第四話『私はこの店が所属する、南区第三商業組合の組長です』01
地区の商業組合長がやってきた。
「薬買いに来たわけじゃないです」
「あら、残念ですわ」
雨に濡れた傘を閉じながら、つっけんどんな物言いで入ってきた少女に店主はいつも通りの艶やかな笑みで出迎えた。
まだ十代半ば頃の少女だ。凛としていると言えば聞こえは良いかもしれないが、目付きは鋭く、口はきつく結ばれ、一見では無愛想で人を寄せ付けない雰囲気があった。小柄な肉付きの薄すぎる細身で、赤毛に近い茶髪は適当な三つ編みできつく結ばれて肩から垂れていた。年頃の娘にしては色気のない様子だ。
雨音が店を覆うように響く。少女は傘を入り口の横に立て掛けた。
「ではどのようなご用件で?」
「私はこの店が所属する、南区第三商業組合の組長です」
「あら。可愛らしい組長さんだこと」
鈴が楽しげになるような声で店主は笑い、カウンターから出てきた。
店主が少女の前に立って並べば、その身長差や体つきの違いが歴然だ。大人にも怯まなそうに憮然としている少女も圧倒されるのか、やや引き気味に店主を見上げる。
少女は、店主のどんと突き出た豊満な胸に更にむっつりしながら口を開けた。
「二軒隣の宿『野兎の踊場亭』のドロシー・コスタです。若輩者ですけど、父から譲り受けて店主です。よろしくお願いします」
「ああ、あそこの。雨の中わざわざご苦労様ね。リコリス・カサブランカよ、よろしく」
「挨拶と組合の確認事項がまだ済んでいなかったので……本来ならそちらから来ていただくものなのですけれど、あまりにも遅くて。私もこんな日に来たくなかったですけど、忙しい身なので今日の他なかったんです」
「組合の存在を忘れていたわ。こんな寂れた地区にそんなの守っている人がいるなんて思いもしなかったもの」
少女ドロシーがちくりと嫌味を言うが、リコリスは気にした風もない。ドロシーは眉をぴくりと上げた。
「表通りよりは質も客足も落ちますけど、この辺りも登録商会です。まさか違法なことしていませんよね?」
「していないわよ」
大輪の花が開いたかのような晴れ晴れとした笑顔を向けるリコリスに対し、ドロシーは詐欺師を見ているかのように半眼で睨んだ。手を出す。
「なら、商業許可証と魔法協会登録証と許可証――って、ちがぁう!」
差し出した手を、唐突にぎゅっと握ってきたリコリスのほっそりとした手を――自分と同じ人間とは思えないほど繊細で美しく冷たい手だと、ドロシーは感じたが――何事かと混乱しながら咄嗟に払いのけた。リコリスは楽しそうに笑っている。
「握手かと思ったのよ、子犬ちゃん」
からかったのだとドロシーは気付き、顔を高潮させて苛々とした。
「許可証!! 登録証! 証書! 出して! 全部!」
年相応とも言える怒り方で再び手を出す。しかしリコリスが性懲りもなく同じように素手を伸ばして来たのでドロシーは怒鳴ろうと息を吸い――。
気付けばドロシーの手には、いくつかの書状を持ったリコリスの手が置かれていた。
「はい、子犬ちゃん」
「…………どうも」
虚を突かれ、怒りの矛先を見失い、ドロシーは少し落ち着きを取り戻した。入ってきた時の愛想のない顔で憮然と手渡された書状を見る。一般的な紙で書かれたこの街の商業許可証。同じような紙の薬剤取り扱い許可証。それらとは異なる品質で触ったことのない上品そうな、魔法協会登録証と同上の魔法商業許可証。などなど。ドロシーはそれに隈無く目を通す。偽造文書かどうかの見分けなどつかないが、念のため確認しなくては、この女店主と店は怪しすぎる。
望んだものが手に入る魔法の薬店など……。
ドロシー・コスタは魔法が嫌いだ。
つい数年前までこの街の学校に通っていた。元来の性格や素質で友人は出来なかったが、勉強は好きだった。特に文学を読むこと、地図から世界を学ぶことが好きだった。計算も苦手ではなかった。故に成績は非常に良かった。このままの成績で行けば、――経済的に可能かはともかく――もっと大きな学校への推薦もあり得た。
ところが何を勘違いしたか、その成績の良さや娘の類い稀なる才能を知った父親は娘に宿を譲ると言って旅に出てしまった。
学費が捻出出来なかったわけでもない、やめたいと言ったわけではないが、父がいない以上、学費はおろか、自分の食いぶちも自分で稼がなくてはならなくなった。学校で偉人や空想の物語から学ぶことも、地図から世界を知ることもなくなった。やることは、宿掃除、寝具などの洗濯、客の食事の支度。代金の計算や帳簿付けで学校にいた頃よりも計算は早くなったか。父ですら完全に一人でこなさなかった宿の仕事を、誰の助けもなくひたすらこなす生活。
結果的にドロシーは、父が思い描いた通りに才能を発揮し、以前よりも売り上げを伸ばしたが、夢のない日々だった。
だから、魔法が嫌いだった。
「何かおかしな点あったかしら、子犬ちゃん」
「……」
リコリスに掛けられた声で、ドロシーはハッと我に返る。少し弱くなった雨音が彼女の耳にも戻ってきた。
「魔法協会のものはあまり皺になりにくい素材だけど、あまり証書を握らないで欲しいわ」
「あ……」
ドロシーは慌てて手の力を緩めた。魔法協会の証書をかなり強く握ってしまっていた。読んでいたようで途中からまるで見ていなかった。店主の言葉通り、強く握ったはずの証書は皺になることはなく、少しもよれることなく済んだ。
面白くなさそうにドロシーは証書を返した。
「特にないですね。私の見る限りは」
「ええ、そうでしょうね。提出したものに偽りはないわ」
リコリスは証書を受け取り、その手をくるりと回した。すると手品のようにその証書は消えた。ドロシーは目を見開いた。店主の使った魔法に違和感を覚えたのだ。再び懐疑の目を向けるドロシーに、リコリスは余裕たっぷりの笑みでこたえた。ドロシーは店主を強く睨んだ。
「あなたまさか――」
「あら、どうしたのかしら? 私に問題はないと思うのだけれど」
店主は嗤う。
「子犬ちゃんが問題ないのであれば――」
ドロシーはハッと息を飲んだ。
その時だった。
「悪い! 遅れました、コスタさん!」
低くて迫力のある声と共に、店の扉が勢い良く開く。扉に取り付けてある鈴が緊張した空気を破るようにけたたましく鳴り、大きくなった雨音と共に大きな影が入ってきた。
続きます。




