表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

歳を取ること

作者: 朝日 橋立

皆さんは、歳を取るということをどう考えるでしょうか?

私は、十五かな? それに本日なります。

しかしだねぇ、この歳で言うべきではないのかも知れませんが、何とも嫌な話であります。


私自身は、きっと一秒ごと、少しずつ成長をしていることでしょう。

けれども、誕生日というのはそれをよく自覚する機会だからこそ、私は酷く嫌いなのです。


それも、私はこの成長を喜ばしく思っていないことに起因するのでしょう。

普通ならば、二十歳かな? それくらいまでは、嬉しい物なのかも知れない。

ですが、私自身はこの成長を退化の裏返しだと思うのです。


例えば、成長というのは幼さの喪失、老成になるでしょう。

私はこの喪失が酷く嫌いなのです。

子供らしいというのは、何とも嫌うべきなのかも知れない。

けれど、それは感性が弱くなっていくことだと思うのです。


私が私なりの哲学を持っているかも知れないのですが、やっぱり自身の能力を喪失するのは、物悲しいのでしょう。

きっとこれから更に思案を重ねることで、今美しいと感じる物が何時かはその美しさを見れなくなることになると思うのです。


単なる世俗嫌いを吐露するだけとなりますが、真面目に書いていきましょう。

私自身はこの成長、老成を幼さの喪失と考えると、先程にも言いました。しかし、同時に先鋭化なのかなとも捉えます。


私はこの先鋭化が酷く嫌いです。

何だか先細りして、消えてしまうような気もします。

けれど、本気で嫌いな理由としては、日和見をしていくからでしょう。


大人達というのが、そういう物で何をするにしても中途半端だと思うのです。

それを無鉄砲さがなくなる良いことと、と言えるのかも知れない。けれどもね。結局、日和見を重ねていければ、その先にあるのは妥協だけしかなくなってしまう。そうであるのならば、日和ばかりではいけないと私は思う。


私は酷くそれを恐れている。

私の書く文学とも言えぬ文章、それが妥協を重ねたらそれに何が残るだろうか。それはもはや文章という形態に残す必要がないのだし、実態が伴わなくなる。であるのならば、それはクソほどの意義がないゴミだろう。


結局の所、私自身は行為の無意義さを嫌っているだけなのかも知れない。

けれども、その無意義の行為を日和見によって生み出すのだとしたら、それは何とも馬鹿らしいことだ。

であるのだから、私は老成に辟易とする。

まあ、単純に死に近づいていることが、恐ろしいのもあるのだろうけどね。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
その手のことを真面目に考えたことあるけど 私は丸くなったみたいに、中年とかが寝言をいうのが、嫌いである。 この丸くなったってのが、長所は そ の ま ま に短所が向上をして、何か能力値六角形チャート…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ