第五話『一ヶ月でもいい。彼女に人としての幸せな最期の時を過ごさせたい……』05
二人きりで残された部屋には重い沈黙に包まれた。ギーはベッドの横に椅子を運んで腰掛けテュイをみた。テュイは身体を起こしたまま、シーツを睨むように見ている。怒りや落胆が感じられるのは自分の気のせいではないだろう。
「……テュイ、……あの」
恐る恐るかけるギーの声にも、テュイは微動だにしなかった。ギーは生唾を飲んだ。リコリスから手渡された小瓶が汗ばむ手の中で熱く感じられる。
「もしかして、延命は、……望んでいなかった?」
「ええ」
答えは素早く、そして簡潔に告げられた。ギーは後頭部を殴られたかのような眩暈を覚えた。
一緒に生きたい。両親にまた会いたい。そう言っていたはずだった。だからテュイが人としての延命を望んでいるものとギーは思っていた。
耳にかかっていたテュイの髪が、はらりと落ちた。髪の隙間から、彼女の小さな口が動くのが、ギーには嫌にはっきり見えた。
「何のための延命なの……」
「なにって……テュイに、ご両親とも会わせたかったし、僕も君ともっと一緒にいたくて……」
言い訳のような言葉が乾いた口から粘つくように出る。ギーは顔を伏せた。
「……五十日、よね。お父さんとお母さんがここへ来るまで約一月。そこから残り二十日。こんな動けない身体で……、未練がいっぱい残る日々を貴方は過ごせと言うの?」
その質問にギーは何も答えられなかった。
「ねぇ、ギー……きっとギーはいっぱい考えてくれたのよね。私のこと、私の両親のこと、両親に与えられる家や褒章、この村のこと、みんなのこと……」
テュイの声は淡々としていた。
「――でも私とギーだけのことで考えて欲しかった」
その言葉の衝撃にギーは小さく息を飲んだ。
「私はギーとずっと一緒に生きたい。街にいたときのように二人で笑って色んなことして、寄り添って生きていきたかった。……それが叶わないなら今すぐ死んだ方が良いくらいなのよ」
テュイの声が震える。
「なんで一ヶ月の延命なんて、そんな救いにも何にもならない薬のためにどっかいっちゃってたの……木になるしかないなら、せめて最期まで離れることなく一緒にいたかった」
テュイの声から、彼女が自分の方を向いたことにギーは気付いた。しかし、彼にはテュイがどんな顔をしているのかみる勇気がなかった。
視界に震えるテュイの手が映った。その手が怒りに震えてでなく、手を伸ばすことも難しくなっているのだと気付き、ギーはハッとした。自分の手に触れようとしているのだろうか。
ギーは伸ばされるテュイの手に触れようとしたが、その意に反して彼女の手はギーの手首を強い意志と弱々しい力で掴んだ。
「殺して」
はっきりと告げられる言葉と共にテュイはギーの顔を覗きこんだ。その顔には涙が止まることなく流れ続けていた。
「私の力ではもう自害することも出来ない。ギー、私を殺して」
「……そ、んなこと」
「このまま生きていたくない。人としても、木になったとしても。ギーと人として一緒に生きていきたかった。木になった後、貴方が毎日会いに来てくれるとしても、私はこの森で永遠に等しい時間を生きて、貴方はいつか死んでしまう。もしかしたら貴方の横に別の人が寄り添う姿も見ることになるかもしれない。そんなの堪えられないっ!」
悲痛な叫びにギーはまた何も言葉を出せなくなった。追い討ちをかけるような言葉がテュイから飛び出す。
「私と貴方の立場が逆なら、貴方が木になって他の人のものになるのも堪えられない! 世界の果てでも一緒に逃げて貴方を誰にも渡さない! 貴方を失った私なんて存在しないのと一緒なのよ! この意気地無し! ばか!」
激昂するテュイの涙がギーの手にかかる。ギーの目からも涙が零れた。
「ギー・キュマ、私を殺して! お願い! それが唯一の救いよ! 私を永遠の地獄から救って! 私の為だけに悪者になってでも! お願い!」
ギーは静かに涙を流し続けた。テュイの迫真の願いに動揺を飛び越え、無心に近くなっていた。理性を失い、テュイの首に手をかける意思さえも浮かんできた。
しかしそれは出来なかった。
ギーは力なく首を振る。
「無理だよ、テュイ……」
声に出せば涙は更に大粒となった。
「僕にそんなことは出来ない。悪者になったっていい。でも君を殺すことは出来ない。そんなこと出来ない」
一緒に生きたい愛している人をこの手にかけることを出来なかった。それはテュイを、彼女が思うほどには愛していないという証明になってしまうのだろうか。
二人は声を圧し殺して泣き続けた。ギーはのろのろと、テュイはぎこちなく動いて互いを抱き締める。うまく抱き締められずに、また泣いた。
泣き続け、そしてようやく、どちらからともなく身体を離した。
互いに泣き腫らした顔をみる。先に口を開いたのはテュイだった。
「あなたの正しい心が好き」
テュイは微笑んでいた。その笑みは歪んでいた。
「でもあなたの正しすぎるところが嫌いよ。最期くらい共に間違ってくれたって良かったじゃない」
悲しみを抑えた微笑みと辛辣な言葉をギーは甘んじて受け入れた。
テュイの手が優しくギーの手に触れた。
「薬、ちょうだい。嘘か本当か知らないけど、飲むわ。貴方が私のために持ってきてくれた薬だもの。飲まないわけにはいかないじゃない……」
力が抜けているギーの手は、テュイの弱々しい手でも開くことが出来た。抵抗することなくギーはその薬をテュイに渡した。
テュイの動作は始終老婆のような鈍さだった。時折顔が痛みで歪む。力が入らないのか小瓶の蓋が開けられないようだったので、ギーはそれを開けてやった。
テュイは小瓶を煽るように傾けて薬を口にいれた。中の花さえも躊躇することなく口に含み、嚥下する。
「……ほんとだ。甘い。あの『星の女性』みたいな薬師さんの言った通りね」
ギーは目を閉じた。最後に見たテュイの自虐的な笑みが焼き付いて離れなかった。
続きます。




