11-F 戦士に転職した神様の革命
アンクーラ・ワイバーン。
街一つを滅ぼした事がある、ワイバーンでも特に危険な種類。
遠隔攻撃に耐性のあるムルムのように、特殊な鱗があるわけではないが、その家かと思える巨体さは全てを圧倒する。
しかし、このアンクーラの卵は世界有数の美食食材であり、巣に入っては命を落とすものが絶えない。
ルクメリア永世王国危険指定生物図鑑より抜粋。
◇
借りた大きな赤縁の鏡盾を両手で構え、ワイバーン・アンクーラに対峙する。
剣は抜かない。
これは持久戦。どちらか一方が死ぬまでのデスマッチではなく、女将さんのオムレツが完成するまで耐えれば良いだけ。
私は不死身だ。死にはしない。
だが、仮にあの牛をも丸呑み出来そうな大きな口に入ってしまったら、胃液で皮膚は爛れ、骨が剥き出し、死に等しい苦痛を抱くことになるだろう。
街を守る大事でも、世界を救う命運を握っているわけでもない。これはただ、私がリンドー達、ヴァルデエランデ家に帰る為の一つの手段で、美味いメシを皆んなで食べたいだけ。
「これで不味かったら、呪ってやるんだから」
討伐経験はスライムのみ。
「初戦で魔王倒しちゃう変な魔法使いに比べたら、二戦目がワイバーンなんて大したことないわね」
その軽口が戦いのゴングとなった。
私は駆け出す。アンクーラの意識を引く様に、目の前を大きく旋回する。
ただ移動するのではなく、盾を拳で鳴らし、アンクーラへと怒声を浴びせながら、女将さんから私へと注意を移す。
アンクーラの瞳がギョロッと私へと向かれ、体を大きく動かした。
——来る。
巨体を活かした突進か、象を裂き殺すことが出来そうな爪の引っ掻きか。
アンクーラは両の翼を大きく広げ、私へと羽ばたいた。
「風か! くぅっ」
両翼による暴風生成。
傘一本あれば空中散歩出来そうな風が私へと襲いかかる。
咄嗟に移動を止め、地面に盾を突き刺す。
構えた盾に風と共に足場に散らばった木の枝が当たっているのを感じる。
盾の横から半目になりながら顔を出す。目に見えたのは風に乗って動かんとする、ゴロッとした岩。風に無理矢理動かされた岩は、坂を転がるように一直線に私へと転がってくる。
「あっっぶ。岩は無理!」
少し風で押されつつも、倒れるように横に二回転。
岩を寸で回避する。
このまま膠着が最高だが、アンクーラも巣に侵入した敵を長々と放置はしない。
羽ばたきを止めたアンクーラは巨体を揺らし、私へと駆け寄ってくる。
「防御? 移動? 回避?」
一瞬の思考。
体が直撃しなくても、アンクーラの足に蹴られれば、一撃でノックダウン。
意識が天に召される。
そんな攻撃を女将さんみたいにいなしたり、防御できる筋力はないし、移動してもスピードの差で必ず追いつかれる。
ならば。
「回避!」
巨体故の穴。足と足の隙間へと滑り込む。
そのまま私は他の卵の影に隠れ、息を整える。
隠れたのが功を奏し、私を見失ったアンクーラは、首を右左と振り、敵を探していた。
一瞬、女将さんの方へと注意を向けると、女将さんは巨大な卵に拳を叩きつけ、卵を割っている最中だった。
卵には亀裂が走り、割れ目から中身が顔を覗かせる。
「……どんな怪力よ」
アンクーラもその音を聴き、女将さんに目線が動く。
「っと、いけない。こっちこっち!」
もちろん、そんなことはさせない。
今の私は囮、女将さんの料理を邪魔させる訳にはいかない。
盾を地面に叩きつけ、大きな音を立てる。
「おぉーい、ここにも卵あるわよ〜。こんなとこに置いといたら、割られちゃうよ〜」
慈悲の女神じゃなかったら、ここにある卵を雛質にとって交渉するのだろうが、そんなことは出来ないので、口だけである。
言葉はきっと分からないだろうが、私が卵に盾を叩きつける素振りを見せるとアンクーラも意図を感じ取ったのか、雄叫びを上げ、空へと駈けた。
「どこへ…………」
上空を二度旋回した後、確実に私へと目を付けると、落下するように滑空を開始した。
「躱されないように押し潰す気ね」
私目掛けての踏み付けなので、先ほどの股潜りはもう出来ない。
避けても風圧で吹き飛ばされ巣から吹き飛ばされるし、毎度の如く巨体を受け止めるパワーなど無い。
出来ることとすれば、この卵を盾にすることぐらいなのだが。
「あれ? 卵あるのに突っ込んで来るってことは、まさか、卵の一個や二個犠牲になってでも私を潰す気なの?! この薄情モノ! アンタの卵でしょうが!」
その家で卵を盗もうとした挙句、巣の中で卵を調理している外道は私達なのだが。
いやいや、そんなことを考えている場合じゃない。
「やばいやばいやばい」
轟音と暴風を纏い、流れ星の如く斜め四十五度に降り注ぐアンクーラを前に私は足が竦み、頭が真っ白になった。
死にはしないこと故の一種の諦め。
盾を構える腕がぶらんと立ち下がり、ただアンクーラを見据える。
「痛いのは嫌なのだろう。その手に持っているのはなんだ。身を守る方法は一つとは限らない」
そんな言葉が聞こえた気がした。
男の声。私がこの世界に導いた濃紺のローブの人物のクールな口調。
彼にとってはそれが当たり前で、私には出来ないと思っても、きっと彼には出来るのだろう。
——なら、代わりに助けてよ。いつもみたいに、決戦兵器で吹き飛ばしてよ。
ここにはいない幻聴にそう思うが、頼ることは出来ない。なぜなら、アンクーラの巣にいるのは女将さんと私だけ、その男の姿形はないのだから。
ただ、その言葉は燃料となり、私の頭を再起動させた。
「手に持っているのは盾。これで、防ぐ? 出来ない。盾の下に隠れる? 踏まれたらペシャンコ。盾として使わない? なら……ッ!」
アンクーラから目を離し、盾を見ると、そこには私の姿が映っていた。
盾には本来必要のない、鏡面。
それはただの装飾かもしれず、用途もまた別の物かもしれない。
ただ、もう他の手は思いつかない。
私は、天に輝く太陽に盾を構え、そのまま、斜めに傾けた。
「いっけええええええええええええええ!」
雄叫び、自然と文明の力を合わした普通の現象。
入射角と反射角で繋がれた太陽光線は真っ直ぐ、迫り来るワイバーンの瞳を捉えた。
「ぎゃあおぉぉぉぉぉぉぉん!!」
ワイバーンの痛々しい絶叫が巣中に広がる。
突然目を刺激した光にアンクーラは思わず目を塞ぎ、翼を動かした。そしてそれは、滑空進路を狂わす原因となった。
私の真上を通り過ぎたアンクーラは、巣に生えている岩の中へと墜落した。
「ふぅぅぅ」
アンクーラが落ちたことを確認してから息を整える。
盾を持つ手は震え、汗でびっしょりと濡れていた。
ここまで如実に死を実感したのは久しぶりだった。
リンドーの決戦兵器が数回。魔王城滞在中に、真っ黒教会の鞭ブラザーズと植物型モンスターに襲われた時とか。後は、チョビ髭首やかぼちゃ頭の幽霊屋敷はずっとだし。この前の街に来た時のワイバーンも怖かった。
「……思ったより、多いじゃん」
クスッと自分で笑ってしまう。
死の恐怖なんて日常茶飯事なのに、今回ほどではない。
どれもこれも、アンクーラとの一騎打ちと同じくらい大大大ピンチなはずなのに。
その理由は、
「そっか、皆んながいたから、怖くなかったんだ」
リンドーやミーク、ストーナがいたからいつもビビり散らかすような場面も、案外なんとかなると思っていたのだろう。
今回はそれがない。
「大切なのね。仲間って……いや、そもそも……なんで、慈悲の女神である私がデカブツワイバーンと戦う羽目になってるのよ」
神生何が起こるか分からないとはこのことだ。
「オムレツ、そろそろかな」
私はそう思い、アンクーラから目を離し、女将さんの方へと視線を移す。
安堵からの油断。それはいつだって次の恐怖への布石となる。
「ギャアアアアアアアアオオオオオオオオオオオオン」
今日一番の音が鳴り響いた。
手が勝手に耳を塞ぎ、盾を落とす。
音の方へと目がスライドすると、そこには砂煙から這い出てきて口を大きく開いたアンクーラの姿が。
「しまっ」
ドラゴン系の怪物が口を開くといった攻撃動作を取ると言う事は。
漫画でもアニメでもゲームでもお馴染みの、アレが来る。
慌てて盾を拾おうとしたが、ワイバーンの口は赤く光り始め、火炎放射器ばりに勢いよく炎を吐き出した。
「うそ、うそ、うそ、うそ、うっそー!! 火はマズイって! こんがり焼けちゃうぅぅぅぅ」
半端に盾を拾おうとし、避ける為の動きが出来ず。
もちろん盾が拾えていないので身を防ぐことも出来ず。
卵や岩等の遮蔽物もないので、直撃は免れない。
つまり、この後に待っているのは私の丸焼きコース。
目を塞ぐ、近づいた火は徐々に私を温め、そして焼き、焼き……
「焼かれてない!」
「待たせたね!!」
「女将さぁぁぁぁぁぁん!」
炎は大柄の女性によって防がれていた。
「オムレツは出来たの?」
「丁度今、火入れをしている最中さ」
その言葉で気づく。
手でも盾でもない、私を守っていたのはフライパン。
そしてそのフライパンは半熟トロトロの卵が広がっていた。
そう、アイギスはワイバーンの吐いた炎で調理を続けていたのだった。
「さてと仕上げと行くかね」
火加減を確かめながら、手首をクイっと動かしオムレツの形を整えていく。
ワイバーンの攻撃を防いでいる関係上、フライパンは横ではなく、縦で放っておいたら、そのまま落下する形なのだが、落ちない。
絶妙なスナップがそれを可能にしているのか、オムレツは自我を持ったようにフライパンに接したまま、完成系へと近づき。
よく見る楕円形を形成すると、女将さんが取り出した皿の上へと着地した。
「出来た! それじゃ帰るよ!」
「でもここからどうやって、脱出するの? もうワイバーンは怒らせちゃってるし行きと同じ方法は使えないし、山道を降りてっても追いつかれるわよ」
「どうするって、そりゃぁ、こうするのさ」
女将さんのにこやかな笑顔を見た私は、何故か悪寒が走った。
女将さんが落ちていた赤い盾を空中へと投げたかと思うと、私の体は抱えられ、脇に挟まれ巣の端へと駆け始めた。
そして、
「ひぃやほっー!」
「ぎぇえええええええええええええええ!」
それは波乗りのように、雪滑りのように、岩壁を赤い盾で滑る女将さんの姿があった。
岩壁とも呼べる道無き道をブレーキ無しで滑る、いや落ちる。
右手にはオムレツの乗った皿。
左脇には私。
なんとも奇妙な絵面と共に、私は命綱無しのジェットコースターを体感したのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「あはは、どうにかなっただろう」
「死ぬかと思ったわよ!」
アンクーラを撒いた私たちは、来た道を折り返し森の中で一息ついていた。
アンクーラよりも岩山を滑る恐怖が、まだ私の心臓をバクバクと音色を奏でている。
「はいよ。これが、約束の品物さ」
「……『神の一皿』」
皿に彩られた金糸ような卵の丘。
ケチャップやその他調味料を感じさせない、香り立つ卵そのもの。
風に晒されたはずなのに、未だ温かみを感じるのは正しく『冷め知らず』。
今にも崩れそうなケーキを受け取るように、大事に受け取った私は、神の一皿に胸を打っていた。
「ほら、さっさと行きな。家族が待っているんだろう」
「ありがとう。女将さん! 今度ちゃんと食べに行くから!」
「気長に待ってるよ」
私は決して落とすまいと心に誓い、帰り道半日分の緊張の糸を結び直した。




