第五話『一ヶ月でもいい。彼女に人としての幸せな最期の時を過ごさせたい……』04
木化族の村は、そびえ立つような背の高い常緑樹の広大な森の中心にある。もしこの森を上空から見るならば、中央部は凹んだように見えるだろう。背の高い木々の中でも木化族の家である木が枯れることなく青々としていられるのは、その木が同胞の身体から出来ていると特殊性があるからだった。
二人は森に入り、寄り道することなく恋人の滞在する木へ急いだ。森の西側にある入口から村の中心部までは案内灯と言わんばかりに、蛍や精霊光を用いた明かりが至るところに灯されて柔らかな光で満ちていた。木々の合間に出来た道をギーとリコリスを乗せた馬が闊歩する。旅行客の多いこの村は田舎としての風景を残しながらも、道は整備され、木化族よりも他の種族たちで多く賑わっていた。
そういった観光地を抜け、居住区とも言える森の奥さえも通り過ぎる。旅行客どころか、住民たちの人気さえもなくなり、案内灯が少なくなったところに、その若木はあった。
幹周は他の家々と遜色ないしっかりしたものだが、背丈のまだ小さい。その木はこの村で一番新しい家だ。そこがギーの恋人に与えられた最期の家だった。
家の表面には、木と同化するように木化族の男がレリーフのように浮き出ていた。穏やかな表情で目を閉じている。
その下にある取り付けられてまもない木製のドアを開けて、ギーは声をかけながら中へ入る。
「テュイ、僕だよ、ギーだよ」
「……ギー?」
家の中は灯りがいくつも灯されていたが、物が少なくがらんとしていた。木をくりぬいたような空洞にある部屋は小綺麗であるが生活感がまるでなく、人が住んでいるとは思えない様相だ。入り口さえ抜ければ、その部屋は木化族が住むには広く、天井が高い。そんな部屋の奥にあるベッドに寝ていたテュイはか細い声を上げた。すみれ色の長い髪、額の辺りから覗く、萎れかけた小さな鈴蘭を揺らしながら身体を起こした。その動きはぎこちなく、幼女めいた姿だというのに老婆の起き上がり方だった。
久方ぶりに聞く恋人の声にギーは安堵した。
テュイもギーの帰還に安心した表情を見せたが、彼の後ろに続くように中腰で屈んで入ってきた長身のリコリスに驚いていた。
ギーはテュイのベッドに駆け寄り、彼女の手を握った。テュイの手は冷たく、記憶にあるより柔らかさがなくなっているように感じられる。不安げに揺れる瞳で自分を見るテュイを、ギーは思わず抱き締めた。
「ギー! ギー、ちょっと!」
見知らぬ女性の目の前で抱き寄せられたことにテュイは慌てふためいた。
甲高い抗議の声にギーは我に返り、赤ら顔のテュイと後ろで薄ら笑いのまま立つリコリスを交互に見て目を泳がせた。
「す、すみません。……あの、……テュイ。ただいま」
「お、おかえりなさい……あの、……その方は?」
互いに照れて掠れたような声で挨拶を交わし、二人の視線はこの部屋の中でも一番目立つリコリスに向けられた。
リコリスは帽子を取り、小さく頭を下げた。
「薬師のリコリスですわ」
「薬師……」
テュイの目が大きく見開かれた。華やぐように表情が輝いた。
「それじゃあ……!」
「ギー様から依頼を受けまして、一ヶ月だけ木化を遅らせる薬を提供しに参りました」
その瞬間のテュイの表情を、ギーは見逃さなかった。表情が萎れていったのだ。喜ばれると思ったのだがテュイは明らかに落胆をし、一度明るくなったはずの表情は幻覚のように霧散していた。
「……そうですか。ありがとうございます」
小さく頭を伏せ、形だけの礼をテュイは小さく呟いた。ギーは言葉も出ないほど狼狽えた。リコリスはそれを気にした風もなく、ベッドの横に屈み、
「よろしかったら、一度診察させてくださいませ」
と優しく笑んでいた。テュイは何も言わずに服の胸元をぎこちない動作で広げる。
「失礼いたします」
はだけたテュイの胸は、診察を始めるリコリスの白い手と遜色ないほどに白く、生気のない肌だった。
ギーは混乱していた。喜ばないどころかこちらを見ようともしない恋人テュイが何を思っているのかわからなかった。何故彼女が落胆したのか、どう考えたらその答えに辿り着けるのかわからずに立ち尽くしていた。
「……ええ。ごく普通の木化病ですわね。進行度も想定の範囲内」
「そうなんですね」
「ええ。動くのお辛いですわよね」
「……慣れました。殆ど動くことも許されなくなりましたし。……あの、背中は、その、向きづらいので」
「背中は見せていただかなくても大丈夫ですわ。あまり見られたくないかと思いますから。……手もよろしいですか」
「お気遣いありがとうございます……」
テュイは小さく頭を下げて、手を差し出した。リコリスは安心させるような笑みでテュイの手を取り、じっと見た。医師と占い師が混ざりあったかのような眼差しだった。ギーもテュイも口を閉ざした。
「……なるほど。もう結構ですわ。冷えてしまいますから、前をお閉めになって」
リコリスは始終柔らかい物腰と口調でテュイを労り、最後はテュイの服の胸元を合わせて離れた。まさにテュイは子供のように小さく頷き、服のボタンを閉めた。妙な疎外感すらギーは感じていた。
リコリスは立ち上がり、ギーに向いて鞄から一つの小瓶を出した。その中では見たこともない小さく可憐な花が、薄白い液体に浸かっていた。
「お約束通りの薬で人としての延命が出来ますわ。このままの進行で行きますと二十日後には木化が完了いたしますが、こちらをお飲みになれば今日から五十日は人として過ごせますわ。……よかったですわね、御客様」
「は、……はい」
頷き、肯定の意味の言葉を口から出すが、ギーは自分がよかったと言われる行いをしたようには思えなかった。テュイはギーを見ていなかった。先程のようなあからさまな落胆の表情はなくなったが、どこかよそいきの仮面を貼り付けた表情だった。
「中にある花は飲んでも飲まなくても、お好きにしてよろしいですわ。効果に差はございません。液体も花も甘くなっておりますので、苦なく飲めるはずですわ」
リコリスは帽子を被りながら呑気に付け加える。恋人二人の様子など知ったことはないと言わんばかりだ。
「それでは、失礼いたしますわ」
「あ、あの、案内を」
ギーは思わずこの家から出ようとするリコリスの背に声をかけた。テュイの様子の真意がわからないので少し時間が欲しかった。しかし、リコリスはにっこりとした満面の笑みを浮かべて振り返った。
「結構ですわ。道は覚えておりますのよ。本日はこの村に宿を取りますが、明日には出立いたします。どうぞ御客様は折角手にいれた最後の時間を大事になさってください。一分一秒惜しいはずですわよ」
きっぱりと断られればギーもそれ以上何も言えなかった。
一礼してドアを開けて去るリコリスに、ギーは掠れた声をかけた。
「ありがとうございます……」
続きます。




