14.5話 ミミック・ミークと妖精の木箱(後)
◇
雨の音が聞こえる。
いつの日かと同じ、大雨。
客の入りは無いと高を括っていたが、がらんと店の入り口が開き、ベルが客の入りを知らせてきた。
「いらっしゃい……お嬢ちゃん」
短い白髪に宝箱を背負った少女が、ずぶ濡れで店に入ってきた。
慌てて店の奥からタオルを持ち出し、少女に被せる。
「どうしたんだ? 値切ろうとしても無駄だよ。一マニエだって……」
「お金、用意した」
「は?!」
一千万マニエを要求したのは昨日。
まだ丸一日も経っていないのに、少女は大金を用意したと言い放った。
冗談だろという気持ちで、手渡された大きな麻袋を受け取り、中を確かめる。
「……ある。本当に一千万マニエ入ってる。どうやって……いや、ダメだ。すまないが、やっぱり売りたく無いんだ」
最初から売る気などなく、少女を騙した事に胸を痛めながら、苦渋の顔で本音を漏らした。
「アレは未完成で、一千万なんて価値はないんだ。俺は嬢ちゃんを騙していた。だから……」
「そんなの、知らない。ちゃんと、お金もってきたから、交換して」
色のない言葉が俺を動揺させる。
「勘弁してくれ……あんな、できそこないを売っちまったら、俺は職人として終わってしまう! 売る気も無いのにテキトーな事を言ってしまったのは謝る。この店にある商品、どれでも好きな物を持って帰ってくれていい。だから……」
大人の俺が我儘を言い、子どもの少女が冷静に約束の履行を求める。
逆転したこの状況を理解していても尚、引くに引けなかった。
この妖精の木箱を完成させる日が来れば、俺はもう一度職人として復活出来るかもしれない。
この木箱を手放すという事は職人を諦めるという事で、職人との死を意味する気がした。
店を畳むと決しても、未練が残っていた。
だから、売りたく無かった。
「いらない。わたしが、欲しいのは、それだけ」
俺の感情がグチャグチャになっていても、少女は意に介さなかった。
目の前が真っ暗になり、様々な後悔が立て続けに俺を痛めつけた。
言葉が詰まり、良い機会だと思う事にして立ち上がった。
よたりよたりと足を伸ばし、店奥にある箱に向かった。
作業台に置かれた妖精の箱に手を掛ける。
一年ぶりに触れた感触に懐かしさを覚えながら、少女の近くにあった台の上に置いた。
「よく見てくれ。ここが彫れてないんだ。だから、これは出来損ないの未完成なんだよ。まだ、間に合うぞ」
大金をドブに捨てるのを辞めさせようと、言葉で止めようとするが、少女は俺を困惑させる言葉を放った。
「ちがう。これは、出来損ない、じゃ、ない」
「……え?」
真っ暗になりつつある視界に一筋の光が煌めいた。
少女なりの慰めかと思ったが、今までの言動からこの少女がそんな事を言うようには思えなかった。
「もう、あなたは完成してる。誰も、あなたの邪魔はしないから、安心して」
その言葉は、俺に向けられたものでは無かった。
その言葉は木箱に、いや彫られた妖精に語られていた。
「見てて」
少女は腕を伸ばし、妖精の箱に手を当てる。
それはいつも、少女が商品を選ぶ時に行っていた仕草だったが、少女の手が妖精の箱に触れると、カタカタカタと少女が背負っていた宝箱が揺れ始めた。
その事にも驚いたが、もっと驚いたのは。
「……妖精が光った」
少女の手に呼応するように、箱に描かれた妖精。
俺の手で彫られた一匹の妖精が光を放ち始めた。
「あなたが、魂を込めたから、妖精が生まれた」
「魂を持った妖精は、目の前にいる、もう一匹の妖精に恋をした。でも、このまま、残りの面を彫ってしまったら、絵は消える」
「絵に恋した木彫りの妖精は、それが耐えられなかった。その気持ちが、箱に箱に込めた魂を通じて、それが分かったから。だから、貴方は掘れなくなった」
「わたしも、同じだから分かる。同じ箱だから、分かる」
「箱に住み着いた妖精にとっては、これで完成。わたしも、これはこのままで、いいと思う」
「おじさん、ありがとう。良いものを、作ってくれて」
口下手な少女が、ゆっくりと一言一言これであっているのかと思いながら話しているように思えた。
俺はその言葉をただ静かに聞いていた。
多くのヒトが一笑に付すような話だが、俺は嘘だとは思えなかった。
「なんだよ、それ。出来てた? 俺は完成品を未完成だと思ってたのか。そりゃぁ、これ以上手を加えられないわな」
やっと出てきた言葉は、ポロポロと涙と共に溢れた。
少女の言葉を全て理解した訳ではないが、俺の職人の魂が叫んで腕が動かなくなった事は理解できた。
「そうか、俺は死んで無かったんだな」
少女の言葉で、心が晴れ渡り、頭の中を覆っていた雲が吹き飛んだ、そんな気がした。
俺の独り言に首を傾げる宝箱の少女。
きっと、俺の気持ちなんて何一つ分かっていないのだろう。
だとしても、確かに少女は俺を救ったのだ。
俺は妖精の木箱を店で一番上等な紙で丁寧に梱包し、真っ新な袋に入れて少女に手渡した。
「金はいらねぇ。持って帰ってくれ」
「そう」
仮にも一千万がタダになったのに、少女の反応は軽かった。
「ところで、そのお金、どうしたんだ? 一千万なんて一日で稼げる額じゃないだろう?」
少女が雨に濡れないように、傘を渡し店先で使い方を教え、別れ際にどうしても気になっていた事を尋ねた。
「お金になりそうなのを、全部、売ってきた。でも、それでも足りなかったから、リンドーに相談した。リンドーは、家を担保? にしたら、お金が貰えるって言った。言う通りにしたら、いっぱい、お金、手に入った」
「い、家を担保に……箱を買おうとした?」
理解出来ない金策に顎が外れそうになるくらい驚いた。
寝るとこは? これからの食事は? 他の家族に説得はしたのか? などと色々な疑問が浮かんだが飲み込んだ。
宝箱の少女は別れを告げると、大雨の中、大事そうに妖精の箱を抱え帰って行った。
「あれの為にそこまでするのか。そんなに、良い物だったんだな」
王への献上品には出来なかったが、当時に尽くした死力が報われた。
「もう一度、彫ってみるか」
同時に、一職人としての炎が再度燃え始めた。
また来るであろう宝箱の少女の為に、いつの日か再会出来たなら、あの老人に渡す為に、俺は作業台に向き合った。
◇
後日。少女が住まう屋敷を訪れた、とある豪商が妖精の木箱を見て、小国一国を買える額を提示した。
しかし、とある同居人の猛説得虚しく、宝箱の少女は応じなかったそうな。




