第一話『薬とかわからない。でもお金が欲しい!』02
ダンは店を出た。暗かった室内に慣れてしまった目が、昼間の明るさに僅かに眩む。背後でドアが閉まると、自然と息が吐き出された。
そうだ。久々の休日で、特にすることなく街を彷徨いていたのだった。金を使うのも勿体なく、なんとなく歩いて、この店に引き寄せられてしまった。
思い出し、ダンは身震いをした。通りを歩き出す。
しかし、妙なものを買ってしまったものだ。いや、買ったのかも定かではない。未だに店で起きた事が身体に残っているというのに、やりとりを思い出せばどうにも夢のようだった。
紙袋の中を見る。金色の丸薬が入った小瓶を取り出し、中から一粒出してみる。日の光に、その光沢のある表面がきらりと輝いた。宝石のようにも見える。果たして本当に口に入れて良いものかも怪しい。
逡巡し、ダンは口に入れた。
夢のような出来事だったが、あのとき強く感じた決意もまたダンの中に残っていた。
飲み込み、暫く静観してみたが何か身体に変化はなかった。
たまたま人通りはなかったが、道端に突っ立って何をしているのだろうか。ダンは恥ずかしくなり小瓶を戻して歩き出した。
大通りに近付くに従い、人も増えてきた。次第にダンの思考は現実的になっていった。
なんて馬鹿なのだろうか。ダンは少し前の自分を恥じた。金運が良くなるなど、妖しい女のわけもわからない話を信じて、妙なものを飲み込んでしまったものだ。誰にも話したくない。ダンは持っていた紙袋を隠すように抱え、俯いて足早に通りを抜けようとした。
――ダンのその靴先に濡れた紙幣が貼り付いていた。
思わず足を止め、それを取る。一万セリ紙幣だ。この国の最高額紙幣で、日当で生きているダンは滅多に見ない紙幣だった。濡れてはいるが破けたところもない。思わず辺りを確認するが、それを探している様子の者はおらず、それどころか周りの人々はダンが高額紙幣を手にしたことにすら気付いていない様子だった。
ダンはそれを素早くポケットに捩じ込んだ。心臓が身体から飛び出そうなほど強く打っているのを感じる。ダンは再び足早に歩き出した。
そんなまさか。
言葉が漏れそうになるのをダンは堪えた。紙袋を抱える腕に力が籠る。雑踏の喧騒が嫌に耳に吸い込まれていくかのように緊張した。
「誰か! 誰かー!」
ダンの緊張を破ったのは、背後から響いた女性の悲鳴だった。それに続々と小さな悲鳴や罵声が続く。ダンが振り向けば、ちょうど柄の悪そうな男が人混みを体当たりするように向かってくるのが目に入った。誰も彼もがその悪漢を避けて道をあけた。
「誰かその男を捕まえて!」
響く悲鳴。勢いよく向かってくる男にダンは咄嗟に半身を剃らし足を出した。
ああ、余計なことをしてしまった。
ダンは反射的に後悔するが、見事彼の足は男を躓かせた。
無様に路上に転げる男。その形相が恐ろしく、これまた反射的にダンは男を取り押さえようとした。そこで自分が薬瓶を抱えていたことを思い出した。
紙袋を抱えたまま、ダンは男の上に倒れ込んだ。そのせいで突き出た肘が男の腹に入り、男はそのまま伸びてしまった。
殺してはいないだろうかとハラハラしながらダンが転がりながら立ち上がる頃には、歓声が上がっていた。妙な注目を浴びたことにダンは恥ずかしさを感じた。そうこうしていると固い靴の音が響いてきた。
「君、大丈夫かね? 怪我はないかね?」
警備団たちが騒ぎを聞きつけたようだった。その中の一人、中年の体格良い警備団員がダンを気遣うように尋ねてきた。ダンはふと先程拾った金を思い出し、僅かに焦りながら頷いた。警備団員はそれを特に気にするでもなく、ダンの身体を触り、頷いた。
「いや、よかった。あいつは刃物を持っていたからね」
そう言われてダンは他の団員に取り押さえられている気絶した男を見た。気付かなかったが彼の手元には大振りの刃物があった。ダンはぞくりと身を震わせた。刃物を持っていたことにまるで気付かなかった。通りで誰もが道を空けたわけだ。今更ながらに恐ろしさを感じ、ダンは震えた。
警備団員がそんなダンの肩を叩く。
「危険だったんだよ。だが、咄嗟に君が動いてくれたから怪我人もなくこいつを捕まえられたよ。名前は?」
「ダンです。ダン・ベイン」
「ありがとう、ダン君」
制服を着た警備団員から心からの感謝をされ、ダンは誇らしさを感じた。そんなダンに一人の中年貴婦人が駆けて近付いてきた。その貴婦人は身なりが良く、整った髪や服装を振り乱しながら、いきなりダンの手を取った。
「ありがとう、ありがとう!」
「えっ」
困惑して頷くが、状況が読めない。ダンは目を白黒させた。すると警備団員が笑った。
「彼女はヤツに荷物を引ったくられたのですよ」
「大事なものだったの! あなたのおかげよ! お礼をさせて頂戴!」
「いや、そんなお礼なんて」
「お願い! そうでないと気が済まないわ! あなたが勇敢に立ち向かってくれたから!」
「まぁまぁ御婦人、落ち着いて」
半泣きで感激する貴婦人と気圧されるダンの間に、警備団員は苦笑して割って入った。
結局のところ貴婦人の熱意が強く、後日ダンに謝礼金が渡されることになった。それにダンは手汗をかいた。
一時的な英雄になったダンは、茶化す人々を落ち着きなく頭を下げながら通りを抜けた。通りを抜け、誰もダンを注目しなくなったところで、ダンは生唾を飲み込み、自分の手にした紙袋を見た。
袋を覗けば小瓶に入った金色の丸薬がきらりと光り、男は艶然と微笑む店主の顔を思い出した。
続きます。