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リコリス魔法薬店  作者: 雨天然
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第一話『薬とかわからない。でもお金が欲しい!』01

金が欲しい男の話し。

 店に入った途端に、男の胸に後悔の念が噴出した。妖艶を体現したような、どうみても堅気ではない、美しすぎる店主を見て怖じ気づく。


「どうぞ、そこにお座りになって?」


 男の竦む心などお構いなしにカウンター席を指し示す店主。すぐにでも踵を返して店を出たかったが、男はのろのろとカウンター席についた。


「今お茶をお持ちいたしますわ」

「あっ、いえ、お茶も結構で……」

「サービスですわ。ご安心を、お客様」


 法外な金を取られるのではないかと瞬時に危惧した男に、店主は深い笑みを見せた。疑わしいものだと感じたが、逃げられるほどの意志の強さはなかった。

 程なくしてカウンター奥の扉が開き、中から栗毛の少女がやってきた。可憐な少女だ。店主とは正反対とも思える清楚を体現したかのようなまだ若い女だった。カップとポットの載ったお盆を見るように、伏し目がちにカウンターに近付くと、そそとした動作でそれらを男の前に置いた。鼻孔に抜ける茶の香に男は身体の力が抜けたような気分になる。清涼感と共に反射的に安堵を覚えるこの香り。男はポツリと声を出した。


「パールミントのお茶だ」

「ええ。彼女が育てて、彼女が淹れたハーブティーですわ」

「そうなんですか……」


 店主に指し示され、はにかむような笑みを見せて少女は一礼した。

 いただきますと小さく呟き、男は茶を口にした。すっとした口当たりは飲みやすかった。


「美味しい」

「ありがとうございます」


 店主がそう言い、少女は照れた様子で頭を下げた。もう一口飲み、ふぅと男は息をついた。

 この茶を飲むと、祖父を思い出す。男の祖父は優しかった。畑の手伝いに行くと必ず少し冷えたこの茶をくれたのだ。畑仕事で汗だくになって疲れた身体にこの茶は甘露のように甘く、沁みるようだった。その祖父は、今はもういない。あの畑は父のものになり、後に兄のものになるだろう。いや、その前に他の誰かの物になるだろうか。

 そして、汗だくになって疲れきった身体を労う茶は出されない。

 祖父の思い出に浸る男に、店主が声をかけた。


「さて、お客様。本日はどのようなお薬をお求めでしょうか?」


 ひやりとする声に、男ははっと現実に返った。慌てて首を振る。


「いえ、薬なんて……いらないです、よくわからないですし」

「あら、おかしなことを仰いますね、お客様」

「おかしなことなんて。本当に、すみません、お茶を頂いてしまいましたが、たまたま、お店に入っただけで」

「たまたま?」


 聞き返す店主の赤い目がきらりと光った。男は押し黙った。


「それはおかしいですわ、お客様。お客様は確かに『望み』があって、この店に入られたのではございませんか?」


 柔らかい口調の問いかけは、まるで尋問のような鋭さがあった。男の目が泳ぐ。


「どうか安心なさってお客様。魔法薬はお客様の望みを何でも叶えますわ」

「何でもって、……でも薬なんて」


 口でそう言いながらも、店主の言葉が男の胸に浸透していくかのように、男は考えるのをやめていた『自分の望み』を思い浮かべ出した。

 誰よりも長く働ける身体だろうか。いや、それよりも確実に楽に高給取りになれる『地の精霊魔法』だろうか。それとも畑だろうか。土地だろうか。技術や技能だろうか。地位だろうか。いや、いやいや。男は頭を振った。もっと、もっと単純だ。男は辿り着いた一つの答えを、絞り出すように口から吐き出した。


「薬とかわからない。でもお金が欲しい……っ!」


 切実な願いだった。


「俺はテロッシス農園で働いています。御存じでしょう。郊外に広大な農地を持っていて、『地の精霊』の力を使って栽培日数を短縮して、品質も栄養価も高い人参を栽培している農園です。俺はそこで魔法使いが土地を耕した際に出た廃棄物の処理と畑の管理の仕事です。魔法使いよりもうんと働いているけど半分以下の賃金だ。俺にも魔法使いみたいな力があったらとか、他の技術があったら、土地があったら、……色々考えたけど、違う。一番欲しいのは金!」


 一度堰を切った言葉は次々と男の口から飛び出ていった。


「そもそも金があれば魔法使いや技術者を雇える! 金があったら土地も家も買える! 失敗しても金さえあれば! 金が! ……あっ」


 そうしてようやく露骨で品のない吐露をしていた自分に気付くと、男は口をつぐんだ。気まずさに目の前の茶を一口つける。汚泥を吐いたかのような口をすすぐにはいささか清涼過ぎたが、ばつの悪さを誤魔化したかった。

 しかし、店主は気にした風もなく艶然と笑ったままだった。男は目を伏せた。


「……とにかく、欲しいものは薬じゃないんです。ですから――」

「ええ、わかりましたわ、お客様」


 すんなりと引き下がったような店主の発言に男は毒気を抜かれた。

 店主はゆったりとした足取りでカウンターから出た。別段迷いなく薬瓶並ぶ棚の前に立ち、店主はそこに手を伸ばした。


「そうであれば、お客様のお求めになる薬は金運をあげるものでしょうね」


 その言葉を聞いた男は、肯定とも嘲笑とも取れぬ音を漏らした。男は店主を見た。そんな視線すら気付かぬ様子で店主は棚から一つの薬瓶を取り出した。それを男に見せ付けるように軽く掲げ、振ってみせた。


「こちらの薬は、貴方の金運を上げるものです」


 店主の手には、小石程度の大きさの金色に光る丸薬がいくつか入った小瓶があった。男は目を丸めた。優雅な足取りでカウンターに戻る店主をその目で追う。


「人によって効果時間は変わりますが、一粒で数時間、服用者の金運が上がります。服用者が激しい浪費をしない限り、本人の必要以上に金が手に入るでしょう」


 店主が涼しげな口調で宣い、再び男の目の前、カウンター越しにやってきた。人を食ったような悠然とした笑みに、男はその言葉の意味を図りかねた。乾いた笑いが漏れる。


「は、はは。……それで、それはいくらなんです? 年収ほどの金額がかかったりするんです?」


 端から信じていないその発言にすら、店主の笑みは揺るがなかった。


「いいえ、お客様。当店のお支払は金銭ではありません」


 その言葉に男は息を飲む。店主はまるで天気の話をするかのような声音で言葉を続けた。


「当店の魔法薬は、魔力、もしくは魂で取引されますわ」


 ――悪魔のような言葉だった。

 二の句の告げぬ男を尻目に、店主は微笑んだままその薬瓶をカウンターに置いた。


「お客様は魔力がありませんので、魂での取引になりますわね」

「……な、何をバカな」


 男はひきつった笑いを浮かべたまま、肩を竦めた。


「まさか、いくら金が手に入るかわからずに魂を貴女に差し出して、俺は……死ぬとか?」

「いえ、お客様のような健康的な成人男性であればそのようなことはございません。勿論、魂を頂く以上は寿命を頂くことになりますが、ほんの微々たるものですわ」


 言われている内容はとても嘘くさいというのに、男は店主の言葉が全くの嘘に聞こえなかった。むしろ、本当に寿命を取られるのだと確信するほどだった。

 店主の笑みが僅かに嘲笑のように変わった。


「少なくとも、その寿命でお客様が働いた賃金よりも多くの金を手にすることになりますわ」


 男は唇を噛んだ。知らぬ怪しい女とは言え、男として侮られたような気分になった。

 乗ってやる。どうせ明るくない未来だ。詐欺で薬効がなくても、寿命を取られても、痛くも痒くもない。もし、万が一、本当にその薬に効果があるのであれば、これを機に大金を手にしてやる。

 男は普段ならば感じもしない強い決意を潜め、店主の目を見た。


「……その薬、ください」


 男は固く低い声音で言った。茶が残り少なくなったカップの前で拳を固く握りしめる。

 金色の丸薬の入った薬瓶を指で弄っていた店主の手が止まった。嘲笑めいた笑みはほんのり形を変え、柔らかくなった。薬瓶から手を離し、カウンターの下から紙袋と紙を一枚取り出した。

「お客様のお名前は?」

「……ダン・ベインです」

「ダン・ベイン様……先程も説明した通り、服用者の体質にもよりますが、一粒で数時間、服用者の金運が上がります。二粒以上飲んだからといって効果が増えるわけではございませんので、一粒ずつ飲むことをおすすめしますわ。一日の服用上限はございません。どちらかと言うと活動時間中の方がより多くの運に巡り会えると思いますわ。あくまで金運をあげるだけなので副作用とかもございません」


 当たり前のようにされる薬効の説明に男――ダンはやや唖然としながら聞き入った。先程出された紙にもその内容が書かれているようだった。店主がその紙にサインを入れ、紙袋に薬瓶とそれを入れた。

 差し出される紙袋。ダンは僅かに躊躇しながらもそれに手を伸ばした。

 ダンのその手を、店主の冷たい手が掴んだ。


「それでは、お代を頂きますわ」


 その言葉と共に、ダンの身体に悪寒が襲った。カウンター越しにいるはずの店主の顔が、異様なほど近付いてくるような錯覚に陥った。それと同時に虚脱感にダンは気付いた。

 今、確かに、『何か』を抜かれた。

 恐ろしさに悲鳴を上げたかったがそれも叶わず、目を見開いたままその始終を黙って感じていた。

続きます。

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