宝飾店
今日は一日、曇だと思ったのに、昼頃から雷を伴う雨になった。
トマスは朝、店の前を軽く掃いたが、もう水浸しになっている。
明日は掃除が大変かもしれない
(今日は、もうお客は来ないかな。)
トマスが奉公しているこの宝飾店は、宝石や宝飾品を貴族や富豪へ売っている店だ。
基本的には、装飾品は貴族の家に訪問して売るのだが、一部、サンプルとして安価な物を店に並べている。時々、注文しに来る客に見せる為だ。
トマスは、元々農家の五男坊で、11歳になって奉公に出た。食い扶持を減らす為に。
トマスの実家は、裕福な方ではないし、弟も妹もいた。
トマス自身も農村より、賑やかな街に出てみたかった。
トマスは遠い親戚だというアンドレアに引き取られる。
アンドレアは、宝飾店を営んでいた。30代独身で、店番する者が欲しかったという。
トマスがこの店に来て、2年になる。
最初の頃は、馴れない都会にビクビクしていた。
2年も住めば、何処が危ないか、何をしてはいけないかも分かってくる。
トマスは近くの叔父さんの家で寝起きし、掃除をして、出勤する。
出勤しても店の掃除だ。
アンドレアは、ちょくちょく外泊をする。
買い付けだったり、宝飾品が売れたから祝杯を上げて、そのままどこかで寝てきた、だったり。家より店で会う方が多い。
最近は、店でも週に数回。
食事はトマスがもらう給金の中から、買っていた。
それを見越して、少し多く給金をくれているようだ。
でもトマスは無駄遣いをする気は無い。
余った分は少しずつ、ベットの下に隠した壺に貯めている。
出来ればトマスは、店番ではなく、宝飾品の職人になりたかった。
美しい宝石を使った宝飾品を、この手で作りだしてみたい。
手に職を付けて、独り立ちしたい。
アンドレア叔父さんに話して、職人に紹介してもらえたが、店番が多く、なかなか職人の所に通えなかった。
それも仕方がない。
トマスが来た頃は店員が何人かいたが、皆、体調を崩し、辞めてしまった。
今ではトマスと店主のアンドレア、出入りの宝石商人ぐらいである。
宝石の加工は、職人に外注する。
今日は、叔父さんは朝から奥で宝石商人が買い付けてきた宝石を、商人と一緒にチェックしている。
宝石商人は、ギルバートという。
ギルバートは、身体が大きく、浅黒い肌に金髪。肌は南国で買い付けしてくるから日焼けしたのだという。目は茶色のはずだが、時々、トマスには金色に見える。
トマスはギルバートの事が、何だか怖かった。
とにかく目が怖い。
見つめられると、その部分がチリチリするようだ。
気弱なトマスは、ギルバートを前にすると、何も話せない。
アンドレア叔父さんは、よく気やすく話せると思う。
それにギルバートが持ってきた宝石の中に、何だか怖い宝石がある。
アンドレア叔父さんには話してないが、トマスが掃除していると、店に並べてある宝石の中からうめき声が聞こえる時がある。
気味が悪くて、トマスはその宝石はハタキをかけるだけで、触らないようにしていた。
アンドレア叔父さんは、ギルバートさんと何を話しているのだろうか?
二人は奥に入ったきり、一向に出てくる気配はない。
トマス自身は、ギルバートに会いたくないから、それでもいいと思っていたが。
雷が鳴った。
凄く大きな雷だ。
近くに落ちたかもしれない。
昼間だというのに、外は暗かった。
店の中の灯りはロウソクのみで仄暗い。
雷の光で、店の中が一瞬、明るくなる。
外は土砂降りの中、どこかでチリンチリンと音がした気がした。
トマスは一つある玄関を見る。
玄関の呼び鈴の音だった。
玄関は正面の大通りに面しておらず、通りから少し入った所にある。
すりガラスの扉の向こうに、人影を見つけた。
トマスはドアを開けると、果たして二人の人が、そこに立っていた。
一人は、見上げるほどの大男。
一人は、その男に抱えられた少女だった。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
トマスは、男を見上げながら、息を飲む。
男はギルバートよりも大きい。
男は背が高い上に、シルクハットを被っているので、より大きい。
その髪は銀色で、右目には眼帯をしていた。
まるで、絵本で見た海賊みたいだ。トマスは思った。
「入れてくれるかい?」
「はい、どうぞ。」
大男は中に入ると、少女を下ろす。
少女は白いボンネットを被っていた。
少女は、見たところ、トマスより幼いようだ。
二人は黒い外套を取るとトマスに渡した。
トマスは、それをコートスタンドに掛けた。
二人共身なりは良く、上質の黒のフロッグコートと、白いドレスを着ている。
この大雨の中、不思議な事に靴も殆ど濡れていなかった。
大男は下ろした少女の身なりを整える。
大男は、子供のトマスから見ても色気があって、社交場に行ったならば、物凄くモテるだろう。たとえ片眼だけであっても。
ただ、顎は細く、目つきが鋭く、あまりこの辺りでみる顔つきではない。
少女も美しい顔をしていたが、トマスはあまり見たことのない雰囲気だった。
黒い瞳で黒い髪。髪は、顎のラインで切りそろえてある。
(この辺りの女の子は、皆、髪を結っているのに。)
伏せ目がちの目には、長いまつ毛が縁取っている。小さな鼻に、小さな口。
首にはイタチを模したファーが着けてある。
トマスがそれも受け取ろうとしたが、手で制される。
取りたくないということだろう。寒いのか。
トマスは口を、開いた。
「今日は、どんなご要件で?」
トマスは、男に話しかけたつもりだったが、少女が答える。
「少し、品物を見せてもらう。店主を呼ぶのは、その後だ。」
少女の声は、その年齢の女の子にしては低く、冷たい。
「姫、椅子を。」
男が片隅に置いておいた客用の椅子を持ってくる。
少女をそこに座らせると、男は店の中を歩き出す。
長身の男の足では、20歩程で一周してしまう。
そして、ある一箇所で止まると、そこにある宝石を持ってきた。
勝手に取るなと言えない位、早かった。
「姫。」
呼ばれた少女は、椅子の上で足を組み、肘掛けに肘をかけていた。
まるで、女主人のようだ。
姫と呼ばれているから、そうなのかもしれない。
少女は宝石を手に取る。
そして、目の前に持ってきた。
すると。
キーン。
トマスは何か甲高い音が聞こえた気がした。
鐘を鳴らす音とは違い、ガラスを引っ掻いたような雑音。
周りを見回す。
少女はトマスを見ると
「面白いな。石の声が聴こえるのか。」
すると少女の目がキラリとひかり、何事かを呟く。
店の中の空気が変わる。
トマスは目を見開いた。
ギューン、キリキリキリ、キーン
耳をつんざくような雑音がトマスの耳に響く。
トマスは思わず、耳を押さえた。
耳が痛い。
「これだけ多く、魔石を置いているとは。」
少女は小さくため息をついた。
奥の方から足音が聞こえる。店主のアンドレアとギルバートが出てくる音だ。
「なんだ?どうした?ギルバート。」
「奴らが来た。」
「……奴ら?」
アンドレアにはこの音が聞こえていないみたいだ。
二人の衣服は乱れていた。
アンドレアは薄いシャツを羽織り、前は開いている。
ギルバートは上半身裸だった。
ギルバートは、奥から出て、店の入り口で立ち止まる。
ギルバートと男、いや少女が睨み合った。
更に、部屋の雑音が酷くなる。
雑音の中に、悲鳴や泣き声が混じっているのがわかった。
トマスは怖くて、震えだす。
叔父さんは、この声が聞こえていないのだろうか?
「少年。」
トマスが男の方を向くと、目の前に、掌をかざす。
途端にトマスの目の前が、暗くなった。
トマスは気を失う。
意識を手放す前に、アンドレア叔父さんの悲鳴が聞こえた気がした。
ーーーーーーーーーーーー
次にトマスが目を覚ましたときは、色々なことが終わった後だった。
店の前で、近所の商店の親父に起こされた。
「お、気がついたか!」
トマスの周りに野次馬が群がっている。
何が起こったのだろう。
「良かったなぁ、お前だけ助かったんだ。」
トマスには意味がよく分からない。
どうやら、宝石店で火事があったらしい。
トマスはその時、立てなかったので、病院に運ばれ、次の日、警察に呼ばれた。
トマスが、再び店に行くと、店はまっ黒焦げだった。
警察の話では、店に特大の雷が落ちた、という。
トマス自身の怪我は、かすり傷程度で軽く、次の日には動く事が出来た。
火災は二時間ほど続き、トマスは玄関の近く、外側で倒れていたのを近所の人が助けてくれたらしい。火事は雨で隣家には燃え移らなかった。
外壁は残っているが、内装はボロボロ。店の奥まで火が回っている。
勿論、宝石や宝飾品は全て燃え尽きている。
不思議な事にガラスケースや倉庫にしまってあった宝石も燃えている。
がっしりしたケースに入れた宝石も。
「アンドレア叔父さんとギルバートさん、あとお客さんが二人居たのですが、無事でしょうか?」
と、トマスは警察に訴えた。
警察は、首を振った。
店には真っ黒く中まで焼け焦げた炭の塊が一つと、両目が潰れたアンドレアの遺体があったという。
トマスは、来ていた服で、アンドレア叔父さんを確認したが、ひどい姿だからと、叔父さんの遺体は見せてもらえなかった。
客の二人は逃げたのだろうか?
警察から、客の詳細を聞かれたが、トマスは「大男と少女」としか覚えていなかった。
トマスはその後、宝石職人に弟子入りする。
しばらくはアンドレア叔父さんの家に住むつもりだが、トマス一人では広すぎる。
宝石職人の夫婦には、子供がいないので、トマスを引き取りたがっている。
それもいいかもしれない。
ある日、宝石職人のお使いで、トマスは人混みの中を歩いていた。
トマスは、ふと風を感じる。
ヒュウと通り過ぎていく。
その中に、覚えのある匂いが混じっていた。
トマスは立ち止まって、周りを見たが、見覚えのある人はいない。
トマスを見ている人もいない。
ま、いいか。
トマスは再び、歩き出した。
「宝飾店」終わり