第五話『一ヶ月でもいい。彼女に人としての幸せな最期の時を過ごさせたい……』02
ギーの話はこうだった。
その日の朝、中々起きてこない恋人の様子をギーが見にいくと、彼女は高熱に苦しんでいた。ただの高熱ではないとわかったのは、頭に咲く彼女の鈴蘭が急速に萎れて、あるものは枯れていたからだった。すぐさまギーが薬を煎じて飲ませると、高熱は二日ほどで治ったが、頭の鈴蘭は弱々しくなったままだった。そして、熱が収まった頃から、彼女の身体の節々の痛みやだるさを訴えるようになっていった。熱による疲れだろうとギーは彼女を安心させるために言ったが、妙な胸騒ぎがしていたそうだ。
次の異変はそれから数週間ほどしてからだった。相変わらず彼女は身体の動かしにくさを感じていたが、日常を送れるようになっていた。しかし、頭の鈴蘭は数が減り、一回り小さくなっていたので、ギーはとても心配だった。
そんな彼女が着替えの最中に悲鳴をあげたのだ。その服を脱いだその背には小さな木の根のようなものが出ていた。よく見れば背だけではない。身体の背側、足からも同じような根が生えていた。それらはまだ小さく柔らかくはあったが、しっかりと身体から『生えていた』のだ。
これをみたギーはようやく彼女を襲った病の正体がわかったという。
「彼女の高熱や根が生えるのは、木化族特有のものでした。選ばれた印。――私の恋人の身体は木になろうとしているのです」
ギーは痛みに耐えるかのような表情で言葉を吐き出した。病の正体がわかった瞬間を思い出し、その時のように自分の身体が冷えていくのを感じた。
店主は変わらぬ笑みのまま淡々と答えた。
「木化族がそう呼ばれる由来ですわね。先祖代々、元々生き物だった同胞達の身体に住むと聞いていますわ」
「そうです。私達の故郷の森の、私達の家となる木は、すべて選ばれた同胞たちで出来ています。彼女もまた、『選ばれた』のです」
そして徐々に彼女は歩くこともままならなくなってしまった。身体を動かすたびに節々が軋み、時折苦痛に顔を歪めていた。まるで身体自身が動くことを拒んているかのようだった。ギーは薬師としてありとあらゆる手を尽くしたが、何一つ彼女の助けになることは出来なかった。ギーは無力だった。
程なくして仕事をやめ、二人で過ごした部屋も引き払うことになった。故郷へ向かう馬車に乗る頃には、彼女の足は木のように硬くなり、ふくらはぎから生える根は日に日にその数を増していった。
故郷の森に着くと、ギーはすぐさま長老や村の医者に彼女を診てもらった。彼らが言うには、「あと一ヶ月ほどで彼女は樹木としてめでたくこの地に根付く。おめでとう」とのことだった。
「……正直な話、悲しかったです。もう彼女と笑い合って暮らすことが出来ない。当たり前の日常があと少しで終わるのだと。でも、私はまだいいのです。彼女とずっと共にいて、人としての最期の時も一緒にいられるのだから。……問題は彼女の両親です」
彼女の両親は故郷を遠く離れた街へ出稼ぎに出ていた。すぐに手紙で送ったが、帰るにしても恐らく一月以上はかかる。どうにか彼女の人としての姿を見せ、最期の時を共に過ごして欲しかった。彼女自身も最期に両親とまた会いたいと涙していた。
「彼女の人としての延命を、木化の進行を止めて欲しいのです。彼女が両親と暮らすための十分な時間がほしい……!」
ギーはカウンターにつくほど深く頭を下げ、堰を切ったように懇願しだした。
「お願いします。木化族にも詳しい貴女が最後の希望なのです。無茶を言っているのは承知しています。ですが、魔法協会に頼むには時間がかかりすぎて駄目なんです。もし貴女に出来るのであれば……全財産を払ってでも、いや、それでも足りない分があるならどんなことをしてでもお支払します。どうか……!」
ギーは顔をあげることが出来なかった。もし店主が気の毒そうな顔をしていたならば、それは希望が絶たれたも同然だったからだ。ギーは目を閉じて頭を下げ続けた。
その頭に涼しげな声が降り注ぐ。
「まだそのご本人を診ていないので絶対とは言いきれませんが、恐らくそういった延命は可能ですわ」
店主の言葉にギーは目を見開いた。自分が頼んだというのに、その返事が嘘のように感じられた。恐る恐るギーは顔を上げ、店主の顔を見た。
その表情は先程までと変わらぬ笑みを浮かべたままだった。まさか騙されているのだろうか。しかし、他に頼む宛がない以上、嘘でもなんでもよかった。店主の笑みはギーにとっては妖しくも魅力的に映ったのだった。
「なんでしたら、彼女が木になるのを止めることも可能かも知れませんが、如何なさいますか?」
更に事も無げにそう問われ、ギーは言葉を失った。まさか、そんな夢みたいなことが可能なのか。自分を見下ろす店主の笑みが深くなったように感じられた。
あまりのことにギーは戸惑い、目を泳がせた。しかし、ゆっくりと首を横に振った。
「……いいえ。彼女は、我々から選ばれた、使命を持つ命ですから……私の個人的な感情で、そんなことは、出来ません」
ギーは噛みしめるように言った。そんな身勝手な真似は出来やしない。
彼女は使命を持つ選ばれた存在だ。その身体はやがて大樹となって、同胞たちの家となる。木化族の特殊な家は今や観光地として生きている村の共有財産であり、非力で弱小な我々木化族にとって自分達の生活を守るために必要不可欠なものだった。あの森以外に自分達にとって優しい世界はない。外の世界は、大きすぎる。
彼女の両親にしてもそうだ。決して裕福とは言えない二人にとって、自分たちの娘が『選ばれた』ことで与えられる褒章があれば十分に暮らしていける。
決して自分が恋人に生きていて貰いたいからと治して良い病ではない。それに木化したとしても、彼女には会えるのだ……。
ギーは自分勝手な考えを消すように首を振った。
「……あと三ヶ月、いや一ヶ月でもいい。彼女に人としての幸せな最期の時を過ごさせたい……」
「わかりましたわ、御客様」
店主の笑みは穏やかであった。優しさに満ちているようにも、嘲るようにもギーには見えた。その作り物めいた店主の口が異様なほど滑らかに動くのをギーは見逃さなかった。
「しかし、何か勘違いなさっているようですが、当店のお支払は金銭によるものではございません」
「金銭によるものでは、ない?」
店主の口から流れる言葉を繰り返し、ギーは声を上擦らせた。
店主が頷く。
「当店の魔法薬の支払はすべて、魔力もしくはそれと等量の寿命となりますわ、御客様」
その言葉にギーは呆然とした。
「魔力……寿命……?」
「はい、御客様。……御客様は僅かな魔力がございますから、その魔力と寿命を」
何かの旋律のようにも聞こえる店主の美しい声とその言葉の意味を、ギーは頭で何度も反芻した。
「寿命、とは……何年分でしょう……」
一体、彼女の残りの――大事な――時間は自分の寿命のどれくらいになるのだろうか。ギーは不安に思った。自分の寿命がなくなるのが怖いのではなく、それに値する物を自身が払いきれるのかが不安だった。
すると店主は首を振った。
「いえ、一日程度かそれ以下ですわ。所詮は延命ですもの」
ギーは唖然とした。ぽかんと口を開けたその表情は実に子供のようであった。しかし、彼は我に返るときつく口を引き結び、店主を見据えた。睨み付ける。
「そんなはずはありません。彼女の最期の一ヶ月がその程度なはずがありません。私は『対価』を払います。少なくとも彼女の延命期間と同じだけの寿命を払います」
「ここは私の店。何故、貴方が対価を決めるのでしょうか、御客様?」
挑発的とも言える笑みを店主は浮かべたが、ギーは怯むことも憤慨することもなかった。
「自分本意であるのは認めます。ですが、後悔したくないのです。貴女に騙す意志があったとしてもなかったとしても、私は彼女の寿命に対価を払って、貴女に助けてもらいたいです。そうでなければ、納得できないです。嘘のように感じてしまいます」
ギーの静かだが強い主張に店主は笑みのまま肩を竦めた。
「こちらとしては沢山御支払して頂くのは嬉しいですが、だからといって薬の効果が変わるわけではございませんわ」
「かもしれません。ですが、私は貴女に払います」
ギーは堅い意志で毅然と言い放った。
店主はカウンターに頬杖を突き、ギーを斜めに見た。暫く値踏みするかのように見つめ、息を吹き出した。我儘な子供を相手するかのようであった。
「……自ら対価を払いたがる人は嫌いではなくてよ。よろしいですわ、御客様。恋人様の延命期間と同じ時間、御客様の寿命を刈り取らせて頂きますわ」
悪魔や死神のような宣告ではあったが、不思議とギーは安堵した。店主はカウンターから紙を数枚とペンを取り出しながら言葉を続けた。
「しかし、先程も説明しましたように、薬の効果が変わるわけではございませんわ。貴方の望んだ延命の薬しか提供出来ないことを再度伝えておきますわね。代わりに、私が木化族の集落へ行き、診察し、その場で薬を提供いたしますわ」
「えっ……?」
ペンを持ち、取り出した紙に流れるような手の動きで何かを記入していくのを視界の端に捉えながら、ギーは店主を見て呆けた声をあげた。
「本来ならば薬を提供しておしまいにつもりでしたが、御客様が必要以上に払うと言うのであれば、少しくらいサービスいたします……というところですわね。こちらも患者を診るのですから、効果は絶対に保証いたしますわ」
紙から目を離さずに店主はそう言った。ギーは暫く固まっていたが、
「……ありがとうございますっ!」
すべて絞り出すように感謝の言葉を出した。まだ恋人の寿命が本当に伸びたわけでもなく言葉だけの約束ではあったが、ギーにとってはひどく嬉しいものだった。藁にもすがる思いでやってきたからこそ、この店主の自信に満ちた姿や申し出は救いだった。
店主はくるりと紙をギーに向け、ペンを差し出した。
「それではこちらに御客様の御署名を」
向けられた書面にはまだ見ぬ薬の効果や飲み方――所謂、薬の処方内容が記されていた。
薬の種類は経口薬。効果は木化の進行を遅延させて人としての一定期間の延命。決して木化の根絶ではないこと。治療薬との併用は不可能ということ。その他にはそれに関する細かなこと――身体の外的要因による心肺停止や、突発的な他の病による死亡は保証しないなど――が書かれていた。どれも騙すようなことは、このような薬が本当に存在するのかと思うこと以外はなく、ギーの納得に足るものだった。
また、店主が出張して診察をし、その際の経費も薬代に含まれていることや、薬の代金は前払であるが、それ以降に請求しないことも明記されていた。
その下には店主のものであろう、リコリス・カサブランカという名前が書いてあった。
ギーはその名前を心の中で幾度か唱えながら、自身の名前を署名欄に書いた。
ギー・キュマ、と。
署名した紙を渡す。
その際に、ギーは店主に手を掴まれた。自分よりも大きいが、繊細で冷たい手であった。磨きあげた貝のような、爪まで美しい手を見れば、この手に自分をカウンター席に座らせる為の踏み台を運ばせたのかと、どうでもいいことを考えてしまう。
目の前の店主がぐいと顔を近付けた。
「それでは御客様……、お代を頂きますわ」
その言葉と同時に、ギーは指先に寒気を感じた。それは店主の冷たい手から凍っていくように、急速に身体を駆け上る。氷のように固まり、ギーは身動きが取れなくなった。
そして襲い来る、虚脱感。心拍がおかしくなり、呼吸が定まらなくなる恐怖にギーは声を上げそうになったが、喉も凍りついたのか、何一つ音は出なかった。
続きます。




