表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リコリス魔法薬店  作者: 雨天然
34/38

第八話『私が眠れる、ちゃんとした睡眠薬を出してちょうだい』01

しっかり眠りたい女の話し。

 その店主を見た瞬間に、女は激しい嫉妬を覚えた。

 皆が揃って美しいと称賛するであろう容姿。『女』だというのに店を持てること。魔法や薬師という特殊な技能を持つ才能。母に『人にエルクトゥルスの星はない』と言われて育ってきたが、そんなことは綺麗事だと何度も思った。

 そして、今まさにそれを目の前で突き付けられている。美貌と才気溢れる輝かしい若い女店主は、まさに天上に輝く『エルクトゥルスの星』だ。

 女は不愉快そうに顔を歪ませた。彼女は自分の容姿を褒められたことが一度もなかった。少しでも見映えよくしようと、少ない給与を衣類と化粧品にかなり使っていたが、服はどれもきつくてサイズが合わず、化粧品も肌には合わない。結局褒められたことがない。唯一、人が羨みそうなことと言えば、真っ直ぐで艶のある黒髪だろうか。彼女自身も意識して丁寧に整えているので自慢でもあった。しかし、目の前の店主と比べると、女は自慢の黒髪さえも劣るような気がして、女は妬みを抑えきれなかった。


「さぁ、どうぞ。この席におかけになってくださいませ」


 優しげに言う店主を睨みながら、女はどすんとカウンター席に座った。どんなみすぼらしい老婆が店をやっているのかと冷やかして、欲しいものがあれば買ってやろうと思っていたのだが、思わぬことで負の感情を突き付けられた。


「今、お茶をお持ちしますわ」


 店主の言葉が終わるや否や、カウンター奥のドアが開く。従業員らしき少女が盆に茶器を載せて入ってきた。その少女を見て、またしても女は苛立ちを感じた。

 ふわふわとした長い栗毛で、大人しそうで可愛らしい顔立ちの――店主と比べれば平凡だが、男受けの良さそうな――少女だった。

 なんて嫌味な店なのだろう。

 女は怒り狂いそうになった。彼女たちはきっと自分のような苦労なんてしたことがないだろう。いつだって周りにちやほやされ、愛されてきたのだろう。友人が少なく、むしろ陰口を叩かれている自分とは全く逆な生活を送っているに違いない。

 出された香り豊かな茶を払い退けたくなる感情を女はぐっと堪えた。茶を持ってきた少女はおろおろと落ち着かない様子で一礼すると、盆を抱えて奥に下がった。きっと“いつものような”好意的な反応を得られず動揺したのだろう。良い気味だ。幾分か気が良くなった。出された茶に口をつける。良い味だった。

 店主がカウンターの向かいに立ち、笑み深く尋ねてきた。


「さて、本日はどういったお薬をご要望でしょうか?」

「私の望む薬があるって書いてあったのだけど」

「ええ。嘘偽りはございませんわ、御客様」

「睡眠薬が欲しいの。眠れないせいで全てが良くないの」


 女は苛立たしげにまくし立てた。


「貴女みたいな女性にはわからないかもしれないけれど、私はどうしても働かなくてはならなくてね。本当は自分の店を持ちたかったけどそんなお金もコネもないの。それでもしっかりと自立した女としてやってかなきゃならないのよ。でもここのところずっと眠れないの。そのせいで昼間に眠くなって頭が回らないし、仕事でもミスが増えたわ。店長にはすごい怒られるし、周りも私を馬鹿にするわ。だから色々試したのよ。夜飲むお茶も変えてみたし、他の薬屋もたくさん行ったわ。色々試したわ。でもどれもダメ。全然ダメ。なんにも私に効かないの」


 口にすれば苛立ちがどんどんと沸き上がるのを女は感じた。


「だから私が眠れる、ちゃんとした睡眠薬を出してちょうだい」


 そう吐き捨てると、女は挑戦的に店主を睨んだ。


「かしこまりましたわ、御客様。お望みの薬を」


 涼し気な表情のまま笑みを見せ、店主はカウンターから出てきた。何をする気だろうかと女は店主を注視した。店主は気にした風もなく、薬棚へ向かい、そこから何かを取り出した。

 紺色の液体が入った小さな小瓶だった。それが女の前に置かれた。到底、口に入れていいものとは思えない色だった。女は小瓶から店主へと視線を移した。

 店主は静かにカウンターに戻りながら、口を開く。


「こちらの薬は、御客様の眠りを誘発させる薬でございます。御客様の話を聞く限り、昼間は眠気が来ているそうですから、眠気が来る時間をずらすような、軽めの薬を――」

「色々試したって言ったでしょう! あなた何を聞いていたわけ?」


 女は甲高い声で叫んで店主の言葉を遮った。店主が口を閉じるのを見ると、そのまま女は店主に向かってまくし立てた。


「軽めの薬とか言って適当なもの出して誤魔化そうとしているつもりでしょう? それとも何度も来させるつもりなのかしら? 詐欺なんかに引っかからないわ。私は夜にちゃんと眠れる薬が欲しいの! 客の話はちゃんと聞きなさいよ!」


 女の激昂に、意外にも店主はすんなりと頭を下げた。


「大変失礼いたしました御客様」


 店主は今一度薬棚に向かい、今度は別の場所から先程よりも大きめの瓶を取り出した。中には緑色の、苔が生えた小石のようなものが沢山入っていた。

 先程の小瓶と入れ替えるように店主はその薬瓶を女の前に差し出した。


「こちらの薬は、一粒で確実に御客様を快適な睡眠へと誘いますわ。その睡眠は決して途切れることがなく、心地よいものとなるでしょう。そして御客様が何時に寝ようとも、朝の起きるべき時間に、すっきりとした目覚めを提供いたします。……いかがでしょうか、御客様」


 店主の話を胡乱げながらも最後まで聞き、女は口許を釣り上げた。

 実に怪しげな薬だ。そんな胡散臭い薬があるわけがない。

 しかし、それと同時にこの気にくわない女の鼻を明かせるのではとも思った。これが本物ならば最高の薬で、偽の丸薬ならば然るべきところに訴えることが出来るかもしれない。


「いいわ。それを飲んでみようかしら」

「気に入って頂けたようで何よりですわ、御客様」

「さぁ? まだ本当に効き目があるかわからないから」


 恭しく頭を下げる店主に女は冷笑を浴びせた。女は注意深く店主の反応を見ていたが、店主は動じることなく顔を上げた。何事もなかったかのように、カウンターの引き出しから一枚の紙を取り出し、そこにペンを走らせる。

 女はむっつりとしてそっぽを向いた。店主の速筆の文字は教養が感じられるほどに美しく、見ているだけで腹立たしくなる。陰気で暗い店の内装を見ている方が女にとっては幾分ましであった。


「では、薬効を説明いたします。これは睡眠薬でございますわ。一日一回一錠を飲むことで、先ほどお話ししましたように、何者にも邪魔をされない快適な眠りを提供いたします。ぐっすりと眠りたい時にお飲みくださいませ。飲むのは一錠だけで十分でございます。一錠で必ず眠れます。また、即効性ですので、飲んだらすぐにベッドに御入り下さい。飲んだとしても三錠まで。決して、四錠以上は飲まないでくださいませ。強力な薬ですので副作用がございます。詳しいことはこの処方箋に記しておきます」


 店主の言葉に女は生返事を返した。

 ペンを走らせていた店主の手がすっと止まった。女がちらりと紙を見れば、そこには店主の名前らしきものが記されていた。

 リコリス・カサブランカ。

 名前の綴りにえもいわれぬ奇妙な雰囲気を感じて女は神妙になっていたが、差し出されたペンで我に返った。


「それと、もうひとつ」


 店主――リコリスの切れ長い赤い目が真っ直ぐ自分に向いたので、女は思わず身構えた。

 リコリスの赤く縁取られた口が柔らかく動く。


「当店の支払いは全て、魔力もしくはそれと等量の『魂』となります」


 現実味のない言葉に女はぽかんとし、何を言っているのかと店主を嘲笑した。


「はぁ? 魂? なにそれ。もしかして私の魂を奪い取るってこと? その睡眠薬は永遠の眠りを提供する毒薬ってこと?」

「いいえ、御客様。これはちゃんと魔法協会の許可もある睡眠薬です。用法用量を守って頂ければ害はございませんわ。それも処方箋に記してあります」

「……ふーん。そう」


 魔法協会という権威を聞いて女は大人しくなった。ちらりと部屋を見渡せば、確かにそれらしき証書を貼られていた。


「御納得していただけたようでなによりです。……ちなみに、御客様は魔力が一切ございませんので、先程も申し上げた通り、魂での御支払いになります。とは言え、御安心ください。この量の薬でしたら、対価は寿命にしてほんの十数分。それこそ、うたた寝のような時間だけ」


 リコリスの言葉を聞いて、女は即座に理解した。

 なるほど。これだけ見栄を張りながら本当のところは自信がないのだ、この店主は。だからそれだけ完璧な効能を謳ったのに対価が弱いのだ。効かなかった時に、「その程度の対価で望んだ結果が得られるとでも?」と言って逃げる気だろう。そうしたらこちらのもの。いくらでも訴え出てやろう。魔法協会にだって知らしめてやる。

 底の浅さを推し量り、心安らぐ策略を巡らせて女は気をよくした。

 リコリスは笑んだままペンをカウンターに置いた。


「御支払方法、処方箋の内容を御理解していただけましたら、御名前をご記入してくださいませ、御客様」


 そう言われて女はもう一度、処方箋の内容を流し読みした。確かにリコリスが話した通りの他、細かな注意事項が書かれている。あれやこれやと鼻につくような小難しい言葉の羅列が気に食わなかったが、女はそのペンを取って名前を書き記した。

 ヘレン・フット。


「……ヘレン・フット様。愛らしい御名前ですわね」


 にこりとした笑みと共に言われるおべっかに、ヘレンは眉をピクリと動かす。ひどく癇に触ったので、ペンを投げるように突き返そうとした。

 瞬間、その手をリコリスにしっかりと掴まれる。

 突然の無礼にヘレンははっきりとした怒りを抱いたが、それを表に出すことは叶わなかった。

 リコリスの顔が近付く。ヘレンは眼前に迫る魔性の美貌をまじまじと見る羽目になった。

 赤い唇が深い弧を描く。


「それでは、対価を頂きますわ……」


 そう動く唇以外の色が、ヘレンの視界の中で闇深くなってゆく。掴まれた手が、指先から冷えていく。独居に震えた雪の日を思い出す。強い劣等感が霜のように心を蝕み、気力が徐々に奪われていく。怒りも沈み、日の出を諦めたようなあの日の惨めさが、今まさにヘレンの手から全身に這い上がったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ