第三話『これで痛み止め作ってくれないかしら』01
おばあさんがやってきた。
随分暗いお店だこと。
老婆は皺くちゃの目を細めて、少し不安げに指し示されたカウンター席に近付いた。小柄な老婆だ。白髪は後頭部――真ん中よりもやや左側――でひとつに纏められ、細く薄い身体は着古した服に包まれている。ゆっくりとした動作で、時折顔をしかめながら椅子に腰掛け、色合いのよい籠の鞄を膝の上にちょんと乗せた。
店主と名乗った美女は笑み深く小首を傾げて、そんな老婆を見た。
「今お茶をお持ちしますわ」
「まぁ。嬉しいわ。ありがとう」
老婆は相好を崩した。
カウンター奥のドアがゆっくりと開き、栗色の髪の少女が茶の香と共に店内にやってくる。少女の柔らかな表情は老婆の不安な心を解した。
少女に差し出された茶器を「いただきます」と一礼し、老婆は茶を飲んだ。その温かみと口の中に広がる優しい風味に老婆は肩で息をついた。
「美味しいわぁ」
人の良い老婆の笑みに少女は照れくさそうに笑い、「ありがとうございます」とだけ言い、そそくさとドアの奥へ引っ込んでいった。老婆はそれを見送り、店主を見た。
「とても良い子ねぇ。お名前は? お茶とっても美味しい。あの子が淹れたの?」
「ええ。リリーと言いますわ。彼女自身の育てたハーブで作っていますのよ」
「まあ、すごいわねぇ」
老婆の褒め言葉を何度も呟きながら、茶に口をつけた。店主は笑みを深くした。
「それで、お客様。今日はどのようなお薬をお求めで?」
「ああ。やだそうだったわ」
老婆は頬に手を当てた。そして、おずおずと、店主の顔を覗き込み、遠慮がちに尋ねた。
「ここってお薬作って作っていただけるのかしら?」
「ええ。お客様が望んだお薬を作ることも可能ですわ」
店主は笑みを浮かべ、棚を指し示した。
「既製品にも、いくつかお客様が望みそうな薬がありますわよ。『若返り薬』『延命薬』『無痛薬』……ああ、『青春薬』なんてロマンチックなものも」
笑み深く悪戯っぽい声色の店主に、老婆は困惑したように首を傾げた。
「あの、ちょっとどういうお薬か、わからないわ」
「その名の通りですわ。貴女の年齢を若返らせたり、寿命を伸ばしたり、痛みをなくしたり、……『青春薬』は、……ふふ。これはナイショですわ」
「あらまぁ。そんなことも出来るのね、魔法って」
「ええ。お客様の望むままに」
「でも私そんなのいらないわ」
そう、老婆は驚いた様子のまま、ぽかんとそう口にした。店主は笑んだまま老婆を見た。老婆は特に気にした風もなく、言葉を続けた。
「いえね、別に若くなりたいわけでもないし、寿命伸ばしたいわけでもないの。無痛薬? いえ、別に痛みが全部なくなって欲しいわけでもないのよ。毎朝、ちょっと起き上がるのが楽になるくらいでいいの」
老婆は使い込まれた籠から、綺麗に折り畳まれた一枚の紙を出した。紙には走り書きの文字が記されていた。
「私、南区第一商会にある、大きいお薬屋さんでこれまでお薬貰っていたのよ。……あ、ごめんなさいね。貴女からするとライバル店のようなものよね」
「かまいませんわ」
申し訳なさそうにする老婆に、店主は首を振った。
「ありがとう。そこでね、痛み止め貰っていたのよ。日中動いている間は大丈夫なのだけど、朝起きる時が、とても腰が痛くてねぇ。起き上がれなくもないのだけど、朝がゆっくりになっちゃって。息子も娘も別の土地に移り住んじゃって、夫も亡くなっちゃったでしょ。お隣さんとはもう長いお付き合いだけど、あんまり仲良くはしてもらえていないし、それで私一人だから……あらやだ。えっと、それでね。そのお薬屋さんで痛み止めを貰っていたのって話はしたかしら」
「ええ、しましたわ」
「それでね、そこで貰っていたお薬、この前まで良く効いていたのだけど、先々週からあまり効かなくなって、私間違えたお薬貰っちゃったのかしらって受付のベッキーちゃんに聞いたのね。ベッキーちゃん、とってもいい子でね。前に焼いたパン持っていったら、美味しいって言ってくれてね、それで作り方教えて欲しいって言われて、なんだか孫娘にせがまれたいるみたいになって、私嬉しくて教えたら、上手に出来たみたいで、たまにあの子、作ったんですってパンくれたりね、あとおうちの花壇で咲いた花で押し花の栞をくれたの。それでね」
老婆の話は先の見えない傾斜を転がり落ちるように、止まることなく続いた。しかし、店主は笑んだまま、時折頷き、相槌を打ち、話を止めることなく聞き続けた。
「それでねっ、ジョージちゃんがね、もう見てすごくわかるくらい、ベッキーちゃんのこと好きだと思うの。二人とも、こう、もどかしい感じが、見ててこっちまでドキドキしちゃうの。心臓に悪いのか良いのかわからなくて……えっと、何の話をしていたんだっけ」
「ジョージくんがベッキーちゃんと話すときにとても優しい声で他の女性とは違う扱いなのに、ベッキーちゃんは全く気付いていなくて、ロマンチックには程遠い状態という話ですわ、おばさま」
「あっそうだったわ。それでね」
店主は妨げることなく、むしろ楽しげに、話を促す。老婆は自分が何しに来たのかも忘れ、会話を弾ませた。
途中で茶のおかわりを注ぎに来たリリーも、そのまま老婆との話に混ざり、気付けばカウンターには茶菓子と三人分のカップやポットが置かれていた。
老婆とリリーの話は薄暗い店内を明るくするように弾んだ。
その最中、外から時を知らせる鐘が鳴った。
老婆は我に返り、肩を跳ねさせた。
「いやだ! 私ったら!」
血色の良くないシミと皺の濃い顔にはっきりとした赤みが差した。恥じ入ったように俯き、本題であったはずの、カウンターに置いたまま忘れ去っていた紙をようやく差し出した。
「これね、その最初に話したお薬の処方箋なの。薬草の配分が書いてあって、以前あそこのお店にいた薬師さんがこれで作ってくれていて、今の薬師さんもこの通りに作っているみたいなんだけど、全然効かなくて……それで、もし気を悪くしないで貰えるなら、これで痛み止め作ってくれないかしら」
「見ますわね」
老婆が差し出した紙を、丁寧な手付きで店主は開いて中を見た。それをリリーも横から首を伸ばして覗き込む。
「……あら、普通の痛み止めとは違って、……ふふ。なるほど」
店主は人差し指で自身の赤い唇をなぞった。
「確かに、これは、少し薬師の腕が必要になるものですわ」
「……どうかしら?」
「私なら何の問題もなく出来ますわ」
店主は言葉の尊大ささえも気にならない口振りでさらりとそう告げて、老婆を安心させるような優しい笑みを浮かべた。人差し指と中指で挟んだ紙をリリーに渡す。彼女は何も言われずともわかっているように、紙を持ったまま、カウンター奥のドアへ戻っていった。
「ちょっと、顔をこちらに向けて」
リリーが出ていくのと同時に、店主は老婆の皺だらけの頬を、両手でそっと包み込み、そう言った。老婆は抵抗せずにじっと、真正面から店主を見た。店主の顔が近付く。目を覗かれ、頬に触れていた冷たい指は、するりと下へ下がっていき、老婆の首に触れ、胸にも触れ、手に触れた。それは医師の診察に似ていた。
続きます。