第四話『私はこの店が所属する、南区第三商業組合の組長です』05(完)
「当店の魔法薬の支払いは金銭ではないわ。魔力、もしくは魂を頂きます」
「な、なに」
「良かったわね、子犬ちゃん。貴女は魔力があるわ。魔力で支払えるわよ」
魂と聞き、ドロシーは気圧された。他の者に言われたなら冗談だろうと鼻で笑えたが、相手がこの店主では、まるで嘘に聞こえなかったのだ。魔力で支払えると聞き、妙な安堵さえもドロシーは感じた。
リコリスの言葉は続く。
「対価として頂く魔力の量は、どちらを選んでも、同量。今日からちょうど、『エルクトゥルスの星』が赤く瞬く夜までの期間、貴女は魔力を吸いとられたせいで、倦怠感の強い日々を過ごすことになり、そして何より――魔法を使えなくなるわ。赤い液体は副作用として一時的に、紺の液体は薬の作用として永続的に」
そう説明する、赤くくっきりとした弧を描いている唇は、『エルクトゥルスの星』が赤く瞬く時のようだった。
その星は稀有な星だった。他の星のように時と共に流れることなく、必ず夜空の頂点に現れ、他の星々と同じように瞬いているのだが、ひと月に一度、必ず三十日に一度赤く瞬く日がある。それが月の始まりとされ、暦が作られるのに欠かせない星だった。
今日からその星が輝くまで十日以上ある。ドロシーは生唾を飲んだ。
「さぁ、どちらを選ぶ、ドロシー」
どちらの小瓶も惹き付けてやまない、『魔力』があるようにドロシーには感じられた。魅入られ、選択肢を誤りそうな気もする。ドロシーは気を取り直すように頭を振った。霞がかかりそうにも思えた意識が戻ってきた気がする。
どちらを選ぶかなんて、決まっている。
ドロシーはきゅっと口を結ぶと、その小瓶を手に取った。
「こっちにするわ」
――それから十日以上。
ドロシーはぐったりとした身体で這うように窓に近付き、夜空を見た。
ああ、よかった。
今夜は『エルクトゥルスの星』が赤く光っている。当たり前のように訪れる星の報せに、ドロシーは心から救われたような気分になった。
あの日、魔力を取られた瞬間から体調不良と筋肉痛と熱の上がり際のような不快感がドロシーの身体にやってきた。そして薬を飲み干してから、本当に魔法を使えなくなった。
魔法が使えなくなったことで、純粋な肉体労働が増えたのだが、動かすのも重たい身体は、心を蝕んでいく。
本当にこれで薬は効くのだろうか。
本当はあの薬は別の毒薬だったのでは。
もしかしたら、『エルクトゥルスの星』はこの先一生赤く輝かないのではないだろうか。
日に日に不安は強くなった。
だが、赤く輝くあの星は、今夜でこの体調と決別出来るのだという安心感をもたらしてくれた。
数週間ぶりの朗報から早々に寝つき、翌日、ドロシーは元通りの身体にも安堵しながら、店主の約束通りにあの魔法薬店に向かった。
遠慮なくドアを押し開ければ、いつものベルが鳴る。
「……あ。ドロシーさん、いらっしゃい」
出迎えたのはあの凹凸の激しい店主リコリスではなく、もう一人の従業員のリリーだった。先日の薬を購入した際に顔を少し合わせただけだったが、リコリスみたいな悪女に弱味でも握らされてこんな店で働いているのではと思うほどに、優しげでおっとりとした少女だとドロシーは思っていた。
「こんにちは……店主さんは?」
「今……えっと。お昼寝中と言いますか、調合中といいますか?」
「は?」
困ったような表情で曖昧に笑うリリーにドロシーは口を曲げた。腕を組む。
「来るように言っていたのに昼寝ってどういうことなんですか」
「ちょっとお茶を淹れるついでに、様子見てきますね」
「――必要ないわよ」
カウンター奥のドアへ向かおうとしたリリーの背後――ドロシーの目の前のカウンターから声がかかった。ドロシーは自分の目を疑った。
店主リコリスがいた。いつものようにカウンターに肘をつき腰掛けていた。
ほんの少しの瞬きの間に、彼女は現れていた。
「子犬ちゃんの鳴き声が聞こえたから」
「その子犬ちゃんってやめてくださいっ」
「なら吠えて舐められないことね」
クスクス笑うリコリスにドロシーは犬歯を剥いて睨んだ。そんなものにまるで怯まないリコリスは指をドロシーに向けて、来いと指し示した。ドロシーは渋々、リコリスの前に立った。
「体調は良くなったようね。手を見せてちょうだい」
差し出した手をリコリスの冷たい手が触れた。何をしているのかドロシーにはわからなかったが、リコリスは真剣にドロシーの手だけを見ていた。
「……しっかり定着したようね。よかったわね。これで、貴女は……今日から魔法を使っても『一切痕跡が残らない』わよ」
「……そうですか」
ドロシーは小さく息を吐いた。手が離される。リコリスはドロシーの顔を覗きこんで悪戯っぼく笑った。
「何故魔法が嫌いなのに、赤を選んだのかしら?」
「嫌いですけど、あの宿を遣り繰りしてお金貯めるのに必要だからです。私はお金を貯めに貯めたら、また勉強するのが夢なんです」
ドロシーの生活の目標は、それだった。宿の仕事などずっとする気はない。かといって、働かなければしたいことどころか生活も出来ない。だから今は働いて働いて、金を貯めて、いつかまた、勉強をする。そのためにドロシーは宿の仕事を必死にしていた。そして、その宿でより多く金を稼ぐには、せこいとも言える魔法による節約はかかせなかった。
リコリスは目を細めて笑った。
「なんだったら、うちで少し勉強見てあげてもいいわよ」
「は?」
ドロシーは顔を歪めて聞き返した。
「勉強、教えてあげてもいいわよ」
「なんでアンタなんかに」
このリコリスという店主は、出来れば金輪際関わりたくない女だ。ドロシーはそう楯突くが、心は揺らいでいた。勉強を教えてもらえるというのは、それほど魅惑的だった。
リコリスは気だるそうに指を動かした。
「私は薬師で魔女よ。その辺の教師よりも遥かに知識と教養がある、これ以上ないほどの優秀な女よ?」
なんて高慢ちきな女!
が、ドロシーはそれを否定する気にもなれなかった。確かに、その風格がリコリスにはあった。
すると、別の方からも声がかかった。
「先輩、勉強教えるのとっても上手ですよ」
ふんわりとした笑顔でそう追い討ちをかけたのはリリーだった。ドロシーの心はグラグラ揺らいだ。
「……いくらよ、授業料」
「おやおや、タダで教えてあげてもいいのよ。暇潰しだもの」
「絶っ対に嫌! 貴女みたいなのに貸しなんて作らない!」
すると、リコリスの赤い口はひどく意地悪な笑みに代わり、とんでもない金額を言って放った。ドロシーは顔を真っ赤にして怒った。
「無理に決まってるじゃない!」
「なら、魔力か魂でお支払してもいいわよ。あら、貴女なら魔力で支払い出来たわね」
底意地の悪い言い種だ。ドロシーはからかい笑いのリコリスを睨み続けた。
「安心なさい。魔力なら安くしてあげるわ。一日だけ怠くなるくらいかしらね。勉強中に気力なくなられても困るから、勉強終わったら抜いてあ、げ、る……子犬ちゃん」
暫くドロシーは顔を歪めてリコリスを睨み続けていたが、――。
最終的にドロシーは誘惑に負けて、勉強を教えてもらう道を選んだのだった。
第四話『私はこの店が所属する、南区第三商業組合の組長です』05、完結です。
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