第一話『薬とかわからない。でもお金が欲しい!』04(完)
挑戦者の心持ちで同じ卓につくもの達を見れば、彼等はそれぞれ全く違う面持ちでいることに気付いた。ダンは自分の手札を見ながら思考を巡らせた。再び熱を帯びて回り出す脳は、彼の身体に興奮を注いでいった。
脳と心臓が飛び散りそうになるほど考えて挑む勝負は非常に楽しかった。ゴミ処理では考えられないほどの興奮があった。例え、ここにいる人達には全くない『勝てる確証』があったとしても愉快だった。それは回数を重ねるごとに、次第に支配者のような思考に変わっていった。
ダンは先程の老紳士以下の、役のない手札を見て笑みを浮かべた。鬼気迫る笑みだった。それだけで卓はざわついた。皆それぞれ違う手札を持ち、違う戦略を練りながらも、全員一様にダンに戦いを挑もうとしている。その事に気付いたダンは更なる高揚を感じた。
相手がどんな強い手札を持ってきたとしても勝てる。どんな戦略で来ようが勝てる。この丸薬の限り、全てを蹴落とし、王者のようにこの卓を支配出来るのだと言う万能感に、かつてないほどの、刺激的なまでの征服欲にダンの表情は変わった。
ダンは賭け金をつり上げにつり上げた。それに誰もが最終的には恐れをなして逃げ、そして総取りをしたその手の内を見せれば発狂するかのように頭を抱えた。
強運すぎるほどの役を揃えたかと思えば、役のないままで突き進み精神力だけで全員を蹴散らす。あれほどつまらない賭けをしていたダンであったが、この一時間で歴戦の賭博王のようになっていった。膨れ上がるチップと、その常軌を逸した賭けに観客と挑戦者たちが集まってきた。
ダンは最後の丸薬を飲み、笑みを浮かべた。
――そうしてダンは薬を使いきり、半日足らずで人生をやり直す金を手にいれた。
生まれた初めて手にする小切手には見たこともない金額が書かれていた。あれだけのチップの換金にも相当な手数料を取られたが、だとしてもこれだけの金を獲られた。この金があればなんでも出来る。
人生を賭けた戦いに勝ったのだ。
ダンは誇らしい思いを胸に帰路についた。
未明になる外に出ると、清々しい夜風が吹き、ダンはそれを胸に吸い込んだ。
賭場のある歓楽街は、人々が寝静まっている時間だと言うのに賑やかだった。もうここには二度と用はないのだと、ダンは一歩を踏み出した。
喧騒を背にダンは歓楽街を離れた。
明るい歓楽街から離れるほど、街頭も月明かりも殆どなく薄暗くなっていったが、勝利を手にしたダンは全く気にせずに歩いていた。むしろ帰路が明るく輝いて見えるようだった。
――その慢心が彼を奈落に叩き落とした。
後頭部を殴られた衝撃を理解するのにダンはひどく時間がかかった。混乱したまま腹を蹴られる。呼吸もうまくできない。吐きながら地面に転がり、咳き込む。身体を起こすことは叶わなかった。
そうこうしているうちに、身体をまさぐられる。
「……どこにある?」
「おい、こいつの財布も結構入ってるぜ!」
「そんなもんより小切手だ!」
その言葉を聞き、ダンは我に返った。
「や、めろっ……やめてくれ」
掠れ震える声で制止するが、その言葉を聞くような輩達ではなかった。むしろ再び蹴りを入れられ、ダンの懇願は呻き声に変わった。それでも意識を失わなかったのは手にいれたものを渡したくなかったからだ。痛みに苦しみのたうち回りながら、自分の荷物を漁る者達の足をダンは掴んだ。力の入らない手はすぐに払われ、更なる衝撃に変わった。嫌な音を立てて腕が折られる。ダンは声にならない悲鳴をあげた。続いて足にも強い衝撃が加わり、激しい痛みにダンは気がおかしくなりそうだった。
そこから先の記憶は飛び飛びであったが、暗くなる意識の底で手にいれたものを全て奪われたのだと、ダンは理解した。
店のドアが軽やかな音と共に開き、店に客がやってきた。
「いらっしゃいませ、お客様……あら? ひどいお怪我をなさっていますわね」
久々に見る美しい店主は変わらぬ笑みのまま客――ダンに声をかけた。ダンは痛みを堪えた渋面のまま、小さく会釈をした。その身体は包帯や傷痕だらけで、松葉杖にのし掛かるように彼は立っていた。
「席に座れるかしら?」
「……難しいです」
使い古された松葉杖を使い、動かぬ半身を引き摺るようにダンはカウンターに一歩近付くが、これ以上は動けなかった。この店まで辿り着いたことすら奇跡のようなものだった。執念だけでやってきた。
すべてを奪われたダンは、幸か不幸か、一命はとりとめた。命だけは奪われずに済んだのだ。
とは言え、小切手は勿論のこと、財布にあった金も奪われ、彼の全財産はちょうどその日に渡されたあの貴婦人からの謝礼だけとなった。それはかなりの金額ではあったが、大怪我をしたダンのとりあえずの治療費として殆どが消えた。
また仕事に戻ろうにも歩くのもやっとな肉体では叶わず、復帰できそうにないダンは容赦なく解雇されそうになっていた。そうなれば生きていくことすら困難になる。
だからダンはこの店にやってきた。
「薬が欲しいです。今すぐこの怪我を治す魔法のような薬が。このままでは働けません」
「かしこまりましたわお客様。ここで服用なさいますか?」
「助かります」
「立っているのもお辛そうですものね」
変わらぬ笑みのまま、気遣いの言葉言うと、店主は身を翻し、薬棚に向かった。本当に気遣ってくれているのかわからないほど人を食った女性だと感じるが、それすらも今のダンには泣きたくなるほど嬉しかった。
目の前に蓋の開いた瓶が差し出される。乳白色の液体が入っていた。店主が微笑んだ。
「こちらのお薬をお飲みになればすぐにでも全ての怪我がよくなります。今回の怪我以前に残っていた傷痕などもすべてなくなりますわ。信じる信じないはお客様の自由ですが」
「信じます、あなたの薬の効果は」
「ありがとうございます。お代はあとで頂きますが、それでお客様が死ぬことはございませんわ」
「ありがとうございます……頂きます」
ダンは差し出された薬を震える手で飲み干した。
するとみるみるうちにダンの身体から痛みは引き、不思議な感覚と共に折れていた骨やひきつるような縫い傷が良くなっていった。
数分もしないうちにダンは松葉杖を手放して手足を動かせるようになった。
ダンは大きく息をついた。信じていた、この店の薬を。そして見事元通りになったのだ。ダンは改めて店主に頭を下げた。
「ありがとうございます。本当に助かりました」
「そういっていただければ薬師冥利につきますわ」
微笑みながら、店主は手をつきだそうとした。『代金』をとられるのだと理解したダンは生唾を飲んだ。
店主の手がはたと止まる。
「ところでお客様、この前のお薬はいかがなさいます?」
「え?」
「金運を上げる薬でございますわ。そちらも追加購入なさいますか?」
艶然とした笑みに乗せられる甘い誘惑に、ダンは目を泳がせた。
悩んだ時間は僅かだった。
「その薬も、ください」
ダンははっきりそう告げた。
「またのお越しをお待ちしておりますわ、お客様」
頭を深々と下げて客を見送り、店のドアが閉まりきると、店主は踵を返した。彼女が軽く掲げた手にはシャボン玉のような球体が浮かび上がっていた。客からとった魂だった。それは燐光しながら店主の手の中で赤とも緑とも青とも見える不思議な炎に変化していった。客の魂を精製して出来た魔力だ。その炎を眺めて、店主は笑みを深くした。
カウンター奥のドアが開く。店主は手を振り、手中の魔力を消した。
ドアから顔を覗かせたのは栗毛の少女だった。出入り口の方を眺めて少女は小首を傾げた。
「お客様、お帰りになったんですか? お怪我治りましたか?」
「ええ、勿論よ」
出てきた少女に店主は微笑んだ。少女はほっと息をついたが、少し不満げな表情を浮かべた。
「そしたらお茶をお出しすればよかったですね。この前、パールミントのお茶、美味しそうに飲んでいましたし」
「そうね。でも大丈夫よ」
店主はカウンターへ戻りながら、にっこりとした笑みを少女に向けた。
「また来るわ」
第一話『薬とかわからない。でもお金が欲しい!』、完結です。
ここまで読んでくださってありがとうございました。