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極限報道#35 大神は必要とされていないのか 無期限の休暇を言い渡される

舞台は近未来。世界で戦争、紛争が頻発し、東アジアも国家間の緊張が高まる中、日本国内では、著名人が相次いで殺されたり、不審な死を遂げたりしていた。社会部調査報道班のエース記者大神由希は、背後に政治的陰謀があり、謎の組織が暗躍しているとみて、真相究明に走り回る。

 大神は、逮捕・監禁、傷害、殺人未遂事件の被害者であり、目撃者でもある。

 警察からの事情聴取を数日間にわたって何度も受け、事実をありのままに話した。仮面の男らに「3億5800万円の金額を誰から聞いたのか」という追及を受けたことから、「防衛戦略研」常務の権藤とのやりとりの延長で拉致されたことは疑いようがない。

 

 しかし、権藤は事件直後から雲隠れして行方はつかめていない。

 大神と永野を拉致したのは、「雲竜会」という暴力組織のメンバー5人だったことが警察の調べによって明らかになった。

 

 そして、捜査を担当した刑事が最も驚いたのが、永野の指をペンチで粉々に砕いた仮面の男の素性だった。羽谷組幹部、小林一騎によって顔面が粉砕された人物は、物理学の権威として知られている国立大学教授の郡山寿史だったのだ。


 あまりにも場違いな郡山がなぜ、この乱闘の真っ只中にいたのか。わずかに意識は残っているが、重体で事情聴取できる状況ではなかった。


 拉致された大神と永野を助けたのが、広域暴力団山手組系羽谷組の葉山若頭や小林ら7人の組員だった。羽谷組と「雲竜会」との間で激しい乱闘となった。人数も多く、抗争の準備をしてきた羽谷組の方が圧倒する形となった。

 大けがをしたのは「雲竜会」の方が多かった。だが、羽谷組の葉山若頭は拳銃で撃たれて意識不明の重体になった。葉山を銃撃したのは、「雲竜会」の平総一郎であることが判明した。平は逃走し、殺人未遂容疑で指名手配された。


 大神は警察の調べに対して、「『防衛戦略研』の組織形態は不明な点が多いのですが、郡山は『シャドウ・エグゼクティブ』という肩書の最高幹部の1人だと考えられます。敵対する人物を排除することが義務づけられています。一方、捜査で明らかになった『雲竜会』は、『防衛戦略研』の指揮下にある暴力組織に違いない。『雲竜会』はいたるところでトラブルを引き起こしています。岩城さんを殺害したのも『雲竜会』だと疑っています。『防衛戦略研』を徹底的に捜査し組織の実態を解明して摘発してください」と強く訴えた。


 事件から数日たっても壮絶な記憶が薄らぐことはなく、正気ではいられなかった。連れ去られたうえ、目の前で永野が指を潰され、葉山が撃たれた。暴力団による壮絶な殴り合いを目の前で目撃した。相手が死んでもいいという本気の乱闘は、骨が折れたり、肉がつぶれたりする乾いた音が当たり前のようにした。時々テレビで観るボクシングとかプロレスという決められたルールのもとで行われる格闘技とは全く違っていた。


 事件から4日後、警察の集中的な事情聴取がひと段落つき、大神は新聞社に出社した。すぐに社会部長の西川に呼び出された。

 「今回の事件は未解明なことが多すぎる。実行行為者の多くは逮捕されたが調べに対して口を閉ざしている。そのため、『雲竜会』に指示した人物が誰なのかわかっていない」。西川が言った。


 「ずっと追いかけてきた『防衛戦略研』が遂に悪の正体を現しました。捜査に合わせて、徹底的に取材して追い込みましょう」

 「もちろん取材は続ける。ただ、君自身は今回の事件の被害者であり、まだ危険が去ったわけではないことも事実だ」

 「私は大丈夫です。少しショックは残っていますが、あと2、3日休ませてもらえれば回復します。警察の事情聴取が終われば、いつでも取材にかかれます」


 「そのことだが、君にはしばらく休んでもらうことにした」

 「えっ、どういうことですか」

 「相手は殺人を平気で犯すような組織というじゃないか。しかも君自身がターゲットになっている可能性がある。首謀者が摘発されていない中で、君をこれ以上、取材で出歩かすわけにはいかない。危険すぎる。事件のショックだって簡単に消えるわけではないだろう。健康面からも長期の休養が必要だ。とにかく休め。仕事から離れろ。いいな」


 強い口調による厳命だった。大神は、4月にテレビ局から社会部に戻ってからほとんど休みなしで働き詰めだった。自ら進んで取材に駆け回っていたためだった。

 「いえ、休んでいる暇なんかありません。ようやく『防衛戦略研』と『雲竜会』が目の前に姿を現したのです。ここで取材を途切れさせたらこれまでなんのために走り回っていたのかわからなくなります」


 西川は持っていた1枚の紙を大神に見せた。人事、総務を統轄する管理本部長から編集局長と社会部長に宛てた警告文だった。

 大神が休みなく働いていることを示した勤務表と、管理職として休みを取らせなかったことの責任を厳しく問う内容が書かれていた。


 「決められた休みを取るというのは社員の義務だ。疲れ切った中での判断は誤まった方向に進む傾向がある。今回の事件についても避けられたことかもしれない。君を攻めているわけではない。私が無理矢理でも休ませなかったことがいけなかった。今回は命令だ。編集局長にもきつく言われている」


 自分が休まず働いたことで人に迷惑をかけてしまっている。なにも言えなかった。

 「長期休養って、どれぐらいの期間ですか」

 「無期限だ。休めるだけ休め。それだけ大変な思いをしたんだ。事件が解決して君の身に危険がなくなったと判断できればまた取材に戻ればいい」


 「無期限と言われても」。「寝耳に水」の宣告で戸惑うしかなかった。


 「それからもうひとつ。君にパワハラの疑いがかかっている」

 「えっ、どういうことですか? 私がパワハラをしたというのですか」

 「そうだ。部下に休みを与えないとか、結婚の邪魔をしたとか、プライベートなことをちゃかしたりしていないか」

 「橋詰君のことを言っているのですか? 橋詰君が訴えたのですか?」


 「誰からの情報かは言えない。だが、橋詰からの訴えではない、と言うことだけは言っておく。君と橋詰のこれまでのやりとりを見たり聞いたりした人物からの連絡だ。複数いるんだ」

 「橋詰君は何と言っているんですか?」

 「俺が直接事情聴取した。笑って否定していた。大神先輩と冗談を言い合っているだけですよ、と彼は言っていた。だが、他人から見たら限度を超えた指示はパワハラと言われても仕方がないんだ」


 ショックだった。何も言うことができなかった。

 「とにかく休むんだ。わかったな」


 「緊急を要する取材はどうしましょうか。やり遂げてから存分に休みたいのですが」

 「君の取材が広範囲にわたり相当深いところまで入り込んでいたことはわかっている。それは、別の記者にやらせる。君がいなくても大丈夫だ。明日から休め、いや、今からだ」


 「君がいなくても大丈夫だ」と言う社会部長の発言に、大神は一気に力が抜けていった。戦力外通告を受けた気分になった。


 「それではまず1週間、休ませてもらいます」

 「短すぎる。仕方がないな、じゃあ、とりあえず2週間休め。明日から8月10日ごろまで自宅か実家か安全なところで待機だ。ホテルに籠ってもいい。その場合は費用は会社が出す。その後は盆休みだ」


 大神は「約2週間の完全休暇」をとることになった。部長に勧められて会社の診療所に行き、心療内科の診察を受けた。2週間の休みをとることについては「賢明な判断だ」と医師に言われ、心を落ち着かせる薬をもらった。毎日3錠飲むように言われた。極度の不安に襲われたりしたら必ず来院するようにと念を押された。


 帰る時に橋詰とすれ違った。

 「橋詰君、ごめんなさい。パワハラをしたと言って社会部長から厳重注意を受けました」


 橋詰はしばらく、きょとんとしていた。そして思い出したように言った。

 「そういえば、部長から聞かれました。『大神からパワハラを受けていないか』って。否定はしておきましたけど。でもいい機会だ。これからは無茶は言わないでくださいね」。橋詰は笑って言った。

 「わかった。それから、休んでいないから2週間休むようにと言われた」

 「あっ、いいですね。会社に言われたなら思いっきり羽を伸ばしたらどうですか」と言った後、真剣な顔になった。


 「会社の上層部は何もわかっていない。大神先輩が相手をしているのは、最高権力なんですよ。さらに殺人集団ともつながっている可能性が大きい。そんな巨大な狂気の集団を敵に回して、先輩は孤軍奮闘しているのに、全く評価しない。先輩の活躍をやっかんでいる連中の訴えばかりに耳を傾ける。どう考えてもおかしいですよ。それから、この会社、なんか変ですよ。先輩とか俺がどう動いているのかを監視されているような感じなんです。気味が悪い。先輩も十分に気を付けてくださいね」


 大神は自宅マンションに戻ってソファーに寝転んだ。4月以降、自分の身に起きた数々の出来事を振り返っていた。急に不安な気持ちに襲われた。確かに心身ともに疲れ切っている。だが、本当に今、2週間も休暇をとっていいのだろうか。取材対象は、殺人集団なのだ。


 「雲竜会」のメンバーは逮捕されたが、「防衛戦略研」の「シャドウ・エグゼクティブ」らは誰も逮捕されていない。郡山寿史は重体だが、闇組織の主体は生き残っているのだ。チーム取材の端緒をきり、ようやく核心に近づいている自分こそは、貪欲に取材活動を続けていかなければならないのではないか。関係が深い「孤高の会」は「今、日本は戦時下にある」と言って、防衛、攻撃力の強化、核の保有を主張し、支持を広げている。


 焦りが高じて切羽詰まった感情にとらわれた。入社当時の新人研修を思い出していた。

 大先輩が講師を務めた講義があった。

 「なぜ、記者を目指したのかが大事だ。生き詰まった時に、初心を思い出してほしい。そしてもう1つ、記者個人ではなく、新聞社としての『初心』がある。それは、第2次世界大戦で日本が敗れた後、『報道機関としての戦争責任の明確化と役員ら幹部社員の総退陣』を掲げて社内革命が起きた時の宣言だ。第一線の記者から沸き起こったものだ」

 そう言って新聞記事のコピーを新入社員に配った。1945年12月10日付、一面の囲み記事だ。敗戦後3か月たってようやく新聞としての戦争責任を明確にしたうえで謝罪し、今後は「国民と共に平和を守り抜く新聞社」として進んでいくと誓った内容だった。


 老齢の講師は言った。「戦争に加担した新聞は敗戦で一度は死んだ。再び発行するならば、国民に対する謝罪と二度と同じ過ちを犯さないという誓いが必要だった。それでようやく読者から新聞の発行を許されたのだ。改めて言う。どんなことがあっても二度と戦争を起こしてはならない。戦争に反対する、戦争になりそうな動きが少しでも垣間見えたら断固として戦う。これがわが社の初心なんだ。昭和の苦い経験は今も生きている。覚えておいてほしい」

 

 老講師はそう言った。日本の現状についてのコメントはなかった。それだけに余計に心に響いた。大神は入社前に新聞の歴史を独自で学んだが、目の前の老講師の生の声を聴いて感銘を受けた。記者を続けていく上での心の拠り所になった。


 一方、今の報道の現場はどうだろうか。その精神、初心は生きているのだろうか。明らかに戦争に突き進んでいきそうな気配があちこちに漂っている中で、社を挙げての取り組みは全くなされていない。


 平時には「権力チェック」を声高に叫んでいるが、今、社会部では部会さえも開かれていない。チェックどころか、権力に迎合していると言われても仕方のない情けない状況だ。


 そして、確かなことがある。この緊迫した状況の中で、大神は必要とされていないということだ。

 失意と絶望、そして孤立感――。新聞社に入社以来、抱いたことのない感情に襲われた。息苦しくなり、 心療内科でもらった薬を飲んだ。しばらくすると心は落ち着いてきた。


 もう考えるのはやめにしよう。「孤高の会」も「防衛戦略研」もいったんすべて忘れてみよう。頭の中を空っぽにして2週間の休みを満喫するんだ。そう思いながら深い眠りに入った。


(次回は、雲竜会の正体)




お読みいただきありがとうございました。

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