極限報道#10 伊藤夫人は犯人を知っている? 犯罪被害者の会
舞台は近未来。世界で戦争、紛争が頻発し、東アジアも国家間の緊張が高まる中、日本国内では、著名人が相次いで殺されたり、不審な死を遂げたりしていた。社会部調査報道班のエース記者大神由希は、背後に政治的陰謀があり、謎の組織が暗躍しているとみて、真相究明に走り回る。
薄い水色の空を背景に、綿あめのような雲がふわふわと気持ちよさそうに浮かんでいる。5月のゴールデンウイークを前にした日曜日は快晴だった。
大神は早朝に自宅マンションを出て、港区六本木の区民センターで開かれた「犯罪被害者の会」が主催したシンポジウム兼交流会に参加した。以前取材した殺人事件の被害者遺族と交流が続いていて、「一緒に行かないか」と連絡があり駆け付けた。犯罪心理学を専門に研究しながら、被害者支援活動を引っ張る国立大学教授が「犯罪被害者支援の歴史とこれから」をテーマに基調講演をした後、弁護士らがパネラーになっての討論会が行われた。
大神は小学5年の時に父親を亡くした。交通事故だった。日曜日の午後8時、自転車で買い物に出かけ、後ろから来た乗用車にはねられた。頭を路上で強く打ち、病院に運ばれたがすでに死亡していた。あまりにもあっけない、突然の死だった。家を出る直前、1週間後のゴールデンウイークに久々に2泊3日の家族旅行をしよう話したばかりだった。
車を運転していた39歳の男は業務上過失致死容疑で現行犯逮捕され、「自転車が車道の端から急にセンターライン側に寄ってきて避けられなかった」と証言した。助手席の男の婚約者も同様の証言をした。ほかに目撃者はおらず、現場付近に防犯カメラは設置されていなかった。運転していた男の言ったことが本当なのか、あるいは嘘なのか、全くわからない。ただ、父の遺体を前に、「悔しい」としか言えなかった。
男は不起訴になった。その通知があった直後、男は線香をあげさせて欲しいと1人で家に来た。母は断った。大神は母の手をじっと握ったまま、男の顔を睨みつけた。20年間、公務員として真面目に働いてきた父はこの世にいないのに、加害者である男は喪服を着てそこに立っている。なによりその事実が受け入れられず、何の罪にも問われないことが不思議だった。
母は父の死をきっかけに心を病み、病院で長期間、療養生活を送った。大の仲良しだった3歳下の弟は両親に可愛がられて育ち、とてもやさしい子だったのに、父が亡くなり、母が入院した後、明るさを失い、学校にも行かなくなった。なにかと面倒をみていた由希に対しても暴力を振るったりするようになった。
「不条理」な死は、つつましく、幸せだった家庭を一瞬で変えてしまった。大神は以後、身の回りで、日本で、世界中で、今なにが起きているかを理解しようとする時に、まずは、「不条理」という概念を下地にして考えるようになっていた。新聞記者になってからも、「不条理な死」「理不尽な事象」に直面することが増えた。というか、新聞紙面を飾る刺激的な記事の大半が、「不条理」と「理不尽」に溢れているように思えた。
大神が書いた原稿は、思い入れが強すぎて、デスクに「過剰な感情移入は必要ない」と削られることが繰り返された。そのたびに、自分の思いを自然な形で記事に盛り込めるようになりたいと思い、文章力を磨いていった。取材の面では、「真相究明」にとことんこだわるようになっていた。事件、事故などあらゆる事象が起きると、「なぜ」「どうして」という理由、原因を徹底的に調べた。父の死の原因がはっきりせずにもやもやした気持ちをずっと引きずって生きてきたからかもしれない。各地で開かれている「犯罪被害者の会」のシンポジウムや講演会にはできるだけ出席した。
この日の参加者は20人ほどだった。トラックの無謀な左折で自転車に乗っていた長男を失った母親、通り魔殺人で妻子を亡くした男性……。年月が経ち、表面上は穏やかにしているが、事件、事故のあったその日から悲しみと、言い知れぬ喪失感を抱えた過酷な運命を過ごしてきた人ばかりだった。
大神を誘ってくれたのは、2年前に夫が殺人事件の犠牲者になった幸田晴美だ。彼女の夫は大手商社の管理職で、大神はこの企業で起きた不正事件について亡くなる前にインタビューしていた。都合の悪い質問にも誠実に答えてくれた。その人が殺害された。大神が線香をあげに自宅を訪れた際、幸田夫人はやさしく接し、取材にも応じてくれた。それ以来、交流が続いている。幸田夫人の子供2人にはお姉さんのように接し、相談相手になってきた。
シンポジウムで幸田夫人の隣に座り、休憩時に子供たちの近況について話を聞いた。幸田夫人はふと、最後列に座っている女性の方を向いた。「あの方、先日なくなった『トップ・スター社』の伊藤社長の奥様の亜紀さんよ。派手な服装をして、気丈に振る舞っているけど、とてもショックを受けていてね。なんとか力になってあげたいと思って、『被害者の会』を紹介したの」と言った。
伊藤社長夫人が来ているなど思いもよらなかった。そういえば伊藤社長の自宅マンションはここから近い。亜紀夫人は真っ赤なスカートとブレザー姿だった。みな地味な服装をしている中でひときわ目立っていた。シンポジウムが終わった後の立食の懇親会で、幸田夫人から亜紀夫人を紹介された。
「こちらは朝夕デジタル新聞社会部の記者で大神さん。私が夫を事件で亡くした時に、記者というよりも友達として、随分と相談に乗ってくれたのよ」
亜紀夫人は「幸田さんから大神さんのことを伺っていました。正義感の強い人なんですってね。私はただ主人を殺した連中が憎いだけ。犯人を突き止めて復讐する。その計画に賛同してくれる人なら、来るものは拒まないわ」
「この場で出た話はオフレコにね」と幸田夫人が気を遣って言ったが、亜紀夫人は「いえいえ、全くオフレコにする必要はないわ。私が言うことをそのまま書いてくれても結構よ」と強い口調で言った。
「重大事件ですから、警察も特に力を入れて捜査しています。一刻も早く犯人逮捕に結びつくことをお祈りしています」と大神が言うと、亜紀夫人は「もちろん警察にも協力するわ。しっかりしてもらわなきゃ。私も独自に調べて、必ず犯人にたどりつくから。証拠だってそろっているんだからね。私はむしろ報道機関にものを申したいのよ。事件についてあることないこと書き散らかして。許せないわ」と語気を強めた。
「すみません。伊藤社長はカリスマ経営者として有名な方で、その分、事件への関心が高くなっています。ご遺族の方にはご心痛をおかけしてしまって。事件が起きるたびに繰り返される問題です」
「あなただって好奇心旺盛な記者なんでしょ。評論家みたいに格好つけてもダメよ。ところで警察の捜査はどうなっているの。新聞社ならわかっているんでしょ。警察は被害者の私には何も言ってくれないんだけど」
「警察を直接、担当していないので、今捜査がどうなっているかもあまりよくわかっていないんです」
「頼りにならないわね。まあいいわ。私が話すことをきっちりとありのままを書いてくれる? 犯人もおおよその見当は付いている。取材を受ける条件は、私が話したことをすべて記事にするということ。わかった?」。断定的な言い方に大神は戸惑うしかなかった。犯人について見当を付けているというのがどこまで本当なのか、証拠となるものを持っているのか、皆目つかめなかった。その種の情報はのどから手が出るほど欲しい。記者によっては、「すべて記事にします」と嘘をついて情報をすべて入手し、最後に「デスクのOKがもらえず記事にできませんでした」と言ってけろっとしている輩もいる。だが、大神は違った。
「お話を伺ったことをすべて記事にすることを約束することはできません。内容について関係者にもあたり事実と判断できれば必ず記事にします」
「やっぱり、あなたも同じね。建前ばっかり。これ以上、話をするのはやめましょう。記者というあら探しばっかりしている連中は信用できないのよ」。そう言うと、亜紀夫人は別のグループの輪の方に行ってしまった。幸田夫人は困ったような仕草をしながら大神に言った。
「感情の起伏が激しい方でね。すこし集中力がなくて、話がころころと変化していくの。今は『犯人を捕まえる』と言って、少し興奮状態が続いているけど、反動が心配ね。私の方から後で言っておくわ。大神さんはきちんとした誠実な人だって。さっきも言ったけどああ見えて亜紀さんは相当に堪えているのよ。だから、少しでも親身になって話を聞いてくれる人を求めているの。この会に参加することにしたのも藁をもつかむ思いから。まあ、みんなそうだけどね」
「ありがとうございます。お話を伺うことで少しでもお気持ちの面でお役に立てればうれしいです。それと、正直言えば、亜紀夫人が『証拠もそろっている』と言われていたこともとても気になります。事件の真相に迫るきっかけになるかもしれません」
「記者魂も発揮しなくちゃね。持ち前のバイタリティーで真相を暴いてほしいわ」。幸田夫人の檄に対して、大神は「はい」と答えていた。
翌日、亜紀夫人からメールが届いた。「どうしても取材したいというならどうぞ。自宅でいつでも待っている」という内容だった。幸田夫人がうまく話してくれたのだろう。大神は亜紀夫人の気持ちが変わらないうちにすぐにメールの返事を出して会う約束を取り付けた。麻布の一等地のタワーマンションだった。広々としたリビングのロココ調のソファーに座った。
亜紀夫人は高校を卒業後、歌手になることを夢見て芸能事務所に入った。美人で歌唱力も抜群だったが、それだけで売れっ子になれるほど芸能界は甘くない。クラブやキャバレーでの舞台でバイト代を稼いでいる時に、ネット業界で有名になり始めた伊藤社長に出会った。伊藤社長の「一目ぼれ」で、付き合うようになって1年後に結婚。歌手の道は諦めて家庭にはいった。しかし、社長は芸能人好きで若いタレントと浮名を流す日々を送り、週刊誌で、「離婚も時間の問題」と書かれたりした。
亜紀夫人は自宅で着る服も真っ赤だった。
「それで、何が知りたい? 犯人の名前?」
「犯人の目星がついているのですか?」
「ついてるわ、言ったでしょ。今から言うからメモしておきなさいよ」
「録音もよろしいですか」
「勝手にして」と言った後、夫人はまず3人の名前を挙げた。「3人ともうちの会社の役員よ。みな主人を殺して会社を乗っ取ろうとしていた。単独犯か共謀しての犯行かはわからないけどね」。「それから」と言って次々と名前を出していった。取引先の企業社長、自分に迫ってくるジゴロ、ありとあらゆる人物を容疑者として糾弾していった。
「今挙げられた人がすべて容疑者ですか? 奥様は全員を知っているのですか?」
「直接知っているのは役員ぐらいよ。主人が殺された後に私が自分で調べたの。メールや手紙なんかをチェックしたわ。見たい?」
「見せていただけるなら」
「そう言うと思って持ってきておいたわ」と言って袋に入った文書類を机の上に広げた。トラブルを匂わせる文書、手紙の類が乱雑に重なった。
「犯人を知っている」というのは夫人が勝手にそう思っているということで、「本星」という意味ではなかった。しかし、相当重要な情報であることは間違いない。精神的に参っている夫人に話させるだけ話させて、書類も見せてもらっている自分に罪の意識を感じたが、取材と割り切った。確かにすさまじい社内抗争のようなものはあったようだ。陰謀、告げ口、追い落とし……。伊藤社長が一代で築いた「IT帝国」だが、ここ数年はM&A以外の経営案件は部下に任せっきりで、自分は社内のごたごたから逃避するかのように遊びまわっていた。
大神は相当時間が経った時に、気になっていることを聞いた。
「ところでうちの記事にでていたのですが、伊藤社長の肩書について『日本防衛戦略研究所』の顧問だと書かれていました。この組織について奥様は何かご存じですか?」
夫人は「ああ、知っているわ。『防衛戦略研』ね。夫は人に誘われて入会したんでしょ。どうせ夫の金が目当てなんでしょう。相当な額の寄付をしていたわ」
夫人はあっさりと言った。
(次回は、■防衛戦略研 設立趣意書)
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