第二話『だから、薬が欲しい! 身体の調子が良くなる、魔法の薬が!』01
健康を取り戻したい男の話し。
陰気で胡散臭い店だ。外装も汚ならしかったが、内装もゴミに無理矢理メッキをして美しく見せているようだ。初老の男はそう思いながら、女店主に示された席についた。豊かではあるが白髪の多い黒褐色の髪や、痩躯と隈の深いやつれ顔。目を尖らせ、店内を見渡す神経質そうな表情も相まって、男はとても疲れているように見えていた。実際に彼の身体には疲労感が溜まり、気が抜けるのであれば、どっとため息をつきたいところだ。とは言え、見知らぬ――怪しげな――店で気を抜けるほどおおらかな性格はしていなかった。それでも彼が店に背を向けずに、ましてやカウンターの席についてしまうのは、心から欲していたからだ。
身体の調子を良くする薬を。
「最近、身体の調子が良くなくてな」
「お疲れが溜まっている様子ですわね、お客様」
女店主はまるで訳知り顔のように微笑むが、男は気に入らなかった。鼻を鳴らし、女を見ないようにした。苛立ちで怒鳴り散らしたくなるからだ。
「医師に見て貰ったが、どこか特別悪いわけではないし、風邪でもない。疲れがたまっているのと、歳のせいと言われた」
時間を見つけては、多くの医師にかかった。しかし、誰も彼も同じことを言うだけだった。念のためと貰った薬もまるで効果なかった。
「それで薬師に頼んで滋養強壮剤を作って貰ったが、それもまるで意味がなかった」
「あら」
薬師も多くのものに頼んだ。怪しげなものもあったし、飲み込むのも苦痛なようなものもあったが、それらもすべて試し、そして効果がなかった。思い出すだけで、男は苦い顔をした。
「医師も薬師も、休養を良く取り栄養のある食事をして、規則正しい生活を心掛けろと言うが、無理だ。だから薬を探しているのだ」
何度期待して裏切られ、また期待してを繰り返しただろう。ここでもまた後悔するのではないかと考えそうになったが、男は尋ねた。
「魔法の薬があると、看板に書いてあったな。私の望む、魔法の薬があると」
「ええ、その通りですわ、お客様」
睨めつけるように見る男に女店主は躊躇なく頷いた。カウンターの向かいに座り、頬杖をつく。態度の悪さに男の眉間の皺は更に増えた。
女店主の赤い赤い唇が楽しげに弧を描いた。ふっと息を吐くような笑みを漏らすと、部屋に燻っている香がゆらりと揺れた。
「医師と薬師のおっしゃる通り、しっかり休むのがいいのですわね。見たところ、何か大病を患っているわけでもなく、ただ単に身体を酷使しているせいでしょう」
「そうだとも。だが、休みたくはない」
「どうしてでしょう、お客様。疲れきっている自覚はおありでしょう」
「休んでいる間に、若い者に抜かれてしまう」
気付けば言うつもりもなかったことを、男は口にしていた。言い切り、はっと我に返ったが、一度口から出た言葉を引っ込めることは不可能だった。男は話し出した。
「身体が良くなるまでとは、いつまでなのだ。時間にして、何日なのだ。以前、余りの疲労に休んだことがあった。たかだか、三日だ。その間に私の体力や体調が回復するわけではなく、むしろ感覚は鈍ったように感じられ、私よりも若い者たちは次々と技術を身に付けていた。たった三日でだ。まだまだ若い者たちに技術で負けないが、三日で大きく縮まった。私はこれ以上、休むわけにはいかない。寸暇を惜しんで、ひたすら仕事に打ち込みたいのだ。仕事に魂を、私自身を、生涯を打ち込んでいるのだ」
腹の底、心の奥底から出る力強い物言いも男には止めらなかった。それを女店主が涼しげな表情のまま聞くものだから、伝えようとして余計に熱が入るのだ。カウンターの上に置いた拳を強く握り締めてしまう。
「だから、薬が欲しい! 身体の調子が良くなる、魔法の薬が!」
「そうでございましたか。承りましたわ、お客様の願望」
またもあっさりとした返事に、男は怒りを露にした。
「本当にわかっているのか!? ええ!」
「勿論ですわ。そして、そういう薬もございますわ」
恫喝におじることなく、むしろ一層笑みを深めて女店主は宣った。男は片眉を上げた。それを尻目に、女店主はカウンターを出て、薬棚へ歩いていった。身体に纏わせているショールが香に溶け込むようにたなびく。薬棚に並んだ、見たこともないような色の液体――果たして液体かどうかも怪しいものだが――の瓶を手に取りながら、女店主は背を向けて男に語りかけた。
「一番手っ取り早いのは、貴方の身体の悪いところを全て他の人間に移してしまうことですけれど、どなたか生け贄にしたい方はいらっしゃるかしら?」
「なんだと?」
男からすると、まるでノミを貸してくれと言われたような、能天気でかつ信じられない発言だった。思わず聞き返す。
「ですから、生け贄ですわ。健康体で、この人の身体になりたい、とか」
「そんなもの、あるわけないだろう……!」
僅かに言葉に詰まりながら、男は答えた。言われても誰一人思い浮かばなかった。動悸が強くなる。たかだか若い女の一言で恐怖し、答えを窮したことに、男は恥ずかしくなった。女店主は笑う。
「そうですわよね。お客様は誠実そうですもの」
クスクス。
肩越しに流し目を向けられ、からかうように笑われた。男は怒り――と、底知れぬ不安に身体を震わせたが、反論はしなかった。女店主の目が再び、薬棚へ戻った。男はこっそり息を吐いた。
「悪いことを唆しているわけではございませんわ、お客様。ただ、一発で良くなるような効果の濃いものというのは、それなりの対価が必要なのです。ですから、お客様にぴったりなのは、少し軽めの……」
そこまで言って、瓶のひとつを指先でつまみ、女店主は振り返った。
「こちらになりますわね」
緑色の液体が入った小瓶だった。瓶の大きさは子供の小指ほどだろうか。液体はまるで濁った池のような緑で、あまり飲みたい色ではなかったが、男が今日まで飲んだ薬の中にもっと酷い見た目のものはあったので抵抗感はあまり感じなかった。
「健康改善薬、とでも言っておきましょうか」
「言っておく……?」
「あんまり名前決めていませんのよ」
女店主が苦笑を見せる。常に笑っている女店主であったが、その時の笑みは無邪気とも言える心からの笑みに男には思えた。
「名前はともかく、効力を説明しますわ。お茶でもお飲みになりながら、聞いてくださいませ」
女店主はそういって、同じ瓶をいくつか取り出してカウンターに戻った。それと同時に、カウンターの奥からもう一人、少女が盆を持ってやってきた。栗色の髪の少女だ。女店主と比べると極々平凡ではあるものの可憐で、優しげな雰囲気を持っていた。清潔そうな白いローブを揺らしながら楚々とした動作で男の横に来ると、カップとポットをカウンターに置いた。
「これは?」
先程の薬だろうか。鼻孔を擽る柔らかなハーブの香りに男は意外そうに目を丸めた。少女は笑った。
「いえ、これはお薬ではありません。ただのお茶ですわ。でも少し疲労感を緩和できるかもしれません」
ポットからカップへ、薄茶色の液体が注がれた。湯気と液体の音に男は安堵の息を漏らした。店の怪しげな香りよりもずっと自然だった。温かな陽に当たったかのような気分になる。すっかり肩の力を抜いた男を見て、女店主はにっこりと笑った。
「彼女の淹れるお茶は絶品ですのよ。ただのサービスですので、よろしかったらどうぞ」
「……そうか。頂こう」
出されたものは有り難く頂く。鷹揚に男は頷き、注いでくれた少女に僅かに一礼して、カップを口につけた。鼻に抜ける独特の香りと苦味はあるものの、温かく柔らかな味のする茶は、確かに良いものだった。美味い。その感想を男は言おうとしたが、元来の頑固さが災いし、どうにも態度を軟化できずに、そうこうしているうちに少女は盆を胸元に抱えて、下がっていった。男は後悔した。少女が去っていったカウンターの奥をちらりと見る。
「美味しいでしょう」
「……ああ、まぁな」
見透かしたような女店主の言葉に、男は憮然としながらも答えた。
「それで? 薬の効力は?」
「そちらのお茶、温かい内に召し上がってくださいませ?」
随分、このお茶に関して煩い女だ。言われなくともそうするつもりだった男は黙って茶を飲みながら、目でカウンターに置かれた小瓶を見て話を促すように軽く首をしゃくった。女店主は細長い指で小瓶を軽く前へ押し出した。
「そんな難しい薬ではございませんわ。一日一瓶、飲めば身体のどこかしら一ヶ所が良くなります」
「は?」
「一日一ヶ所、身体の何処かが良くなりますわ、お客様」
同じ説明を繰り返され、男は茶を置いた。
「わけがわからないな。そんな薬聞いたこともない」
「当たり前ですわ、お客様。どこにもない、魔法の薬をお求めになっていらっしゃったのでしょう?」
女店主の言葉に男は口を曲げた。それを言われてはおしまいだ。藁にすがるような気分で入って魔法の薬を欲したのは自分なのだから。男は面白くなさそうに顔をしかめて茶を飲んだ。これはとんでもない詐欺薬師かもしれない。当たり前のようなことなのに、騙された気分になっていく。
女店主は話を続ける。指先で小瓶を玩ぶように弄りながら。
「人間、色々なところが年齢と共に悪くなっていくものですわ。それをこの薬は一つずつ体内を改善していきますの。何処からかは誰にもわからない。だって人によって調子の悪い部位は違いますもの。目かもしれない、内蔵かもしれない、足腰かもしれない、血管かもしれない……。確かに一度に全てを良くしたり、天命を操作することは出来ませんが、服用し続けることで確実に一つ一つ改善し、実質的には若返りや寿命を伸ばすことにはなると思いますわ。ただし、一日に一本以上飲んでも効果は変わりません。一日一ヶ所を健康的にするだけですわ」
「ほー、そりゃ魔法だな」
「……信じる信じないはお客様次第ですわ」
頬杖を付きながら、女店主は挑戦的な笑みを浮かべる。男はそれを推し量るかのように睨んだ。
「それで? それは、いくらだ?」
値段を聞いてから決めても良い。法外に高い詐欺ならはね除ければいいだけだ。男はそう思いながら茶をすすり、関心薄そうな様子で尋ねた。効能を説明されたときから、男にはここが更に安っぽい陳腐な店にしか見えなくなっていた。
女店主の長い指が小瓶から離れた。紅く縁取られた型の良い口がねっとりと動いた。獲物に食らいつく毒蜘蛛のようであったが、男はそれを見ていなかった。
「お客様。申し訳ありませんが、――当店のお支払は金銭などではありません」
茶を味わっていた男は動きを止めた。口に含んだ茶の熱と味が広がる。女店主の言葉を反芻して、茶を飲み込んだ。女店主に顔を向ければ、作り物めいた美しい面にやはり笑みが乗っていた。優しげではあるが冷たさのある笑みは彫像のようだった。赤みのある肌を見ても体温があるとは思えない。男は改めて女店主の顔をまじまじと見てそう感じた。
「金銭でないと、何を支払えばいい? 宝石か? ドレスか?」
茶を含んだはずの口が乾き、粘つくようだ。男は慣れない冗談めかした声色で軽口を叩いた。対する女店主は何も変わらない。
「いいえ。お代は全て、魔力か……それがない方は魂の一部でございます」
聞き慣れない言葉に耳を疑う。男は聞き返した。しかし、女店主は言葉を繰り返すだけで、何も変わらなかった。男は女店主を睨んだ。
「魔力なんて、知らん」
「そのようですわね。お客様には殆どございませんわ」
「それがなきゃ、魂っていうのか?」
「そうですわ」
「その薬に見合った対価だな」
男はせせら笑った。間違いなく詐欺だと思った。幸いなことに、法外な金を請求されるわけではない。怪しげなものに傾倒している自分に酔いしれるだけの、嘘つき女なのだと、男は決め付けた。
魂というもの、男はその存在を否定しない。何故なら自分が魂をかけて仕事に打ち込んでいるからだ。だが、それは人に譲渡出来るものではない。男が全身全霊をかけて、ようやく表現できるものが、魂なのだから。
「いいだろう。やってくれ」
「あら、珍しいお客様ですわね。皆さんとても心配なさいますのに。『悪魔との契約じゃないか』、と」
「ああ、そうかい」
とんだつまらない詐欺師に気圧されてしまった。少し前までの自分を、男は恥じた。それでも薬をいらんと言わないのは、一縷の望みに賭けたい気持ちは抗えなかったからだ。
女店主は薬の小瓶、五本をまとめ、カウンターの下から袋を出して、その中に入れた。粗雑な扱いが、この詐欺師の至らないところだ、と男は密かに思った。
「説明義務がございますので、一応申しておきますけれど、刈り取る魂の量は、この薬の量でしたら、寿命にしてほんの少々……本当によろしいですわね?」
「ああ、良いとも」
肩をすくめ、男は了承した。紙袋の中で、小瓶と小瓶がぶつかる音がする。寿命一時間で、健康が買えるとは何とも滑稽な話だ。
紙袋が差し出される。躊躇なく受け取ろうとした男の手を、女店主の細い手が蛇のように絡み付き捉えた。冷たい、手に、男はぞくりと震えた。女店主の顔が近い。
「それでは、お代を頂きますわ」
確かに、何かが抜けた。
男はそんな感覚を覚えた。
続きます。