第三話『これで痛み止め作ってくれないかしら』02(完)
なんて綺麗な子なのかしら。
老婆は、水晶のように透き通った眼差しで診察をする店主を見て、ほぅと息をついた。老婆から見ればまだ若そうではあるが、それにしてもシミや皺どころか、毛穴さえも見えない陶器のような肌や、均整のとれた顔立ち。切れ長の目やそれを縁取る睫毛も、幼い頃に欲しくても手に入ることのなかった、あの精巧で高価な人形を思い出し、老婆は懐かしさを覚えた。
暫くすると、いくつかの薬草と水のようなものが入ったカップなどを両手一杯に抱えてリリーは戻ってきた。草は乾燥した物とまだ摘んだばかりのようなものもあった。
店主は老婆から手を離すと、リリーの持つそれらを受け取ると、カウンターに並べていった。ただ並べただけの動作だと言うのに、その妙に目の奪われる手付きに、何もわからない老婆は息を飲んだ。
食い入るように見つめ、呆然としていた老婆がハッとしたのは、店主の指先から出た細い緑の炎が、何かの草を炙る瞬間だった。ゆらりと揺れる炎は蛇のように、まだ瑞々しい状態の草に巻き付くと、ゆっくりとした時間をかけて熱されていった。その奇術のような様は、老婆を再び子供心を呼び起こさせた。
「貴女、魔法使いだったのね!」
童女のような老婆の感嘆に、店主は苦笑した。
「ええ。『魔法薬店』の店主ですもの」
「あらやだ、そうだったわ! ごめんなさいね」
「かまいませんわ。そんなに喜んで頂けるなら、……魔女冥利につきますもの!」
目を細めて笑う店主は、そう言うと、次第に緑の炎蛇は舌を見せたかのように揺れた。蛇に巻き付かれていた草の上、宙に小さな水の玉が浮かぶ。それは徐々に大きくなり、不思議な柔らかさを感じさせながら宙で揺れた。水なのだろうか、それとも粘度を持つものなのだろうか。時折、玉の中に泡も浮かぶ。老婆は夢を見ているかのようにその水泡を見つめた。
ものの数分で大きな玉に膨れ上がったそれは、弾けたかのように四方に散らばったかと思うと、薄暗い店内に差し込む斜陽を浴びながら、リリーの持つ瓶へと収まっていった。
老婆は思わず拍手をした。店主はお辞儀をする。
「さぁ、お薬が出来ましたわ」
「えっ! 今のが!?」
声を裏返らせ驚く老婆。店主はカウンターにだらしなく頬杖をついた。上目使いに老婆を見つめる。
「本当は手で作ろうと思ったのですけど、おばさまがとても可愛らしかったから、つい魔法で作ってしまいましたの」
「まぁ」
興奮をそのままに、老婆は嬉しそうに破顔した。多くの女性が嫌味すらを感じる美女に、まるで色男の口説き文句のような事を言われたと老婆は、少女のように照れた。
「今日は素敵な一日ね。こんなに人とお話したのも久々なの。ベッキーちゃんともこんなに長くお仕事中に話せないから」
リリーは手にした瓶を袋に入れ、老婆にそっと差し出した。老婆はその優しげな動作にも、泣きそうな表情で嬉しがった。
「幸せな一時だったわ」
「私も、おばさまのお話、とても楽しかったです」
「ありがとう、リリーちゃん。貴女、とてもいい子ね。店主さん……えっと、リコリスさんで良いのかしら」
「ええ」
店主、リコリスは頷きながら、 取り出した紙に羽ペンですらすらと文字を書いていった。上質な紙だ。きっちりとした枠線が既に流れるような曲線の文字が紙を埋めていく。
「今お作りしたお薬は、毎晩寝る前に飲んでくださいな。翌朝までにお薬が効いて、痛みを軽減いたしますわ。お湯に溶かしても、お湯と一緒に飲んでも構いません。それだけで飲むよりも、お湯を飲んだ方が効きも良いし、眠れるはずですわ。薬は独特のとろみがついていますの。茶匙の上で瓶を傾けて頂ければ、自動的におばさまの飲む量が落ちますわ。あとはそれをお湯に溶かせばいいだけ。……お湯が沸かしにくい環境とか、ございますか?」
「いえ、大丈夫よ。夜はお茶を飲むのよ。すごいわね、魔法って」
「ええ、魔法ですから。……お茶は何を?」
「イール米をね、炒ったやつよ。うちの息子がやっている牧場の飼料でイール米使っていて、たまに貰うのよ」
「イール米なら大丈夫ですわ。マリーフィール茶やリュースは少し眠りにくくなるから、夜はよろしくないですわ」
「あら、そうだったの。私のお祖母さんにはリュースは身体に良いから朝と夜飲めっていつも言われていたわ」
「悪いわけではないですわ。ほんの少しですから。でも興奮作用のある葉を使っていますから、寝る前に飲むとそれで目が冴えたしまう方もいますわ……はい、こちら。処方箋に薬の効能、飲み方、注意事項が書かれていますわ。ひとまず、一週間分。もし、二日くらい飲んで見て良くならないようでしたら、またいらして。大丈夫でしょうか?」
「ええ。……まぁ、文字も綺麗なのね。あの看板は貴女の字だったの」
手渡された処方箋を老婆は受け取り、中を見てにこにこと穏やかに笑った。それを丁寧に折り畳んで、薬の入った袋に入れて、籠かばんにそっと入れた。代わりに手垢で黒くなっている財布を取り出した。
「それで、おいくらかしら?」
「二百四十五セリですわ」
「えっ?」
その価格を聞き、老婆はまた驚いた。
「随分お安くない? 一週間分よね。ちょっと、えっと……ああ。やっぱり、前のとこの半分じゃないの。大丈夫なの?」
すると店主は切れ長の目を僅かに見開き、二度大きく目を瞬いた。小さな動作ではあったが、それはその店主を知るものならば非常に珍しい表情であったが、老婆は薬の値段に気をとられ、おろおろと店主を見ていた。
店主の唇が大きな弧を描き、再び笑みを浮かべた。
「他の薬師と違って魔法を使った分の材料費がありませんから」
「まぁ! 魔法ってすごいのねぇ」
「ええ」
「ありがとう。それじゃあえっと……三百セリでいいかしら」
「はい。三百……五十五セリのお返しですわ」
「はい、ありがとう……あ。そうだわ」
手を添えられて渡されたお釣りを受けとり、財布にしまいながら、老婆はふと思い出したように、鞄を漁った。皺の深い手が再び店主に差し出された。小さなその手には、可愛らしい紙に包まれた飴が二つあった。それぞれ大きさが微妙に違い、手作りであることは見てとれた。
「これね、私が作ったものなの。ただ甘いだけだけど、あなたたちにあげるわ」
「……ありがとうございます。あとで頂きますわ」
席を立ち、小さく会釈をして店を出る老婆に、店主とリリーは深々と頭を下げた。
店のドアが閉まった。
リリーが店主を見た。
「随分、優しかったですね」
「ええ。良いおばあさまね」
そう言って店主は早速貰った飴を包み紙から取り出し、口に放り込む。リリーは目を丸めた。残った方の飴を受け取りながら首を振る。
「いえ、そうでなくて……先輩が」
「あら。そうかしら」
妖艶な女性が子供のように口を膨らませて飴を頬張る姿には倒錯的な魅力があった。それ以上にリリーにはそんな店主がひどく珍しく言葉も出なかった。
店主は外した包み紙を折りだした。
「……たまに子供扱いされるのもいいわね。なにより――」
紙は裏返されたり回されたりしながら折られていく。手で折られているはずの包み紙が、まるで魔法にかかったかのように別の形へ変貌していった。
そうして出来上がった鳥のような翼を持った紙は、店主の手のひらに乗ると、命を宿したかのようにその両翼を動かし、手のひらから離れ、店内を飛び回った。
「貴女が老いたらああいう風になったのかしらと思ったら可愛く見えてきたのよ」
紙の鳥を見上げて、店主はそう言った。リリーも同じように紙の鳥を眺めて、その言葉を聞かなかったことにした。
第三話『これで痛み止め作ってくれないかしら』、完結しました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。




