第七話『私は私の身代わりがほしいのです』02
家に帰り、寿命と引き換えに手に入れた薬をテーブルに置くと、ジェイコブは自由になるための支度を整えた。寿命を削られる空恐ろしい体験は、この薬に対する信頼にも繋がった。一刻も早く自分の身代わりが欲しかった。これで絶望感しかない生活に終わりが見えてきたのだ。
ジェイコブは寝台に座り、その薬を一息に煽った。
目を閉じて、その時を待つ。
すると、自分の身体に変化が起きていくのを、ジェイコブは敏感に感じ取った。
まさに自分から何かが抜け出る感覚だった。押し出すような、引き抜かれるような、奇妙な力を確かに感じる。それの終わりをじっと待つとジェイコブは脱力した。
期待を胸に湧かせて横を見れば、店主の言うように、全く同じ服を着て座り込んでいる自分がいた。予告されていたとは言え、ジェイコブは心臓が痛くなるほど驚いた。ぞわりと総毛立ちながら、横にいる自分を覗き込めば、それは目を閉じて寝ているかのようだった。
異様な光景だった。自分を真に客観的に見ることが出来るとは。ジェイコブはしげしげと寝ている自分を見た。不健康そうで、死んだように寝ていた。本当にこれは身代わりとして生きているのだろうか。『彼』の鼻先に手を翳せば、温い鼻息が確かにあった。続いて自分の身体を確かめる。この家に唯一ある小さな鏡――ぼんやりとしか映さないが――を覗き込めば、確かに間違いなく自分がいた。
ジェイコブは夢にまでみた自由を手に入れたことを確信した。急いで荷物をまとめて、彼は寝ている自分がいる家を出た。
真夜中に、集団墓地の一部を利用した地下の隠れ家へ、ジェイコブは急いだ。いつか自分が責務から逃れられたときに住もうと思っていた秘密基地のようなものだった。滅多に来ない隠れ家は当然掃除などしていなかったが、思いの外荒れていない。今夜からでも生活は出来そうだった。ジェイコブは晴れ晴れとした気分で荷物を下ろした。古びたロッキングチェアに座り、テーブルにおかれた小さなランプに火を灯す。暖かみのある光源が、墓地の地下ということを忘れさせてくれるようだった。椅子を漕ぎながらジェイコブは明日からの生活に思いを馳せた。
地上ではあの身代わりの自分がいつも通りに集団墓地を管理してくれるのだろう。そして自分は自由になった。もう誰かの死に向き合うことはない。地下でひっそりと暮らすという後ろめたさのようなものはあったが、それでもあの仕事から離れられたことがジェイコブにとっては何よりも嬉しかった。最後の仕事であった知人ダン・ベインの埋葬は身代わりの自分に任せよう。それがいい。もう二度と彼の無惨な姿を――金目のものを奪い取られ、リンチのような目にあったらしく、ひどい有り様だった――見たくはない。
ジェイコブは無意識に思い出してしまった知人の死に顔を振り払うように頭を振った。折角訪れた幸せを汚すことは考えないようにしなくては。
その時、入り口の方から音がした。ジェイコブはびくりと身体を震わせた。空耳であることを祈ったが、確かにゆっくりとした静かな足音が物音と共に聞こえた。
ジェイコブは静かに椅子から身体を起こしてランプの火を消した。部屋の明かりがなくなる間際に、壁に仕事用のシャベルが立て掛けてあることに気付き、素早くそれを掴み、両手で持った。
小走りで、入り口近くの壁に張り付き、息を殺す。冷たい石造りの壁がジェイコブの背中越しに熱を奪う。
足音の主は重たい足取りが止まった。
「……だれか、いるのですか?」
聞き覚えのない、品性を感じない男の声がした。ジェイコブは震えながら入り口を見る。真っ暗な中では、そこにいるのが誰かはわからない。しかし、自分と同じくらいの身長でありながら、体格が良さそうなその影に、ジェイコブは恐怖を抱いた。
ジェイコブは衝動的に飛び出し、持っていたシャベルを不審な侵入者に向けて勢いよく振るった。鈍い音と感触に、ジェイコブは自分の攻撃が確かに相手に届いた確信を得た。侵入者が倒れる影と音を捉えれば、火がついたかのようにジェイコブは再びシャベルを振りかぶった。
まだ起き上がろうとする侵入者の頭部に何度もスコップを振り下ろす。頭頂部を殴り付け、顎から振り上げ、横から抉るように叩き。相手に一切の反撃を許すことなく、ジェイコブは無我夢中でスコップを動かし続けた。次第にそれはジェイコブの身体に染み付いた動きに変わり、気付けば侵入者はピクリとも動かなくなってた。
ようやくジェイコブは我に返り、握っていたスコップを慌てて離した。固い、乾いた音が秘密基地に響く。ジェイコブの荒い息づかいだけが残っていた。
続きます。




