16-P 幻想と現実
ストーナ=ヴァルデエランデ。
彼女は代々『王の盾』を輩出する名門の家庭に生まれた。
『王の盾』とは文字通り王族の身辺を警護する要職で、その役職を全うするには暗殺者を撃退する武だけではなく、暗殺者の行動を予測知恵に並外れた直感も必要で、武人の中でも一握りのエリートが付けるものだった。
彼女の母親でヴァルデエランデの当主は厳格な人物であった。
昔から続くヴァルデエランデの伝統を重んじ、ただ強くあれと言う言葉を己の子らに伝え鍛え育てた。
その結果、兄は母の武を十全に引き継ぎ、妹は天性の才能で高性能の魔法が扱えるようになった。
だがストーナには何も無かった。
それなりに強く、それなりに優秀で、それなりに出来る。それがストーナの限界で、努力の果て。普通の家ならば、諸手を挙げて喜ばれるような出来た子。しかしヴァルデエランデという家に置いてはそれは落ちこぼれと同義だった。
王を守る盾としての英才教育は失敗とされ、地方の街の騎士団長という地位を任された。
早々に身限られ故郷である王都を追いやられる形になったのだが、ストーナには恨みも僻みも無かった。例え王都に残ったとしても、武人としての才の限界、家柄の重圧、母の期待に応えられないという恐怖に押しつぶされるよりはマシだと思ったのだ。
そうしてストーナは自分の限界を決め、どう足掻いても届かない境地を知った。
自分が勝てる範囲で戦闘を楽しみ、少しでも勝てる見込みがあるなら力を振るう。明確に超えられないと悟った壁以外は。
だから、家に帰り荷物を纏め出発しようとしたストーナが一度敗北した相手に挑もうと、自室から出る扉を開けられないのも、また当然の事だった。
「おいビビってんのかァ! 動けよ! リンドー達の命が危ないんだろ! 助けを求められたんだろ!」
どんなに力を入れても鍵の掛かっていない扉が行く手を遮る。
『勝てるのか?』
脳内に言葉が響く。
手も足も出ずに負けた相手。今持ちうる全てを叩きつけ、恥を捨てリンドーの魔法に頼ったのにも関わらずの完敗。それに加え全身鎧の人物はまだ隠した力を持っている可能性もあり、どう考えても敵うはずがない相手。
今から出発しても何日も掛かる現状。
今行った所で、着いた頃には、皆んな死んでいるかもしれない。そうなれば、ただ火に飛び込む虫のように何も出来ず死ぬだけ。
『この家に生まれた以上、死ぬ時は王の盾となる時だけです』
『強くなりなさい。強くなければ我が子とは認められません』
『ヴァルデエランデを捨てなさい、ストーナ。貴方には騎士という生き方も向いてはいません。あのヒトと同じようになりたいのですか』
耳鳴りのように木霊する過去の、母の言葉。
その言葉に応える為に努力を重ねたが、結局は上手く行かなかった。それでも、家の名を捨てる事は出来ず、騎士で有り続ける事を選んだ。
『作らされた強さなどに負ける道理はない』
全身鎧の人物に言われた言葉は心の底から否定したい言葉だった。
母に認められる為に強くなろうとし、騎士団長であり続ける為に強くあろうとした。でもきっと、自分が武人と関係ない家庭で生まれたら、絶対に強くなろうとはしなかった。
アレはそういう意味での言葉。騎士を捨て、ヴァルデエランデから離れた方が楽に生きられると囁く悪魔の言葉。
「ウルセェ!」
頭の中の声を追い出すように大声を上げる。
誰もいない家に声が轟く。
いつもなら、昼寝をしているクラリム辺りが煩いと文句を言ってくるのだが、それもない。
もし、このまま動けなければ、そういった日常も無くなるかもしれないというのに、やはり動けない。
扉に文字が刻まれている事に気づいた。
『上を見ろ』
反射的に上を見る。
『左を見ろ』『右を見ろ』『机の中を見ろ』
「こんな時にふざけやがって……これは……」
苛立ちが一周回って笑いに変わりそうな程くだらない指示。文字からも、その意味不明な指示からも、誰がやったか明白で、その通り机の引き出しを開けると一冊の本が入っていた。
表紙が黒く塗られた題名の無い本。
パラパラと捲ると、そこに書かれていたのは幼児の落書きのような絵とそれに応じた文章。
この本をアタシは知っていた。
幼き頃のアタシを主人公にした物語。父と一緒に作った世界でたった一冊の本。
幼い頃のアタシはよく空想をしていた。
『王の盾』の訓練尽くめで同年代の子どもが何をして遊んでいるか分からなかったアタシが出来る遊びがそれだけだった。
訓練の休憩や寝る前に、夢見た勇者でも卒倒するような冒険を絵に描き、父に語った。
すると父は一連の物語にしたためてくれた。
それがこの本で、幼い頃のアタシはコレが好きだった。
どんなに頑張っても母の期待に応えられなかったアタシが妄想の中だけは最強でいられたから。
「あったなァ、懐かしい……でも、どうしてこれが……」
ふと思い出す。
この家は二つ前の『白き星を望む鳥』の団長であった父の持ち物であった事を。
そしてこの部屋こそ、その父の部屋であった事を。
「だとしてもあるはずがねェ。だってこれは!」
世界に一冊しかない唯一無二の品。
父がヴァルデエランデを捨て消えたあの日、怒り狂った母が父に関するものを全て処分したはず。
謎を抱えながらも、指はパラパラと本を捲る。
伝説の剣を手に入れ邪竜を倒し、その邪竜と仲良くなり竜を駆る騎士となり魔を倒し、天から現れた天使と戦い、妖精の力を借り受け魔王を倒し、名実ともに最強無敵の騎士となる。
恥ずかしい妄想の英雄譚、成長するにつれて、父の事と一緒に忘れた過去。
幻想は本の中だけ。実際には母が定めた理想の騎士を目指さなければならず、そうなろうと努力した。
幻想最強の騎士ではなく、現実理想の騎士が強さの理由になった。
だがそれも叶わず、妄想も現実も打ち砕かれたのが今のアタシ。
その事に唇を嚙む。
パラパラと捲ると最後のページにメモが挟まっていた。
『どうかストーナの夢が、少しでも叶いますように』
数年ぶりに見た父の文字。
アタシが訓練で疲弊して挫けそうになった時に励ましてくれた父の言葉。
無邪気に無謀な夢を見ようとも、悟す訳でも現実を受け入れされる訳でもなく、背中を押してくれた言葉。
「……ッ」
言葉が出てこない。
今、まさに挫けそうになっている時に過去から言葉が送られるとは思わなかったから。
「アタシは……」
大きな分かれ道の境目で、現実と幻想がせめぎ合う。
現実を受け入れないのは愚かな事だ。
だが、アタシが幼い日に夢見た幻想の騎士は、困難から逃げただろうか。決して敵わない相手に立ち向かおうともせず蹲っただろうか。仲間を見捨ててもいいなんて思っただろうか。
否。そんなのは最強無敵の夢見た騎士じゃない。
そう思い本を持つ手に力を込めた時、
その黒塗りの本がキラキラと輝いた。




