第四話『私はこの店が所属する、南区第三商業組合の組長です』03
多くのことが自由であるこの国で認可されている魔法はただ一種。精霊と契約して使える精霊魔法のみだ。それだけは許可さえおりれば、制約なく使用することが許されていた。ありとあらゆる精霊を管理した国家機関魔法協会に登録することで、魔法使いは人権や命を脅かされることなく生きていけるのだ。
この国に生まれる魔法使いの殆どが精霊魔法使いだった。生まれたときに小精霊が共にいたら、その者は魔法使いだ。生まれてすぐに分かることなので、多くの魔法使いが出生届と共に魔法協会登録を提出する。
しかし提出しなくば、違法となった。
そしてごく稀に、生まれたときに小精霊がいないのに稀有な力や、果ての異国では許される魔法の一つを使える者もいた。そういった無登録者や特異体質の彼等は、違法の魔法使い――『違法魔使』と呼ばれた。
ドロシーもその一人だった。
彼女自身、その力に気付いたのは十歳の頃で、その魔法がどういう類いの物かはわからなかったが、意図しなかったとは言え自分が法を犯した者であることが即座に理解できた。
そんな彼等も、法定通りに登録をし、魔法を使わないという制約の元に生きていくことは可能だった。しかし、追徴課税を取られる他、彼らに課せられる年間の税金は他の許された魔法使いたちよりも何割か高く、多くの不自由も課せられる。わかったドロシーはすべてを隠すことに決めた。
ところが、十二歳の夏に父に気付かれてしまった。その日の暑さに堪えかねて、ほんの少し口の中に氷を作って舐めていたのがばれたのだ。
しかし、父は咎めることなく、「水を汲む手間も、火を起こす燃料費や手間もかからないじゃないか!」と歓喜して、隠し通すことを勧めた。それどころか、「掃除洗濯炊事も出来て、計算もできて、水や火に困らないお前は間違いなく宿屋の才能がある」と言い切り、宿の仕事を全部任せて何処かへ旅立ったのだ。
ドロシーは宿の帳簿をつけながら大きなため息をついた。
夜も更け、宿に泊まっている数組の客も寝静まった頃。昼間のことを思い出しながら、ペンを持つ自身の手元を照らす灯りを、ドロシーはじっと見つめた。蝋燭の灯りだ。半分程度溶けた蝋燭に火が灯っていた。しかし、その火はよくよく見ると芯についているわけではなかった。芯からほんの僅かに上、蛍火のように何もない宙に浮いていた。
魔法の火だった。
この国の魔法使いは、皆魔法協会が管理している精霊と契約を結び、精霊たちの力を借りて力を生み出している。例えば、水霊と契約を結んだ者は少量の水から多くの水を湧かせる。例えば、火霊と契約を結んだ者はマッチの小さな炎から万物を燃やし溶かせる火へと変化させられる。
魔法使いたちは研究を重ねてそれらを様々な力に変えていくが、ドロシーは精霊と契約を結ばずとも、無から水や火を出せた。それは普通の魔法使いたちには殆どあり得ないことであるが、彼女にとって容易すぎることだった。
今しているように、こうしてまるで蝋燭の火のように見せ掛けて魔法の火を灯すことは、ドロシーとこの『野兎の踊場亭』では日常だった。客室や客に見えやすい部分の火は本物の蝋燭の灯火だが、ドロシーの部屋など人に見られない場所はすべて魔法の火だった。それも万が一見られてもいいようにまるで蝋燭に灯っているかのように見せ掛けている。他にも食堂の調理や湯を沸かすなど、本来ならば薪を大量に使うことにも活用している。また何度も水を汲みに行かねばならぬ掃除や洗濯にも、至るところでこっそりと、気付かれない程度に、特異の魔法を使っている。
嗚呼、ケチと言うなかれ。ドロシーは常に自分に言い聞かせている。こうしたケチな使い方でかなり助かっているのだ。利益が父の代より上がっているのは、魔法による経費の削減がある。また魔法を使った業務効率化によるサービスの向上で売り上げも伸びたのだ。もしかしたら別の使い方もあるのかも知れないが、ドロシーの今の人生において自分の才能を余すとこなく使うならば、これしかない。
ドロシーは頭を抱えた。
あの薬屋で魔法は一切使わなかった。自分はそんなへまはしない。では何故あの女店主に気付かれてしまったのか。原因を探るだけ無駄だが、その疑問は何度も生まれた。反芻してひたすら悔いているのだ。挨拶など行かなければ良かった、と。
ペン先からぼたりと黒い滴が垂れる。帳簿に一点染みが滲み広がった。インクをつけすぎたようだ。
リコリス魔法薬店の女店主が役人に何かを告げ口するような人物には見えない。また彼女も自分と同じく違法魔使であるようにドロシーには感じられたからだ。つまり弱味と言う点では全く同じで、それどころかドロシーの想像では、あちらの店はこの『野兎の踊場亭』よりも違法なことをしていそうだった。
だと言うのに、まるで後ろから羽交い締めにされて首に刃物を突きつけられているかのような焦燥感に駆られる。こちらの刃物は相手には届いていない。ドロシーはリコリスの笑みを思い出しては寒気を覚えた。
しかし、その反面。リコリスは「力になる」とも言ったのだ。その真意はドロシーには計りきれなかった。今は絶対に感じるはずのない、リコリスの甘い香りをドロシーは嗅いだ気がした。悶々としたえも言われぬ気分になる。あの女店主は敵なのか味方なのか。
幾度となく堂々巡りを繰り返し、ようやくドロシーは自分には休息が必要なことに気付いた。再度大きなため息をつき、片付けをする。最後の最後に魔法の火を消した。
いつもならば吹き消す真似までして消していた習慣を忘れたことに気付いたのは寝台に入ってからだった。
続きます。




