表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リコリス魔法薬店  作者: 雨天然
8/38

第二話『だから、薬が欲しい! 身体の調子が良くなる、魔法の薬が!』03(完)

 それから男は毎日薬を飲んだ。効果があるのか半信半疑なときもあれば、劇的な変化をしたこともあった。しかし、一ヶ月も飲み続ければ、確実に以前よりも身体が楽になっていた。羽でも生えたかのように軽やかになった。仕事で長時間同じ姿勢になろうが、徹夜の作業になろうが、苦ではなくなったし、少し寝れば体力が戻った。若かりし日のようだった。若い者に負けることなど何もなくなった。男はそう確信した。

 しかし、薬がなくなってからまた一ヶ月。再び徐々に身体が衰え始めた。やはり飲み続けなければならないようだった。それでも一ヶ月にして、寿命が約五時間。破格だった。男は迷わず通い続け、薬を購入し続けた。

 仕事は順調だった。


「……いやはや、素晴らしい。流石、街を代表する名彫刻家だ。こんなにも速く、これほどのものを作っていただけたとは」


 ステンドグラスから差す陽を浴び、慈悲深い笑みで胸に手を当てて天を仰ぐその聖女像は、男の仕事の中でも快作と言えるほどに良くできたものだった。今にも動き出しそうなほど生き生きとした表情や指先、風を受けてなびく髪、柔らかな布地の出来まで、この聖女像は男自身が満足いく出来だった。


「レリーフも、なんと素晴らしい……この聖花と聖獣を象った聖紋様がなんとも。かつて見た大聖堂のものを思い出させます。まだ若造だった頃にね、見て、惚れてしまったんですよ。それを思い出しました。またこんな良いものが見れるとは」


 依頼主である街の老いた領主の感嘆に、そうだろうそうだろうと何度も頷きたくなるのを男は堪えた。領主の賛辞は止まらない。この領主、すっとぼけた顔をした老人だが、昔から美術品には目がない。領主は自身の禿げた頭を擦ったり、髭を弄りながら何度も何度も褒め称えた。


「他の者たちの仕事よりもずっと早く、精巧で、美しい。中央にもあなたほど熟練の腕を持ちながら、体力もある方はいないでしょう。是非ともあなたにもうひとつ仕事を頼みたい! 我が屋敷にもあなたの作品が欲しい。報酬は弾むし、……そうだ! 聖都市の職人組合への推薦状も書こう」


 継続した仕事が来ることは滅多にない。例え、この街一の彫刻家だと自負したところで、早々必要とされるものではない。その上に聖都市の組合への推薦状は喉から手が出るほどだ。男のこの年齢では本来到底書いてもらえるものではない。もっと若い内に才能を開花させた者でないと到底入れるものではない。男の技術力は今でこそ聖都市の職人組合に入れるものではあるが、昔は力及ばずだった。人生の悔いとも言えることに挑戦できる。これほどの喜びはなかった。


「是非とも、お受けさせてください」



 ちりんちりん。

 店の入り口の鈴が鳴る。客が入ってくるのと同時に、女店主はカウンターから出てきた。


「あら、いらっしゃい御客様。薬がなくなるには少々早すぎると思いますが」

「いや……」


 すっかり常連になってしまった。男はもう慣れた様子でカウンターに座った。珍しくやや大きめな鞄を持ち、それを抱えていた。


「あら。それでは新しい薬でもお求めなのかしら?」

「……いや」


 言葉少なく答えながら、この女店主にも見抜けないことがあるかと、男は妙な感心をしてしまったのだ。しかし、目的を中々言い出せず、少女が茶出しをするまで女店主の問いかけに否定しか出来なかった。

 落ち着くために、茶をすする。相変わらず、何度飲んでもここの茶は美味しい。

 男は意を決して、抱えていた鞄を開け、中から目当てのものを取り出した。


「……これを」


 取り出したのは小振りの胸像だった。後ろを向けて差し出せば、女店主とその胸像の顔は、満足いく程に良く似ていた。端正で美しすぎる顔立ちも優しげなようで嘲笑いにも見える冷たい笑みも、胸像のモデルとしては最適だった。そう思いながら、胸像の顔を本人に向けた。女店主は目を大きくあけた。常に流し目のような目が人間味を帯びて驚きを示せば、男は口許がつり上がってしまうのを堪えきれなかった。


「謝礼だ。あんたをモデルに彫ってみた。美しさだけを追求すればいいだけなのは楽でいいな」

「長年お店をしていましたけど、こんな贈り物は初めてですわ、御客様」

「前の仕事で余った材料を使っただけだがな。……とは言え、しっかり俺の魂は込めて作った。仕事終わった後に作り続けたのさ。あんたの薬のお陰で、俺は聖都市に行けるようになったんだ。この年齢でいけることなど不可能に近かったのに」


 一度贈り物をしてしまえば、次の言葉は喉をつっかえることなく出た。


「ありがとう。礼を言う」

「どういたしまして、薬師冥利につきますわね」


 女店主の長い指に僅かに触れながら、胸像は男の手から離れた。


「あと、いつも茶を淹れてくれる子にも、礼を言っておいてくれ。初めて飲んだ時から言えなかったが、実に美味かった」

「伝えておきますわ」


 女店主は胸像を指で撫でながらそう答えた。男は安堵し、席を立った。


「またいつも通り、薬がなくなる三週間後に来る。その時は、かなり多目に貰いたい。暫くここを離れることになるからな。可能だろうか」

「ええ、もちろん」

「それはよかった」


 男は会釈し、店をあとにした。外は曇り空ではあったが、男の心を曇らせるものは何もなかった。



 初夏の朝日と爽やかな緑風を受け、屋根上の旅鳥が鳴き飛び交う。礼拝日の教会に集まる人々は、小さく鳴らされる風琴の伴奏を聞きながら、ステンドグラスからの光で薄虹色になる聖女像を見て礼拝前のおしゃべりに興じていた。


「あれ。この聖女像作った職人さん、亡くなったんだって?」

「なんでも仕事中に、うっと胸を押さえて倒れてそのままだったらしいよ」

「あの人、うちのパン屋に来るんだけど、仕事が認められて、領主様に紹介状書いてもらえることになっていたらしいのよ。ここのところ、前に比べてずーっと元気で顔色も良かったのに、わからないものね」

「うちの亭主、あの人と一緒に働いていたらしいけど、かなり寸暇を惜しんで仕事に打ち込んでいたらしいわ。どんな健康だって、あれじゃ身体おかしくなるって言われてたみたいよ」

「ええ? そうなの? でもお医者様の話だと、特にどこも悪いところなくて健康そのものだったらしいわよ」

「そういえば、誰かから聞いたことあったぞ。ものすごく健康に気を使っていて、怪しげ薬まで買い込んでいたって」

「わからないよ。こんな大層な像、あたしゃ見たことない。生きているようさ。きっと、これに魂吸われちまったんだよ」

「なにそれ怖いですよ。でも、なんであれ、これがその人の遺作になるわけですよね。完成したのは幸いでしたよね」


 訃報ではあるが、彼らの声は鳥のように弾んでいた。あれよあれよと言う間に、亡くなった職人について盛り上がり、そしていつの間にか別の話題に移っていった。

 少女、リリーは聞き耳を立てて俯いていた。その日の礼拝を上の空で、店に戻れば、信仰心の欠片もない店の店主、リコリスは無表情で茶器の手入れをしていた。リリーの帰りに気付くと、笑みを浮かべた。


「おかえりなさい、子猫ちゃん」

「ただいま戻りました、先輩」

「どうしたの? 礼拝帰りはいつももう少しだけ遅くて楽しそうに帰ってくるのに」


 悪戯っぽく笑うリコリスは、全てを知っているようにリリーには思えた。それでもリリーは教会での噂話を伝えることにした。


「月一で来てくださっていた御客様が亡くなったそうです」

「あら。これ作った彼?」


 リリーの話す噂話を聞きながら、自身の胸像を指で指しながらリコリスはおかしそうに笑った。長い指でカウンターに乗せた胸像の頭を押さえながら、弄ぶように像を左右に傾けさせる。


「天命尽きたか、大事な器官が治らずに壊れたか。博打みたいな薬だものね。肝心なところが治るかわからないのに、見えない寿命を確実に削って飲み続けるなんて馬鹿げているわ」


 紅い唇から歯と舌を見せて笑うと、胸像の頭を長い指で弾いた。大して力は籠っていないかのようだったが、リコリスの顔をそのまま切り取ったかのような胸像の頭が破裂音と共に砕けた。リリーは小さく悲鳴をあげた。それがおかしかったのか、リコリスは子供のように声をたてて笑う。リリーはリコリスを見た。


「壊してしまったんですか?」

「ええ、だって成り上がる前に亡くなった職人の作品なんてゴミだし、私はこの顔好きでもないし、何より」


 リコリスの歌うような言葉と共に、カウンターの上に置かれたままの、砕けた胸像の土台が音もなく崩れていった。粉塵となったそれは小さく渦巻いてカウンターの上を動き回ると、床に降りていくように動き、砕け散らばった胸像の頭部も渦の中に巻き込んで行く。竜巻のように、その小さな渦は先程まで胸像の形を成していた、かの彫刻家の遺作を全て飲み込み、そして静かに消えていった。


「魔力になりそうな魂も籠ってなかったもの。……こっちの方が素敵ね」


 渦が消えた跡には、小さな花の蕾のようなものがあった。百合の花の蕾だ。花弁は石のような灰色であったが、結晶化したような艶やかさと風合いを持っていた。リコリスがそれをつまみ上げると、その花弁は白く染まり、そして石の蕾が花開いた。暫くリコリスはそれを摘まんだまま見ていたが、玩具に飽きた子供のようにそれをほいと投げ捨てた。

 床に叩きつけられ、なすすべなく再び石くずとなったそれは、リリーが片付けようとする前に、いつの間にか跡形もなく消えていた。

 リリーは小さく黙祷した。

第二話『だから、薬が欲しい! 身体の調子が良くなる、魔法の薬が!』、完結です。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ