7.朝チュン 【完結】
ドス黒い怒りがまだおさまらないアンヌに、執事のヤンがいい報せを持ってきた。
「数日中に、旦那様がお戻りになられます」
アンヌは思わず両手を振り上げた。
「屋敷中をピカピカにしましょう。例の小部屋以外は」
「そうですね」
アンヌは新しい掃除道具を持って、部屋を片づけていく。ヤンが、見かねて新しい掃除道具を買ってくれたのだ。折れていないハタキは、使いやすい。
毎日、せっせと掃除をする。もう、いつ帰ってきてくれてもいい。早く帰ってきてくれないと、また掃除のやり直しになる。
「まーだかなー」
馬車の音が聞こえて、アンヌは急いで窓から外をのぞいた。荷馬車から降りた男と目が合った。ツルリとした肌の、やや疲れた様子の中年男性。
「あなたなの?」
アンヌは窓から大声で問いかける。夫は恥ずかしそうに笑った。アンヌは大急ぎで階段を降り、玄関を駆け抜けると、夫に飛びつく。
「どうしたの? おヒゲがないわ」
「もう必要ないかと思って、剃ったんだ。アンヌに見せたい物がある。一緒に来てくれるかい?」
夫はアンヌの手を握ると、ゆっくりと階段を上がる。向かった先はあの小部屋。夫はポケットから小さな金のカギを開ける。扉の先には
「まあ、宝石がいっぱい。それにドレスも。高価そうな装飾品もたくさん。大事な部屋だったのね。もちろん、開けていませんよ」
急に夫が跪いた。
「アンヌ、私と結婚してくれないだろうか?」
私は驚いて口をあんぐり開けた。
「私たちとっくに結婚してるじゃないの」
「本当の意味ではまだだろう。その、いつでも離婚できるように、白い結婚だった」
やっぱり、いつか離婚するつもりだったのね。
「私はね、借金のカタにって若い女性を押しつけられることが多かったのだ。だけど、陰気で中年でこんな顔だから。怯えている女性に手を出す気にもなれなくて。うまく離縁する方法を探していたのだよ」
夫は汗をかきながら、一生懸命話してくれる。私は、夫の言ってることをなんとか理解しようと、耳を傾ける。
「それで、青ヒゲの逸話にならって、小部屋を用意したのだ。小部屋を開けてしまえば、言いつけを破ったことを理由に離縁できる。部屋の中の品は、手切れ金として渡して来た。そうすれば、彼女たちも生きていけるだろう」
「まあ」
人がいいのにも程があるわよ。金目当てのエジキになってるじゃないの。
「でも、君は何度試しても、決して小部屋を開けない。私のことも怖がらない。手紙も読んだ。ありがとう、嬉しかった。結婚、してくれるかい?」
夫は、すがるように私を見上げる。
「バカね。あなた、本当にバカ。私はあなたのこと、ずっと好きだったわ。本当の夫婦になりましょうよ。今すぐ」
私は夫を引っ張り起こすと、強引にキスをした。
「さあ、寝室に行くわよ」
「まだ真っ昼間だぞ」
「どうでもいいわ。私がどれだけ待ったと思っているの」
グイグイ引っ張って寝室に夫を押し込む。
「明日まで、出てこないわ」
「はいっ、奥様。どうぞ、旦那様をよろしくお願いします」
「お飲み物と、軽食を廊下に置いておきます」
夫の部下や使用人たちは、流れる涙を必死で拭きとっている。バカな人ね。みんながどれほどあなたを慕っているか。あなたの良さが分かる人だって、ちゃんといるのよ。
モジモジしている夫を、ドーンとベッドに押し倒した。毎日掃除で鍛えているのだ。力はある。
甘い、理想通りの朝チュン。アンヌが目を覚ますと、ジェラルドと目が合った。
ジェラルドはベッドの下から、たくさんの木箱を持ち上げる。
「お土産だ」
アンヌは大喜びでひとつずつ開けていく。
「ガラスペン、色が素敵だわ。晴れた日の海の色ね」
「お揃いだ」
木箱には、ガラスペンが行儀良く二本並んでいる。
「ハンカチ。白鳥の刺繍がついてる」
「白鳥は一生を同じツガイで過ごすらしい。その、あやかりたいと思って」
二羽の白鳥が刺繍された、上質なハンカチ。アンヌは一枚でジェラルドの額の汗をぬぐう。
「指輪だわ。素敵な空色の宝石」
「君の瞳の色だ。内側に名前も彫ってある」
ジェラルドは指輪を取ると、アンヌの薬指につけてくれた。アンヌもジェラルドの薬指に指輪をはめる。
「犬の首輪とツナね。猫のオモチャもある」
「実は、犬と猫を保護しているんだ。一緒に犬の散歩に行けないだろうか」
「もちろんよ。犬も猫も大好き。きっと仲良くなれるわ」
アンヌは満面の笑みで答えた。
「あら、チョークがいっぱい」
「たまに、義父さんの教室で、一緒に何か教えないか? 私は算数や地理なら教えられる」
「いいわね。私は、そうだなあ。掃除、洗濯、裁縫、料理なら教えられるわ。料理がいいかしらね」
「皆で作って、一緒に食べよう」
「素敵だわ」
アンヌはウットリして、ジェラルドの胸に顔をつけた。
「まだまだあるのだが」
「お腹が空いたわ。朝ごはんを食べてから、見ましょうよ」
「そうだな」
「そのあと、犬と猫に会いに行きましょう」
「そうだな」
「ジェラルド、愛してるわ」
「私もだ、アンヌ。愛している」
六人のカタチばかりの妻を持ってきた男は、やっと真の妻を得た。剃った黒ヒゲはあっという間に元通りになった。アンヌは全く気にしない。
「あなたのおヒゲ、好きよ」
黒ヒゲから陰気な影は消えた。彼のことを青ヒゲと恐れる女性は、もういない。
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