極限報道#2 IT社長惨殺される 「猟奇的すぎる」 調査報道班 大神由希 耳を疑う
舞台は近未来。世界で戦争、紛争が頻発し、東アジアも国家間の緊張が高まる中、日本国内では、著名人が相次いで殺されたり、不審な死を遂げたりしていた。社会部調査報道班のエース記者大神由希は、背後に政治的陰謀があり、謎の組織が暗躍しているとみて、真相究明に走り回る。
「キンコン、キンコン、キンコン」
4月10日午後9時10分、朝夕デジタル新聞社の編集局にスピーカーを通して鐘が響き渡った。契約している通信社が重大ニュースの速報を流す直前の合図で、この音だけは昭和の時代から変わらない。地方に配られる朝刊早版の原稿締め切り時間まで10分を切り、紙面制作に携わっていた者たちのテンションは最高潮に達していた。緊迫した空気を切り裂く異質な鐘の響きに、だれもが瞬間、動作を止め耳をそば立てた。
「午後7時過ぎ、インターネット会社『トップ・スター社』社長の伊藤青磁さんが東京の高尾山の山中で遺体となって発見されました。49歳。全身に無数の刺し傷があり、警視庁は殺人、死体遺棄事件として捜査を開始しました」
社会部デスクの田之上幸雄のダミ声が編集局中に響き渡った。「速報をデジタルとテレビ局へ。新しい情報が入り次第、データを追加していけ。明日の新聞朝刊は一面、社会面とも総取り替えだ」。記者たちの動きが一気に機敏になった。
伊藤社長は高校を卒業後、インターネットのビジネスを学ぶ専門学校に通い、在学中にネット広告を主な業務内容とする「トップ・スター社」を設立した。M&Aを積極的に進めてゲームやメディアなど多方面に事業を拡大。設立から20年でグループ企業の年間総売上は7000億円を超えた。
2年前にはインターネットテレビを開設。猫を使ったテレビCMは物語風に連日展開され話題を呼んでいる。伊藤社長の派手な行動とSNSでの独特なつぶやきの連投もネット上で注目を集めていた。
田之上は警視庁記者室のボックスとつながった専用線で、警視庁担当キャップの興梠守から捜査についての詳細な報告を聞いた後、泊まりの内勤記者に向かって大声で叫んだ。
「犯人は逮捕されていない。伊藤社長は高尾山中で殺され、吊り橋脇の崖下に投げ捨てられたらしい。殺しの本記は警視庁ボックスが書いて送ってくる。社会面のサイド記事は内勤で作って、遊軍キャップがまとめてくれ。降版までぎりぎり粘るぞ。人となり、経歴をまとめて、よく知る人の反応を至急とれ。最近の会社のトラブルや伊藤社長にまつわる出来事を聞き出せ。経済部が経済界の反応をまとめるからそれも参考にしろ」
輪転機が回りだす時間が降版で、社会部のデスクが、紙面割りを担当する整理部デスクへ原稿を回す締め切りは通常、その1時間前に設定されている。だが、突発的な事件、事故、災害などニュース性が高い場合は降版ぎりぎりまで記事を突っ込んでいく。
当番デスク席から少し離れた遊軍記者の席が並ぶ一角で、社会部に届いた「タレコミ」をチェックしていた大神由希も、伊藤社長殺害事件の報に耳を疑った1人だ。
入社5年目。横浜総局を経験して社会部へ。そのまま系列の全日本テレビに2年間出向し、今年4月1日付で社会部に戻ってきた。27歳、独身。遊軍の中の「調査報道班」の一員だ。
「すごく感じのいい人だったのに。まさか絶頂期の今、殺されるなんて」。大神が独り言のようにつぶやくと、隣の席の橋詰圭一郎が「へー、伊藤社長に取材したことあるんですか」と驚いたように聞いた。
大神は伊藤社長に一度だけ会っている。慶西大学の3回生だった時、所属していた「メディア研究会」が主催する講演会に講師として来てもらった。すでに「時の人」となっていた伊藤社長の話を聞くために大講堂は700人を超える学生で一杯になった。
「10年後のメディア環境」と題した1時間の講演の後、最初に質問に立ったのが大神だった。「報道に乗り出す予定はありませんか」「報道の倫理はネットニュースで守られますか」と単刀直入に聞いたところ、「半年後に報道チャンネルを開設する予定です」「独自の倫理規定を策定します」と伊藤社長は間髪入れずに答えた。報道チャンネルの開設はまだ公表されていない極秘のプロジェクトで、この時の発言は最新ニュースとなって新聞、テレビ、ネットが取り上げた。
講演会が終わった後に挨拶に行った時、「君も卒業したらわが社に来て報道チームの一員として手伝ってくれないか」と言われ、うれしくなったことを覚えている。気さくで偉ぶるところが全くなかった。大神は結局、デジタルにも積極的に進出していた老舗の朝夕デジタル新聞社に入社したが、「トップ・スター社」は、「トップ・チャンネル」という24時間休みなしでニュースを届けるニュースサイトを立ち上げ大成功していた。
大神は橋詰に講演会の模様をかいつまんで話した。
「先見の明があるのはわかっていたけど、学生の質問に丁寧に答えるとか、サービス精神も旺盛だったのですね。最近はマスコミには無愛想な対応しかしないので、大神先輩が語るエピソードは意外です」。1年後輩の橋詰が言った。
「それにしても無数の刺し傷とか、猟奇的すぎるよね。最近行動が派手だったから、ボディガードをつけていそうだけど」
「24時間ガードできるわけではないでしょ。本業が成功して以後、部下に経営の大半を任せていたようですね。政治にも関心を持っていて、SNSでの発言は誰に対しても遠慮会釈がなくて、『ふざけんな』って各界から反感を買っていた。敵も多くて、相当恨まれていたようですよ」と橋詰が言った後、「ところで、大神先輩が用意周到に準備してきた力作が、この事件で飛んじゃうかもですね」と一見気の毒そうにしながら、どう反応するのか興味津々といった様子で大神の表情を窺った。
この日は締め切りが深夜となる都心向け最終版の社会面トップ用に大神が特ダネを出稿していたのだ。ゲーム機大手の企業がサイバー犯罪グループから「ランサムウェア」による攻撃を受けていたことが明らかになったという内容で、ゲーム機会社は犯罪グループからの「身代金」の要求に応じなかったため、個人情報が流出、システムが動かなくなるという被害に遭った。
警察は極秘裏に捜査を続け、ヨーロッパに拠点を置くハッカー集団による犯行であることを突き止めたが、摘発にはいたっておらず発表もしていない。海外のハッカー集団からの攻撃を受けた企業が、犯人側に「身代金」を支払って被害を最小限に食い止めようとするケースが数年前から激増している現状も別稿にしてまとめた。テロリスト集団を国が背後で支援しているケースが増えていることにも触れた。
大神は企業と国名を実名で書いていたため、念のため、紙面の最終点検で、日付が変わるまで会社に残る覚悟を決めていた。
一面とか社会面トップの予定だったのが大事件や災害の突発的な発生で日の目をみなくなるということは時々あるが、伊藤社長の殺害事件はどんな記事でも吹っ飛ばしてしまうぐらいのインパクトがあった。
「サイバー攻撃の記事ならご心配なく。他社には察知されていないのでまだ数日は持つから。今日小さく扱われるよりもまるごと残してくれた方がありがたいんだけど、どうなることやら。それより、伊藤社長の殺人事件の取材を手伝わなくちゃ。井上キャップのところに一緒に行こうよ」と大神は言うなり立ち上がった。
「俺、今日はたまたま残っていただけですよ。こんな事件の取材チームに入ったら当分休めなくなってしまうから勘弁してください。それと遅い時間だけど、実はこれから彼女とデートの約束をしているんです」
「デートなんていつでもできるでしょ。さあ」と大神が橋詰をせきたてた。
「雰囲気次第でプロポーズするかもしれない大事な日なのに」とぶつぶつ言いながらも、怒号が飛び交う社会部の中心エリアに向かった。
遊軍キャップの井上諒はデスク席のすぐ横に陣取り、記者の配置についての手配をしながら、次々に集まってくる原稿に直しを入れてデスクに転送していた。
「事件、手伝いますよ。現場に行きましょうか。あるいは自宅周辺の聞き込みをした方がいいですか」。大神が手短に聞くと、井上は即座に答えた。
「いや、もう現場や関係先には捜査一課担当と警察回り、遊軍の記者が向かっている。原稿は泊まりが分担してやるから人手は間に合っている。『調査報道班』は今やっている自分の仕事に集中してくれていい。応援が必要な時にはまた連絡する。それと、大神のサイバー攻撃の記事は今日は使わずにまるごと預かることが決まった。発生もの優先なのでわかってくれ」
「了解です。サイバー攻撃の記事は刈られて短くなるよりも、仕切り直しの方が助かります」と大神。橋詰も「わかりました。自分の仕事に集中します」と急に元気になって言った。
席に戻ってから、「自分の仕事って、あなたの場合はデートでしょ。信じられない」と大神は呆れたように言った。橋詰は国立大学の薬学部出身で薬剤師の免許を持っているという新聞社では異色の存在だ。身長180センチ。ひょろひょろとして一見頼りない感じの理系男子だ。
だが、ツボにはまった時は誰もが驚くような特ダネを取ってくる。長文のヒューマンストーリーを描くような原稿では、第一読者のデスクを泣かせてしまうほどの文章力を発揮する名文家でもあるが、基本は合理主義者。事件取材は苦手というか大嫌いで、新人時代から警察官の自宅を訪ねる「夜回り」などはさぼってばかりいた。
「それでは俺はこれで。自分の仕事に向かいまーす」と言ってリュックを背負って意気揚々と出て行った。
大神は「タレコミ」のチェックを仕上げることにした。警察や報道機関への不正や違法行為、悪事などの情報提供を「タレコミ」と言っているが、情報が水のように「垂れ込む」様子に由来しているという。「公益通報」にあたるような内部告発も増えてきている。
電子データでの情報提供のチェックを終えた後、段ボール箱に無造作に入れられた手紙の残りを読み込んでいく。終わりに近づいてきた時、厚みのある茶封筒が目に入った。封をカッターナイフで開けると、折りたたまれた1枚の紙と資料の束がでてきた。紙を広げると、新聞社への情報提供に至った経緯が書かれたメモだった。
「都心最大の大規模プロジェクトをめぐる不正の温床」
タイトルには、こう書かれていた。
(次回は、■反社会的勢力の暗躍)
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