幕間『なんなんですか、ここは……この建物は……』01
住み込みで働くことになった。
ギーが再びその店のドアを開ければ、支配者であるあの店主リコリスではなく、以前茶を出してくれた少女がカウンターを掃除していた。
「あ……お、おかえりなさい」
いつも通り軽い鈴の音がなり、背後でドアがしまるのと、その少女の声が重なった。
取りに行った荷物を背負ったまま、ギーは小さく頭を下げた。頭の白百合が揺れる。
少女も従業員なのだからいても不思議ではない。しかし、人が変わるだけで毒気を抜かれたようになった店内に、どういうわけか面を食らってしまった。
少女は掃除の手を止め、ギーに少しだけ近付いた。
「あ、あの、ギーさんですよね? 先輩……えっと、店主から聞いています……」
視線をさまよわせながらあまりにか細い声で尋ねられ、ギーは困惑した。以前顔を合わせた時は一言も喋らなかったが、それは従業員として静かにしていたのではなく、性格からだったのだろうか。
「はい。……急な話ですが、先程こちらのリコリスさんから住み込みで働くように言われたギー・キュマと申します」
こんな小さな男におずおずとする少女の緊張を少しでも和らげたく、ギーは優しく微笑んだ。
それをみた少女はぎこちなく笑みを返した。
「……私は、リリーと言います。店主は今少し席を外しているので、私がえっと……店と『裏』の案内をします。あとギーさんのお部屋も……その、お荷物を下ろしたいと思いますし」
「ありがとうございます」
少女リリーのたどたどしい説明に変わることなく笑みを返しながらも、ギーは内心で驚いていた。もう部屋の準備があると言うのか。しかも、わざわざ言うというのだから個室なのか。準備の良さに舌を巻いたがあの店主を思えば当然なのかもしれない。とは言え、物置かそれに近い何かなのだろう。それでも構わなかった。
なにしろ死ぬつもりでいたのだから、荷物も少ない。雨風がしのげる場所で横になれるなら十分だ。
「……じゃあ、こちらへ、どうぞ」
リリーはやはり不安げにカウンター奥を手を指し示して歩きだした。
ギーは改めて店内をぐるりと見渡した。
狭くて暗い店だ。しかし、暗いが手入れは行き届いているようで、埃が溜まっていたりなど目立った汚れはない。入り口側以外の壁に備え付けてある棚には、薬と思わしき瓶がびっしりと整列している。これはリコリスの几帳面さなのか、目の前のリリーのか、それとも他にも従業員がいるのだろうか。
そうして初めて入るカウンターの中に僅かな好奇心を揺さぶられながら、ギーはリリーについていった。
カウンター奥のドアを開け、通された廊下は店と同じく狭いものだったが、店とは違って明るかった。廊下の途中の壁にある灯りは精霊光なのか、炎ではありえない冷たい灯りを保っていた。
一本の廊下の左右には等間隔にいくつもドアがあった。一部屋が実に狭い、鰻の寝床のような作りにギーには見えた。
しかし、妙に長い廊下なような気がするとギーは感じた。この店は思いの外奥行きがあるのだろうか。
手前のドアから、中には入らずにリリーは部屋を指し示していく。
「ここが物置です……こっちが温室……あ、全部後で案内します。で、こっちがお手洗いです……それとここが洗面所で、実験室、多目的室、図書室……」
リリーの頭と手が忙しなく左右に揺れる。その背を見上げながらついていきギーは唖然とした。店舗の裏とは思えない部屋名が続くのだ。数ある狭い部屋を無理くり使いこなそうとしたのだろうか。
程なくしてリリーの足が止まった。
「それで、こちらがギーさんの部屋になります……」
そう告げられたドアは他の部屋とおなじものであった。まさか個室をいきなりあてがわれるとは。ギーは小さく頭を下げた。
リリーはゆっくりとその部屋のドアノブに手をかけた。そして、ほんの少し勿体ぶったかのような間を置き、扉を押し開けた。
「どうぞ」
そう言われて通された部屋にギーは目を疑った。
そこは鰻の寝床と言うには失礼なほど広く、十分な生活空間のある部屋だった。白を基調とした清潔感のある壁紙に、白いカーテンのついた大きい窓が壁の真ん中に一つ。日の光が心地よく差し込んでいる。
そして、この部屋には木材製の家具が一通り揃っていた。しかもそれらはすべて、木化族用に小さめになっているのだ。これは人間の子供用ではない。人間や獣人の大人用の物を小さくしたような、そんな特注品に思えてギーは声をあげた。
「えっ! えっ? これどういうことですか?」
自分が子供のような反応をしてしまったことに気付いたのは、見上げてリリーの優しく和らいだ目と合った後だった。
「先輩……店主が用意してくれました。実際に使ってみて、もし使いづらかったらすぐ言ってください」
「えっ! あの人が! そんな、十分です! 滅相もない!」
ギーは首を激しく横に振った。こんな部屋は、故郷以外にありえない。こんな異郷でここまで贅沢な部屋に住むなどと言うことは夢以外の何物でもなかった。
むしろ、異様なことだった。
よく見れば部屋の内側のドアノブは低めの位置になっている。荷物を取りに戻った短時間でこれだけの部屋を作り替えるなど更に不可能だ。
「これは……いったい」
感動から困惑へ移り変わる感情のままにギーがリリーに尋ねれば、彼女は僅かにあの店主を彷彿させるような秘密めいた笑みを見せていた。しかしそれもほんの一瞬、申し訳なさそうな表情にまた戻っていった。
「あとで、説明しますね……すみません。とりあえず、荷物など置いてください。次はリビングにします」
それだけ言うとリリーは小さく会釈をして部屋を出ようとした。
そこではたと動きを止め、振り替える。
「すみません。忘れてました。部屋を出るときは、『廊下に出る』と思って出てください」
「は、はぁ。わかりました」
よくわからないままギーは頷いた。
退室するリリーを見送り、今一度部屋を見渡す。
恐る恐る荷物を置き、上着を脱ぎながらギーは部屋を歩いてみた。すべての家具に触れてみるが、確かに実在し、使い心地が良さそうなものだった。
窓際まで行くと、その窓が人間の街ではありえない低さの位置にあることがわかった。ギーが開け閉めするのに苦のない位置なのだ。
なにより恐怖するのが、先程から気付いてはいたが……ああ、窓の外に!
ギーは窓から外を覗き、直視したものを受け入れきれずに、目を瞑った。
そこに建物が立ち並び人々の営みを見せる街並みはない。代わりに美しい青々とした野原が広がっていた。小鳥のさえずりさえも聞こえる穏やかで優しい風景だった。
今一度、確かめるかのように窓の外を見て、やはり変わらぬ非現実的な風景にギーは震える吐息を漏らした。
ありえない。部屋の大きさもありえない。あの店舗が入っている建物にこんな部屋が一室あるわけがない。そもそも廊下についていたドアの感覚と部屋の大きさがあっていない。何もかもがおかしい。
やはり自分は先程、あのリコリスに願いを叶えてもらおうとして死んだのではなかろうか。死の間際にわけのわからない夢を見ているだけではないのだろうか。それともこれは薬の幻覚か。はたまたすべては夢現だったのか。
あらゆる妄想がギーの中で駆け巡るが、それでも自分を落ち着かせようとして、……ギーはカーテンを閉めた。
何も見なかったことにして、部屋を出ることにした。夢なら覚めた方がいいのか悪いのか。ギーがそんなことを考えながら部屋のドアに手をかけ、引き開けた。
そこで先程リリーから言われたことを思い出したが遅かった。
「ひ! ひあぁぁぁああっ!」
ギーは目の前の光景を直視して、とうとう半狂乱になって叫び声をあげた。
ドアを開けた先は先程の柔らかい光源のあった廊下ではなかった。ギーの目の前には闇が広がっていた。その闇の中から蛇のようにとぐろを巻きながら木の根のようなものが自分に向かってくる瞬間を彼は見てしまった。
反射的にドアを閉めて離れる。心臓が身体を突き破るのではないかと思うほど鳴っているのを感じながらギーは腰を抜かした。
「大丈夫ですか!」
ドアの外から声がかかる。それと同時にドアが開くのを見てギーは思わず身体と頭を守るように腕を前に出して目を閉じた。あの根のようなものへ出来る最後の抵抗だった。
ところが、ギーの想像していた襲い来るような衝撃はなかった。
「ギーさん! 私です! 大丈夫ですよ!」
代わりに指先を柔らかそうな髪が流れる感触と、優しい声が頭上から降ってきた。
恐る恐る目を開ければ、そこには心配そうな顔をしたリリーがいた。彼女の背後で開いている部屋のドアの先には、行きたかった廊下がしっかり見えていた。暗闇も木の根もない。
次々とやってくる奇怪な現象にギーは呆然としたまま、リリーを見上げた。
「あ……あの……」
ギーは情けない声を上げた。
「なんなんですか、ここは……この建物は……」
幕間ですけど、続きます。
良いお年を。




