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リコリス魔法薬店  作者: 雨天然
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第六話『可愛らしくも楽しい薬だ。ずばり、『手からお菓子が出せる』薬であるぞ!』03

 アーエラノスの城下町はまもなく夕暮れを迎えようとしていた。教会の鐘が鳴り響き、中央広場の噴水前で遊んでいた子供たちもそろそろ家に帰ろうとした頃。


「へへいへーい。ぼうやたち、お嬢ちゃんたち」


 軽快な口調で老人が子供達に声をかけた。一目でかつらとわかる髪を頭に乗せ、色付き眼鏡をかけた怪しい老人だった。子供たちは胡乱げに老人を見た。


「おじいちゃん、だれ」

「あ、ヅラだ。このジジイ絶対ハゲだよ」

「なぁに。おかあさんが変なやつから離れなさいって言ってた」


 子供達は各々思ったことを口にした。

 悪口を言われたような気もきたが、夢が叶ったばかりの老人は気にした風もなく、子供達に向かい穏やかに笑ってみせた。


「ほらほら、私の手を見ていてご覧」


 そういうと老人がしわしわの手をくるりと回しだした。子供達の視線がその手に注がれた。

 十分な注目を得られたその手から、唐突にキャンディが現れると、子供達は言葉をなくして目を丸くした。そして次の瞬間には歓喜の声をあげた。


「キャンディだ!」

「すげぇ! 手品だ!」

「ちょうだい!」

「もっかいやって!」

「はっはっは。ちゃぁんと皆にあげよう」


 一番近くにいた子に出したキャンディをあげると、他の子供達は老人を取り囲み、その服を引いた。

 次々にお菓子を出して見せれば、子供達が子供達を呼び、その輪はどんどん大きくなっていった。

 もみくちゃにされながら老人は微笑んだ。まるで自分が飴を貰ったかのような喜びが彼の中から溢れていった。

 長年の夢が叶った。なんと素晴らしいことか。愛してやまない街の、愛してやまない子供たちの笑顔が夕日以上に眩しい。色付き眼鏡の奥の目にはうっすら涙が溜まっていた。

 ――そんな主を遠目で見て、従者は馬車の中で深くため息をついた。



 そんな日々を丸々一週間過ごしながら、ヒューセントは幸せいっぱいで公務に務めていた。子供達の笑顔は彼の活力の元となって漲っていった。

 執務机に山を作っていた書状はすべて片付いた。各所が泣いて喜ぶほどの鮮やかな仕事ぶりだった。決して今までが怠けていたわけではない、はずだ。

 これほどやる気もあがるのだから、またあの薬を貰って子供達にお菓子を配りにいきたいものだ。モンドも許すはずだろう。

 ヒューセントは近い未来に思いを馳せ、幸せに浸っていた。

 しかし、そんなヒューセントの幸せを壊す一報が届くのだった。


「失礼いたします、ヒューセント様」

「はいどうぞどうぞ」


 ヒューセントは気分よくモンドの入室を許可した。モンドがやってくるときは大抵の場合がヒューセントにとって『都合の悪い嫌な事』を持ってくるのであったが、今のヒューセントに怖いものなど何一つなかった。どんな嫌なことがあろうとも、この仕事を終えたあとにあの魔法薬店に行き、薬をもらい、子どもたちにお菓子を配ることを考えれば、大したことはない。

 主の許可を得て、モンドは執務室に入って一礼した。手にはいくつかの書類を持ち、いつも以上に硬い表情であった。

 ヒューセントは不機嫌な従者に対して満面の笑みで迎い入れた。「ほらみろ。仕事は順調だぞ」と言わんばかりに片付いた執務机の上で手を広げる。背後の窓から入る日の光がヒューセントのつるりとした頭を照らした。


「それでどうした、モンドよ」

「ヒューセント様に知らせるべき、街の婦人会からの多数の苦情と、それとは別にヒューセント様宛のいくつかの陳情を持って参りました」


 はて。

 ヒューセントは首を傾げた。

 こうした地位にいれば常々何かしらの苦情や陳情はあるが、わざわざモンドに持ってくることは滅多にない。

 しかし、ないわけではない。そして、モンドが持ってきた時点でひどく――面倒で――重大な話であることは明らかだった。ヒューセントは浮かれきっていた思考を落ち着かせて、居ずまいを正した。


「なんだ。言ってみよ」

「まずは婦人会からです」


 モンドの声が渋く、硬い。

 婦人会。その名の通り、街の婦人たち――主に子供のいる家庭をもつ婦人たちで構成されている集まりだ。地区別にいくつもあるが、彼らのネットワークは街全体に張り巡らされており、その伝達能力は素人集団ながら驚異的である。婦人会からの苦情とくれば、その多くが細かな生活に関することであるが、下手に無視しようものなら街全体にその不満が一気に広まる。なにより、彼女たちの圧が怖い。ヒューセントはそう思っていた。

 一体どんな苦情だろうか。ヒューセントの身体に緊張が走った。

 モンドが一呼吸置き、口を開いた。


「『夕刻、怪しい老人が子供達にお菓子を配っている。集団誘拐のつもりかもしれないから、その怪しい老人を摘発すべし』」


 ヒューセントの緊張は身体を走り抜け、すぽんと抜けていった。

 今なんと?

 ヒューセントは耳を疑った。目を瞬かせる。

 言葉をなくした主を尻目に、モンドは報告を続けた。


「『怪しい老人の配るお菓子で子供達が喧嘩になった』『怪しいかつらの老人がいっぱいお菓子を配るせいで息子が夕飯を食べない』『夜中に何か食べていると思ったら知らない老人から貰ったお菓子を食べてた。歯磨きさせたあとなのに!』『子供がもらったというお菓子を沢山食べ過ぎてお腹を壊した。下の子もいるのになんて面倒なことしてくれたの、そのハゲは!』『娘がハゲ隠したおじいさんからお菓子を――」

「も、もう、もういい!!」


 ヒューセントは両手で耳を塞いだ。しかし、無慈悲にもモンドは報告をやめなかった。律儀にすべての苦情を読み上げ、終わりにその書類を指で叩いた。


「もうおわかりですね。貴方宛の陳情もこの件です。貴方が街の子供にお菓子を配っていることが住民の一部に気付かれています。じきに不満を持った婦人会にもそれは知られ、ヒューセント様、貴方は彼女たちからこっぴどく怒られることになるでしょう」


 モンドのその言葉は、塞いだはずのヒューセントの耳にしっかり入ってきた。

 婦人会からこっぴどく怒られる。なんて恐ろしいことだ。まだ耳に届かぬはずの婦人たちのきんきん声が、ヒューセントの耳の奥で鳴り響いた。血の気が引くのを感じた。

 どうしてこうなった。私はただ子供達を喜ばせたかっただけなのに。あの可愛い笑顔を見て元気をもらって、その活力で街をもっと良くしたかっただけなのに。

 それがどうして婦人会から怒られなきゃならないのだ。

 ヒューセントはいてもたってもいられなかった。


「モンドよ!」


 ヒューセントは椅子を倒す勢いで立ち上がり、後ろの窓を大きく開けた。逆巻くような風が部屋を入り込んだ。

 モンドはしまったと言わんばかりの顔で主に駆け寄ろうとしたが、風と大きな執務机がそれを阻んだ。


「いけません、我が主!」

「さらばだ!」


 ヒューセントは窓に足をかけてその身を空に投げた。モンドは若者のように机を飛び越えたが、彼の伸ばす手は届かず、細め老体が城の外へ落ちていった。窓の下に足場になりそうなものはなく、そのまま落下し、その身体を地に叩きつけるしかない。

 しかし、次の瞬間。ヒューセントはぶわりと浮かびあがった。

 かつて『旋風の魔法騎士』と呼ばれた領主は風の精霊に呼び掛けながら城の窓から飛び降りたのだった。


「私は新しい薬を買ってくる! あとの仕事は任せた!」


 響く主の声に、モンドは盛大な舌打ちをした。


「この脱走癖!」


 物静かなモンドの怒声が窓の外に響き渡った。

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