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リコリス魔法薬店  作者: 雨天然
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第七話『私は私の身代わりがほしいのです』03

 ジェイコブは身体を震わせた。乾いた口の中を唾で湿らせて飲み込む。手についた滑る感触を、着古したズボンで拭きとる。

 テーブルに置いてあったランプを持って、ジェイコブは恐る恐る倒れた侵入者の元へ戻った。長い躊躇の後、ようやく明かりを灯せば、思わず目をそらす。きつく目と口を閉じて込み上げる不快感を圧し殺す。

 ジェイコブは震えた吐息をもらしながら、もう一度、入り口の惨状を目にいれた。

 とんでもないことをしてしまった。ジェイコブは血の気が引くのを感じた。侵入者はどうみても助からない程、酷い有り様になっていた。血だまりが石畳に広がっている。出血の多くは頭部からで、頭部は人のものと思えないほど無惨なものになっていた。落としたシャベルの切っ先を見れば、血以外の『何かの塊』が刺さるように付着していた。

 ジェイコブは自身の口許を押さえながら、ランプを侵入者の顔に近付けた。見て確認することも馬鹿らしいほど破壊されたそれに、目を閉じて首を振る。昼間に見たダン・ベインの死体より酷いかも知れない。

 ジェイコブはランプを持ったまま、ふらふらと椅子に腰かけた。長い息を吐き出す。頭痛と耳鳴りが彼を襲った。ジェイコブはただただ座っていた。

 そうして、時間の感覚がわからなくなるほど呆然としていたジェイコブであったが、次第に怒りが沸々と沸いてきた。憎々しげに、動かぬ肉塊となったそれを見やる。

 最初は強盗か浮浪者かと思ったが、服装や荷物を冷静に確認すれば旅の者であることが知れた。体格が良さそうに見えたのは、この旅人の着膨れた旅装束と背負っていた荷物のせいだった。恐らく慣れない土地でたまたま迷いこんでしまったのであろう。

 ジェイコブは死んでいる不運な男を恨んだ。ようやく手に入れた自由が、この小汚ない見知らぬ旅人のせいで狂いだした。そもそもこんな時間にふらついている旅人なんて、真っ当な人間かもわからない。こんなやつ殺されて当然だったのだ。迎え入れていたら逆に殺されていたかもしれない。

 正当防衛だ、とジェイコブは自分に言い聞かせた。さりとて通報するわけにも行くまい。今日から自分は隠れ住む身なのだから。自由の為に一仕事しなくてはならない。

 ジェイコブは薄明かりの中で固く決心をした。

 幸いここは本来は人の立ち寄らぬ墓地の地下。そして死体の処理は手慣れていた。

 ジェイコブはすぐさま動き出した。もう一度あの無惨な死体の足元へ行けば、今度はそれを無感情で見れた。まだその身体は固まっておらず、幸い自分がそこまで長い時間呆けていたわけでないことを知れた。

 死体の服はすでにどうしようもないほど血肉で汚れていた。荷物は血だまりで滲みていたが、中の物は一部使えなくはないように見えた。財布は殆ど空に近かったが、別の袋に金もそこそこ入っていた。


「……これは時間外労働の手間賃として私が頂きますからね。あなたが悪いのですからね」


 ジェイコブは上擦った早口で、死体にそう声をかけた。正当性が湧けば、冷徹にもなれた。

 それからジェイコブは黙々と処理をした。一番邪魔な死体は、死体袋に入れて専用の焼却炉に放り込んでおけば良い。明日の朝一番に自分の身代わりがちゃんと仕事として燃やしてくれるだろう。中はわざわざ確かめない。それは自分がよく知っていた。

 石壁や床に流れた血や、汚れたスコップの掃除の方が手間がかかった。ジェイコブは一心不乱に汚れたそれらを磨き続けた。ランプを幾度となく近付け、目をこらして、少しの汚れもないことを確かめる。

 ようやく掃除が終わったが、ジェイコブは休むことをせずに、今度は荷造りに取りかかった。どんなに自分に非がなかろうと、今しがた人が死んだ場所で寝食をすることは憚られた。それに万が一もある。ジェイコブはほとぼりが冷めるまで街を離れることにした。旅人の処理をしている時にふと思い付いたのだ。今まで旅行などしたことなかったが、折角自由の身になったのだから、街の外に出てみることも悪くないかもしれない。天啓のような閃きに気分も良くなってくる。逃亡よりも前向きな旅行と思えば悪くもない。

 荷造りを済ませ、自分がいた僅かな痕跡も残さないように何度も確認をすると、ジェイコブは夜明け前に余生を過ごすはずだった秘密基地を出た。

 テロッシス農園への荷運びをする老夫が、毎日夜明けと共に発つ馬車の荷台にこっそりと乗り込み、検問を抜けて郊外へ。

 太陽が上がる頃には、ジェイコブは荷台を抜け出して街の外の空気を吸っていた。程よく冷えたそれが心地よい解放感を彼に与えた。

 まずは何処へ行こうか。ジェイコブは空を見上げた。鳥が過る。向かう方角を見て、ジェイコブはぽんと手を打ち合わせた。

 話しに聞いたことがある、有名な木化族の村へ行くの良いかも知れない。人の街では見れない神秘的な光景が待っていると聞く。観光地化されており、旅行にはうってつけだろう。

 ジェイコブは軽い足取りで街道を歩き出した。

 それからジェイコブは暫くの間、旅行を楽しんだ。初めての旅は新鮮で刺激的であった。鬱屈した日々が霞み吹き飛ぶのを感じる。二度とあのような仕事に心をすり減らさなくて済むのだと思うと、爽快感すらも抱いた。

 唯一、嫌な気分になる瞬間は、金を支払う時であった。財布を開ける度に、あの旅人の金がそこに入っていることをジェイコブは思い出した。旅人の荷物は適当な場所で売り払ったが、金を捨てることはやはり出来なかった。決してやましいはずのない、正当性がある金だというのに罪悪感を抱いてしまう。己の善良さを、ジェイコブはひっそりと嘆いた。金のせいで折角の旅行が精彩を欠くので、旅人から貰った金を別の財布に移すことにした。何かあったときの為に取っておこうと、ジェイコブは思った。

 結局、そのまま旅人の金を使わずに自分の財布の金がなくなった頃、ジェイコブは一度街に戻ることにした。金を銀行から下ろす必要もあったが、何よりも旅行に浮かれて土産物などを無駄に買い込んだ為に、荷物がいっぱいになったこともあった。

 テロッシス農園から街中に入る、あの荷運びの老人の荷台にこっそりと乗り込み、ジェイコブは静まり返った深夜の墓地に帰ってきた。

 人の寄り付かなそうな陰気なそこも、久々に見れば懐かしい光景に安心感を覚える。また、何か騒ぎになっていないこともジェイコブを安心させた。

 ジェイコブは『我が家』に足を踏み入れた。石畳の階段を転ばぬように慎重に降りる。ここでうっかり転んで物音を立て、たまたま近くを通っていた誰かに見付かっては全てが台無しだ。

 ――ふと、階段の先で何かが動く影が見えた気がした。

 ジェイコブは眉を寄せた。気のせいだろうか。それとも、実はあの旅人の死が発覚して、誰かここで張っていたのだろうか。


「……だれか、いるのですか?」


 短い時間でジェイコブが出した答えは、とりあえず声をかけてみることだった。迷い込んだだけの善良な旅人を装えばいいのだ。彼はそう思った。

 そう思ったと同時に、何か嫌な予感がした。

 それを理解するよりも早く、ジェイコブは顔面に強く鋭い痛みと衝撃を受けたのだった――。

続きます。

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