたら、次は食事でもしながら話を聞きたいということになって。ものおじしないというか、我儘というか、世間知らずというか。すぐに親しげになり、どんどんボディータッチしてくるんだ。参ったよ」
「そうだったんだ。とてもうれしそうに見えたけどね」
「報道を目指している明るい学生と話していると元気をもらえる気分になったのは確かだけど……」
「私はいつも難しい顔ばっかりしているからね。それでフランス料理を食べた後はどうしたの。嘘はつかないでね」
「お店を出た後、大田区の自宅にタクシーで送って行って別れた。会話は報道のことばかりだった。由希の話もして自慢したんだ。そしたら由希に会いたいと言っていた」
「へー、そうなの。今度はいつ会うの?」
「それは」。河野は言おうかどうか迷っていた。「実は明日、会う。もっと報道の現場のことを知りたいって言うから」
「どこで? 現場を体験するというなら会社にでも来るの」
「いや、明日は渋谷になった。彼女が通っている大学の近くだ」
「随分やさしいのね。でもいいんじゃない。報道に関心をもってくれる人は今時珍しいし、大事にしないとね」
大神は今、自分が記者になって、相手を問い詰めていることに気付いた。河野が言っていることが本当であれば、記者志望の女子学生と食事をしただけではないか。自分だって男性と食事をしたりすることもある。そんなことをふと思ったその時、河野が突然、ソファーから下りて、絨毯の上で土下座した。
「すまない、嘘をついたことは謝る。もう二度と嘘はつかないから許してくれ。明日会うのもやめる」。絨毯に頭をこすりつけて言った。
「土下座なんてやめてよ。事情はわかったけど、しばらくそっとしておいて。明日その女子大生に会うのを止める必要はないと思う。しっかりと報道のことを話してあげたらいいから」
「俺は……俺は、由希のことを愛しているんだ。こんな状況で言うのはおかしいけど、結婚を申し込みたいとずっと思っていたんだ。なかなか言い出せなかったけど」
河野とは大学時代からの付き合いだが、「結婚」という言葉が2人の会話の中で出たのは初めてだった。ロマンティックな言葉のはずが、一方が土下座をしているというあまりにもひどい状況下で発せられるとは思いもしなかった。
「ゆっくりと考えたい。しばらく休みがとれるからその間に、落ち着いて考えてみる」
河野は頭を挙げて大神を見た。何かを言おうかどうか迷っているようだった。まさか勢い余って結婚の申し込みはしないとは思うが、もし切り出されたらなんと答えたらいいのかわからない。
「今日は帰って」。機先を制して言った。本当に帰って欲しいのか、このまま傍にいて欲しいのか、曖昧な感情に揺れたが、続いて口から出たのは、「土下座する姿なんて見たくなかった」。追い打ちをかける冷たい言葉だった。
河野はゆっくりと立ち上がった。
「わかった。俺の気持ちは変わらない。ずっと待っているから」。それだけ言うと、マンションから出て行った。
(次回は、母は悲しみ、娘は復讐に燃える)
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