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リコリス魔法薬店  作者: 雨天然
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第八話『私が眠れる、ちゃんとした睡眠薬を出してちょうだい』05(完)

 ――目を開けた。

 目を開けることに、ひどく違和感があった。腕を動かそうとしたが、力が入らないような怠さがあって出来なかった。

 自分は温い水の中にいる。――そんな馬鹿な。ヘレンは覚醒した。

 思わず息を深く吸い、溺れてしまうと混乱したが、呼吸がしづらいだけで、痛みはなかった。だからこそ、ますますヘレンは混乱した。

 目を凝らして辺りを見ようとするが、目も焦点の合わせ方も忘れたかのようにうまく見ることが出来なかった。しかし、薄暗いことはわかった。

 耳を澄ませば、ひどく不安を掻き立てる不協和音が鳴り響いていることに気付いた。


『――、――、千年前――化物――、覚醒――、繰り返す――』


 異国人が発音したような、訛りがあるようなないような、辛うじて聞き取れるといった無機質で気味の悪い声が響いている。ヘレンは動揺した。

 マイクは? 私は窓辺で昼寝をしていたはず。

 家族の姿や家の物を探そうとヘレンは目を動かした。首も四肢もうまく動かなかった。

 唐突に強い光がヘレンの目に射し込んできた。


「ぉぉあ……あああぁぁぁぁあ……!」


 驚きから出た声のしゃがれ方にヘレンは愕然とした。嫌悪感が涌き出るような汚ならしい声が、自分の喉から出たのだ。ぞわりとした。

 明るくなった視界にヘレンはようやく周りを見ることが出来た。

 見知らぬ人達が、自分を見上げていた。ヘレンはぽかんとした。誰も彼も見たこともない衣服を着て、何かを持って、ヘレンを指差していた。


「本当――我々――ている――起き――!」

「……身体――!」

「千年――眠り――どう――!」

「化物――!」


 彼らは先ほどの気味の悪い言葉と同じような訛りの言葉を口にしては、ヘレンを無遠慮に眺めていた。

 ヘレンは混乱に耐えきれず、とうとう怠い腕を持ち上げて意思表示をしようとした。

 ――途端、腕が、折れた。


「え?」


 思わず声が出る。汚い声だ。


『身体損傷――急激――老化――緊急――』


 不安を加速させていく気味の悪い音と声が鳴り響く。呼吸がうまく出来ない。ヘレンは痛む胸部に顔をしかめた。顔も痛い。足も、そして当然、折れた腕も。


「おあ……あああ…………」


 醜い声を出す喉や口も痛む。口の中で歯がボロボロと崩れてゆくのをヘレンは感じた。

 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ。

 絶望にヘレンは震えた。がくりと視界が下がる。足が壊れたような気がしたが、それを知覚することをヘレンは必死に拒んだ。

 そんなはずはない。だってさっきまで自分は自宅で微睡んでいたのだ。マイクと一緒にいたのだ。温かい陽だまりの窓辺で柔らかなブランケットをかけてもらって……。

 しかし、掴もうとする幸せの記憶は次第に現実味がなくなっていった。

 不意に目の前に、何かが現れた。ぐちゃぐちゃの長い黒髪がところどころ抜け落ち、四肢がもげている、干物のような化物がそこにいた。それは目を大きく見開いてヘレンを見ていた。

 ヘレンは自分の肩を見た。汚い黒髪が少量垂れていた。

 ヘレンはもう一度、前を見た。化物と目があった。

 ――いや。ちがう。これが、私。



 千年間眠り続けていた化物≪ヘレン・フット≫は、目覚めと共に起こった自壊を止められずに死んだのだった。


 ただそれは千年の先の話し。




「通報は彼女の同僚と大家からでしたよ。無断欠勤が二日続いたんで、念のため様子を見に来たそうで。隣人たちの話では、三日前の夜に……あの大雨の日ですね、その日に発狂して奇声をあげていた証言は取れているので、その夜から……昏睡状態ってことなんですかね。一応、医師の見立てでは、生きているんですけどね。でも何をしても起きないですよ。まぁ普通じゃないんで、家宅捜索させてもらいました。そしたら色々あったんですけどね、そちらのね、魔法協会に認定された薬屋さんの処方箋も出てきてね。あと窓際に割られた薬瓶があってね。まぁ、どうも状況的に、最後に飲んだのはその薬じゃないかって話でね。だもんだから、これに関してはちょっとそちらで調べてもらいたくてね。魔法じゃうちらにゃ何もわからないしね……」


 警備団の中年男は肩をすくめて、後ろを見た。彼の視線の先、小汚なく狭い住居のベッドの上には太った女が倒れていた。女はよだれを垂らし、時折だらしない笑みを浮かべている。


「……まぁ。……良い夢でも見ているんですかねぇ」


 少なくともこんな現実よりも幸せなのかもしれない。それは口には出さずに、やってきた魔法協会の若造に件の処方箋を手渡したのだった。




 からんからん。


 ドアベルと共に、フードを被った男は店に足を踏み入れた。金糸の刺繍で縁取られた権威ある紺色のコートの裾を少しも汚さぬように翻し、ぴたりと止まる。フードをゆっくりと外した。

 まだ若い青年だ。金色のさらりとした長い髪。紫色の切れ長い目。鋭く整っている顔立ちを無表情のまま、青年は目を動かした。

 店の中に女性が四人いた。彼女たちは青年を見ていた。青年も彼女たちを一人一人見ていく。カウンターの中にいる、魔性とも言える女がこの店の店主であることは知っていた。カウンターテーブルに座っているおっとりした少女が従業員であることも知っている。もう一人の頭に大きな花飾りがある幼女を青年は知らないが、――そして、もう一人。小柄で赤茶けた髪をしっかりと三つ編みにし、凛とした顔つきの少女。青年はくわっと目を見開いて彼女を凝視した。三つ編みの少女が僅かに怯えたように見え、青年は店主に目を向けた。


「今は営業時間外の筈だが?」


 硬い声で尋ねれば、店主は目を細めて微笑んだ。


「ええ。ですから、彼女たちの勉強を見ていますの」


 店主は白くほっそりとした手で、カウンターに座る少女たちを指し示しながら、挑発的な表情で小首を傾げた。


「ところで……今は営業時間外の筈ですわ」


 青年は口角を釣り上げた。


「営業に差し障りのないように配慮したんですよ」

「あら、お気遣い痛み入りますわ。――魔法協会の方々は皆さん、お優しいのですね」


 店主の深い笑みを、青年は鼻で嗤った。


「ええ、どうやら魔法協会はお宅に優しくしすぎたようですね。リコリス・カサブランカ」


 青年は懐から紋章を取り出した。『エルクトゥルスの星』を象った赤い星を貫く杖――魔法協会の紋章だった。青年は紋章をずいと前に突き出した。


「魔法協会所属、魔法監査官ハチェット・アーシュだ。――ヘレン・フットの昏睡について話を聞かせてもらうぞ」


 青年の朗々たる声が、狭い店内に響いた。

第八話『私が眠れる、ちゃんとした睡眠薬を出してちょうだい』、完結です。

ここまで読んでくださってありがとうございました。感想欲しいのでください(正直)

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